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Channel: 高村円淨のブログ
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自動車ショー歌を歌い

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 新潟運輸局山形陸運事務所跡地へ行って来ました。

 現地で昭和39年7月まで運用されており、その後は山形市漆山へ移転。同年8月から今も漆山で運用されて居ます。そこが陸運事務所であった名残は全く無く、その後に建った建物まで今は解体されこれから新しく建てようとしている様子でした。

 以前も書いて居ますが旧陸運局はJR北山形駅隣にあり、昭和25年から運用されて居ました。そこで登録された5ナンバーに限って書けば7600台余り。その中の1台が私の車です。現在確認されて居る旧支局で登録された5ナンバー車は10台程。そのうちナンバーまで残るとなるとと3台だけですね。

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 ナンバーは有りませんが、この年流行った「自動車ショー歌」を歌い撮影地にやって来ました。


以前も書いたかも知れませんが、この年の秋から東京モーターショーへ名前を変更。今日に至ります。
登場する自動車(国産車)はどんなものか全て頭に浮かびます。

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オマケエンジンルーム。

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ホーン「H」を追加して良かった!
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以前は不自然にボルトを残して居ました。
タマタマオークションでHホーンが出たので此処を埋めるきっかけが出来ました。

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横から見ると結構いい感じです。




旧R48大瀧付近

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 以前も紹介していますが、廃道となった大瀧地区に残る旧桂沢橋。
 今回は撮影時間が遅かった事もあり、交通量が多く、旧道の名残を撮影するには交通量が多すぎて危険な為次回へ回しますが(現道から見てこう変わったを撮影予定)大よその昭和43年9月30日までのルートは見当が付きました。
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 桂沢橋の上にて。もう本当に橋が有ったのか疑わしい状態です。左端に辛うじて構造物が見えますが・・・。

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 ほぼ欄干が砂利で埋まりました。現在はすぐそばにある砕石所が所有しています。
 ゲッ!実は砕石所の親会社が親父の分家に当たるゼネコンですが、S建設の車が何台か砕石所に居た!不味い!また伯父(82歳)に「馬鹿」呼ばわりされる!早く撮影しなきゃ!な事も重なりロクに構図を考えなかったのでこのへんで。
 因みに今S建設ではR48の宮城県側の雪崩発生現場の工事等を担当しています。結構頻繁に砕石所に社員さんが見えられて居ます。社員の中にも分家仲間が居ます、ヤヴァイです。伯父は歴史を辿るは理解しないし・・・・。まして近代史はネェ~、此処から話が行くのですよね~、何分狭い土地だから直ぐ伝搬する。

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  橋の親柱。此処は昨年と比べ余り埋まって居ませんが、隣の竣工年月は相変わらず埋まったままで、こんな写真出しても仕方ない事とS建設の社員さんが多数なので慌ててしまし撮影せず。

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  此れが埋まる前の14年前の写真。私は10年前にこの状態を確認しました。昭和43年に廃道してメンテナンスをしていない橋ですから、これだけ過酷な環境ではそう遠くない時期に橋が崩落も・・・・。


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 此れは橋の直ぐ奥。橋を渡ると登坂路になったのでしょう。橋と比べかなり狭く感じる道です。
当時は自動車が少ないのでどうにかなりましたが、
本格的モータリゼーションが山形に来た昭和43年ではもはや危険路極まりない感じがしました。
写真の様に狭くはないにせよ、(砕石などで崩落して狭くなったのだろうけど)運転が大変な所ですね。
まぁこの道を私の車は走ったわけですから。


ガソリン給油で

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 何時ものGSで給油していますが、昨年のある時期から今給油している燃料が何なのか判るゼッケンを付ける様になりました。
 RS41は一応免除ですが(ゼッケンでボデーやミラーを痛めると嫌だの配慮)今回はヤラセでやりました。こうすると、高級車なのにレギュラーを入れているとか、大衆車なのにハイオク入れているが一目瞭然です。私らが免許取った頃、彼女を載せた時はハイオク、そうでないときはレギュラー何て漫画みたいな奴が1人や2人居ました。こんな物されたら恥ずかしいナァ。
 正直どうしてこうなったんだろう?そのうち聞いてみます。
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 通常はやりませんがブログの為ヤラセで。


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これ、レクサスに乗って居る人は恥ずかしいっすよ
ねぇ~、レギュラーなんてゼッケンしたら・・・・。
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レギュラー使いたいんですけど・・・車が受け付けてくれません。トヨペットクラウンデラックス恐るべし!
因みに給油キャップのタコ糸は元の物は切れて居ましたので、別の部品取りからです。
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ガソリンは基本出光を使います。

関山、給油、夜景

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 実は関山撮影の後給油して、その帰り道地元の道の駅のすぐ近くにもこんな光景が有るので撮影して来ました。

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 思いつきで撮影しましたので、此処ももう少し考えてから何れチャレンジ予定です。 

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 以前から気になって居ましたが、夜間ハザード点灯するとどう写るのか試してみました。
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 ナイルスハザードはこんな感じです。

  テールは…実物を見ると面白いのですが。イメージ 4

タイヤ交換、決算

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 当初タイヤ交換は4月上旬を計画していましたが、31日は良く晴れたので、急遽タイヤ交換しました。
 天気に関係なく3月31日は1年間で整備代、ガソリン代、税金、保険は幾ら掛かったか計算しました。同時に年間走行はどれだけかも計算しました。結果費用は17万円ほど、走行は3600キロ程でした。
 クラウンRS41のレストアが完全な物になり、VNY30に乗る事が少なくなった証拠です。

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 所有して9年ほどですが、タイヤ交換で良い番困る事がジャッキポイントが手持ちの2トンジャッキではとても届く所では有りません。

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 最も届く所でオイルパンの所。此処にジャッキは掛けられません。

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 大変だけどサスペンションの下にジャッキを掛けます。
 GS130もそうでしたが、RS41もジャッキポイントはやりやすい所です。

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 この車未だシャーシ周りの給油が必要です。

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 タイヤを入れたら、来春はローテーションで、左リヤタイヤに入れるのでこう書いて

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 ホイールキャップ。

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 タイヤ交換完了し撮影。 


昭和38年9月新型車解説書 クラウン

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 フルシンクロマニュアルミッション、昭和38年6月にフルオートマチックになったトヨグライドが全車種に採用され(マスターラインも)前後のデザインが一新された1964年式。新型車解説書がマスターラインと合本で発売されました。
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 此れが表紙です。

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 1963年式はローがノンシンクロ。渋滞が酷い時はダブルクラッチ程煩わしい物は有りません。
 同期のライバルセドリックも1964年式よりフルシンクロになりました。グロリアはもう初めからフルシンクロでした。

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 当時130円。今の価格なら1300円~1500円でしょう。

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 RS40型。昭和39年7月までほぼ同じスタイル。
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 RS41型昭和39年の1月頃シートがマイナーチェンジされます。1963年式と同じ模様のシートは38年12月までです。
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 RS46G型。これも昭和39年7月までほぼ同じ。

 マスターラインは写真掲載が容量オーバーなので次回します。


スーダラ節を歌いながら

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 植木等さんによく似た大叔父が昨日未明天国に旅立ちました。
 先月24日に91歳の誕生日を迎えたばかりでした。

 唯、大叔父は7年前の誕生日の日に(84歳の誕生日)アルツハイマー型認知症の診断を受けました。4年間は時折記憶が飛ぶ事は有ったが若い頃の記憶はハッキリしていました。
 此処2~3年は寝たきり状態で自分は一体何者でどういう職業に就いて居たのかすら判らなくなり、半年ぐらい前から誤嚥性肺炎(ごえんせいはいえん)=食べ物を飲み込む時むせる等して肺炎を起こす。致命傷になる事も多々ある。を4度繰り返しましたが遂にこの度帰らぬ人となりました。
 胃瘻(いろう)=胃にチューブを埋め込んで栄養剤を流し込む延命治療、云わば無理矢理生かして、介護負担を増大させ生活の質も落とす。但し3年程度は延命が期待できる。も検討されましたが持つところまでとして胃瘻はしませんでした。
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 この頃の植木さんに大叔父は似て居ます。有名人そっくりさんに出したい位似て居ます。(20年ほど前です)声も何となく似て居ますね。

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 御来欧音さんにも何度かお見せした奥新川変電所。仙山線の仙台方面からはこう見えました。
 昭和18年~23年まで勤務しました。お爺ちゃんは事務官でしたが大叔父は技師でした。兄弟で永年国鉄に務めさせて頂きました。

 認知症初期の頃だと写真を見せれば機械操作は詳しく覚えて居り、(記憶が繋がって居る状態の時)往年の国鉄技師ぶりを発揮しました。

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 そんな大叔父も私の車を昭和43年までは運転しました。その後自分で車を買ったけど、ロクに乗らず自転車ばかりとなり60歳前後で運転免許は返納しました。
 植木等さんの映画でも結構RS40系は出て居ます。そんな意味も含めて出しました。

 長い間見守ってくれて有難う。又お爺ちゃんが亡くなって判らない事を色々教えてくれて有難う。そしてさようなら。


オイル交換と定期点検

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 トヨペットクラウンデラックスは半年に1度定期点検を受けて居ます。オイル交換を兼ねてブレーキ等も分解します。
 山形5時代は1年車検なので1年に1回だけだったナァ、点検をしていたのは。ある意味1年車検なので私の車は此処までどうにか持ったと思います。此れが2年車検なら今頃遠っくの昔に解体屋でしょう。
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 先ずはオイル交換。今回はオイルフィルターは交換しません。(フィルターは8月末~9月)

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 タイヤを外して、
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 ブレーキの分解。そのうち書きますが、フロントは親戚のタクシー会社から頂いた1台分の純正ホイールシリンダーに10年程前に交換しました。リヤは左側だけが純正で、右と、アジャスター左右は社外です。此れも10年前交換しました。
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定期点検 ライト編

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 前回の車検で右のHIビームが光量が足りないとの事で、交換しました。先ずはチェック。旧車の場合スロッドルを引いて光量を上げるのが車検のポイントです。
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 スロッドルボタンを引いて居ますから結構エンジン音がうるさいですよ。
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 だいぶ前に中古良品で手に入れた東芝楕円ランプを入れました。

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 今度は万全です。十分光量があります。

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交換して、でも全然見栄えは変わりません。

大叔父の葬儀に

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 トヨペットクラウンデラックスを使いました。そもそも冠婚葬祭用でもありますしね(笑)流石に火葬、葬儀の写真はNGですから余り関係ない感じの写真ばかりですが、折角撮った写真なので今回UPします。

 病院の関係で15キロ先の市しか通夜会館が空いて居なかったので一族大移動です。大叔父を霊柩車に載せて我が市の火葬場へ運びました。

 迎えてくれた職員は私の車を見るや若い女性スタッフは「何処の外車でしょうかね?」と聞こえ、年配の方が「トヨペット」とあるし、ンン?「クラウンデラックス」と云う事は大昔のクラウンだよ」と話して居ました。

 挨拶もそこそこに暇な時間私は「今日火葬して頂いた仏さんもこの車を昭和43年までは運転していたんですよ」と雑談しました。

 今回はドアの写真ですが

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 お袋が「円淨、ドアの開け方忘れたよ!どう開けるんだ?」でした。思い起こせばお袋が最後に乗ったのが6年前でその前が25年ぶりこの車に乗りましたがその時も「円淨、ドア開かないよ!」でした。
 未だ20代後半だった昭和53年はフツーに開けていました。一方叔母(お袋の妹)は今も何も云わずとも開けました。
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 葬儀、定期点検と忙しかった1日でしたが、何気に良いショットと思い車庫でパチッ!

つい手を出しました

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 ホイールシリンダーの新品にです。
 
 20年以上前だとしばしば1台分とか、前1台分だとかとセットでホイールシリンダーが出た物でしたが、それ以降はバラで出る事が多く、中でも出ないのが、今回入手した「47520-30021」=右後のホイールシリンダーです。
 
 社外ですら出ません。それでオークション等でも既に純正でMS50系用を1台分入手していたので、もう要らないとしていましたし、何度か47530や47540は純正、社外問わず見送りました。

 当方は親戚のタクシー会社の部品庫の奥からフロントを純正部品で1台分入手し、リヤも純正、社外混合で手に入れたので、カップゴム交換の上新品に入れ替えましたがそれ以外で、ホイールシリンダーの47520品番は見た事有りません。で、それが出たから、

 ♪:ちょいと、一杯のつもりで呑んで~・・・・となり、オークションで落札しました。https://www.youtube.com/watch?v=JHpnjqqq
 スーダラ節を歌いたくなりますね、前も書きましたが植木さんは今月2日に亡くなった大叔父に非常によく似て居ます。

 今後数年かかっても残りを探したいです。

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 今回入手しました「ブツ」の箱です。これは純正を作ったメーカーが独自ブランドの為にトヨタマークを削って販売しました。
 PT36とはコロナラインです。

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 此れが「47510-30021」=右前シリンダーです。

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 此れが主役です。兎に角手に入りません。何故だろー?不思議だ。

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 整備書より、判りやすくする為載せました。

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 こんな感じになるのですね。
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 オマケ、リヤ。

 当方の車は右がミヤコ製の社外で左が純正、下のアジャスターが左右ともTOYO製です。


昭和38年9月発行 マスターライン編

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 今回はマスターラインを紹介します。37年9月の新型車解説とは違って今度はマスターラインも合本になります。クラウン同様フルシンクロ、完全オートマチックトヨグライドが38年9月の大きな特徴です。
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 ライトバン。他のモデルもそうですが、ホワイトウォールタイヤはオプションです。注文しないとホワイトウォールにはなりません。

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ダブルピック。実はこのモデル現物を見た事ないです。

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シングルピック。時折見ますが大半は逆輸入です。

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 1964年式のカタログ。先程の3ページでは味気が無いので出しました。昭和39年8月に変更されます。

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インパネ周り。RS40と同じです。でも此処まで無いで残ったマスターラインは先ず無いでしょうね。

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トヨグライド。そもそもマスターラインがトヨタ採用第一号なのですよ。(昭和34年3月~ライトバンのみ)

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ラジオ。此れもオプションですが、RS41とは違い、オートチューナーは有りません。値段もRS41の4割引き。

土の消毒

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 基本苗植え野菜は畑を耕しませんが、土の消毒と云う事で穴を掘って土を掘って空気に晒して消毒します。自宅前とクラウンが有る畑を実施しました。

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 自宅前、此処に茄子3本、ピーマン1本を予定します。

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 此処は胡瓜。5本予定しています。

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 玉ねぎの1つ。少し成長しました。

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 クラウンがある畑。此処にトマト10本で、内訳がサンキッスが7本、中玉を3本予定します。

仙台へ花見

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 昨日仙台の桜が満開と云う事で見に行きました。
 行先は青葉城、西公園ですが、とても満開とは云えない状態でした。NHKのニュースででしたので本気にしましたが、どうやらネット情報では仙台南部の白石市が満開見たいです。
 無論桜と聞いて黙って居る私ではないし、そんなに遠くないのでトヨペットクラウンデラックスで参上した所です。

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 青葉城にて、とても満開じゃないっす。

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 少し近づけました。でもそうでないっす。

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 場所を変えて。他に西公園も見ましたが、とても満開では無かったし青葉城の近くで終わり!

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 お気に入りスポットのニッカウヰスキー仙台工場へ。
マッサン人気も終わり先ずはひと段落と云った感じですが、未だ寒い仙台の西部ですから緑はさえないです。
 GW前後に再び撮影に行きたいですね。

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 スノーシェルター工事でどう変わるかR48。親父の実家の分家であるS建設が此処で工事をしています。
 後でUPしますが、懲りずに前回失敗した桂沢橋での撮影もしました。社員さんが乗って来た社用車が採石場に有りましたが、1台だったし、いらっしゃらなかったので何とか撮影。この工事現場にも社用車が3台ありました。

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 関山旧道宮城県側の入り口から1キロ前後を工事して居り、入り口が破壊されないかヒヤヒヤしながら、且つ停車出来ないので全然ピントも何も合わせず写真を撮ったので殆どが駄目でしたが、入り口の「名の無きコンクリート橋」は残って居ました。

 どういう工事になるか判りませんが暫くは関山トンネルを出て工事渋滞に遭うみたいです。


葡萄石灰撒き

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 葡萄栽培の基本として石灰を施す事を忘れてはなりません。
 石灰を施さないと葡萄は「いじけ葡萄」になります。同様にわらびを葡萄の根元付近に植えてはならない最大の理由も石灰を撒かねばならない事が含まれて居ます。
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 巨峰です。今年で樹齢14年です。

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 根っこがこちらにもあるので。

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 巨峰。此方は樹齢9年になります。

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 スチューベン。樹齢4年ですが結構沢山実を付けます。

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 ナイヤガラ。樹齢9年。此方も沢山実を付けます。

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 物置となって9年になろうとしていますが、大規模な錆は有りません流石現行車。
 藁縄でも良さそうな物は車内に引き込んで保管し、トマト等を定植してからマルチとして利用します。
 近年藁が入手困難となり、造園屋さんから頂く廃藁縄は大変貴重です。


仙台の帰りに

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 関山旧道も撮影して来ました。悪戸の一部が通行止めの上改良工事と看板が掲げられており、何なんだろう?と思ったら驚くほど杉林が無くなって居ました。
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 沼沢ー悪戸間の直線道路が旧道の色を残して居ますがこれとて・・・・・??
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 前回上手く撮れなかった桂沢橋。やはり相当砂利で橋が埋まったナァ。下の川(多分乱川の支流)は砂利採掘で濁ります。
 この橋も竣工から64年ですしメンテナンスはしていないだろうから何時崩落してもおかしくはないです。

キャブライト(2代目)

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 実は今日草ヒロブログのSさんと昨年発見して気になる大物を探しにクラウンRS41で探し回って居ました。

 兎に角不思議なのが、昭和30年代の個体で有る事は間違いないが、すぐそばにあるより作りが良いダットサントラック軍団より程度良く残り、作りの粗雑なこのトラックが残る事は不思議でした。とても山形の草ヒロとは思えない綺麗さです。

 暫くこの大物キャブライト2代目の特集を続けます。
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 昨年発見した時はこの様な姿でしたが、とてもどうこの車を見に行けば良いか判らない所にあり、撮影は断念しました。

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 此れは初代キャブライト。元々はオート三輪市場に食い込むべく又オート三輪を駆除する事を目的にトヨタからはトヨエース、日産からはキャブライトが販売され低価格販売で着実にオート三輪を駆逐しました。

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然し、平成の世の中になると駆逐されたオート三輪は結構残ったが、駆逐したこれ等の安価な4輪トラックは殆ど姿を消しました。
 そしてこれ等トラックは空き地などに放置され、それで遊んだのは私等団塊世代Jrオヤヂどもで、貴重なトラックを壊しまくりました。

 バブル期に旧車ブームが有りましたが、残念ながらこれ等は救いの手が無く、次々姿を消しました。
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 カタログを参考まで。
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 顔は撮影個体から見えませんがこんな顔です。
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 現存する貴重な個体のレストア車輛。



キャブライト(2代目) その2

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 さて、本日は恐らく廃車体を含めて残存台数一桁と思われる2代目キャブライトについて詳しくUP致します。
 キャブライトは昭和33年に発売され、初代はB型サイドバルブエンジンを搭載。つまりダットサン110系セダン、トラックのエンジンを転用しました。
 当時発売されて居たモデルチェンジした210系よりはコストを掛けず、オート三輪より若干安価を目指しての販売でしたから悲しくなる様な「ナイナイ尽くし」で走るのに最低必要な装備しかありませんでした。

 今回の個体は昭和36年にフルモデルチェンジした2代目のA120型(初代はA20型)でして、昭和39年まで発売されました。
 エンジンはC型エンジンをベースにした改良型エンジンです。無論コンセプトはオート三輪より安価ですから当時発売されて居た320型と比べると貧相なスタイルは否めません。3代目ともなるとよりマトモなスタイルですが、どちらかとなるとマイナーチェンジに近い感じがします。(それで昨日初代を比べる為出したのです)
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 そういうモデルだからこそ、残存が少なく、通常の草ヒロには無い沢山の写真を使った記事となります。
 まさかこんな近くに凄い希少車があるとは夢にも思いませんでしたので、残りの写真は明日以降UP致します。イベントではまず見る事はないでしょう。


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 フロントマスク。年式は最後に出しますが、車検ステッカーや、点火時期調整のステッカーの痕跡が無い所を見ると、絶対的に昭和48年1月以前はこの畑に置かれた事は間違いありません。

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車内です。ステアリングはダットサン210系ないし、311のSTD用ですので、コストダウンが感じます。
でも良いのです。そうやってオート三輪オーナーを取り込むのが目的ですから。オート三輪の市場は美味しいですからね~、彼らに受ける車作りが重要です。

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余り綺麗ではないけど、こんな感じです。
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 判りにくいのでカタログで。やはり現車もカタログみたいなインパネである事は確認できました。
 此処で大きなポイントは3人乗りである事、初代末期に3人乗りでしたが、初代の多くは2人乗りでしたので、改善ポイントであります。
 やはりターゲットユーザーは初代同様早く代替えする魚屋さん、土建業者さん等でした。


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荷台の金具がサイドに。此れはダットサン123や初代キャブライトに多く見られました。

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 撮影許可を願った時多分オーナーさんのお嫁さん又は孫嫁さんと思われる50歳前後の方が「もう潰れて居ますよ」と云ったので、てっきりフロントが潰れた車と思ったら屋根が結構大きく潰れた事を挿して居ました。
此れは潰れたには入らないですね。
 恐らくですがこの方はキャブライトの事を聞いても判らないと思います。嫁いだら既に畑に有っただと思います

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年式は1962年式です。ガラスに「G2」見えるでしょうか
自分のRS41より古い個体で喜んでしまいましたし、
山形陸運事務所がJR北山形駅の隣に有った時代に登録された個体の一つです。無論年式打刻制度時代個体でもあります。

 そこで推測ですが廃車年は最初に書いた通り昭和48年1月以前には此処に間違いなく居ただろうから、年式が1962年=昭和37年だから耐用年数を考えると
昭和45年が妥当な線だと思います。又ややもすると昭和43年44年も可能性があります。少なくとも40年以上此処に置かれて居たのは間違いありません。
山形と云う土地柄を考えると、まして中山間地区ですから状態良く残ったと思います。


キャブライトとその仲間たち

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  本日でキャブライトの記事のUPはおしまいですが、昨年紹介したダットサントラック4台の廃車体オーナーとキャブライトのオーナーの名字が同じです。恐らく本家分家の関係かな?
 昨年紹介のダットサントラックについては明日UPして、1日目の草ヒロ探索は終了です。
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 キャブライトのタイヤを見るとリヤのスノータイヤがボーズタイヤに近い状態でした。フロントもほぼボーズです。走行距離は10万キロ近いとは思われます。


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荷台の小屋は果樹で必須の授粉用ミツバチの巣です
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後で紹介するダットサントラックの荷台は底抜けでしたが、このキャブライトは未だ底が残って居ました。

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でもテールを見る事は出来ません。

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ダットサントラック軍団の入り口520の初期型で2灯火モデルです。キャブライトより作りは良いのですが。

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620型のスタンダード。多分中古で買い足しと思います

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620型デラックス。恐らく520型の後継者でしょう。

ブレーキ部品入手

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 此れも意外に入手が難しいリヤブレーキのアジャスター。
 MS50、RS50用とありますが、実は最終的には40系と共通になり製造廃止になりました。
 左右対で入手が難しく、尚且つ左右が有る部品ですから入手しました。時折左右どちらかがオークションに出るケースは有ります。

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 入手した物はTOYO製品。何が因果か今使って居るアジャスターも此れなのです。

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 右側のアジャスター。

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 左のアジャスター。アレレ?ピンが右に無かった!まぁイザ使う時今使って居る部品を転用しよう。
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 左右セットの箱の写真。此れも何の因果改善入手した箱も手書きで品番が書きかえられて居ました。


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