採用されたとあり、驚きました。
何でも特に被害が酷かった市町のタクシードライバーに聞き込みをしてまとめたそうです。
現実的な話では、幽霊を乗せた場合料金を徴収できないので、その分の損益は運転手もちになるそうです。
やはり卒論で共通している事が季節外れの服装であった事、寒さを訴え、運転手にヒーターを求める事が挙げられた様です。但し、リヤシートが濡れたはありませんでした。
印象に強く残っている事としてかなり酷く被災した地区へ頼まれ運転手が「あの地区は殆ど何もないですよ、それでもいいですか?」と運転手が云い、現地に到着すると客が「じゃ、私死んだのですね?」と残し消えたそうです。これは自分が死んだと実感し昇天したのです。
実は以前も書いていますが私の親父も幽霊となった話で有名です。但し彼の場合幽霊の存在は否定し、常日頃「幽霊の話をするのは頭がおかしくなった奴の云う事だから真に受けてはならない!」
と云い、幽霊関係の本(妖怪も)を読むと怒るものでした。
その親父の結婚当時の写真があり、UPしました。
昭和47年3月25日です。親父27歳、お袋21歳です。
近所の人々。もう写真に写る人の多くは鬼籍に入られましたが、左から3番目以外の方々は平成に入り鬼籍に入りました。3番目の方は旧天童町長の奥様で私が生後3か月の頃亡くなったと聞いています。
因みに当時のお袋の写真。
あれから15年で親父は亡くなります。四十九日の頃まで何かと出ていたそうでした。
然し私たち家族の前には出ませんでした。只でなくとも厳しい親父なので、生徒も「高村先生はもう死んだのよ!」は云えなかったかな?
その親父が運転経験ある我が車の運転席を改めて。
兎に角親父は運転が苦手でしたね、でも親父の運転で何度か遠出しましたが、ガチガチになって運転したかな?トヨペットクラウンデラックスでドライブ出来ただけでもう大満足!それに海だの山だのに行くから盆と正月が一気に来た喜びでしたね。
ピンク怪獣は今の所うさちゃんが乗らない様に躾けているので「だ~め~」「バイバ~イ」「ぱっちん!」と拒否しています。
私一人で楽しむ車かな??