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Channel: 高村円淨のブログ
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あと数か月遅ければ

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 私は下の写真のグロリアオーナーだったかも知れません。さてこのグロリアの写真は梶ノ目さんからお借りしましたが、多分知らないであろう事も書きます。

 今もこの車のオーナーは所有していますが、ブログに有る通り「残念な」状態になって居ます。但しレストア不能な状態ではないです。この様な見事な良い感じの未再生車としては残って居ません。

 この車は昭和39年式とありますがナンバー登録は新車時ですが昭和38年12月~39年2月上旬が登録時期だと思われます。現オーナーは昭和39年生まれとのことで自分が生まれた年の車が欲しいとなり、カーマガジン個人売買で探し当て平成6年2月に購入。一度同乗させて頂きましたが、恐らく元はエアコン付だった個体だと思われます。当時は手放す時取り外して次の車に取り付ける事がとても多く平成になっても見られたものです。現オーナーで多分4代目だと思われますが2代目オーナーが名義上一番長く所有していると思います。実はこの車福島に暫くあり、その方から個人売買で購入しました。

 でタイトルの意味・・・実は何処かにヒントを残したと思いますが、最近は余り書きませんが書類を焼失し、当家の家族で行方不明者が相続人に複数居り、そこに渡し船を出してくれた知人にあと数か月泣きつくのが遅ければ、登録絶望で1963年式RS41は畑に置かれてこの車を「64年式グランドグロリア」と交換した可能性が非常に大きいと思いました。

 実は平成10年頃ポソッと「64年式のグランドとだったらナァ」と話したので1台探し当てた車がありこれを購入してでも乗る価値あり!と判断しました。
 一寸詳細は書けませんがグレー掛かった水色メタリック(結構見かけます)の程度良い書類無がありこれとボデー入れ替えを考えて居ました。

イメージ 1
 さてこの車ですが製造は間違いなく昭和38年です。最初期のスーパー6で私自身小学1年生だった昭和55年の夏この車に惚れ込みました。色は先程書いたグレー掛かった水色メタリックでした。
 無論その前年、当時の皇太子がご愛用のS45Pを破壊したのであの時の車と云う記憶も残って居ましたね。

 と同時に昭和57年この車を現在の県道22号線、地元では旧国道13号線で見て居ます。この年の夏休み私は家から徒歩5分ほどのバス停に2時間ほど座りどこのメーカーのどういう車が走るか?自由研究の調査しました。それを提出すると担任は「これは自由研究ではないナァ。」が未だに記憶から離れられません。担任が親父の友人ですから「お父さん良くこの研究を許したナァ。」と話したことが忘れられませんが、この車の他今はなき新真堂自動車解体店のプリンスマイラーも走り当時はプリンスと知って居たので、プリンス2台と記録しました。

 

 実は長々と書いたのには理由があり、本日7/2に事故に遭ったバンパーが山形に発送される予定で明後日水曜日に取り付け予定です。無論グリルモールも一緒に鍍金したのでこれも発送です。
 この日の為に梶ノ目さんから事前に写真を借り受けました。

 もし本当に数か月泣き付きが遅ければ涙目テール、丸テールは何処まで根付いたか?あっ!平成10年は大分根付いたか。唯名前の名付け人はクラウンに乗って居なかっただろう。


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