ここ数年日本でもハロウィンが良し悪し別にしてすっかり定着した感が有ります。私はこの行事は30年ほど前に知りましたが、やはり巷で流行るハロウィンは「全く勘違いしているナァ」ですね。半ば呆れて見て居ます。
さてハロウィンの時期となると思いだすのが写真の
キハ58-568です。
昭和39年10月31日、新潟鐵工所で落成され新製時配属先は新潟機関区です。その頃以前紹介したいすみ鉄道に今は有るキハ28-346(当時)は千葉運転所に転属して居り(39年7月)不在でした。
10月31日製造で覚えていた車輛だからですね。
廃車まで新潟に所属し平成5年10月11日JR東日本管内のDMH17搭載車輛全てが一斉廃車になり10月下旬までにはロシアに無償譲渡されました。
見つけた写真によると568であるそうです。確かに警笛と単線雪かき板があるので、間違いないです。
普通編成ですからもう晩年の姿でしょうね。山形までは走らないと思います。
無論急行時代は何度も山形までは来た筈で、お爺ちゃんも運行指令できっと関わって居る筈。
流石にお爺ちゃんも10月ともなると甥である航空自衛官だったパイロットの死は乗り越えた筈。
それと当時は東京五輪終了から1週間ほどで日本の興奮も冷めた頃でしょうね。
この当時こんな風景は当たり前だった。
10月31日もう山里では冬の準備がすっかり終わり、場合によっては「津軽平野」の歌の歌詞にある「おどぉ~ひとりでぇ~ぇ、でがしぇ~ぎ、支度~・・・」だったでしょうね。
無論出稼ぎ労働者をキハ58-568も上野まで輸送したでしょう。