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Channel: 高村円淨のブログ
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昭和56年11月28日

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 毎年この日に思い出す事が我が家から昭和47年式のカローラKE20Dが去った日だからです。同時にその日にダットサンサニーB310に入れ替わりました。(平成20年3月頃処分)
 カローラは翌年の6月4日まで車検がありましたが、買い換えた理由は、売れ残ったB310が昭和56年内ならば格安で買えるし、1300でも高いグレードの売れ残りがあるから買い換えたそうです。また希望色のベージュだったのでより買い換えが進みました。(実は友人の父親で親父の直属の上司に当たるH先生が同じB310のDXを昭和55年頃購入。車に興味がない親父にしては珍しく「俺の車はH先生より豪華な車だ。」と亡くなる少し前独り言を云って居た事が忘れられませんが、売れ残りなのでDXと同じ程度の価格ですし、当時は未だ経済的にもキツイ頃でした。この車確か平成10年まで現役でした)
 担当セールスは現在は農業と市議会議員をしているMさんです。当時生保会社を退職して日産サニー山形のセールスに転身したばかりの新人さんでした。

 そういえば親父自身「車は10年が寿命だ」と話しており、この機会のうちに買い換えたいと云う考えがあったのでしょう。なので、クラウンRS41の運転がままならなかった事はクラウンにとって幸運だったのです。
 これが私みたいに上手かったら、1年後の48年6月には車検切れなので親父は間違いなく買い換えたでしょう。(或いは排ガス整備終了の48年4月30日まで)親父の性格は決して物は粗末には扱わないが、時期が来ると勿体ないとか何もなく捨て去ります。

 買い換えの話が出たのは11月上旬頃でした。当時私は8歳で、クラウンはそのまま残るが、カローラは手放すとの事で、親父に「パパ、畑に置けない?」と聞いた所
 「ママが畑に置いて良いと云うならば、良いよ。」でしたのでお袋に聞くと「向こうの畑(今葡萄園)にバスがあるし、うちの前の畑は絶対駄目!」となりダダこねるが駄目でした。その為手放す事は泣く泣く認めました。

 34年前のあの日霙混じりの雨が降る寒い日だった事は今も鮮明です。スノースパイクタイヤで納車され小学校では「きよしこの夜」の歌を練習していた時期ですので、この歌を聞くとカローラの事を思い出し10年ほど前までだと、我が家にKE20が戻る夢を見ました。更に当時のナンバーのままでなのでナンバーも鮮明に覚えています。(でもサニーの次のマーチは3台手放したが、すべてナンバーは忘れた)
 
イメージ 1
 これは3年前の高畠での写真。スノータイヤで参加しまして、56年の11月末はスノータイヤでしょう。このタイヤは当家でストックしていたタイヤです。
 カローラは簡易カーポートで当時保管しましたが、これがカローラを手放して程なくして壊れ、ダットサンは以後野晒でした。
 よくRS41の購入金額聞かれますが野晒で新車1台駄目にしたとの事で、ダットサン購入代金の90万円と答えるのはその為です。

 この歌聞くとどうしてもなぁ~。手元に今クラウンGS130おいているからカローラみたいに夢に出ないし、サニーも納得いくまで置いたから夢に出ない。


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