さて数年振りにお袋の従兄は我が家に帰って来ました。最近これまでR48だった仙台は八鍬のルートは今年県道に降格しましたが、そこを通って定義(じょうげ)ルートでした。
これが事故を起こしたF86の同型だそうです。(詳しくは判りません)
航空自衛隊員皆で送ります。
よ~くマスターラインRS36Ⅴの右リヤを見ると遺骨を抱いている姿が判る筈です。これがお爺ちゃんで故人の伯父です。トヨペットクラウンデラックスはこの時は大叔父にバトンタッチで基地を出てからマスターラインの後をついて行きます。
空想の域ですが何となく帰りの方が運転は楽だとは思います。でも3速ではここは登れず2速を酷使してエンジンを相当吹かしてやっとだったのではないでしょうか?
この様に斜めなのかは判りかねますが、当時はガードレールもなく怖いでしょうね。
宮城県側の坑門です。漸く3速かな?
大叔父が運転して、ひいお爺ちゃん、お婆ちゃんが乗っております。「ばんちゃ、これ以上泣いても○○はもう帰って来ない」とでも話していたかな?
昭和47年の冬の話ですが雪女の話です。この頃私はお袋の腹の中でピコピコ動いていたはず。