自動車評論家の徳大寺有恒氏が11月7日逝去されました。享年74.
自動車評論家として大成された数少ないお一人でした。昭和14年栃木県生れ。トヨタのレーサーとして活躍され、自動車用品店経営、タクシードライバー等の後、評論家となられました。
私は徳大寺氏と初めてお会いしたのは、数年前の糸魚川ミーティングで、一昨年が最期となりました。あの時の状態としてかなり糖尿病が進行されて居る様子で「しんどそうな」感じがしまして近くにいた旧車クラブの方に聞くともう運転は出来ない状態で脚まで症状が出ていると聞き私は直感でかなりのものと思いました。
比較的最近の写真と思われます。実は徳大寺氏はRS40型クラウンで本格的なラリードライブを覚えたと聞きました。
昭和38年の夏実家に戻ると沢山のRS40があり、当時はお盆ともなると猛烈に忙しくなり時々タクシーの予約を事務員が書き忘れる事があり、そんな時普通の運転手さんが行くと、時間に間に合わなかったり、挙句散々嫌味や苦情を云われるので、多くが行きたがらず、徳大寺氏が毎回その対応をしたそうです。「僕が運転すれば先ず間違いなく時間どおりに到着して、列車に遅れさせた事は無かったよ。」と話されました。
RS40系ともなるとRS30以前のモデルよりスピードが出て、時には140キロでぶっ飛ばして、忘れられたお客を目的地にきちんと届けたと話されました。又当時は全てガソリンだったのでLPGよりスピードが出たそうです。無論どのお客も「失神して」ヘロヘロになったそうでした。
「僕にとってもレーサーとしてはパッとしなかったけど、ラリーに転身してその後は嘘の様に勝ち続け、そのきっかけはRS40型クラウンであった。」との事、徳大寺氏も当時を懐かしそうに我が車を見て語られました。
昭和38年の夏は確か我が家も・・・・・当時は自動車が少ないので出来た技ですね(笑)