さて、本日は恐らく廃車体を含めて残存台数一桁と思われる2代目キャブライトについて詳しくUP致します。
キャブライトは昭和33年に発売され、初代はB型サイドバルブエンジンを搭載。つまりダットサン110系セダン、トラックのエンジンを転用しました。
当時発売されて居たモデルチェンジした210系よりはコストを掛けず、オート三輪より若干安価を目指しての販売でしたから悲しくなる様な「ナイナイ尽くし」で走るのに最低必要な装備しかありませんでした。
今回の個体は昭和36年にフルモデルチェンジした2代目のA120型(初代はA20型)でして、昭和39年まで発売されました。
エンジンはC型エンジンをベースにした改良型エンジンです。無論コンセプトはオート三輪より安価ですから当時発売されて居た320型と比べると貧相なスタイルは否めません。3代目ともなるとよりマトモなスタイルですが、どちらかとなるとマイナーチェンジに近い感じがします。(それで昨日初代を比べる為出したのです)
そういうモデルだからこそ、残存が少なく、通常の草ヒロには無い沢山の写真を使った記事となります。
まさかこんな近くに凄い希少車があるとは夢にも思いませんでしたので、残りの写真は明日以降UP致します。イベントではまず見る事はないでしょう。
フロントマスク。年式は最後に出しますが、車検ステッカーや、点火時期調整のステッカーの痕跡が無い所を見ると、絶対的に昭和48年1月以前はこの畑に置かれた事は間違いありません。
車内です。ステアリングはダットサン210系ないし、311のSTD用ですので、コストダウンが感じます。
でも良いのです。そうやってオート三輪オーナーを取り込むのが目的ですから。オート三輪の市場は美味しいですからね~、彼らに受ける車作りが重要です。
余り綺麗ではないけど、こんな感じです。
判りにくいのでカタログで。やはり現車もカタログみたいなインパネである事は確認できました。
此処で大きなポイントは3人乗りである事、初代末期に3人乗りでしたが、初代の多くは2人乗りでしたので、改善ポイントであります。
やはりターゲットユーザーは初代同様早く代替えする魚屋さん、土建業者さん等でした。
荷台の金具がサイドに。此れはダットサン123や初代キャブライトに多く見られました。
撮影許可を願った時多分オーナーさんのお嫁さん又は孫嫁さんと思われる50歳前後の方が「もう潰れて居ますよ」と云ったので、てっきりフロントが潰れた車と思ったら屋根が結構大きく潰れた事を挿して居ました。
此れは潰れたには入らないですね。
恐らくですがこの方はキャブライトの事を聞いても判らないと思います。嫁いだら既に畑に有っただと思います
年式は1962年式です。ガラスに「G2」見えるでしょうか
自分のRS41より古い個体で喜んでしまいましたし、
山形陸運事務所がJR北山形駅の隣に有った時代に登録された個体の一つです。無論年式打刻制度時代個体でもあります。
そこで推測ですが廃車年は最初に書いた通り昭和48年1月以前には此処に間違いなく居ただろうから、年式が1962年=昭和37年だから耐用年数を考えると
昭和45年が妥当な線だと思います。又ややもすると昭和43年44年も可能性があります。少なくとも40年以上此処に置かれて居たのは間違いありません。
山形と云う土地柄を考えると、まして中山間地区ですから状態良く残ったと思います。