2年前クラウン発売60周年を記念して全国の販売店で1台ずつ7代目までのクラウンをレストアして走破する企画がありました。
その際神奈川トヨタでは東京ナンバーのRS型をレストアしてエントリーしました。
メーカー企画なので製造廃止部品も物により復活したか?と思いきゃ神奈川トヨタさんによると「メーカーの協力は得られなかった!」だそうです。
難問にぶつかると助け舟を出したのは新明工業の石川顧問(80歳)でした。YOUTUBEでも各地で石川顧問の活躍が見られました。本当にお元気そのものです。
今回初めて現物を見ましたが、実は元々はRS型それも超貴重な最初期型である事が判りました。
オーナーについてはここ数年以内に亡くなられたが、60年近くずっと乗って来られた事は大変有名です。
ナンバーは後程詳しく出しますが初代オーナー宅では「ひゃくばん」の愛称で呼ばれ今も神奈川トヨタでも引き続き「ひゃくばん」と呼んで大切に乗って居ます。
これは我が家でも共通しますがこの車が20年オチだった頃(或いは15年オチかな?)オーナーの息子さんは周りのお父さん方がセリカとかローレルの新型の中、これで学校に来るから大変恥ずかしく「お父さんこんな車で来ないでくれ!」と云ったそうです。
我が家は親父にRS41出来て欲しい、通勤して欲しいでしたが運転したがらず自転車が殆どでたまにB310でした。こっちがだっせ~!
で、今ピンク怪獣が「よし!パパお前の幼稚園にRS41出迎えに行くぞ!」と云うと「ヤダ~!」とか「婆ちゃん(お袋)が駄目だと云うから来ないで!」です。
R型エンジンはメンテナンス済み。綺麗にペイントされています。
タイヤハウスの切り込みは最初期生産のモデルだけの特徴だそうです。
初めてみた時RSD型と思いましたが、その原因はリヤトレーのステーで、パブナナバンさんかひっぱり屋さんのどちらかのブログにマスターライン(RS26用)のフロントガラスの刻印が写され、割れたのかな?と思ったら、
RSD仕様にする為態々マスターライン用(G1タイプ)を購入し分割ガラスを止めて、ステーは今なお残しておいたみたいです。
尚このステーを山形のマニアが欲しいと説明を受けましたが、多分歴代クラウンを多数所有する山形トヨペットの社長かな?と思います。あの人が所有するRS21(1959年式青メタ)が山形県代表で60周年イベントに参加しました。当然ですが「ひゃくばん」のオーナーさんとの約束で「絶対に手放さない」があるので譲らない方針だそうです。
メーカープレートも「コロモ市」時代のプレートです。
無論1955年式ですから絶対にRS型しかありません。
RSD型は1956年式以降です。
尚神奈川トヨタさんの話では、現在トヨタ博物館ではセダン型のモデルは引き取らず、引き取るとすれば、程度が良いモデルであっても部品取りとしてしか引き取らないそうですからトヨタ博物館には寄付しない方がベターです。RS40系なら余計涙目テールでも部品取りとしてしか取り扱いませんので寄贈は辞めた方が良いです!
因みに私は日本刀(兼房の太刀、江戸時代以前)と交換が希望。部品、玩具も付きます!
初期の油脂交換プレート。比べる物として
涙目時代のプレート。
ウェザーストリップは大分前新明工業で製作した初代クラウンDX用ウェザーゴムセットです。
無論ガラスが55年の刻印付き。