でも私は別の意味でこれ等の車が懐かしく又苦い思い出がありますね。
セドリックのDXグレードは私が入園した幼稚園の園長の車で、シングルタイヤのシビリアンンは送迎バスで、解体屋に駆け込んで居たチビヤン時代を思い出します
好きにはなれなかった園長でしたが、黒塗りのボデーに此のホイールキャップとフェンダーミラーが当時お気に入りでした。
NAPS時代の日産車は走りが良くなく、ボデーも痛んで現存車は少ないそうです。よくぞ此処まで綺麗に残りました。
230も好きですが330も捨てがたい魅力が有ります。
私が入園した幼稚園はシングルタイヤで濃いブルーラインの所が黄緑と薄い水色が幼稚園バスで、他に同じく薄い水色ラインのホーマーも有りました。
程なくして写真と同じ色のバスも導入されましたが、実は薄い水色のバスがしばし故障するので、写真と同じ昭和54年式が導入されました。
私は薄い水色が好きでこの色は当時余り好きではなかったですね。
因みにシングルタイヤのシビリアンは今余り残って居ないそうです。
ふと当時を思い出すのはバスが来る少し前丁度「ひらけポンキッキ」が終わり、8:30からののドラマで「花街の母」が当時放映されており、「~母とむすめ~ぇの暮らしがほ~しい~ぃ・・・・」となった頃シビリアンが我が家の玄関前に到着するのでした。
「けっ!もう来ちまったのかよぉ~!」が私の毎朝の愚痴でした。それで、「あ~あ、今日も鼓笛かよ!」とか、「冗談じゃねぇ~ぜ、今日はリトミックだぜ、うめ組のEセンコーはうるせぇしなぁ~」とブツブツ云い
「今日もいっちょ、奥○解体へ行こうか、おっ、奥にフロンテ(コークボトル型が好きでした)が有るなぁ、みたいよナァ、どうせリトミックは嫌だからフロンテ見に行こ~っと。」とバスの車窓から当時考えて居ました。
でも時折結構当時はケバイ感じのM先生が凄く好きで「ぶどう組のMセンセーの事俺好きだし、迷惑を掛けない様にしなければナァ」と考える事も私はありました。
実はM先生の御実家が比較的近くでお父上が幼稚園を経営され、方針が気に入ればそこにピンク怪獣を入園させようか?と今考えて居ます。(今M先生のお姉さんが園長です)又この先生は不良の私をかばってくれましたのでその恩義もあります。
当時を思い出します。