私が6歳頃の記憶で鮮明な記憶に残るオート三輪がこのジャイアント号。他にコニーを輩出した愛知機械工業と云うメーカーで、昭和40年に日産の傘下に入ったメーカで現在も日産車のエンジン開発をしております。
その中でも半漁人みたいな顔をしたこのモデルは強く記憶に残り、親戚のお寺にこの三輪車が2台あり、1台を借りて農作業に時々使ったり、当時親父が勤務した山形市内の中学校にもこれで何らかの作業の為乗りつける事がありました。
親父は運転免許は昭和47年取得で、オート三輪現役時代の取得ではないけど結構運転が上手かった記憶があります。
お寺にあったモデルは黄緑と云うかくすんだ緑のモデルと、もう少し写真より濃い色の青がありました。
私は緑系のモデルに乗りました。
今も鮮明ですが、フロアーシフトがやけに長かった記憶が残って居ます。
ブレーキ&クラッチペダルは何だか操作しにくそう。ここは記憶にありません。
親戚のお寺はR48沿いにあり、恐らくは関山経由で仙台に行った事でしょう。今は亡き親戚のボーさんも結構車好きでしたし、親父が昭和56年に私の母校に赴任し、60年3月に定年退職するまで親父の直属の上司でした。4月から亡くなる日まではサニーで書いた友人の父親が上司になります。
車幅はこのクラウンより広いジャイアント号ですが、こっちは中々運転してくれませんでした。