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Channel: 高村円淨のブログ
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関山旧道のブルーバード その2

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 2回目の本日は気にしていた足回りの状況を解説致します。総論として明らかに転落事故の車輛ではない事が証明されましたが、放置時期は昨年も触れましたが、かなりの確率で昭和46年と見ています。(年式が1963年式だから8年後となると昭和46年です)
 あの当時の平均車齢は8年程度。車は仙台方面を向いている事が判るので、山形方面から侵入して、比較的平面路のこの現場から放り投げたと見ています。

 更に昭和43年10月1日から昭和48年頃までは旧関山隧道宮城側は入り口閉鎖をしておらず、(山形側は平成20年閉鎖)通行可能時期考えると46年が妥当です。
 あくまで閉鎖理由は悪戯半分で怖い物見たさに訪れたり、アベックが人目をしのんでやって来たり、山菜取り目的だったりと色々でしたが、遂に当時社会問題になっていた暴走族問題で宮城県側でリンチ事件が発生して旧建設省(現国都交通省)が問題視して閉鎖しました。
イメージ 1
 フロントガラスの部分を見るとウェザーストリップやそのモール(デラックスなので)が残っていない事が不自然です。

イメージ 2
 立木が2本あり、そこにぶつかって止まりました。然し樹にリヤホーシングがめり込んでしまいました。

イメージ 3
 こちらはフロント。かなりの部品がめり込んでいます。


イメージ 4
 シートなどがありません。不自然さ丸出しですね。

イメージ 5
 ここが決定的な不法投棄の証拠。デフのドレーンボルトがないので、投棄当時からオイルが無い状態です。恐らくエンジンオイルのドレーンボトルも同じ様にない筈です。逆に当時非金属や、金になる部品を外してそのまま溶鉱炉に放り投げていた解体業者がいたのかも知れません。

イメージ 6
 ハブの部分。全く曲っていないから転落でタイヤが無くなったのではないです。

イメージ 7
 リヤも同じ。見事なフレーム構造です。SP&SRのフェアレディ(フェアレデー)も同じフレームを使いました。

イメージ 8
 先代210系はフロントもリーフでしたが、310系になりダブルウィッシュボーンに変更になりました。ここが大きく進歩した部分です。



 *関山峠の歴史、そして近代史では多数の人々の犠牲、幽霊騒ぎが全国的に有名で調べれば、調べる程色々な新事実が出て来るので奥が深く魅力があり、人々を惹き付けます。

 私の車トヨペットクラウンデラックスもその道を走った事に誇りがあります。更には栗子旧道も走りました。

 宮城県側では特に有名な話は六条家一家全員死亡事故ですがそれを証明するかの様に転落車輛が引き上げられないと恐怖を煽る目的でこの様な事をしたのか?・・・・
 或いは純粋にスクラップを運んでいたらワイヤーが緩んで気が付けば落っことして引き揚げ不能になったのか?でもどう考えても旧道現役当時商品価値があるブルーバードを廃車解体は私には考えられません。
 まして危険な旧道を現道完成後、過積載が当たり前の当時リスク冒して走る事は常識では考えられません。
 ですから悪戯目的が私の中では有力ですが、こういう連想、想像を膨らませる物件も有り、昭和時代の置き土産ある旧道ですからブログにも良く載せるのです。


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