78歳になる伯父が実家の家系図を出してくれました。それによると、初代は文政3年(1819年)生まれ、明治31年(1898年)没79歳まで生きたとされていますが、疑問がこのお墓。
大井沢は明治に入ると仏教から神道になります。以前も書いていますがこちらは仏教の戒名入りです。
となると記録にない先祖なので更に古いと思われます。
実家裏の墓地で一体どの位高いのか?
RS41がかなり小さく見える位置です。この山の奥から旧朝日村(現鶴岡市朝日)付近まであるので、ここから先は私いままで一度も行った事ありません。
この奥に山菜が豊富にある事は判りますが命の保証がないので行きません。
文政3年生まれの先祖の墓は此処には有りません。
親父の遺骨と一緒の場所にあります。
先程のお墓に墓参する道です。
熊はいる、ヘビはどの位居るか不明、怖いな!
尚当家の男で文政生まれの先祖を越した者は数えるほどしかいません。曾お爺ちゃんの103歳は未だ男女とも親族には居ません。