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Channel: 高村円淨のブログ
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R112の始点

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 久々のプチ観光です。
 R112の最大の目的は村山地区と海沿いの庄内地区を結び付ける事で、メインは六十厘越と呼ばれた親父の故郷付近です。昭和28年よりR112となりました。

 戦後の歴史としてこのR112を利用しA級戦犯の石原莞爾の監視の為GHQがしばしジープを走らせ、当時は大井沢へ行く路線バスがあり、それを利用して東京から米の買い出しに沢山の人々が利用しています。
 
 以前も書いて居ますが、R112を走るバスに乗って不二家の社長が米の買い出しに行った時6歳児が「ベゴ、ベゴ!」と牛を指して叫んでおり、それが「ペコちゃん」となったのはあまりに有名な話ですが、

 その子供が・・・・「お。や。じ?」、ピンク怪獣の「お爺ちゃん?」
イメージ 1
 此処が本町の始まり。
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 此処は今は小児科、皮膚科ですが戦前期は眼科でしたが、建物が素敵です。空襲被害が無かった故こういう貴重な建物が残りました。
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 本町の高級ホテルです。昭和46年より操業。
イメージ 4
 オーナーはこの方。山形の天皇です。
 この方に逆らったら命の保証はマジでありません。
 実はこのR112の開発が出来ない様に電線を地中に埋めたのはこの方の指示。

 何分県知事、山形市長、山形輩出の国会議員が天皇の子分状態ですから逆らえばヤバイですよ。因みに私のお義母さんの父親も市議会議長でしたが、天皇の子分でした。(ピンク怪獣のひいお爺ちゃんですね)

 写真では今年は何時もより早い時期に提灯が下がって居ますが、山形花笠まつりの為でしょう。実は北○○子さんと云う大物演歌歌手が大ファンでして、何時もゲストでお呼びしており、天皇が経営なされて居る看板アナウンサー○池さんが「○部○子さん!」とアナウンスして翌日までには山形から遠く離れた辺鄙な結婚式場へ転勤させそこの司会となりました。

 社内では天皇の愛人と囁かれる程でしたので裏では社員の殆どはこういう呼び方で、つい口が滑ったのでしょう。でも命あって良かったネ、○池さん。

 それと私は天皇と対談をテレビ放映付きでした事が有ります。本当に緊張感が有る方でした。無論立派なブレザーを着て対談しました。

イメージ 5
 ホテルの手前を左折するとアールデコ調の元山形第一小学校が現れます。此処も空襲が無かった故残った貴重な建物です。
 因みに此の学校の向かいから何度か書いたダットサン123トラックが出動します。何度も載せたので今回は省略

イメージ 6
今は「山形まなび館」となり資料館になりました。




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