入賞できるでしょうかね??
これも古くからの方は「ま~たか~・・・・」な内容です。でも私はメゲません。「ま~たか~」と何を云われ様書きます。
本来この車は復活の対象ではなかったのです。部品取りでした。だって・・・・一時抹消登録証明書=書類が無いのですから。
発覚は平成7年の春かな?記憶が曖昧です。と云うよりもこういう書類は面倒な手続きが無くとも再発行が出来ると思ったのです。実に簡単に考えていましたが、想像を絶する大変さなんですね。
書類なし車両の登録専門業者に依頼するのも手でしたが絶対にハンコが貰えない人が2人いますから、流石のこの業者さんでも無理でしょう。但しレストアが完成した平成14年時点では2人とも恐らく生存していたとは思われますが、今は一番重要な方はもう故人だろうと思います。
ですからこの頃盛んに個人売買等の欄に「求む涙目テール」を出していました。
当初は半年程で最低1台は見つかるだろうでしたが、これが甘かった。出てきません。
その過程で出た車の1台は今メガウェーブに展示されているであろうあの個体です。今思えばあの車購入してフレーム入れ替えはせずとも内装入れ替えすればよかったかな?でも元がコロシアムベージですから、元色と違うので信義に反して嫌になったかも・・・。
最終的には平成10年までドナーは出てきませんでした。いや、間違ってもボデー入れ替え何て考えもしませんでしたよ。
国家試験のクソ大変な中話は舞い込み、これを逃したらと思いましたので思い切りました。相手も私の事情をよく理解された方ですから特段の配慮をしてくれた事は今も感謝です。特にああだ、こうだは云わず相手に任せておりましたが、社会人となった4月には車検が取れた状態で山形に戻って来た事を先ずここでは記さねばなりません。
実はオールドタイマーの32号のマスターラインの記事が大きなヒントとなったのです。「恐らくそこまで探しても無いならば32号みたいに私が持っている部品取りのフレーム上げるからやってごらんよ、こちらには出来る業者もいるからさ・・・・。」でした。
ベース車は確認はしていませんがフレームは写真ではとても綺麗だった筈です。最初のオーナーが何処の人かは判らないが石油元売り会社の社長が運転手付きで4年程乗った個体でその後整備工場の社長が購入したと聞きました。ですからナンバーは新車時ナンバーではなかったですね。「○5 な 86-20」なので間違いなく昭和30年代登録ではないです。
レストアベースにするまでにかなりの金額を掛けてしまったと云うオチが私の車には付きます。
この時点では細かな車載工具だ、作業灯だとか、取扱説明書等は一切なし。あくまで悪徳中古屋から買ったポンコツ状態です。
良く良く考えれば、錆が少なく、大規模な腐食は無い状態が私の車です。どうせ乗るなら綺麗にして乗りたいと復活当初からの願望がありました。
それにこの車以外もう旧車は乗らない、これ1台あれば他に旧車は要らんと考える様になったので、思い切りました。
私が重要視したのは下回りです。そもそも私は医療従事者ですから、人間の健康の源は足。足が駄目だと長寿は難しいので、可能な限り新品にしました。
それと水、電気、油のラインは手抜きしないも私の考えです。外装は手抜きしてもここは譲れません。
外装は手抜きとしても鍍金はドンドンエスカレートした感があります。ギラギラ鍍金が好きで今のスタイルは独身最後の頃の構想です。
この時判りましたが、アンチモは新品で入手しても然程中古と変わらない状態である事です。むろん見た目はすぐ判りますが、鍍金を剥ぐと想像以上虫食い状態です。これを研磨する業者が先ずいません。ですから○田さんは凄いとなります。
気が向いたら少しずつUPしていきます。