30年前までは我が家のRS41を走らせる予定がなかったのです。なので本当は書類が有ろう、無かろうどうでも良かったと云うのが実際でした。
ナンバーが無くなったしこの状態から走らせるのはもう無理と3/15以前は考えていたのです。なので昭和63年1月8日は貴重なナンバーが無くなったと云うよりも、もはやRS41を将来走らせる事は出来ないと考えました。
じゃ、どうするか?昭和61年頃「くるまにあ」と云う雑誌にモノクロページでビニールハウスを何棟か建てた中に昭和30年代の国産車を何台もストックして楽しむ方を紹介して居ました。その人を真似ようと考えたのです。あの当時農作業は興味の対象ではなかったし、ビニールハウスの1棟は今の葡萄園に建てられると考えて居ました。そこに30年前の昨日無くなった廃車の何台かを手に入れて鑑賞して楽しもうとは思いました。
それを大きく変えたのがノスタルジックヒーローだったのです。当時は旧車専門誌は無く大変貴重な存在でこれを知らなかったらRS41は恐らく公道を走る事はなかった事でしょう。唯旧車の廃車体を集める事が出来たかな?日本交通タクシーカラーのRS40を失った事はやはりこの趣味だったら大きな打撃でしたね。多分涙目テールは有るのだから優先的に救うなら、RS40と初期型RT40Dなので。以前も書いていますが廃車場にあった涙目テールはエンジンレス。・・・・あっ!それはどうでも良かったかな?(多分)
ノスタルジックヒーロー、やはり凄い影響を受けました。より行動的になり当時16.7だった私は「必ずや復活させる!」に考えが強固に変わりました。
決定打になるまでにはもう1年時間が掛かりましたが(当時物カタログを手に入れてODシステムに感動)部品収集の行動に出ていました。
然し・・・・今思うとRS41を1台レストアして走らせる事と何台も廃車体を集めてビニールハウスに保管するのとではどちらが安く付いただろうか?多分車は現行車での移動だった事でしょうね。
ん~、何となく廃車収集の方がアブナイ感じだったかな?とんでもない道にそれたかな?