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Channel: 高村円淨のブログ
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いしゃ先生志田周子映画撮影地

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 6/5のノスタルジックカーミーティングイン寒河江の帰りに親父の実家である西川町大井沢へ行きまして、「いしゃ先生」のロケ地に行きました。
 映画は今年の1月に上映され私は山形県のみ先行上映されたので昨年11月に見に行きました。

 ここにお集まりのみなさんもご覧になられた方もいらっしゃると思いますが、陸の孤島西村山郡大井沢村に女医志田周子が赴任して偏見の中開業した大井沢診療所。昭和37年に亡くなるまで独身で村の(昭和29年より西川町)医療に携わった実話の作品です。
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 閉鎖から50年以上でしたので長年志田家の物置となっており、私も大井沢診療所の存在を知った30年前では、もう建物は存在しないと思って居ました。
 でも現存とはあの豪雪地帯で残っていた事に感動します。
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 この看板は映画化以降の物です。
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 どれだけの方が見たのか気になります。
 実は志田家とは当家も親戚に当たりお婆ちゃん(親父の実母)の分家で映画に出る周子さんの弟さんが伯父の同級生みたいです。伯父にも映画の事知らせて、「そうだったよなぁ~。」と話していました。
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 順調になった戦後でせめて餓鬼大将のシーンがあるかな~?と期待したがありませんでしたが、当時村の餓鬼大将だった元山形大学教授の伯父(76)にも知らせました。むろん親父の実家の伯父(83)にも。
 伯父で出るとしたら長兄の88歳になる伯父の時代かな?
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 どうしてもシャツターが気になるなぁ。
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 時間の都合で大井沢の奥には行けませんでしたが、映画に出る陸の孤島時代(昭和20年以前)はここから数キロ歩いて山越えをして更にかなりの距離を歩き現在の大江町左沢へ行って国鉄左沢線や外科治療、入院の対応をしていました。
 現在は大井沢と大江町を結ぶ長いトンネルがありますが、最近までそれがなく大変な時代が長く続きました。尚5年前に亡くなった伯母(享年87)はこの峠を越えた大江町の外れのM家の本家に昭和21年に嫁ぎました。(現在は引っ越しして別の場所にいます)

 映画にもありますが、外科治療などとなると真冬はそりに患者を乗せて数人で松明を灯して連れて行く必要があり自動車の有難さが感じます。
 なお大井沢地区では少なくとも東京五輪のころまでは自家車がなかったと思います。(ですから映画で私の車のシーンの想定は問題になるのです)
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 親父の実家跡地。実家は平成10年に火災で焼失しましたが、実家があった時代はこの車は1度位しかここには来ていない筈です(或いは伯父が運転すれば別)
 上の写真は実家前から大江町に行く方面の峠を撮影しました。
 大井沢にバスが通ったのは戦後で何度も書いてきましたが、食糧難の時代コメを確保する為に山形駅から直通バスがあり漸く陸の孤島が解消しました。
 


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