今年になってからの内部写真が見つかったのでUP致します。思った以上内部損傷が進行していました。
宮城県側は昭和48年に鉄柵、山形県側は写真の様な木柵が平成20年の秋に施されましたが、当時なかった写真左側のがけ崩れが進行しています。
改めて不用意に近づかない方が無難です。
写真左側の壁は30年ほど前から崩れていましたが、更に進行している感じがします。少し奥も崩れている感じがしますが、15年前は崩れて居なかったと思います。
県境付近でしょうか?ここが一番高くなっています。
こんな所でO/Dを作動させたら次の仙台町で・・・・
終点~黄泉の国、黄泉の国~、お忘れ物、落とし物が無い様にお降りくださる様お願いしたします。
鉄柵施してから水が溜まりました。43年になるので今は内部に魚が住んでいるとか。
元々は当時社会問題化していた暴走族が此処でリンチ事件を起こしたので旧建設省が施しました。
ここのイメージ曲はこの曲だな。♪OH、MY~・・・辺りの曲が隧道を出て下りになり、エンジンブレーキを掛けた時の排気音に感じたので。
むろんこの時代は私の車はバリバリ現役で大叔父がしばしば特に夏場運転しました。むろん我が家も運転しましたがそう年中ではなかった。
今も課題は残りますが山形県は縦軸の交通網は強いが横軸(仙台方面)は最も命に関わる重要度なのにかなり弱い。(ここがヘンだよ山形県の本では触れられてはいなかったが3.11では課題になりました)
これが有るから、次に紹介する車と同じ値段になってしまいました。
クラウン8は発売して直ぐ我が市にも1台ありました。現市長のお父上が購入されました。
当時を知る社員の話ではクーラーは無かったそうで、この頃でも我が家の車位しかクーラーは無かったと思われます。
でも当時は国道は整備されておらず、山間路ではクーラーは使えないので余り意味がないかな?
他にT木工(宮内庁に製品を納めた有名な工場)は同じ年に64年式のRS41Cを社長が購入。(同級生のお爺さんです)昭和43年に手放し紆余曲折を経て仲間の車のボデーになりました。