次は4代目以降のカタログです。
昨日はすっ飛ばしましたが4代目。この時代もミニカーは買いましたが何故か余り印象には残っていません。
どうしてもクラウンは5代目の方が好きで中々4代目は受け入れないのかな?
でも解体ではかなり4代目はお気に入りだった記憶がありますけど。
この時代はミニカーは卒業しました。
6代目クラウンの頃親父はミニカーや自動車の本を一気に捨てる暴挙に出ます。でもトミカの350台は何故か生き残りましたが、平成2年にお婆ちゃん(当時69歳)に捨てられるハプニングが発生します。同時にブリキの自動車50台も一気に捨てられました。
それと親父にミニカーを捨てられ久しくして親父が突然「車以外の玩具なら買う」と云い、私は何を思ったのか「ママキッチン」でした。唯最近当時近い世代でやや年上の女性に話を聞くと「高価で先ず結局買って貰えなかった。」でした。顔をゆがめてはいましたが、何も云わずに即買ってくれましたが、その20年後には63年式のRS41のシガレットケースに変わります。
丁度7代目の頃(写真の展示物)我が家は貧困状態に陥りそれこそ土地家屋を手放す寸前まで行きましたが、何とかそこは脱出し親父は負債額を返済します。
そういう状況でしたがファミコンを買ってくれました。
これも解体屋では結構見て居ます。HTは昭和60年前後にかなり見ました。
5代目の営業車は懐かしいですね。これは教習車で良く見た顔。それと6代目の頃は教習車専門のカタログがあり驚いた記憶があります。
当地では6代目以降はクラウンやセドグロを教習車に採用する学校が少なくなりローレルやマークⅡが多くなり始めました。
私は何とかクラウンを使った教習所を探し当て遠いけどそこに入校しました。因みに私らの時代はカペラが殆どでした。(以前ここ数年マツダが多くなったとネットニュースにありましたが、こちらは30年前から多かったです)
うさちゃんには出来れば50系を運転して欲しかった・・・でも大きいと職業柄どこに飛ばされるか判らない仕事なのでダメなのでコロナやブルーバードと云いたいけどクラウンで「狭い!」なので・・・・。
RS20系のカタログです。このロケットはオーバードライブの意味なんですが、不可解な絵です。
中央のMS50系以外はコピーの拡大版でした。