宮城県側より。
名の無きコンクリート橋です。ここから急こう配が始まり左側に傾いた作りで気を付けないと転落の可能性がありそうです。
オーバードライブは先ず無理な坂道。
ここは今も良路です。
崖の下には63年式P312があります。
宮城県側は昭和48年に隧道内部で暴走族によるリンチ事件が発生し旧建設省が鉄柵で閉鎖しました。
此処までローギヤで走るとなるとオーバーヒートしてもおかしくない道でした。
最悪な場合ローギャーで走らねばならない悲惨な道でした。
昭和38年に工事を始め43年の10月1日にようやく完成しました。この5年間でも結構な交通事故犠牲者を出しました。