難所の栗子隧道を過ぎると今度は二ツ小屋隧道まで幾つか遺構が見られます。次が机甲橋、大平橋、大平の集落跡地、烏川橋、二ツ小屋隧道です。此処からはもう福島市。
大平集落は万世大路が出来た明治14年から米澤藩士だった者の家族が40軒程移住しました。その中の1軒が当家です。日本で1~2番の貧乏藩が米澤ですから貧しく掘立小屋みたいな家であったでしょう。
その藩士の3男が私のひいお爺ちゃんで平成2年に104歳で往生したお爺ちゃんが此処で生まれました。
唯はっきりした事は判りませんが賭博場なども有って結構栄えた話もありますが、一年の半分は雪に閉ざされ長くは此処で生活は出来ませんでした。昭和7年までにこの大平集落は廃村となり、当家は日露戦争の少し前に移住し今の長井市へ、最後までに残った家族も大瀧集落へ移住しました。
此れが大平橋。マダマダ使えそうな感じですが、30年ほどで現役は引退です。
大平集落跡地。実は昭和7年に廃村後、残った家は昭和の改修工事の時、作業員の休憩小屋として使われ、マトモに使える家は無く、中でもマトモな家に使えるボロ家の材料を継ぎ足して休憩小屋にしたそうです。無論工事が終われば解体なので何も残る筈が有りません。
烏川橋。欄干が悲惨な状態ですが、橋脚は意外やしっかりしているそうです。
尚近年のリポートでは道にあちこちに穴が空き自動車の通行はこの橋に行けるかどうかの状態です。
以前も紹介していますが、ヨーロッパの古城を思わせる二ツ小屋隧道。昭和9年3月竣工です。此処を通らないと我が故郷大平には行けませんが、もう烏川橋にすら4輪では行く事が困難になりました。
昭和41年5月以前は此処を私のトヨペットクラウンデラックスは走って居ます。無論オーバードライブはOFF。多分我が家で乗った時はひいお爺ちゃんは煙草を吸いながら「俺は此処で生まれ育った」とお爺ちゃんに話したと思いますね。
この二ツ小屋隧道も曲者。栗子隧道同様崩落が有って内側からコンクリートで巻き立てられて居ます。
実はこの二ツ小屋隧道はそもそもコンクリートの質が極悪で、別の現場で使った余り、それも固まったクズを臼でついて細かくして再利用と云う悲惨な物で、工事監督が、完成当時ヤバイから逃げ出そうとしたり、絶対通りたくないと話したエピソードが有ります。
この隧道も何時通れなくなるか判りません。
それと聞いた話では現役時代から隧道壁から漏水が見られたそうです。当然クラウンはびしょ濡れですね。
恐らくこんな感じで走って居たかな?