今回は以前から謎であった1963年式ブルーバードについてリポート致します。
写真は山形、宮城、福島界隈の登山の愛好家マロ様より拝借いたしました。拝借した写真について解説等を行いたいと思います。
実はこのブルーバードの存在は一部の関山旧道探索を趣味としている方から数年前より「関山旧道に現役当時転落事故を起こした車が未だにある」とうわさが流れ、そのうち何名の方がどうにか写真を撮影して報告されて居ました。然し殆どがピンボケで車種特定には至りませんでしたが、登山のプロ級の実力者であるマロさんだからここまでの写真を拝見する事が出来ました。
さてこれは昨年転落事故を装う為に悪戯目的で不法投棄した廃車と断定致しましたが、それはおいおい証拠写真が出ますが、先ずはこの宮城県側で最も有名な転落事故の幽霊話となった事を紹介いたします。
*昭和39年9月22日の事です。宮城県は松島町に在住する六条家の長男六条歩が運転する車が関山峠の宮城県側を走行中、運転未熟の為誤って崖下に転落し
一家全員が転落死した話です。
この時家にはお婆さんと障害がある赤ちゃんを残しており母親が心配して幽霊となり(それも血まみれ)で出て家まで送り届けて欲しいと懇願する話が有名です。
*六条と出したのはこれは数か所のサイトで発見した事と同僚にタマタマ松島町出身者が居り、六条を名乗る名字は無く、歩と云う名前は昭和39年当時は運転免許取得が間もない事を考え最年少の18歳と考えると到底この名前は考えにくく恐らくは偽名と見ています。
ただ昭和39年9月22日の事故は事実です。この話がベースになり色々な怪奇現象の話が生まれました。宮城県側はこの話が有名で、山形県側は旧道工事が間もない明治13年7月21日の爆発事故で成仏できない霊が出る事で有名です。
この車が六条家の車と云う話になっているらしいです。又一部では交通安全慰霊碑が宮城県側にあり、この車のオーナーが事故死したと云う話もあります。
交通慰霊碑には実名の若い男女の名前が記されていますが、昭和41年当時の若者は私の親父よりせいぜい5歳年上と思いますね。教師の給与では到底中古車でも1963年式ブルーバードは買える代物ではなく、同世代の親を持つ私にはわかりますが、それこそ飲まず、喰わず餓死寸前で、彼女なんかにかまける暇がない程頑張って金を貯めないと乗れません。(車体は買えても維持費が出せない!)それこそスーツは親のお下がりでボロボロを着て教壇に立たないとね。
ですから若い男女はスクーターでの転落事故だと思いますし、たとえ維持費が安い軽自動車でも教師には無理だったと思います。
で、ブルーバードが有るのはこのハシゴが目印で、これは別の意味で取り付けられました。ここまでは登山経験が無くとも近づけると思いますが、ここから先はマロさんの様なプロでないと危険です。ですからこのハシゴが付けられましたが、登山レベルが初級以下初心者や経験なしは絶対近づいてはいけません!
そういう方はここでお帰り下さい。
で、ブルーバードを見るには・・・・写真の中央にありますが、20Mと15Mのロープを繋ぎ合わせても足りないそうです。ここはもうプロ級でないと絶対下には行けません。
初公開フロントからの写真。ここから見る分には完全な事故車ですね。でも先ほどの写真から考えるとタイヤが無いはどう考えても不自然極まりません。ましてナンバープレートが無いもおかしすぎます。幾らシングルナンバーが付いていてもこれ等を取りに下山する人は先ず居ません。
これも初公開エンジン。補機類がありません。不自然すぎますね。スクラップ材となった車を放り投げたとなります。
御来欧音さん、ファンシーの車体番号と比べてください。「P312-3-48483」となっています。1963年式であるのは確かですが何月頃製造かは資料がないので断定できません。
これはかなりの決定打。内装が全くないです。スクラップとして溶鉱炉に放り込む寸前の物でしょうね。
車はデラックスですからラジオが標準で付きますが、当時はラジオは真っ先に外します。草ヒロ探検でも結構な数の個体がラジオを外していました。高価だったんですね。