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Channel: 高村円淨のブログ
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航空切手

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 昭和4年に発行された飛行機を使った速達郵便を目的に発行されました。9.5銭切手(赤)だけは少し遅れた昭和9年に発行されます。
 この航空切手は昭和12年8月に速達郵便制度が制定され、必ずしもこの切手は航空郵便専用では無かった事もあり、一旦廃止され戦後5年した昭和25年に再開されます。

 切手の図案は富士と芦ノ湖にフォッカー型飛行機ですが、この図案は実在する物では有りません。でも良い図案ですね、モボモガが闊歩していた時代を思わせます。
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先程も書きましたが赤が少し遅れて発売されます。

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特に緑の図案が綺麗だと思います。

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最高額の33銭。モノクロ写真みたいです。すかしは下図の大正すかしになります。

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ゴーストタウン

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 震災から1週間もして、全然ガソリン供給の目途が立たないと街中を走る自動車の姿も日に日に少なくなりました。其れが2週間ともなると日曜日にも拘らず自動車が走る姿は見られずまさに「ゴーストタウン」でした。

 虚しく光る信号、まばらに歩道を歩く市民しか居らず、時折発生する余震が街を揺らします。毎日発生する余震ですから震度3程度では全然地震の揺れを感じなくなる状態になりました。震度4以上になったのは丁度大震災から1か月程してからで、(4月11日です)この時は全域停電となり、震災召集で出勤して居ります。それ以外は基本震度3以下でした。
 
 

 震災2週間目の日曜日でしたが、市内のM石油(何処の石油卸売メーカーに属さないGS)にステンレス光する大型ローリーが居り、地下タンクに入れて居ました。ガソリンに臭いがプ~ンとして販売を開始すると思いきや、翌日月曜日でしたが、お得意さん限定での販売でした。

 その為ホームセンターでは自転車が飛ぶ様に売れましたが、当家では昭和39年購入のツノダ自転車が有るので、最終的には買いませんでしたが、職場でも自分が高校時代に乗って居た自転車が・・・・と思い実家の物置を漁るとどれもが「残念ながら・・・・」が殆どでした。

 この震災で町内の新発見も多く、歩いて知る新たな発見もあったのも事実です。

年式打刻制度 訂正

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 年式打刻制度について新資料が発見されました!今回はホンダS500についての資料ですが、基本的に国産メーカーは全て同じ時期に9月は次年度となります。

 以前書いた9月21日以降の打刻が次年度ではない動かぬ証拠です。因みに昭和38年9月19日は木曜日ですから、21日は土曜日。当時半ドンだったとしても土曜日に届ければ(或いは20日)良いので19日以降の打刻が次年度と見て良いでしょう。

 この年の9月15日に老人福祉法が制定され、当時は「敬老の日」は有りません。(昭和41年より)15日は当時は平日です。

 暫くネタも無いのでホンダS500について記事をUP予定です。S500については現在のホンダの体制では誰も判らない(私以上判りません)ので新資料が発見ならばマダマダ変わります。
 
 

 年式打刻制度、ホンダS500は謎だらけですね(笑)
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試作車とRS40の共通点

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 今回はホンダS360の写真をUP致します。ホンダが4輪市場に進出するに辺り360㏄モデルと500㏄モデルを製作。検討の結果500㏄モデルを市販化する事としました。
 
 よく見るとRS40系と似た作り、部品が見受けられます。本田宗一郎社長は、「真似はいけませんよ」とよくおっしゃいましたし、社長退任後インテグラの試作車がシルビアのテールランプに似て居り、いきなりテールにとび蹴りして叩き割ったエピソードがあります。(かなりの確率で嘘でしょう、私は単に蹴っ飛ばして怒鳴り散らしただけだと思います、何分当時73歳の老人、テールを割れば足を骨折します)
 外車の真似は許すが国産車の真似は許さないと云う話しも残されて居ますが・・・・。まずは

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 特にアレレ??がホンダS360(500も)のライトの部分。どう見ても1963年式のRS40系に似ている気がします。事実旧車のスワップミートで1963年式のRS40系のバックランプを「ホンダS500,600用?」なんてありました。此れが1度や2度ではないです。
 大きさが全然違うんですけどね・・・・。20年前の話で、未だ40系が殆ど人気が無く認知度も低かったからでしょうね。

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テールもさる事ながら、ホイールキャップがどうもRS40用(マスターラインも)と似てませんか?S360含めて13インチです。これもたまにS360,500の試作車用とRS40用が出る事があります。

カタログですが、S500用ですがほぼ同じでしょ?
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ホンダS500について

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 ホンダS500について。モデル発表は昭和37年9月の第9回全日本自動車ショーで展示され、翌年10月に発売しました。当初は360㏄と500㏄の2種類出しましたが、360㏄は実用上使えないとなり、トラックのT360として発売されました。(昭和38年8月らしい)
 今らしいと書いたのは正式な記録が無いからです。本日紹介するS500もホンダマニアの間でも余り知られて居ません。
 因みに私はホンダとかスポーツカーは興味が有りませんが唯一好きなモデルがS500と600ついでにフェアレデーSP310とスカイラインスポーツのみ。又私自身ホンダS500の助手席に昭和55年の夏乗りました。

 黒塗りで山形55ナンバーでした。当家の北隣7件目のスポーツカー好きなアンちゃんが乗って居ました。現在は家主が変わり全然車に関心のない方が住んで居ます。

 ホンダS500が知られて居ない事には理由が有ります。
 

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先ずはS500。真一文字バンパーが私は好き。色は今ならこの色が一番合うナァ。実はこの車、赤も発売され本田社長が「此の車が消防車に見えるんか!」と怒鳴って赤や白の車の生産が認められました。(これもどういう経過なのかは不明です)
 決定的に少ない事は販売時期がやたら短かった事です。一説には3か月、物によって1か月とかほんのわずかの時期だけでした。

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 確かにここでは昭和38年10月が発売とあります。(昭和38年7月の朝日新聞だそうです)多くがじゃぁ、S500は38年10月に発売だね!となりますが、そうでは無かった ホンダN360なんかは、欠陥車騒動の代名詞的な車を出して、「市販して欠陥を晒し出して改良する」が社長の考えですが、よく販売をずらす事にあの社長が同意しましたね!

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 此れがホンダS500が販売を遅れさせた動かぬ証拠!
昭和39年2月1日がS500の発売日です。
 翌月3月にS600が発売された記録が有りますが、これも最近の調査では間違いとなり、恐らく39年5月が発売時期とされて居ます。その間S500のボデーにS600のエンジンを載せたモデルが有り、エンジンは4月にラインオフしたらしいので39年4月が通称「S5.600」が作られたのでしょう。(此れは20台のみで関係者に分配)

 尚S500が販売延期した理由が日本国内では十分な性能であったが、海外でのテスト走行では、かなり課題が浮かび、後発のS600の方が良いとなり、S500はお蔵入りを検討したが、先程の朝日新聞の記事にあるホンダ初の4輪車を格安で販売する等大規模な宣伝をしてしまい、予約も入りメーカーとしてキャンセル出来なくなり、渋々予約分は販売したが正しい説では?との事です。もしかすると私が特に好きなS5.600は試にS5のボデーにS6のエンジンで試験走行した個体かも知れませんね、それで関係者だけとなったのでしょう。

 此れも未確認ですがS6はフレームは昭和39年3月に、エンジンは4月に夫々完成し、生産体制がそれ以降だから5月に世の中に出るが自然でしょうね。

 確か昭和39年はホンダがF1参戦を発表した頃で製造現場でも「オヤジさん(社長)無謀だよ!」と叫んで、混乱しながらの生産だったかも知れません。

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 此方はホンダS500と600が近い時期に発売となった証拠。こういう事もあり、S500は売れなかった。

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此方は年式打刻制度廃止以降の車体番号記録。
此方ではマタマタ大きな謎を残します。ホンダS500は発売が終わったと思ったら、大阪府で11台登録されたと  記録です。ええっ?どうなって居る?

ホーン設置完了

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 先月武左ゑ門さまから修理して頂いたホーンをいよいよ取り付けです。今回は毎年春に行うキャブの調整、清掃を事情あって早く行う事になり、ホーンも急いで付けました。

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以前からあった「M」ホーンと比べると意識すればMが幾らか低いナァと判る程度でした。3連ホーンにするので結構大きな音になるであろう事が予想できます。

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今までMが有った所に本来の「H」ホーンを設置します。

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で、設置してこうなりました。その下は「L」ですがシルバーです。此処から見た分にはオリジナルですね。
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実はこの車有る時期から今移動した「M」ホーンの所に「H」ホーンが設置されて居ました。配管の関係で後年改造したのでしょう。時期や理由は不明ですが、初めは当時の取り付け跡が残って、「ウッ!ダッセ~」でしたが、まさかここに来て役に立つとは・・・・。でもヤフオクで丸子の「H」がどんな形でも出品されなかったらこういう発想にはなりませんでした。
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こんな具合に取り付けステーが出来ました。
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右側から見て、こんな風になります。

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今回修理して頂いた物です。良い具合ですが、皹から万が一雨水が入る事を想定して、テープを貼って万が一に備えます。私はこういう所は実用第一。
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エンジンルーム全体像。鳴らしてみましたが、音は絶対的に大きくなり、「オバチャンたまげてひっくり返る」かな?尚これからキャブの調整、清掃が入ります。以前2年半何もしないでトラブルになり懲りて毎年メンテナンスしています。「何分この車は長距離専門」ですから、トラブルは許されません。私のレジャーカーですし。

今年も東京方面に行く予定ですし、冠婚葬祭ではガンガン走りますよ。流石に東京での結婚式は無いだろう。


キャブの調整

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  さて、ホーンは良い具合に収まりましたが、今度は定期調整で出してい  たはずのキャブに問題が起きました。

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昭和41年式辺りのモデルのホーンです。
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キャブ調整に当り排ガスをテスターで測定します。

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此れは部品取りですが、シャフトを連結するワッシャーと留めピンが外れました。其れでオートチョークがイマイチになり、エンジンの掛かりが悪い事が判明。

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 一応オリジナル方式の留め方は辞めてより頑丈な留め方にする事としました。又オートチョーク全体の動きがスムーズになる様に調整となり、もう暫く修理期間が掛かりそうです。3連ホーンは暫くお預けです。

実際キャブの内部はかなり煤で汚れ、排ガス利用のオートチョークですから、付着物が悪さして留めピンが外れた可能性があるそうです。改めて1年に1度は必ずメンテナンスしないと、このキャブは駄目なんですね。

ぞろ目!

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 足車VNY30のメーターが遂に「7」のぞろ目になりました。

 職場から帰る時「今日は間違いない」と直感し、カメラを持参し、帰宅後自宅周辺を慎重に運転して、
 「キタ、遂に!」でした。丁度近所のSさんのお宅前で、それも何十年とカローラばかり買って居るお宅の前でした。(笑)
 普段は仕事車ですし、メーターの距離は空気みたいな物で、樹にもしませんがもしかして上手く撮影できるならと狙ったら大成功です!
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畑の発酵

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 写真は自宅前の畑ですが、米糠の菌が写真の様にはびこりました。
 この様に菌糸がはびこると発行が成功です。

 イヤイヤ、今年は米糠を撒こうとしたらドンドン雪が降ってどうなる物か?と心配しましたが上手く発酵してくれてホッとしました。此れにより苦みのない野菜の収穫が認められます。
 
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 昨年職場から払い下げて貰った平均台にこの様になりました。

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ドバッと米糠が土に着地しました。


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 雪の力で米糠を発酵させました。


部品売却

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 数日前パーキングレンズが破損した方から欲しいと問い合わせがあり、部品庫を漁りました。新品1台分のセットでは此れが最後でした。但し部品は社外品なので高い金額でのやり取りは出来ません。
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 上が左、下は右ですが左に線傷がついて居ました。でも新品です。確か入手した20年前でも傷が有ったと記憶しています。

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 TOKYOレンズです。社外品メーカーの代名詞で全メーカーのレンズを作って居ました。

 このレンズは1965年式のRS41Lオーナーさんの手元に行く事となりました。


入院先

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 私の車が入院している先は家から5キロ先の工場です。
 かつての人気漫画「よろしくメカドック」を実写した様な工場です。そこで気になる車があったのでUPしました。

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此処は工場前。中にあります。

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6代目の「鬼クラ」です。無論未再生で程度は良いです。

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ホイールはオリジナルです。
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ロイヤルサルーン、当時の最高グレードで何処かの社長が購入したと聞きます。但しエンジンは載せ替えで別の型式で改造申請したそうです。

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クラウンデラックス。セダン最高グレードです。


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おおよそ、20年の違いです。


無事退院しました

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 本日無事トヨペットクラウンデラックスは退院しました。
 やはり武左ゑ門さまのご指摘通りの典型的な症状でオートチョークに不具合が出たみたいです。なりかけた時に清掃なりメンテナンスすれば良いみたいです。
 ホーンは実際使うと以前とは大きく異なりました。何とも云えない音です。クラウン8もこんな感じだったのかな?イベントに出る時事前公表しますので、聞きたい方「ブログ見たよ!」と声掛けすれば鳴らします。

 それと本日は夜勤明けで暫く寝て、起きてから急いで車を取りに行き、直ぐに「ピンク怪獣」の飼育(やべぇ!)をやる様にカミさんから命令を受けたので写真は撮れませんでしたので古い写真でも。
 途中寄り道で写真を撮るとカミさんがカンカンに怒るので・・・(苦笑)

 写真はJAF発足当時の昭和38年4月の写真です。

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合併症?

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 高齢者が退院した後しばし認知症になった、褥瘡(じょくそう:床ずれ)が出来た等病気その物は治ったが新たな病気を抱えて自宅に戻る事がありますが、RS41も連絡が有り
 「オーバードライブの入りが悪くなった」との事で電装部品を交換してからはこれまではこの様な症状は無い旨を伝えました。初めは「電装部品が一気にガタった?」と思いましたが、キックダウンはその割に普通に入るので(逆にキックダウンは100%入る)もうこれしかないとなりました。

 写真にあるスプリングの調整が必要だった!です。実は1964年式までのRS40系はアクセルリンケージのスプリングが3年も使うと駄目になり部品が出ていた頃は交換、出無くなって何らかの加工で機能を果たしています。この場合は私の個体特有の調整が必要です。

 つまりキャブを脱着したのでアクセル操作の感覚が変わって入りにくくなったのです。唯、昭和39年8月以降のアクセルリンケージは関節部分が樹脂で出来ているらしく逆にこう云う重要部分がチャチな材料で大丈夫なのか?と心配になります。知り合いで此処を自分で部品を自作した方も居ます。

 今回は整備士の腕の見せ所ですね。マニュアル通りの整備士はこの車を整備出来ない筈。

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介護福祉士国家試験

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 昨日は介護福祉士国家試験の2次試験がありました。此れは3.11とは直接関係ありませんが、私が受験した時は震災5日前の3月6日でした。
 考えてみれば「あと5日早く発生すれば・・・・!」ゾッとしますし、試験会場は仙台市内にある東北育英高校榴ヶ岡校でしたが、どうなった事でしょう。
 
 津波の被害こそないけど、鉄筋コンクリートの建物も随分被害が有ったと聞きます。事実仙台駅舎も甚大な被害を受けました。
 因みに介護福祉士は再来年度の29回より何かと問題ある2次試験が廃止され、漸く社会福祉士、精神保健福祉士同様1次試験だけとなります。(当然受験資格を得るまでが大変になります)
 
 
 6日当日は試験のゲン担ぎじゃないけど、限定20食の牛タンソーセージと定植を食べて望み、その店で見た張り紙が「3月11日まで提供」と有ったのが忘れられません。

 試験が終わってから、次は寿司を堪能し、タラフク食べて48ライナー(山形交通の仙台ー寒河江ないし新庄行きのバス)に乗って帰りました。実は上司が2次試験受験を知らず、試験終了時間前後か、試験が終わり寿司を食べていた頃に緊急出勤電話を掛けたと聞きましたが、当時はそれどころではなかったですね。これも思い出です。

 僅か5日後の大地震でしたから、合格発表の事は完全に頭から消えて居り、同僚が「今日介護福祉士国家試験の合格発表では?」と云ってやっと思い出し、合格に喜びました。確か3月28日の筈。当時は未だガソリンの入手目途が立たず、直ぐに入手に向けて目が吊り上りましたね。

春の風を歌い

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 ♪ルルルル~ル~・・・・山形はそんな暖かさでは有りませんが、クラウンRS41を走らせる事が出来たのでつい、口ずさみます。
 で、今回は自宅前を撮影しました。以前からUPしたいと考えていた記事です。このRS41が山形5ナンバー時代と私が4歳辺りまでは今とは様子が違いました。
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 此処は旧寒河江街道。今は南へ100M行った所にあります。昭和43年までは此処でした。
左側のブロックを右折すれば簡単に当家に着きますが、38年前までは大変でした。

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この僅かな区間でしたが、ブロック塀の家の方の私有地で、この道の2/3を所有していました。
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オマケにブロック塀との間は幅70㎝だけでしたが、川が有り、綺麗な清流でした。時折小魚を見ました。

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じゃぁ、当家に行くには?側溝がある道を左折します。

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イヤイヤ、此れが狭い!左側の砂利が敷いてある所
は本来はSさんと云う方の私有地。当時は砂利道一杯までブロック塀が有りました。(現在Sさんは100歳近くまで健在でしたがお亡くなりになられ、そのご子息が土地を売却して4件新しい家が建ちました)
 判りやすい様にクラウンを突っ込めてみました。このクラスですらやっと入れる狭小な道でした。
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旧E商店。昭和40年に此処に建てられましたが、店主の体が良くなく、45年に閉店。直ぐ近くに高校があり、高校生を相手にした商売だったそうです。

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 旧U食堂。元々は満州から引き揚げた方が昭和30年代に此処に建てました。中華料理店でした。先程クラウンを突っ込めた先にカーブがあり、其処にラーメン屋がありました。共に昭和50年代初頭に閉店。

 トヨペットクラウンデラックスが新車から数年までは、結構活気があった我が町内でしたが、今は静かな住宅街となりました。


自宅の反対側

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 さてかって活気あった当家の前ですが、その反対側は未だ古くからのお店や医院が有ります。
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此処はかつて踏切があり、山形ミニ新幹線が新庄延伸となり、今は頑丈なガードレールが施されました。
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此処が当家に行くR13(今は旧R13ないし県道22号)からの入り口です。写真手前の錆びた建物は仏具屋さんでした。

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先程紹介した所もですが、寒河江街道ですから大型バスも通行していました。決して広い道ではないです。

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写真左はN医院で右は歯科医院です。
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旧R13.テキトーに撮影しましたが、多くが昭和時代の建物ですから、高畠町とか大分は豊後高田市みたいに資源を生かして街づくりをすれば良いと思います。このままでは勿体ない。

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此処辺りもねぇ、

販売のトヨタでも

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 かつては長期使用を表彰する制度があった事を裏付ける資料が有ります。結構な距離を走ります。

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 所で今の時代この規定書をトヨタの販売店に持参してみたらどうなるでしょうかね?でも我が家は昭和62年5月で車検を切ったしそれ以降付き合いは有りません。

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 あ~っ、駄目っすね。条件が既に合って居ない。
 それとキャッスルオイルは使って居ません。悪いけどキャッスルオイルより高いオイルを使って居ます。



時計やラジオまで

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 取扱説明書が別にあった事には驚かされます。此方はネットオークションで本体の取扱書等と一緒に落札しました。
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 時計の表紙です。30010となると初期モデルとなります。山形では今は無くなった時計屋が整備指定になって居ました。
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 時計の写真。
 
 

  一方ラジオはこの様な取扱書です。

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昭和切手

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 此れまでは切手の図案は素人には判りにくい物が多かった様に思います。昭和12年からの昭和1次切手を此れから紹介いたします。
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 5厘切手と1銭切手です。この2枚で1銭5厘の赤紙が来たとお爺ちゃんに聞いた事あります。
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この切手の裏にはこの様な透かしが有ります。「昭和すかし」です。昭和20年代半ばまで有りました。


時計取扱説明書

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 31ワゴンさんのリクエストにお応えして中身をUP致しました。次回はラジオを予定しています。
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RS40やマスターラインで純正オプション購入だとこの意味がふか~く判ります。
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時間あわせが要注意見たいです。
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RS40やマスターラインのパネルの図そのままです。

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結構強引な取り付けに思います。
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オイオイ、簡単にラジオやアンダーとレートあるけど、ラジオは結構大変なんだぞ!
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この時計の特約サービス店は山形県は現在の山形市本町1丁目に当る場所がこの時計屋さんがある場所です。ん?これも、以前出したダットサン123トラックが有る電機屋さんの隣なんだよね。

それとダットサントラックは本町1丁目と書かれて居ますが、この説明書は概ね昭和38年前後(発行時期記載なし)です。ダットサントラックはやはり昭和43年に山形市に嫁いだ事が間違いありません。

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以前も書いて居ますが、TELが2-と表記されて居るので先ず間違いなく昭和30年代の表記ではないです。流石の田舎の我が家でもこの頃はこういう表記の電話番号でした。

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