ニューイャーミーティングに6年連続の不参加です。今回はブレーキ関係の修理でその費用が掛かるので金が無い事ばかりが不参加理由ではありません。
ニューイャーミーティングに見学に行くがてら、立ち寄る予定の一つが鉄道博物館です。最近収蔵車両の増加に伴い増築中との事ですが、増車の1つにキハ58-75も含まれていると云う噂があり、今だ最終配属地盛岡運転所に放置中なので、レストアしてくれるか、それとも解体かの瀬戸際(解体する可能性が大)です。
大宮工場に運ばれたならば、見計らってニューイャーにも参加したい所ですが今鉄道博物館に行っても仕方ないので不参加となります。
キハ58-75は非常に珍しい最初期型で、貴重な個体です。又初期型車は全国各地を転属しているが、この車両は余り激しい方ではないです。
それとこの車両は既に展示中のクハ181、455、481と同じように訓練車です。気動車での訓練車はJR東日本管内ではこの車両のみで平成20年まで活躍していました。
この車両は昭和36年12月16日日本車輛で落成し、香川県の高松機関区(当時)に配属。昭和50年に南秋田運転所に転属し、57年~60年まで山形機関区、(当時)60年以降は盛岡貨、旅客車区(当時)に転属し平成3年1月には訓練車となります。
訓練車になった時は南秋田運転所よりキハ28-2102が転属し盛岡では唯一の冷房付車輛となりました。
キハ58系の場合キハ28-2000番台がないと冷房が使えませんので、6年間は無駄なお荷物だったかもしれません。(盛岡は昭和39年以降製造が多い)
それと特筆すべき事は国鉄時代でキハ58の60番台以降は殆どが廃車となり75番は非常に珍しいサバイバーです。尚冷房工事実施、未実施問わず昭和62年までには廃車です。
参考までキハ58-54番は南秋田で廃車となるが、この車両は沖縄以外ほぼ日本中を転属しました。これ程激しい物は珍しいが、75番は初期型としては転属が少ない方です。
75番は基本的にお爺ちゃんが定年以降に山形にやってきた車両ではありますが、大叔父が定年前後の頃山形に来ています。
きちんとレストアされて鉄道博物館に収蔵されたら今度こそはニューイャーミーティングに参加したいですね。