ヤフーより「夏休みの思い出」と云うテーマが出されたし、28年前の本日親父が亡くなった日でもあるので、投稿する事にしました。
当地は今もこの時期は未だ夏休みではなく確か終業式の日ではなかったかと思います。前日の21日まではとても元気でまさか今日亡くなるとは誰もが予想しませんでした。
今とは違い救急車が出動ともなれば「どこそこのお宅で救急車で運ばれた」と話題になる位でしたので、当家に救急車が来た事は確かでしたが、運ばれたのが「高村さんの年寄爺ちゃん(ひいお爺ちゃん)だど!」とか「若いお爺ちゃん(お爺ちゃん)だど!」と地区によってバラバラでした。
当時ひいお爺ちゃんは山形県男性最高齢の101歳、お爺ちゃんは寝たきりに近い状態になって2か月前後でした。実際運ぼうとした親父は出て来ません。
無論学校でもそういう話題になり「高村先生のお爺ちゃん救急車で運ばれたから今日は休みかな?」と私以外の多くの生徒は思っていましたが、校長より
「今朝高村先生がお亡くなりになられました!」と発表が有り校内は騒然となったそうです。
同僚や上司の先生方も職員朝礼で現実を受け入れられず皆動揺して居たそうでした。
すると生徒の何人かが「イヤ~、高村先生が今朝通勤した所見たけどなぁ~」となり「救急車で高村先生の家族が運ばれたと聞いたけど、先生の奥さんでも付き添ったと思っていた」でした。
「じゃぁ、あの先生の姿は・・・・幽霊??」でした。
友人の話では校長が泣いたと聞かされ、どの生徒も嘘ではないと感じて泣き出す者が続出し、その日部活の県大会の壮行式があり、吹奏楽の生徒も多くが泣いて楽器を弾けなかったそうでした。
亡くなる数日前吹奏楽部の生徒が悪戯で「チャルメラ」等をしており、親父が「お前ら、イタズラする暇あるならもう帰れ!」と一喝したらしくその後真面目に練習した事が忘れられなかったそうです。
確か私も外周マラソンしていた時、イタズラがピタリ止んで真面目になった事記憶しています。
若い頃、実際運転した車でもある我が愛車トヨペットクラウンデラックスですが、晩年も1度は運転した様です。