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草生栽培

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 不耕起栽培と同様に、私は草生栽培です。「上農は草を見ずして抜く、下農は草を見て抜かず」と云う諺がありますが、化学肥料が発達し、苗自体が丈夫になり今はこの諺は合わないと云うのが私の考えです。

 無論除草はしますが、作物の丈を越さない様に調整して株元は綺麗にする事で干ばつから作物を守り、又害虫を食べる天敵を住まわせ農薬を大きく減らせます。
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 此処にはトマトを植えて居ますがもう雑草の中。

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 近所の家庭菜園。イヤイヤ綺麗です。

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 この雑草は有る時期が来ると

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 この様に枯れて肥料になります。

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 葡萄も順調に育って居ます。

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 巨峰第2.此処はクラウンの上にある葡萄よりは生育が遅いが、なぜか毎回収穫となるとかなり早い。

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 スチューベン。此処にかつてダットサンサニーB310を置いて居ました。



関山隧道宮城側

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 本日は宮城県側坑門です。昨年途中の様子についてUP致しましたが、本日は入り口から坑門までの構造物を紹介いたします。
 先ず、この頑強な鉄柵は昭和48年に旧建設省の手により施されました。理由は以前紹介した通り対立する暴走族のリンチ事件が発生した事ですが、それ以前も何かとこの旧道で悪さをする不届き者が居り閉鎖される事となりました。現在柵の奥に水たまりが出来て居り、其処に魚が住んで居るらしいです。
 
 途中の路線は以前UPしましたのでそちらを参考にして頂きたく思います。今回は名の無きコンクリート橋を中心とした構造物をご紹介いたします。
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 先ずは坑門。とても一級国道とは思えません。

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 名の無きコンクリート橋。今まで近くから見ては居ませんでしたが、崩壊寸前と云った感じです。

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 以前はコンクリート欄干でも有ったのでしょうか?
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 橋脚もかなり傷んで居ます。恐らく戦前の作りでしょう。
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 関山旧道の愛好家。このメンバーは峰渡りの道の開拓をしていました。
 一番後ろのオジサンの直ぐ隣に石碑が有りますが、此れは昭和41年8月8日にこの付近で若い男女が事故死してその翌年教職員一同が慰霊碑としてこの石碑を建立しました。

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 石碑は左端にありますが、崖の高さが想像できるでしょうか?この高さから2人が転落死しました。

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 関山隧道宮城県入口は現トンネルから300M離れて居ますが私の車が新車時代は山その物でした。38年10月より此処から工事が始まります。

 *さて関山隧道と云うと幽霊の話が数多く残され、全国的にも有名ですが二つほど共通する話が有ります。
 1つ目は明治13年7月に初代隧道を工事した際に犠牲になった母子の霊、もう一つは昭和39年9月22日に宮城県側で発生した一家全員事故死した話が尾ひれ葉ひれ付いて色々な話に発展しています。

 山形県側で発生した母子の霊は昭和39年8月の事故ですが、これも宮城側の話が発展したのかも知れません。ただ事実としてその子供はお婆ちゃんが教師時代務めていた学校の児童でした。
 
 尚今では女性が運転する事は珍しくは有りませんが、当時は非常に珍しく、実際お袋は昭和49年に運転免許取得するが当時ですら勤務先の市役所では女性ではお袋が10番以内に入る程女性職員は運転免許を所持していませんでした。お袋が取得して数年して少しずつ増えてきたと聞きます。
 もしかすると山形側も珍しい女性取得者なので話しが発展したと思います。

 それとお袋はぜ~んぜん車に関心はないですし、40年以上新車購入していますが、今は初めて妹(娘)の中古です。


食用菊定植

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 一昨年カミさんの実家より株を貰い増やした食用菊。(もってのほか)今年は植え替えをしました。

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 さて場所は不耕起栽培地です。藁縄も分解しなくなったので多過ぎるのでしょう、藁の処分も含めて8年間耕さなかったこの土地を今回耕してみました。

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 溝を掘って中に藁縄を入れます。

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 ミミズも土の中からザックザクです!

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 若干の肥料と腐葉土、鹿沼土を入れて定植しました。

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 中央が菊で両サイドに富貴豆を撒きました。

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 食用菊の後作に富貴豆を撒きました。

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 少し余ったので脇にも豆を撒きます。



未だ事故車が旧R48に・・・・・

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  眠って居ると噂を聞いたのが、数年前。私は昭和39年8月にお婆ちゃんが当時勤めた小学校の児童の母親が運転する車が転落した話を20年以上前知り、その時は60M真下の崖に転落したが全て引き上げたと聞いており、この程度の峠で引き上げられないは到底考えられず、ウソと見て居ました。

 所が2年ほど前写真がこのブログにて発見し、ウソではないと判りビックリ!当時は鮮明ではなく車種も何となく特定できたかな?のレベルで、昨年になって漸くダットサンブルーバードと判る事となりましたが、当時はタイヤとナンバーが無いので、廃車となったスクラップ材のタク上がりブルーバードを谷底に落っことした、大体昭和41年前後と見て居ました。

 で今月初め今度は完全に車種を確認し先ず間違いないと確認できる状態になりました。私も一応交通事故負傷の患者さんを治療していますし、自分なり事故発生の大まかなメカニズムは判ります。
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 どうせ在り処を教えたってもう取りには行けるレベルでは無いので、教えちゃいましょう。
 場所は宮城県側の関山旧道の中腹。丁度写真にある石垣が積んである付近です。その30M下の崖下にあります。
 丁度この付近はヒートしたエンジンを冷ます場所でしょうね。
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 此れが今年5月の写真。もう素人が見ても初代ダットサンブルーバードと判ります。少し詳しいとデラックスと判りますね。モールが判別ポイントで、バンパーのオーバーライダーは朽ちて落ちました。
 一応医療家が見立てた事故の発生状況は平坦路ですから、宮城県に向かって走った時居眠り運転、前に停車車輛がありハンドルを切り損ねて転落が考えられます。状況として死亡事故でしょうね。恐らく山形県側からやって来た車で有ろうと思われます。


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 事故車?どうも怪しい!後ろにナンバープレートが無い!それにタイヤが無い事も怪しい、此処で100%不法投棄と判断。
 不法投棄と云うより、昭和39年9月22日発生の一家全員死亡事故を再現し幽霊話のネタに使った、悪質な悪戯で廃車を崖下に放り投げたのでしょう。
 


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 この写真を見て悪戯と判断しました。

  旧道が現役時代と仮定し、昭和43年10月1日から使用廃止となったので、この時代となると5年でデラックスグレードの廃車はそうそうない。
 
 車齢6年辺りだと廃車も出てくるが、此れは年式×1万キロ以上の走行距離を走り、タイヤを始め各部消耗品が交換時期になり、皆交換するなら新車を買った方が良いオーナーが殆どで新しい物好きならば6年で廃車も有り得る。

 タイヤが外されてる事を考えるとタイヤの残溝が相当あり、再利用したであろう。当時タイヤは高価だったので悪戯目的ならば、タイヤが無くとも十分目的は達せる。ナンバーの特に後ろが無いは100%悪戯を意味する。封緘が有るので幾ら激しく転落しても外れて無くなるは有り得ない。

 スクラップ材と見たのは初めの写真が青緑一色に見えてタク上がりと見た。長く乗っても5年なので、P311が妥当。現役時代の41年に運搬トラックから転落したと見ていたが、最終型となるとスクラップ材ではない。P312であってもタクシーならば5年で廃車は十分あるが、デラックスと判った以上スクラップ材を落っことしたは説明が付かない。
 早くとも昭和44年にならないと廃車にはなりにくいので現役時代の事故を装うには無理が出る。

 逆に私のトヨペットクラウンデラックスであるならば、昭和42年辺り商品価値が無くなり、現役時代に二束三文で手に入れて落っことしても無駄は無かった筈。このブルーバードの商品価値が無くなるのは昭和44年~46年辺り。だから廃道後に事故を装ったと判断した。

 従って落っことしたのは昭和46年前後と断定できる。
 


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テールランプの形状が写真の形である事が判明し、年式は1963年式と断定。色も塗り分けからこの色と断定

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写真はP312型ですが、1962年式。テールランプが年式識別ポイントです。

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 フロントはこんな形です。




R48課題

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 さて本年、昨年と2年続けて同じ現場で雪崩による通行止めが発生したR48宮城県側ですが、今雪崩対策工事中です。
 撮影に出掛けたGW中はこういう状態で、今は撮影した側に道が作られましたが元はこの場所は清流が流れていた所。関山隧道から流れる水が此処を通って居ました。
 専門家の監修で埋め立てたので心配はないでしょうが、右側の斜面から土砂が流れないと良いのですが・・・・・。
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 親父の分家の建設会社が担当しています。砂利は皆かつらざわ橋付近の砕石屋から購入した物でしょう。
 今後はスノーシェルター工事が始まる予定です。
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 このルートが出来て運転が楽になりました。

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 このパイプの中に清流を流すのでしょうね、因みに何度も書いた名の無きコンクリート橋(関山隧道宮城県側に行く道)より南側で見られます。
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 実はR48の課題は沢山です。

 先ずは山形側と比べて路線が良くなく、最低限の整備しかしていない。特に宮城の桂沢橋、鍋越橋までの区間のガードレールはそれこそ昭和40年代に設置されたのでは?と思われる程錆び付いた物である。

 更に先月山形県側からR48に当る自治体の代表が話し合い、R48の高規格化を話し合う事になりましたが、山形側は土田東根市長と山本天童市長が参加に対して仙台市は関連課の課長補佐とその部下と云う馬鹿にされた仕打ちを受けました。奥山仙台市長は不参加です。

 つまりR48は宮城県側は仙台市としても余り関心が無く此処が課題です。山形県にとっては最も重要な命の路線であり、私も山形の観光には絶対の路線と認識しています。

 私見として私は小山田新道を高規格化する価値が有ると思うのですがね~。


イベント参加予定

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 今年参加予定のイベントですが、2つは確定しましたが、あと1つは今非常に悩んで居ます。

 実は昨日ムーンアイズより「第18回オールオッズ」の案内を頂きましたが、その中にクラウンピクニックも行うとあったのです。まさに「寝ていた子供が起こされた」状態で開催は9月27日です。

 そこで削らねばならなくなった候補が今まで絶対参加と意気込んで居た「クラシックカーレビューイン糸魚川」が候補に挙がりました。カミさんからは「糸魚川と東京は駄目」と云われました。理由は育児を中心にですから2週参加はヤヴァイです!無論時と場合によって小遣いが減らされる危機も有ります。

 頑張って説得して…も考えましたが余り良い顔しませんね~。ティーダで東京に・・・・なんて、ピンク怪獣が居るし・・・・・。

 一先ずは9月6日に糸魚川に参加するか、27日にオールオッズに参加するか意見を書き込んで頂ければ幸いです。特にsatosatoさん、髭さん、31ワゴンさん、CCIさんはもしどちらか?と云えば参加したいイベントを書き込んで頂ければ幸いです。

 参加申し込みの件が有るので、6月中には結論を出させて頂きます。

 で、他のイベントとして6月7日にはノスタルジックカーミーティング寒河江、10月18日は所沢は今の所確定です。今回は近所の風景、こんな曲がピッタリな所です。

 
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 親父の実家にクラウンで帰省をイメージ。「おっかぁ~、けぇって来た」
 「おめぇ、車でけぇって来ては危ねぇべ、バスで来い」
 当時お婆ちゃんは72歳、親父は28歳、昭和47年の事です。

 伯父は「お前の運転で、途中川さ落ぢねぇが心配してらんなね」実は当時一部道路が川と化している所が有り危険でした。今そこはダムになって居ます。

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 流石に現役ではないけどこんな物は平気で有ります。


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 こんな物も・・・・・。私の住所を知る方だと地区内にはこの様な物はなく隣の地区に行かないと見られません。私の地区はあくまで住宅地です。


あれ?様子が??

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 変わってしまいました。

 昨年4月にUP致しました、謎の旧車群ですが先ず変わる事は無い、せいぜい朽ちて上に積んで居た車の部品の一部が落ちるだけと思っていたら、大きく様変わりです。

 以前から気になる物件からご紹介したします。
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 一番の激変は此の車でしょうね、ベレットの初期型GT

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 ありゃりゃ~・・・・。モノコックボデーの弱点が出まくりました。フロアーが無いです。
 だからなんですよ、私がモノコック旧車を嫌うのは。又物置車としてもモノコックを嫌うのも此れが大きな理由です。使い物にならないのです。

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 一番気になるクラウンSTDとコロナマークⅡですが、逆転していました。それと何十年と積んで居たと思って居ましたが、そうではない可能性が有ります。

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 タイヤは参考になりませんが、サスペンションがそれなりなのです。
 昨年一緒に見に行った知人が後に調べてくれましたが、この土地は昭和50年頃の衛星写真では真ん中に建物があり、平成2年頃には建物の写真が消えていたそうです。無論その間の写真は有りませんが、昭和52年頃車検切れが多い様子なので2~3年で建物を解体してその後この様になったのだろうか?
 それともコロナマークⅡの足回りから見て20年以内に昨年までの姿になったのか??
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 よ~く見ると貴重なSTD用の透明ガラスが破損しました。多分主は貴重である事は知らないでしょう。更にクラウンの方がSTDである分貴重なんですけどね。

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 屋根が想像以上酷い状態です。このままではあと数年で陥没した事でしょう、良く此処まで持ち堪えました。




レストア開始から

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  私のクラウンのレストア開始は平成10年の今日でした。もうあれから17年、アッと云う間と云うしか無い年月です。
 実を書くと、前年11月より書類なし復活プロジェクトが動き出し、4月27日にはドキドキの中ナンバー変更し現在のナンバーに。その後暫く10年のブランクを埋めるかの如く乗り回して居ました。無論廃車した10年前より程度は悪くなった感じはしますが致命的なダメージは有りませんでした。
 むしろレストアするには最高の状態だったみたいです。

 まぁ今だから告白出来ますが、此処の状態に持って行くまで三桁諭吉さんでした。(車検、登録代、陸送費、入れ替え代等全てで)まさに「タダより高い物はない」です。無論初めは完全不動車なので陸送費は馬鹿になりません。

 そんな訳で車検を取った状態の我がRS41を見た時の感動は忘れられませんでしたが、クーラー駄目、ラジオ駄目、時計も駄目、ヒーターは辛うじて、そしてODはぜ~んぜん駄目の話にならない状態でしたがそれでも感動し何だかんだで400キロは走りました。

 一旦は学生時代の友人に預けましたが、初めの頃は良かったが次第に倦怠期に入り最終的な仕上がりでもトラブルになりましたので、改めてセミプロ素人はトラブルの元凶になる事を学びました。
 事実友人は中古車販売が本業ですが、クラウンのレストアが終わった平成14年10月には既に「もぬけの殻」となって居り、恐らく他の客ともトラブルになったと思いました。

 この記事を書くに辺り、当時レストアしていた、仙台秋保の某所に行きましたが、当時とは全く様子が変わり、ガレージへはもう行く事が出来ない状態になり、恐らく彼も仙台には居ない気がします。

 最終的には名古屋の業者にお願いしましたが、外板の塗装は仕上がりから16年になり、あちこちに内錆が出始めましたがもう暫くそのままにして,進行したら対処する方向に決めました。

 今はレストア開始したあの日と、充実してレストアしたあの日の思い出しか残って居ません。ポンコツの車検切れ寸前の車で仙台に良く行ったナァ、それがままならないとお袋のマーチを借りた、お蔭でマーチはとんでもない走行距離になりましたね。(今そのマーチはOTの編集部の千葉ガレージに有る筈です、読者プレゼントに出して居ない筈なので)
 
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 近所にて。

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 此れもそう遠くない所に有る風景です。

 最終完成からは今年で13年ですが、この当時新車だった車も増税対象で、かなり姿を消した感じがします。山形ならば500 「た」行のナンバーが対象でしょう。500ナンバーも何となく半分以下になった気がします。
 58ともなると数日に1台見るか見ないかの台数です。その多くがもう辛うじて走るレベルだったりもしています。

激変現場その2

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 前回紹介した廃車は特に気になった廃車ですが、今回は可能な限り紹介いたします。
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 日産クリッパー。以前荷台にサバンナを積んで居ましたが、荷台ごと紛失、サバンナまでも?? 


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 コロナRT40の中期型。大きな変化は今の所有りません。


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 フロンテ。非常に危険な状態です。撮影時は絶対付近に近付かない事。


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 有りました、サバンナ。


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 昨年までの別のフロンテ。下のハコスカは有りましたが、フロンテは?

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 それとルーチェは??


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 有りました、後で気付きましたがクリッパーの後ろに有りました。多分ですが大きさから判断して手前のカバの車はタテグロの可能性が高いです。




昭和の山形

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 振り替え休日で休んで居た時職場の机の上にこんな物が。

  昭和の山形の写真集を8月に発売するチラシでした。以前も似た物が限定販売で売られた様な・・・・でもブログには良いネタなので出しました。
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 写真は昭和20年代との事ですが、以下の写真のバスの色とは違います。以前私が食べに行く煮込み屋さんのご主人の話では「銀バス」と呼ばれた山交バスが有ったそうで、モノクロから判断であるが、此れが銀バスと思います。

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 此れは赤、ピンク、白いラインの山形交通バスカラーです。撮影は昭和32年。
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 判りやすい様に山形交通バスカラーとはこの色!最近復活カラーも出て居ます。更にこのバス非常に珍しいトヨタのバスで昭和48年式です!
 山交バスの運転手の話では余りエンジンが良くなく評判は悪かったらしいです。裏のお爺ちゃんも運転手で生前余り良い話はしませんでした。

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 ええっ?がこの写真。昭和28年であのバスカラー。銀バスではないんだ!右側の黒塗りハイヤーは当時最新鋭の1951年式フォードセダン。(注:当時輸入外車は本国で2年以上になる車が輸入対象でした、昭和28年当時では超最新鋭です)
 ナンバーの大きさが自衛隊車輛と同じなので、昭和30年以前は間違いありません。

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 此れは昭和46年頃の山形交通タクシーのカラー。
 この色は小型専用で、黒は中型かハイヤー用。此のカラー体制は昭和58年まででした。
 因みに此の色のコロナRT100を私解体屋で散々弄りました。

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 昭和30年代貧しかったが良い時代に感じますが、お袋はそんなに良い時代でもない話です。
 クラウンなんぞあっても満足は出来ませんし、別に欲しい車でもなかったので。

巨峰ジベ処理

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 本日行いました。一番初めのジベ処理液は数年前の写真を使って居ます。流石に今はこういう余裕がないので今後も使いまわすでしょう。
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 私が使う薬の場合薬1錠に付き水1Lとあるのでこの量を守ります。2回目は本日から約10日後です。
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 この様になります。
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 クラウンの車内から。この風景を夢見て居ました。
 番線の錆汁や樹液がガラスに付いて汚いです。ルームミラーは邪魔で外しました。
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 ガラスに映る巨峰の実。どんな風景になるか?
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 ここに来て問題が・・・・富貴豆、枝豆何れも鳥に喰われました。同じ畑なんですが、此処に撒いた物が集中してやられました。
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 食用菊を植えていた所にも撒きましたが全滅です。
その代りと云う事でトウモロコシを撒いてみました。
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 枝豆の収量が余り見込めませんが、不耕起現場に撒いた豆は此処まで成長しました。

昭和の山形市の華

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 やはり県庁があったR112沿いの本町、七日町通りではないでしょうか。山形市外に住む私らにとっては別世界でした。
 今日は山形市の華であり、両横綱百貨店の大沼デパートと丸久松坂屋等をご紹介いたします。
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 現在も盛業中の大沼デパート。昭和31年11月に今の店舗が竣工し、昭和40年代初頭までは屋上に遊園地が有りました。その時の写真がありました。
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 写真左が丸久松坂屋(平成12年8月閉店)右が老舗大沼デパートです。そのすぐ近くに

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 笹沼玩具店がありました。山形県内では指折りの大きな玩具店でした。実は此処当家の親戚に当りますが、親戚ですら持ち合わせの無い写真を某サイト掲示板にお願いしたら探し出してくれました。
 昭和20年代初めかそれ以前らしいですが、これを改装しながら私が3歳頃まで有りました。
 当時玩具はそんなに買ってはもらえなかったし、それこそ、玩具屋は私達いやどんな子供にも最高の夢の島でしたが、此処笹沼玩具はトイ○ラスの何倍も大きく感じる物でした。

 お袋と叔母は玩具には余り不自由しなかったらしく、当時の玩具を見ても何とも思いません。懐かしいも何もなく「キッタナイナァ!」です。無論私のブリキも「ゴミ」としか思いません。
 旧車を何とも思わないは判りますが、玩具も何とも思わないはホントそんなに居ませんよ。ふんだんに有るとこうなります。一寸可哀相なお婆ちゃん姉妹です。(叔母も1人の男の子の孫有り、お袋は1男、2女の孫)
 2人とも性格はドライですしね。

 尚笹沼玩具は経営は良かったが、地権者とのトラブルが発生し店を畳む事となりました。

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 そんな時代我が家のクラウンも何度も七日町や本町を走った事でしょう。
 余りこの車を運転して別の風景を感じる事は有りませんが、何故か駅前、本町、七日町、旧県庁を走ると当時の繁栄を感じます。
 デパートに行く時はスーツを着て、玩具屋でバンダイあかはこを買って貰おう、そしてデパートの食堂に行ってお子様ランチ、大人の世界山形キネマ・・・・
 周りにも市内では見ないフォードやインパラが見られ、「いや~上には上が居るね~!」
 そんな風景が見えます。
 (まぁ玩具は「バービー人形」がお袋でしょうけど。)

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 我が家でトヨペットクラウンデラックスを入手した頃の市内の繁華街です。写真右が長沢屋百貨店です。(昭和52年頃閉店)これも笹沼玩具店の写真を見せてくれた方からの提供です。

*山形市は当時は本当に別世界でしたよ。


ノスタルジックカーミーティングIN寒河江

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 本日晴天下寒河江市にて行われました。会場はJR寒河江駅神輿広場です。イベントその物は8回目ですが都合により3年前から駅前より行われました。
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 イベント会場です。開会式で主催者挨拶です。

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 寒河江市内の会社の社長ですが、この会社の従業員に旧車マニアが居り、その方が実行委員長を行っています。この社長実は私の伯母の姉の息子です。
 (伯母は一昨年79歳で亡くなりました。)

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 今回のテーマは360㏄車。その為360の参加が多かったですね。
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 ホンダ勢も負けては居ませんよ!
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 隣のブルーバードP312DXですが、私の車と同じ昭和38年に山形陸運事務所にて登録。
 ブルーバードは「す 39-98」で8月登録、私の車は6月登録なのでその前です。どちらも旧国鉄(現JR)北山形駅の隣に事務所が有った時代の登録です。
 更にオーナーは大正5年生まれ。お爺ちゃんは平成3年、ブルーバードオーナーは平成24年に亡くなりました。
 でもブルーバードの方が古く見えますがそちらが新しいのです。

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 その隣はクラウン3代目と5代目です。
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 今回のイベントのシャトルバスは旧山交バスのカラーの再現車輛。良いですね!

 *尚詳細はこれからイベントリポでご紹介致します。



気になった車:ダットサンブルーバード その1

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 今回イベントで一番気になったのが、この1963年式ダットサンブルーバードデラックスP312型です。此の車未再生の中では国内では10番以内に入るかも知れない位程度が良く、初代オーナーが地元では有名な歯科医でした。
 イベント記事は先ずは当面このブルーバードとします。

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 昨日も紹介しましたが、昭和38年8月に山形陸運支局にて登録しました。何度も書いて居ますが、山形市宮町に当時あって、翌年8月には更に北部の山形市漆山に移転し昨年50年となりました。


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 初代オーナーは大正5年生まれの歯科医。私のお爺ちゃんと同じ年生まれです。
 イベント開催地寒河江市内ですが、市内でも豪雪地帯の歯科医です。今は本当の市内に現オーナーが昨年から乗って居ます。

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 オプションのマフラーカッター。良く残して居ます。

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 オプションその2、カーテン。
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貴重な○小糸ライトです。

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   ガラスは割れる事無く当時のまま。全てG3なので昭和38年のガラスです。お義父さんもこの車を新車時見て居り、自家用車が殆どなかったこの地では目立つ物でした。

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 メーターは実メーターです。実は52年間走って居た車では有りません。
 この歯科医のご子息は2人居まして、長男は東京都内で産婦人科医をやって居り、今も都内で活躍中。二男が歯科医を継ぎましたが、昭和63年に独身のまま急死され、その3年後に奥様が亡くなり以後一人暮らし。
 ご子息他界にて歯科診療を93歳までやり、家事全般一人でこなしますから、このブルーバード以外にもバイクもかなりの台数が有り、旧車も5台程ありました。
 奥様が亡くなってから趣味どころでは有りませんね、奥様が亡くなった時点で75歳、その上豪雪地帯ですので近所などの手伝いは有ったとしても診察を90歳過ぎまで行って生活するとなると壮絶な暮らしであった事は容易に想像できます。

 オーナーは3年前96歳で東京都内にて亡くなりましたが、その後遺産整理もあり昨年バイクと自動車の処分に入り今のオーナーが手に入れました。
 


ダットサンブルーバード その2

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 初代ブルーバードは旧車の中でも同じ昭和30年代の私の車と比べてもクラシカルなスタイルが珍重されて程度の良い個体が年配の旧車マニアの手によって手厚い庇護を受けている事例が多く、このブルーバードの様な個体も少なくは有りませんが鍍金も含めた未再生はそう滅多に無いみたいです。
 
 昨日書いた様に事実上平成2年~3年までは車検を継続していたけれども、家事都合によって其れが出来ない事態に陥りバブル期に見られた極上60年代旧車その物(30年前後の車齢)の状態で今日に現れた感じなのがこの個体です。

 初代オーナーはそもそもはバイク好きな方で4輪はそれ程興味は無かった様子でした。あくまでこのブルーバードは雨で往診がバイクでは困難とか家族の為に買った様です。
 又比較的高齢になって他にハコスカ1500GL(山形5ナンバー付)の昭和46年式(46年3月のほぼ最終山形5ナンバー付)ブルーバード510のsss(年式は45年か?ナンバー無)、比較的古いミニ、バンプラプリンセス(書類は有るらしいがナンバー無)を購入して居りこれ等もこのP312と一緒にガレージに有りました。
 ハコスカは平成元年に購入し、翌年2年で車検が切れて居りましたが、此れは車検証を見たので高齢になってから4輪に手を出したと見ました。ほかの車に関しては平成4年までには全て車検が切れて居り、ナンバーも全て外され、書類は確認できていません。もしかしたら無い状態かも知れません。

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 黒は結構なボロでも写真に写すとかなり綺麗に見えますが、本当に未再生なのか?と思う綺麗さでした。
 部分的に刷毛塗りされた跡が有りますが、それとて極わずかですから驚く様な程度の良さです。

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 ホイールキャップも新車当時のまま。
 尚車検取得に当り、特にブレーキ関係が非常に困難であったと日産より話が有ったと主治医から聞きました。現オーナーはソコソコ旧車には興味ある地元企業の社長ですが、部品入手のツテが無い様子なので、修理に苦労したと思います。

 20数年の眠りから覚めた車ですから、恐らくエンジン関係、燃料関係の修理でも大変だったと考えて居ます。

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 内装も殆ど痛みが有りません。私の車より数年現役期間が長かったですが、煙草を吸ったり、食べ物を食い散らかしたりと云う扱いが無かったので綺麗ですね。
 今でこそ喫煙は当然、飲食禁止としてますが子供の頃車内では何かと飲食しました。
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 このザラ付いた塗装がオリジナルの証。エンブレムも良い感じです。


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 艶も十分です。

 カミさんのお婆ちゃんから聞いた話では初代オーナーは近隣ではかなりのバイクマニアで、ツーリングがあるとなると診療を放っぽってバイクに乗って出かけてしまったそうです。
 私はバイクは全く興味ないので詳しくは判りませんが、1929年製の外国製のバイクを自分で修理をしながら乗って居たそうです。一時数十台バイクが有った話らしいですが、亡くなってガレージ整理した時は5台程度で、その一番のお気に入りはしっかり残っていたそうです。此方は今東京に在住している孫さんが引き継いだ話です。


ダットサンブルーバード その3

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 私の車と違いテールレンズの痛みがなく、驚いて居ました。廃車時代恐らく光が当たらないガレージの中だったのであろうと想像が付きます。
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 最終型である事が判る作りです。
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 レンズに細かな皹が無く綺麗です。
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 フレームも状態が良いです。

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 日産車に小糸のレンズ??驚きました。
 今までエバーウィングとかイッコーだと思って居たのでまさか・・・・でした。


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 反射板も小糸です。
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 フロントはエバーウィングでした。此方は何故か皹だらけ・・・・・。



シャトルバスにも拘り

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  ノスタルジックカーミーティングIN寒河江までのシャトルバスとして旧山形交通バスカラーが選ばれました。此れが中々良いです。
 通常は面倒だから寒河江営業所の空いたバスとなる事が多いですが、こういう芸当が長生きするイベントの秘訣です。
 無論此のカラーは寒河江営業所には無いので、他の営業所からのバスです。
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 前回も紹介しましたがフロント周りはこんなデザインです。現在のバスカラーは4代目で此のカラーは2代目バスカラーです。初代は銀バスなので銀色でしょう。

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 後ろから。当時の色を忠実に再現しています。

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 色の意味合いですが、赤=紅花、ピンク=桜、白=雪です。別名田舎のバスの色と云われて居ます。

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 数字の意味、99=1999年製造、605=この年の導入台数ですが、605台はおかしいナァ
 当時有った実際のバスで説明
 
 天 7057=天童営業所所属、1970年製造、57台目
 村 75038=村山営業所所属、1975年製造、38台  目の納入です。

  70の次に直ぐ数字だったのは昭和47年までで昭和48年から73021等になりました。此れは2代目、3代目バスカラーまで踏襲されました。

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 こういう号名がどの車輛にもありました。

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 名前がこう書かれて良い!

山形大衆駅

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 昭和の山形市のチラシへ戻ります。お爺ちゃんの職場であり、定年を此処で迎えました。

 写真は昭和39年の写真です。一番初めにカラーを出します。チラシのモノクロ写真も昭和39年と思われます。
 その根拠はダットサンブルーバードP410があるし、昭和40年から解体し42年にはレンガの駅ビルになりますので、昭和39年と見て居ます。

 当時山形には自動車その物が少なく駐車場は自由に何処にでも停められました。お爺ちゃんは基本通勤にはトヨペットクラウンでラックスを使う事はなく、汽車通勤でした。それこそこんな車で通勤したら「あのクソ助役わいろ銭貰って買ったんだべナァ!」と云われるのが関の山。

 無論そんな銭は有りませんが、殆ど仕事で使う事は有りませんでしたし、バリバリ使う様になったのは私の代からです。

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 ダットサンブルーバードP410がワンサカ居ますね。タクシーも例の山形交通タクシーカラーです。

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 モノクロ。中央にP410があるので昭和39年でしょう。

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 「高村助役、甥子さんのご冥福をお祈りします」が先ず昭和39年に出る事です。松島基地に所属していたお爺ちゃんの甥が殉職しました。
 関山峠をどんな思いで運転したのでしょうか。

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 仙山線の面白山臨時駅(当時)です。今は面白山高原駅です。此れもチラシにありました。

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 長井営業所の山形交通バス。タイヤに注目、大型車のホワイトウォールです。


ノスタルジックカーミーティングIN寒河江

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 イベントリポです。

 今回で8回目となるこのイベントですが、結構嗜好が凝って居ます。単に旧車を並べるのではなく昨年ならばテーマが「三菱車」今年は「360㏄車」と云う様に重点展示テーマがあります。

 山形のイベントの特徴は、宮城県からの参加が無いと成り立ちません。旧車マニアは多いけど、多くが表に出たがりません。宮城県のマニアも大御所となると基本この人たちも表には出ませんね、その為イベントに出るとなるとそれ程珍しい旧車は出ないのが最大の特徴です。
 イベント主催者も結構苦労し、仙台にマニアのツテが無いと開催が出来ません。.正直私は旧車マニアとなると東北のマニアはとっつきにくく苦手な所があり、関東のマニアと仲が良い人が多いですね。
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 晴れの日は鍍金が映えます。
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 今回クラウンの参加は3台ありました。その次のモデルの参加は有りませんでした。
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 後ろより。後で紹介しますがMS105は新車時は山形県登録でその後横浜に流れて里帰り参加との事です。

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 今回は地元開催なので新型車解説書と

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 カタログの1963年式のみ、取扱説明書、ブリキ玩具、モデルペット等も展示です。無論良からぬ輩もいるので完全ロックで展示します。
 但し高畠のイベントと比べこちらはマナーが良いので勝手にドアを開け様とするレベルの低い見学者は居ませんでした。

 前回の高畠で残念ながらドアハンドルに指紋がかなりありましたが今回は有りませんでした。


ノスタルジックカーミーティングIN寒河江

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 イベントでの様子とその帰りの様子をUP致しました。

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 先ずは、今回もモデルのネ~チャンが華を添えてくれました。かなりの数のカメラ小僧が群がります。

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 イベントに参加して13年ですが毎回写真撮影をされて居ます。モデルさん以上写真を撮られて居る筈。
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 長生きはするもんですなぁ、普段は・・・・

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 街の何処かでフツーに走っていますが、時には肥料運搬もします。
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 結構尻が沈みました。良いスタイルです。

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 時々この車で農業資材を買いに行きますよ。旧車と云えども農作業に使う事有ります。

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