いずれはこの日が来るとは思っていましたがボデーや足回りのレストア後はエンジンは手を付けないとしていました。
その頃まではエンジンはやたらOHするものではないと云う考えがあり、10数年の眠りから覚めたエンジンではありましたが3万キロほどはそのままでした。
お爺ちゃんからエンジンが調子が良い場合でもOHした気動車とそのままの車両を比較したらそのままの車両の方が長持ちしたと云うのでOHは消極的でした。
が、どうやらその考えは命取りとなりました。こちらは前に書いた通り10数年の眠りから覚めたなので、その場合は当てはまりません。
凄い事になっていました。カーボンがびっしりです。
オイルパンの中はヘドロの様なオイルスラッジがありオイル交換は徹底したつもりでしたが、その努力は虚しい物でした。
2番3番気筒が特にひどく、中央からはLLCの漏れた跡がクッキリしています。
シリンダーは良く見ると傷だらけで、STDピストンではスリーブ入れないと駄目な程の摩耗でしたが、STDピストンはなく、1990年のニューイヤーで手に入れた020サイズがピッタリとなり使いました。むろんピストンリングもあります。
バルブはもう磨けない状態で再使用不可能でした。
ここは親戚のタクシー会社から仕入れたバルブでINが社外、EXは純正の組み合わせとなりました。
ボーリングは知り合いが工場長を務める東北唯一のボーリング工場に依頼。
メタルは親メタルは純正、子メタルは社外で入手。何れもイベントのスワップミートで格安で入手しました。確か宮城県北部のイベントだったかな?20代前半の頃でした。
着実に組みあがりました。何だか判りませんがタペットは皆新品に近い状態だったそうです。むろんこの時無鉛対策を施しました。
元はこのエンジンとフレームは整備工場の社長が乗っていた分整備が完全なのかな?
カバーを被せればより完成に近づいた気がします。
実はこのカバーは東京都内の解体屋で程度良い中古部品を販売する会社の倉庫に残っていた1つです。
我が家の車にはこんなステッカーはないし、程度は悪かったですね。
8年5.2万キロ走りましたが調子は良いです。