止む無く落札した旧車カタログの1つパブリカUP10Dについて私見を書きます。
ご案内の通りUP10は昭和36年6月に発売されましたが、販売はイマ一つで翌年にパブリカ朝日でデラックス仕様を販売したら結構売れたと云う事で昭和38年8月にデラックスを発売その後当初の販売目標を達成したそうです。
で、実はパブリカのカタログを落札したのには訳があり1964年式まではコロナ、スタウト、ボンネットトラックまでは揃えておりパブリカもと心のどこかに有り、タマタマ落札していない角テールのクラウンカスタムを発見したので、そのついでがパブリカでした。
結果はクラウンカスタムはバブル期から見たらタダに近い価格で、パブリカもその頃から比べたら不当な安さでした。でも最近の落札相場にしては若干高かった価格でした。(クラウンカスタムは最近の相場で考えても安い)
64年式でしょうか?UP10Dの写真を拾いました。
昭和30年の国民車構想の中で生まれたパブリカ。この構想は「お上が下々にも自動車に乗る喜びを与えたい」と有り難い構想と云われていますが実はその前には自衛隊の発足、破防法制定、造船疑獄等戦前の政治に逆戻りをしそうな感じの時代で、国民の目を自動車に向かせようと考えられたとも云われています。
YOUTUBEより当時のCM.
安っぽい実用重視の自動車は売れない。大衆車でも豪華な仕様でないと駄目だ!を痛感させられたパブリカ。これがサニー1000なりカローラKE10が生まれる原動力になりました。
私は良く思いますが、戦後未だ20年にならないこの時代オーナーの多くが戦場や空襲から命からがらに生き残り、必死に働いて細やかな贅沢としてパブリカデラックスで近場の海とか川原にピクニックに行こうと考えていたのではないでしょうか?
このCMでもそれが感じます。
会社がOFFの日曜日家族みんなでニコやかに出掛ける姿がこのパブリカには見えます。
それにはラジオが有るだけでも相当な贅沢でデラックスとは云えホワイトリボンにメッキパーツそして素モデルよりやや豪華な内装の車に乗れるだけで大変ご機嫌だった事でしょう。
かけ蕎麦に刻みアゲを載せた感じのデラックスが私はたまらなく好きです。そして金が有れば生卵(デミコンやフォグランプ、ラジオ)を奢ったのでしょう。
因みに私の親父は月から土曜日までは19時~20時帰宅で日曜日は午後から休みでしたので、日曜日の午後は特別な時間でしたね。