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Channel: 高村円淨のブログ
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関山隧道現役当時の写真

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 を発見しました。そもそもこれの最大の目的は山形市と仙台市を結ぶ笹谷トンネルの必要性を訴える山形市が制作した映画です。
 制作は昭和35年(1960年)ですが当時は今もありますが笹谷峠と云うグネグネした険路で、(R286)冬場や大雨等の時は有無も云わず通行止めになります。
 ですから当時の山形はここも険路ではありますが、通年通行可能なR48しか陸路はなく、他の手段は仙山線だけだったのです。
 
 笹谷トンネルが完全開通は昭和56年。更に今も高速道路はありませんが自動車専用道路が本格化したのはバブル期以降の話です。
イメージ 1

 とらっくとらっくとらっくを彷彿させられるトラックです。第一貨物ですから採用トラックは昔から三菱。これはT30系ですがデザインが結構好みです。
イメージ 2
 関山隧道山形側です。写真は舗装路に見えますが当然ここは砂利道。荷物は塩竈から鮮魚を運んでいます。山形と云う土地は漁場が少なく、日本海側に面しており悪天候で漁そのものが出来なくなる事が度々で山形県民が食べる魚は大半が宮城県産の塩竈や松島、気仙沼産の魚となり、今でもそれは変わりありません。 その為R48が断絶されると魚を食べる事が出来なくなります。魚ばかりではなく、この当時は生活が出来なくなり生命の危機に瀕する程です。
 因みに山形で揚がった魚は関東や関西等の高級料亭が大半で市場に出せる量はありません。
 
 他に山形への魚を輸送手段は仙山線利用する行商人(担ぎ屋さん)でした。
 昭和56年まではいかにR48が重要なのかが判ると思います。

 これが大元の映画です。
イメージ 3
 昭和38年当時ここは山の斜面だった。
イメージ 4
 もし写真の様なトラックが前にいたら、関山隧道はローギャー大きく唸りながら登るしかありませんでした。


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