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葡萄棚(巨峰)増築

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 昨年職場から貰ったアルミ棒等をこの度葡萄棚の増築資材に使いました。
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結構いい具合に増築できました。リヤシート付近まで延長できました。ドアの開閉も問題ないです。

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延長部分の右側。

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1本余ったので横に伸ばして針金固定です。
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左側。此処をどうするか以前から課題でした。

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番線はテキトーですが・・・・(笑)

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後ろより。


ラジオ取扱書

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ラジオの解説です。
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トヨペットクラウンデラックスは感度調整と、自動同調が付く点がRS40用等とは違うし、価格も倍近く違います。
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ダッシュパネルのSWはデラックスとカスタムのみの設定です。勿論アンテナはオートアンテナ。

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(3)をよく読むと、子供の頃Tのボタンを押してクルクル回るこのシステムにたまげて、Tボタンを回転中弄って壊してしまい、以後ラジオが故障した苦い経験をしました。その後私が高い金出して修理しました。(笑)

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山形市の取扱店は佐藤無線。この業者さんは今も盛業中ですよ。確か音響機器も取り扱って居る筈。
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裏表紙です。

3月10日の思い出

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 今日は山形県立高等学校の入学試験の日です。(1校のみ市立高等学校もありそれも10日です)このブログを見ている方のお子様、お孫様で受験生がいらっしゃいましたら、「頑張ったナァ!」と声掛けして頂ければ幸いです。
 さて、私は毎年この日別の思い出が有ります。同級生のk.kが何を思ったのか、母校近くの高校を受験する生徒に向かって窓のフレームに腰かけて「やめろずぅ~!落ちる!落ちる!」と大声で叫んで居ました。

 Kの馬鹿!と私は内心思って居ましたが、受験生が試験会場に向かい居なくなった直後、今度はKが窓から姿を消してどうした!と思ったらKは校庭に転落していました・・・・・!

 学校では親父を「お父さん」と呼んではならず「高村先生」と呼ばねばなりませんでしたが、それを忘れて「お父さん,お父さん大変だ、kが教室から落ちた!」と知らせに行きました。親父はあと4カ月もすれば亡くなりますが、(当時は親父の実母が亡くなり1か月、享年87歳)頭は当然禿げあがり、見る見る親父の頭が青くなり、担任は当然、校長、教頭、学年主任等も青くなり駆けつけました。

 結構親父の足の速い事当時42歳でしたが若い担任より速かったです。

 幸いKはかすり傷すらない状態で何事も無かったかのように立ち上がりましたが、親父の寿命が又短くなったのは確かです。

 親父の寿命を縮める事は私たちは結構しました。因みに親父は昭和44年より18年3か月教師をしました。

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 一見この話には関係ない写真ですが、この日を前後に今年定年を迎える教科担任(美術担当、中学校長で定年)の先生が、結婚したと云う事でそのクラスの生徒が先生にプレゼントと云う事でこの曲をプレゼント。
 

 土曜日のたまねぎです。この先生の愛車が写真のクレスタでした。何だって軟派な先生と思いましたね。親父なんかは基本ポンコツの自転車でした。たまにレストア前のトヨペットクラウンデラックスでしたけどね。
  *昭和62年5月の写真に私の車が母校にあったのでビックリでした。結構同窓生含めて先輩でも車に関心が有る方は親父は自動車運転免許が無いと思って居たそうです。


震災から4年

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 本日で震災から丸4年、当日は吹雪交じりでしたが、本日は20㎝はあろう積雪がありました。此れだけの積雪は一寸珍しいです。

 何と云ってもあの震災で何度も襲い掛かる余震で、震度3程度では地震が発生したのか判らない感覚に陥った事は忘れられません。余震にも拘らず、昭和53年6月12日の宮城県沖地震と同じ規模の余震が起きて、家屋が潰れないと判った後はトヨペットクラウンデラックスに毛布を掛けるなどしました。私の車は昭和39年の新潟沖地震、53年の宮城県沖地震、そして平成23年の東日本大震災の中を生き残りました。

 さて今も特に福島県からの避難者が人口6万人程度の小さな市でも結構な数の避難者がいますし、我が町内会にもいわきナンバー管轄地区からの避難者が居ます。
 何と云っても福島の原発の事態が解決しないのでこれだけ長期化するのでしょうが、今までの大地震にはない現象です。今も市内で福島やいわきナンバーの車を見ない日はなく、不思議な感覚に陥ります。

 それと本日の山形新聞にありましたが、最上地区でガソリン販売をした時、先ずは病院や福祉施設に優先して灯油を供給し、ガソリンもこちらを優先。全く油の供給の目途が立たず、結局は僅かに入っては制限販売して皆に平等に配布した結果、並んで待って直前で売れ切れた客に何度も胸ぐらを掴まれたりしたそうです。又これまでのお得意さんにも制限を掛けたので、通常供給後契約を打ち切られお得意様を失う事態に陥ったとありました。でもこの経営者は後悔はしていないとのこと。

トヨタ新型車解説書

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 ネットオークションの底力で手に入れた新型車解説書。この度1964年3月発行のRS40Pを除き涙目、丸テールは全て揃いました。
 1962年9月発行の解説書は驚いた事にクラウンとマスターラインは別にして解説書を発行していました。
 日産のサービス週報とは違い、何故かトヨタは余りマニア市場に出回る事は少なく、10年前はかなり苦労して手に入れましたが、今はネットオークションの強みで割合手に入りやすくなった感じがします。

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一番左は1962年9月にセールスマン向けの概要書です。これは基本非売品で表に出る事は有りません。

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1962年9月の登場したばかりの頃の物をUPします。

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現存数は5台程度ですが1963年式のライトバンは確認しています。

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 クラ○○クテ○○ストの経営者であったSさんはかつて1963年式の此れを発見したら仕事を辞めてレストアに精を出したい!と公言する程少ないです。

因みに私は隣の地区の養豚場でこれの廃車体を確認しています。現役当時は恐らく何度も私の愛車と隣り合わせ何てあったでしょう。同じ様な顔をした車が、片や市長を片や豚を載せて走れば、どんな顔をした物か、想像しただけで愉快です。



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此方は見た事無いですが、福島のマニアによると平成元年まで1963年式の電気屋さんカラーがあったとか。

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今回はマスターラインを。

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ラジオ&時計、ヒーターはオプション設定です。
ウィンドーウォッシャーは昭和47年1月1日製造以降から取り付け義務化されました。
クーラーのオプション設定はマスターラインには考えられては居ませんでした。又トヨグライドのオプションマスターラインには設定があります。
何分トヨタ車で一番初めのAT設定がマスターラインライトバンなのです。




ブログ開始1周年記念

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 高村円淨のブログを開始して1周年となりました。開設は2009年10月23日となって居ますが、当時は文字を打ち込むだけで精一杯で写真を取り込む方法を知らず、そのまま数年放置となりました。

 漸く写真取り込みを覚えた昨年ドキドキの中行うともう中毒となり基本1年間休まないで更新するとなりました。(一番初めのブログでは不定期更新としましたが、その後中毒症状で不定期更新の方針を撤廃しました)

 開始前は1500人前後の方が訪れていた事を記憶していますが、今では25700人を超える来訪される方が居り、こんなヘンテコなブログにこれだけの方がお越しいただき本当に感謝申し上げます。
 あくまで自己満足で自分が毎日見ても良い内容ですので、必ずしも皆様方に満足いく記事は有りませんが今後ともよろしくお願い申し上げます。

 本日は1960年式マスターラインシングルピックアップをレストアされて居るブログ友の方に何か力になれない物か?と思いまして苦戦が予想される燃料タンクユニットと私の自己満足を満たす内容を合わせた記事で1周年記念記事を書かせて頂きます。

 RS26のセンサーを見せて頂きましたが、私のカンでは、コロナ20,36、40系用及びRS46系用は使えないかも知れません。これ等は燃料タンクの側面に垂直に取り付けるので、センサーの動きが異なります。
 RS26はタンクの上面に水平に取り付けられて居るので多分、センサーの動きを考えると恐らくRS20系か40、そして紹介するスタウト、ダイナ、トヨエース用かな?と思います。
 尚RS40系は2つありまして、上面に垂直はセダンRS40.41、側面はRS46となります(多分MS40系も同じでしょう)但し、41年後期のタンクユニットは抵抗式に代わるのでこちらはそのままでは使えません。

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 此れは私の車から摘出した燃料タンクユニット。死亡診断書を出したのは平成21年ですが、左端のフロートは未だ生きて居ます。

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色々手を尽くしましたが駄目でした。
センサー内部が壊れていたのです。
この時代の燃料タンクユニットはバイメタル方式
で、内部のコイルを修理出来る職人が居ません。
私の場合当時高齢でしたが、修理できる方が居て事無きを得ましたが、今は現実的ではないです。修理は関東在住の職人ですが、他の地方はもう居ないでしょう。

 今はきちんと作動する物を手に入れる、デッドストックを探すしか対応は出来ないでしょう。
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 紆余曲折が有りましたが、トヨペットクラウンデラックスより古いモデルの新品を使いました。此の新品がコイル焼損しており、ボデーの状態が良いので修理しました。

 モデルは後で書きますが、元々フロートを取り付けているアームが長く、それをオリジナルに合わせて長さを調整します。下の部分の曲がり角もオリジナルより大きいので、此処も合わせます。実はこのモデルのフロートはRS41と同じでしたが、皹が入り使用断念し、部品取りの昭和40年式用が綺麗でそれを移植しました。
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 トヨペットスタウトRK45用です。発売は昭和35年10月から37年8月までですから、1961年式、1962年式のみしか存在しません。現存車輛は5台とか?


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全体像です。この様な状態でタンクに入って居ます。
RS26の場合20用と比べ、フロートが大きい感じがしたので、現物合わせが必要です。20用に不具合あるなら、外して26に付いて居た物を取り付けますが、必ずそのフロートが穴が空いて居いない事を確認してください。

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昭和36年1月26日製造ですから1961年式用に取り付ける為に製造したのでしょうね。当然ですが、当時クラウンはRS30系が発売されて3か月程度でしたので、RS40系はまだ未だ開発途中です。


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RK45型スタウト。1500㏄R型エンジンしかないので残存しないのかな?

 下の写真は昭和35年8月頃旧東京都庁前で撮影されました。丁度RS26が新車で走って居た頃ですね。時代は異なりますが、センサーの取り付け穴が同じなので、取り付けは可能と見て居ます。アームと、フロートが同じ条件にして入ればこの時代に無かったRS40とかRK170,40等も取り付け可能と思われます。

 でも、この写真私が好きな歌手越路吹雪さんがこの通りを歩いて居そうな??東京会館も此処から歩いて行ける距離ですし。

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3月14日は更新できませんでした。

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 開始1周年を迎えた翌日、遂に休みましたが
 
 実は我が家で飼育している「ピンク怪獣」が大暴れして
パソコンのメモリーを破壊!イヤ~、マイッタ!

 9800円也の出費でした。

 本日は記念日ですから仕切り直しをして新しい記事にします。

1963年式RS41に乗る決意をした日

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 平成元年3月15日(26年前の本日)私は何が有っても1963年式のトヨペットクラウンデラックスに乗る!と決意した日であります。本日はRS41が好きになるまでの経緯を書きます。

 私がクラウンRS41を意識したのは昭和52年4月の事で、当時私3歳11か月でした。自宅から10キロ程の所に我が家と同型の1963年式RS41の廃車があり、車検は昭和48年7月で切れて居ました。それで遊んでこのクラウンでないと駄目となり、程なくして今の愛車に乗ると考えました。

 この日私はお婆ちゃんの姉(大伯母)が住む所に行き(当時はお婆ちゃんの母親も住んで居ました)その途中に掘立小屋みたいな整備工場があり、其処に1963年式RS41,1964年式日本交通タクシーカラーのRS40、初期型RT40DX等10数台廃車が置かれた廃車場があり、大伯母に挨拶するとそこにすっ飛びました。
 当時は1960年代の廃車が好きになり久しく馴染むのもアッと云う間でした。流石のお婆ちゃんも困って居ました。

 我が家に有るRS41はカローラKE20もそうですが、絶対に一人で車内に入らない事を約束させられ近づけませんでした。それが真ん前に野晒で車が有るからもう我慢が出来ません。

 掘立小屋の主は叱る事なく「坊やはポンコツがそんなに好きか?ならば遊んでも良いよ」となり、私は我が家に有るRS41と同じ廃車で遊びました。  その時ホーンリンクが方向指示器も兼ねている事を知り、又綺麗だナァとより思う様になりました。
 メーターも間近で見たのはこの廃車でみたのが初めてで、ランプが多くて結構カッコいいとこの頃思いました。制限なくいつでも車内に入れるからより我が家のRS41に惚れ込んで、お爺ちゃんに「僕、お爺ちゃんの車に大人になったら乗る!」と云いました。恐らく昭和52年の6月前後にとうとうクラウンRS41を処分する機会をお爺ちゃん、お婆ちゃん、親父、お袋は失ったとなります。
 当時は多くが車に乗る=KE20に乗るでしたが、益々RS41の豪華さに惹かれてしまい、親父が運転してくれない事に不満でしたが、親父に頼まずとも、この廃車場に来れば良いとなり、以前ほどせがまなくなりました。
 
 以前も書いて居ますが、親父が運転が苦手であった事は良かったのです。私並の上手さだったら、彼の性格では興味のない事は面倒くさがりな人で、1年車検となると惜しげもなく捨て去るのが親父の性格です。それに親父がRS41に乗ったのは車齢9年ですし、物は大切に使うが一定の時期を使う、年数が経つと価値ある、無し関係なく捨ててしまうのも親父の性格です。(親父は生きていれば4月で71歳です)

 だいぶ前ですが、関口宏さんのご子息がJAFメイトで1960年代の国産車を所有されて居るはなしが有り、その記事を読むと1960年代の愛車に乗ると、走行中の風景が色々な芸術的な風景に見えたり、美しい風景を感じるそうです。

 私も同じ事を体験しました。廃車の1963年式の運転席に乗るとルパンⅢ世の世界に見えたり、水曜ロードショーや金曜ロードショーのOPの風景や曲が聞こえる感じがしました。但し残念ながら自分の車は何も感じません。兎に角その廃車でないと駄目なのです。
 
 他に有った1964年式RS40とか多分同じ年式のコロナRT40DXでもそれらを感じたりしました。尚1963年式RS41は程なくしてエンジンを抜かれてダイナRK170のドナーになり、エンジンが抜けた分フロントが軽くなり、尻下がりとなり、その姿が結構カッコよく感じましたし、益々其れが好きになりました。最もエンジンは当時興味は無かったです。

 *山形なんぞに東京の日本交通タクシーの車両が有ったのは調べてみると私のライバル高校で昭和40年前後から「自動車運転講習」を就職を希望する生徒に格安で運転免許が取得できる様にとポンコツ車を方々から集めて河川敷でやって居り、42年頃ブルーバードが事故廃車になり、当時担当教師だったN教師(近所に住んでいらっしゃいます)が東京の日本交通に出向いて引っ張って来たそうです。N教師の話ではガソリンとの話で、多分昭和38年9月~12月製造?当時LPGが主流になりつつあったが、未だ完全ではなく予備車で比較的古くなったガソリン車も残していたそうです。それもお役目ゴメンで運んできたそうです。

 恐らく夕方に掘立小屋で主と一緒にテレビを見たし、ルパンⅢ世をよく見し、主が今は亡き水野治夫さんによく似た方ですので、その様な感じがするのでしょう。

 然し昭和57年を境に主とは会えなくなりましたが、時折遊びました。当時は私が良く遊ぶので残してくれていたと思いましたので、そのまま主が居なくとも遊んで居ました。中学に入る頃にはこの車のコラム噛みについて対応をマスターして居り、シフト操作は15歳にしてとても上手くなりました。お陰様で15年運転してコラム噛みは居眠り運転した1度だけです。

 さて高校受験を控えた昭和63年の末には、藪が伸び放題だったのが綺麗になって居り、嫌な予感は有りましたが、先ずは高校受験突破が第一でしたので。3月10日が終わる事に集中していました。
 
 受験が終わりその後は直ぐに廃車場に行き眺めたり、車内に入りましたが、3月15日の夕方行くとそこには1台も廃車が無く一晩にして無くなり大きなショックを受けました。

 16日以降は自転車で近隣市、町の解体屋を全て回って4日掛りで探すも発見できませんでした。山形市の捜索はキツカッタけど頑張りましたが駄目でした。(以前UPしたツノダ自転車で走り回りました)

  1台も無くなった15日ガランとした土地に向かって「絶対トヨペットクラウンデラックスに乗る!廃車にしたあの車を走らせる!」と誓いました。

 3月15日は私のRS41泥沼化の始まりであり、もう後に引けないとなった日でもあります。



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 此処は廃車場の前です。38年前は奥の信号から先が掘立小屋ガレージの主の土地でした。(昭和57年まで)


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 写真の大きな空き地に1963年式RS41他10数台の廃車が有りました。今も何処に何が有ったか覚えていますが、今は大通りになりユックリ撮影が出来ませんからササッとなり判りづらく済みません。


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 RS41とRS40は、電信柱の奥、丁度グレーの車が有る付近に有りました。

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 写真ファミリーマートに掘立小屋の整備工場らしい建物が有りました。

  実は、この廃車が無くなったのは理由があり、主の中学時代の恩師である大伯母が大きく関わり、平素からこの廃車場が「街の景観を損ねる、このままでは犯罪の温床になりかねない」と考えて居ました。

 昭和63年の春先に3枚目の写真の右端に新しい家が建ち始め、市役所にどうも景観が良くない、何とか処分する様訴えたが絶対聞き入れず、役所が介入すると益々激しい剣幕を起こし困ったと、大伯母が聞いて、
住民に「私に任せて!」と云い説得に入った事が判りました。無論御婆さんは私がここをお気に入りである事はよ~く知って居ますが、処分を優先しました。

 当時72歳でしたが、行動的で身軽な御婆さんですから秋までには「先生、悪かった」と云い処分に応じたそうです。この時御婆さんは貸ビル経営を提案したそうで、此れが大当たりしました。(3年前に老朽化等から解体して、今は借地で募集を掛けて居ます)
 
 主の主張は1番上の写真に有り、区画整理で土地を渡したくなく、反対しが没収され頭に来て、ガレージや廃車を放置したそうです。
 最後の大仕事のガレージ解体は説得に12年掛かり、ローソンが借りたいとなり此処を逃さずプッシュ。平成12年に解体となり、姿を消しました。

 大伯母は今98歳の全聾で歩けなくなりましたが、元が元気な御婆さんですからピンピンしています。



こんなスグレ物がありました。

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単に私が知らなかっただけだったと思いますが、冬場カミキリムシの幼虫を退治するには「展着剤」が役に立ち、より内部に深く浸透するそうです。
 展着剤にスミチオンを散布すればより確実に害虫退治が出来ます。本来は秋の落葉期にする物ですが、今葉っぱが無いから散布しないよりずっと良いので散布してみました。
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左がその展着剤です。右がスミチオン。

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巨峰に散布します。

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結構入念に散布するのでクラウンのボンネットに消毒液の沼が出来てしまいました!

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スチューベンやナイヤガラにも散布します。

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巨峰パートⅡにも。


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無論葡萄が有る畑にも米糠を散布しました。

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とても良い具合に発酵しました。


そして今

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  私が子供の頃は、兎に角親が居ない時は自宅の車に近付かない様に云われて来ました。クラウンRS41は車庫に入っては居るが何処か遠い存在だったのが今の愛車です。
 其れが有って3/15にUPした廃車のRS41とは違う感覚になるのでしょうかね?レストアが終わってから何度かJAFメイトにあった、関口宏さんのご子息の様な夢が有る様なドライブを意識しましたが出来ませんでした。

 今はドライブを楽しむ、往時を思い出して楽しむ、イベントで楽しむ、磨いて楽しむ、自分の歴史、連れ合いとして楽しむ車です。でも仕事のストレス解消には最高ですね。
 
 修理、レストアが進んだ今は、もはや長距離移動の一番安心できる相棒です。全面的に信頼してこの車に乗って居ます。
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 子供の頃は絶対触れられなかったステアリングやメーター周り。廃車に触れてこそ今まで気付かなかった発見は有ります。
 それと以前もチラリ書いて居ますが、元市長のお宅跡地には2軒目の家が完成を間近にしています。丁度青い網が有る辺りが市長のお宅の中心でした。

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 イベント参加の証。此れだけ遠くのイベントに参加したと云う記念です。長距離移動でなくてはならないRS41。

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地元山形新聞の4コマ漫画で何となく私の大伯母が春野トキさん(おばあさん)似ている気がします。
 トキさんも行動的で運動神経が良いとあり、大伯母に似て居ます。


新型車解説書(トヨペットクラウン)

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 昭和37年9月発行の新型車解説書トヨペットクラウンです。RS40、41、46Gが解説されて居ます。今回はRS41の特徴を紹介いたします。

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RS41専用ヒーターです。RS40、マスターラインも純正品で注文すると左側のリヤシートへのダクトが付きませんがそれ以外は共通です。当時27000円でした。
高い場合はダルマヒーター16800円が有ります。

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先ずは何と云ってもオーバードライブが最大の特色です。

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新型車概要解説でもセールスマニュアルでもこの装置はかなり強調して販売する様にとありました。

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PT20がベースのリヤサスペンションもウリです。

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RS46G、マスターラインライトバンと足回りは異なり、RS40用が取り付けられて居ます。
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RS41、私の愛車と同型。
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RS40、スタンダードです。

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元々は非売品だったみたいですが、実費310円に改められました。やはり内部資料なんですね。

近所の風景

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 漸く長かった冬も終わり、トヨペットクラウンデラックスを走らせる事が出来る様になりました。今回は近所の風景を撮影しUP致しました。

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 怪しい光を放つ此処は結婚式場を兼ねたバーです。
 職場の花見会でも使いました。

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 ハザード点灯中。


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 こちらは大欅(おおけやき)の樹です。


昭和第一次切手

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 戦争の足音が高くなった昭和12年、前回紹介した切手の様なありふれた物の中に紛れて戦時中の偉人や施設が出始めます。
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 乃木大将。実はこの切手安く手に入れたので裏糊がない(糊を落とした)表が綺麗な切手です。
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 こちらは3銭が水力発電所、4銭が東郷元帥です。此方も糊落ちです。

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5銭は大正池、6銭は当時日本領土だった台湾のガランビ灯台です。此方は裏が若干難がある2級品で、今回紹介した物は前回の切手含めて昭和62年頃手に入れました。前回の切手は1/2銭が糊落ち、1銭が2級品です。中学生が買う物ですからね。

肥料作り

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生ごみ堆肥の1回目が出来上がり、コンポストから出して、米糠と牛糞を交互に混ぜ込んで山にして暫くガス抜きを兼ねて発酵させます。
 作業自体は3月8日頃の写真です。本日見ましたが大分良い肥料になって居ました。
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  昨年10月からの生ごみです。残飯も含め魚介類なども含まれて居ます。

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コンポストは別の場所に設置しました。
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不耕起現場。此処に今年は食用菊(もってのほか)を植える予定です。

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啓蟄。蜘蛛も沢山出て来ました、春ですね。

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ありゃりゃ~、何時の間にかネズミにリヤシートを喰われてしまった!・・・・。昨年は無かった筈。

昼のプレゼントOP

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 NHKのお昼の番組昼のプレゼントが聞きたくなる写真です。YOUTUBEより拾いましたが、何時何処で消えるか判らないので取り急ぎ
 特に34秒前後の曲のイメージが

 
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 何故かこの写真。70年代風だから?黄色が73年8月31日まで、ピンクが74年8月31日まで共に有効期間です。で、このステッカーは?
 以前も書いて居ますが、神戸製鋼構内立ち入り許可証です。フレーム&エンジンドナーカーのオーナーの息子さんが務めて居たとか何とかで付いて居ました。
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 上悪戸の養老橋付近で。雪深い地区もかなり雪が溶けました。
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此処が養老橋。昭和43年竣工。それ以前は木橋で何度も流されました。漸く永久橋の願いが叶い作られたのがこれ。旧R48からは少し離れて居ますが、往時は人通りがあったのではないか?と思います。
此処も昼のプレゼントが聞こえそう。此れを見てパインサイダーと焼きトウモロコシを齧って縁側の縁台に座って浴衣で夏を過ごします。

ゆっくりまったりさんお待たせ!

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 3月のマニアクルーズの道中では大変でした。ブログの話内容では幸いにして重傷ではなく、直ぐに復活できる状態と思います。                 
 そこで何か私に出来ないか?と考えた結果、ストックのカムシャフトギヤを分ける事と思い、また今のストックのままではカミさんの叔父(父親の妹の夫)みたいに、物が残れば「アンタが死んだら此れアタシどうすればいいのよ!」となりかねないので放出を決定しました。
 以前も書きましたがカミさんの叔父が64歳で亡くなり来月で1年。叔父が亡くなりその母親の子供が3人全員亡くなりました。(叔父が長男)叔母61歳とその親92歳と2人暮らしして1年になります。
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中身です。私はこの部品は社外品は有りません。
かつては社外品もあったらしいですが、見た事ないです
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トヨタ純正のアップです。

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箱は時代が特定できない箱です。品番も中々確認できませんが、よく見ると3R、5R初期用でした。

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 元の持ち主Sさんの字です。基本マニア界に流通する部品はSさんが元々仕入れた物が半分ほどらしいです。其れが全国各地を流れます。
私はこれを問屋直で入手、あの価格は問屋卸値です。

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本日発送しました。
 以前RS41Cの経歴をお伺いしましたが、あれだけオーナーが変われば確実にギヤ破損は起きますね。オーナーが変われば運転パターンも千差万別。ストレスが大きく破損しやすくなります。私もオーナーが3人目のエンジンなので綺麗でも交換しました。

苦労した部品

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 ふと思い出しましたが、意外に苦労した部品が下の写真の燃料キーシリンダーです。もしかすると裏ワザで対処出来るかも知れませんが、(形的には上下逆さまに見えます、もしかすると逆さまして対応できるのか?)それを知らない私は知人に「お百度参り」して漸く譲り受けました。
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 燃料キーシリンダーです。元々はどんな鍵でもテキトーに差せば開きますが、それも壊れてままならなくなり、知人の部品取りから外したシリンダーを入手してピンの配置を変更してイグニッションとドアのキーで開く本来の姿に戻しました。

 実はこのキーシリンダーは1963年式までの部品で、それ以降は品番が別になりパーツリストもRS41ならば「3RS41-35999まで」と書かれて居ます。新品部品は絶望的で所有している人もかなり限られます。

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 此れは1963年式特有部品では有りませんが、レストア前は幾ら悪徳中古屋のタマみたいな車でも、此処のラバーは残って居ましたが、レストア後全てもぎ取られてしまいました。
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 こちらは左側。スンナリゴムを嵌められるか?と思いましたが、結構アッサリ嵌められました。封緘が有る側ですので。右側の燃料キャップのタコ糸は別のRS41から入手しました。因みにこのタコ糸は私の車からは相当前に切れて居ました。

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 実はタコ糸以外は1963年式の教習車上りのRS40から外しました意外に関係部品の程度が良かった。
 写真の様な車で、きちんと助手席に補助ブレーキペダルが有りました。


1963年式改良解説

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 新型車解説書シリーズには改良点の解説書も存在します。今回はこんな物と云う事ですので、詳しくは載せませんが何れ時間が出来たら改良点解説書を熟読して色々書き込みたいと考えて居ます。

 と云うのが、私の車が改良点解説書を発行した時点で一番改良された1963年式なのです。(昭和38年5月18日製造ですから)改良書の範囲は昭和37年6月~38年5月までです。

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表紙です。新型車解説書と同じデザインですね。

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クラウンとマスターラインの合本です。どちらかと云えば「アフターサービス」から考え、整備士向けでしょうね。

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イヤイヤ、多いですね。

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メカが判らない私にはチンプンカンプンです。

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でも幸いにして90%~95%が改良部品はボルトオンです。互換性が無くとも一寸した改良で取り付け可能。

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非売品。やはりサービスマン向けですね。
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 此方は1963年6月発行のトヨグライド改良書。此れはセダンやマスターラインは該当せず、ワゴンカスタムだけが、1964年式のトヨグライド構造に変更したと云う内容です。昭和38年9月からトヨグライドは全てオートマチックとなります。

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 恐らくこの手の本が有料なのは町工場向けでしょうね。無論トヨタ(トヨペット)では無料でしょうけど。
一般ユーザーが買うとは到底思えません。

ジャガイモ定植

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 春先一番初めの作物は何と云ってもジャガイモではないでしょうか?関東地区では彼岸前、東北では桜の季節とされて居ますが、当地では今頃でも定植可能です。
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今年も男爵イモを定植します。ポテトサラダ、グラタン、コロッケが目的です。(いずれも娘の為)

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ここ最近大きくジャガイモが育たないので、かつてやって居た、前面に堆肥をすき込んで、石灰を施しました。数年前はこのやり方で嫌でもデッカいジャガイモに育ったのです。



 それと12月下旬に話題にした、山形県立舘岡高校教師の斉藤章被告(轢き逃げ)について3月中旬に裁判が始まり、起訴された罪状についてはほぼ認めました。
それに伴い斉藤章60歳は懲戒免職となり、態々ニュースでは「退職金は支払われません」と出て居ました。轢き逃げされた遺族は示談には応じない方針は変わりありません、私自身非常に頼りにしている部下の担任の准教授が被害者と云う事で非常にブが悪く、且つ被害者とも、就職の時履歴書等を持参された時対応し、本に誠実な先生で、卒業後も会いたくなる事に納得します。更に斉藤被告は一応知人ですから頭を悩ませます。

今こうして働けるのも被害者が推薦してくれて、送ってくださったから、こんな絵に描いたダメ上司でも過ごせるのです。


今年の予定

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 今年のイベント参加予定です。

 *4月13日(月)14日(火)・・・・草ヒロ探検(山形県内)

 *6月(多分)上旬(日)・・・・ノスタルジックカーIN寒河江
 
 *9月6日(日)・・・・クラシックカーレビューイン糸魚川

 *10月18日(日)・・・クラシックカーフェスティバルINところざわ

 以上はかなりの確率で参加予定です。不参加時は予めお知らせいたします。昨年参加されたsatosatoさん、CCIさん、31ワゴンさん、参加できるならお知らせ下さい。ホテルも皆さんに合わせて取りたいです。
 
 本日はイベントで見た事有るであろう有名な個体を紹介します。

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 一見すると綺麗な1963年式トヨペットマスターラインですが、実は壮絶なレストアをして漸く復活しました。

 元はフレームやエンジン、ミッション等を剥がされてボデーだけが残され、畑で物置になって居る個体です。此れを入手しレストアしました。
 私の車や、「ところざわ」に毎回参加するマスターラインライトバンみたいにボデーの程度は良くなかったのですよ。何せ野晒ですからね。

 フロントグリルは知人が飾り用に購入した物を譲り受けて、フレームやエンジン、ミッションは1965年式のOG物のクラウンカスタムをドナーにしてレストアされました。その為バンパーが1964年式用です。

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 車内がワゴン車である事を物語ります。ステアリングは昭和39年後期型以降用、メーターやダッシュパネルもワゴン用である事をより物語って居ます。よ~く見るとダッシュクーラーが付いて居ます。
 恐らくシートもワゴン用でしょうね。
 
 定期点検ステッカーは昭和47年でしたので、基本的に普通に仕事車として昭和47年ないし48年まで使われ、物置になったのでしょう。

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イメージとして似た様な置き方をされて居る個体。1963年式マスターラインも40年近くこういう姿で畑に置かれたのでしょうね。

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