昨年クラウンは発売60周年を迎えましたが、今年は47都道府県のデーラー1軒につき1台の初代~7代目までのクラウンをレストアして元町工場と東京を往復する試みが話題になりました。
今回は山形県から出た初代クラウンについてUP致します。
山形県からは1959年式のRS21
これは昨年トヨタの展示会で初めて見ましたので、一寸大変になりましたがイベントリポにUPしました。
非常に状態が良く、恐らく日本でもこれだけの状態となると数台しかないレベルです。もう一台RS31が山形5ナンバー付であるそうですが、こちらも相当状態が良いそうです。
唯残念なのがフォグランプが無い事。これは時々ヤフオクに出ますので、純正ではないけど部品メーカーの社外品が出るから頑張って欲しいですね。せっかくステーが残っているんですから。
車両本体の取扱説明書は無いみたいですが、それ以外は残って居ますね。ウィンドーウォッシャー、ヒーター、ラジオが有るみたいです。それと手前の水色は山形トヨタで発行された登録手続きの書類です。これは凄いな!
因みに後でUPしますが、山形トヨタで販売した車両である動かぬ証拠です。
これを見ただけで、相当程度が良い事が判ります。何処かの涙目RS41は全て紛失していましたので、このRS21よりは状態が悪かったです。
山形トヨタのリポを見ましたが、具体的なレストアは判りませんでした。オーバードライブの構造に感動した様子ですが、どの程度の修理したのか不明です。
初代クラウンのオーバードライブの肝ゼネレーターはタチ悪い構造ですから・・・。あっ、でも壊れていないならば修理の必要はないか。
東京に集結した歴代クラウン。
山形トヨタで購入ではないけど、整備は昭和61年までは(62年5月車検切れ)山形トヨタの近所の営業所で整備しました。現在は大手書店になって居ます。
さて山形トヨタのリポは
2代目クラウンに関しては丸テールまでのモデルは埼玉トヨタだけで、シングルナンバー付の珍しい個体ですが、他はMS41ばかりでした。この記事をUPするきっかけとなった秋田トヨタではMS41F。
その原因は基本的に昭和40年代初頭までのクラウンは新車から4年で多くが手放され、その後免許取立てのドライバーか、何度かUPした「見栄張るクン」(私のRS41みたいな車)が購入します。
見栄張るクンは別として、免許取立てが乗ると結構あちこちぶつけ程度が悪くなり、そのうち快適装備が壊れます。登録から6年を過ぎると大部分が姿を消します。
見栄張るクンはそう多くはないけど彼等とて銭が掛かってどうにもならなくなり結局は8年までには手放します。所詮金持っているフリしたい連中ですからね。
大きく減らしたRS41ですが次は車検が減らす関門です。平成7年6月30日までは車年齢10年を超すと1年車検でしたから、幾ら大切に乗って来た個人オーナーでも金が掛かるし、古いので手放したくなります。
それと法人オーナーの場合(トランククーラー付が多いでしょう。他に官公庁も)故障リスクから長くともここまでには手放しますが、10万キロを裕に越したポンコツになり即解体行きです。
当然此処まで来ると商品価値はゼロ。程度が良い、悪い関係なく解体となりますが、程度が良い個人オーナー車両は昭和50年頃から始まったセミクラシックカーブームで特にRS30系のドナーとなった1963年式(涙目)40系が結構ありガタが来たRS30系は40系の程度が良い個体をドナーにして生き返ります。それで30系はやたら残存率が高いのです。
何度も書いていますが我が家のRS41も親父が万が一私と同じ技量だったらほぼ間違いなくスクラップでしたし、実は更に危険があり親父の持参品にH230セドリックが入る予定でしたがクラウンを運転できないからセドリックを断ったしその金でカローラを即購入したので生き残れました。多分我が家のクラウンは9年出し、田舎だからセミクラシックカーブームには関係ないから解体屋へ送られたでしょう。
兎に角現実的に運転が苦手な親父だったからRS41が生き残れたのは事実です。でも親父が運転しないならRS41は更に綺麗だったと思います。
まずこういう事情があるから丸テールまでのRS40系は生き残れないし、昭和末期でも余り残って居なかったのです。RS40はそもそも4年でタクシーとして使われ寿命を迎え、マスターラインは皆私が生まれた頃までには高度経済成長期の酷使で全て溶鉱炉に放り込まれます。
参考まで自動車の火葬です。カーベキューと云われました。恐らくマスターラインもこうなった筈。
火葬中。余計な樹脂やビニール、布類を燃やして鉄だけにします。
遺骨。因みに昭和53年遊びに行った農協自動車整備工場でスバル360カスタムとかサニーB10の初期型を燃やして鉄屑にしていた所を見まし手、ショックをうけました。やはりこんな感じでしたね。