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Channel: 高村円淨のブログ
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第18回オールオッズ参加受理書届く

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 昨日来る9月27日に行われるオールオッズ参加受理書が届きました。今年はブログ仲間からの参加は有りませんでした。シルバーウィークの影響もあり、お仕事の残務も多い方が多いらしいです。
 実は何名か前日お会いしたいと誘いましたが断られて後になりシルバーウィークの影響に気付いたのです。私の場合余り影響がないのでノーテンキだったのです。
 唯同じ1963年式RS41乗りが居るのでその方と会う予定は有りますが、結構遅い時間です。
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 ブログに関係なく当日参加で会う事を楽しみにしている方は数名居ますが、共通して車を間近に見るのは初めてです。どんな車が登場するか楽しみです。

 整備は9月3日にしっかり行い万全です。オーバードライブもR112走行で入念に試験しましたが、きちんと作動してキックダウンもします。


R112の歴史

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 折角旧朝日村の田麦俣に行きましたので、多層建て民家の2軒を紹介しましょう。
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 六十厘越ことR112の歴史です。丁度内陸の現寒河江市や西川町と鶴岡市(旧朝日村)を結ぶこの地は重要なルートである事が此れを見れば判ります。
 前回クラウンRS41で紹介した同級生の父親はこの峠の研究会会長です。

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夏場に紹介した旧名川隧道を抜けてスノーシェルター部分ですが、私が特に強く記憶している所なのでUPしました。此処を走って居る時呑気に「ヴァケーション」を口ずさんで弁当を食べていた時大型トラックがギリギリに迫って居た事は37年経っても忘れられません。


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庄内方面に行ったのは1回位かな?あの当時未だあちこちで茅葺屋根は見られたのかも知れません。
今では茅葺屋根は桁外れに高い金が掛かります。

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R112と云えば戦後すぐGHQが石原莞爾を監視する
為山形市からこの六十厘越を経由し鶴岡に向かって居ました。その道中の大井沢で元山大教授の伯父と亡くなった親父はGHQのジープを止めては「ギブミーチョコレート」をして彼等は「乞食の餓鬼へ餌をやる!」と云う感じでチョコレート、ビスケット、ガムを渡して居ました。
伯父は村の餓鬼大将ですから帰ってからお菓子を分けます。その伯父も75歳を過ぎました。



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クラウンの撮影で出したお宅。

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そのお宅には貴重な蛋白源となる鯉を飼う池が有ります。豪雪地帯なので水には不自由しません。大井沢を始めこういう土地では何処の家にもこういう池が有ります。無論親父の実家にも有って鯉が泳いで居ました。

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此方のお宅は屋根の葺き替え途中でした。



憧れの郵便馬車の収録

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 この歌は岡本敦郎さんの歌で、意外に知られて居ません。結構好きな歌で秋となれば歌いたくなる曲の一つです。
 さて、この歌は昭和26年の本日レコード収録が行われ、歌詞に♪「ほら、ほら、ほら、ほら~や~って来る」がありますが当初は「そら、そら、そら、そら」だったのです。この日急遽ほらに変わったエピソードが残されて居ます。
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 昭和26年と云えば関山旧道の遺構「かつらざわ橋」が5月に竣工され、イメージとして当時此処を郵便馬車が走ったイメージが有ります。(実際は存在しないし、関山はキツかったでしょう)
 YOUTUBEにありました。此れが初期のレコードと思われます。

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 R48旧道を走るとこういう綺麗な田園が見られます。東根市関山下悪戸。
 昭和43年9月には現道が出来ますから、それ以前よくこの車は走りました。


幻の東京駅構内タクシー

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 このミニカーは2012年に発売され、気が付くと売れ切れ&製造廃止となって居り、ネットであちこち調べるが直ぐに売れ切れて諦めて居ました。いや、ず~っと品切れで出ているのです。
 果たして本当に販売した物なのか?ヤフオクにすら出てこないので試作品ではないのか?そう思って居ましたが数日前思わぬ値段であるミニカー店のHPに「NEW」とあり、他にもう一軒少し高い値段で有ったので、安い方に連絡。お買い上げとなりました。
 翌日もう1台少し高い値段で出していた店のHP見ると
もう「品切れ」となっていました。
 ミニカーの鉄則、タクシーは直ぐに売り切れとなる、大盛屋のRS41東京駅構内タクシーは50万円と云う相場が有るらしく驚きます。
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 これが箱です。「ク」が白くなって居ますが、これは撮影に失敗したからです。ヤフオクに出すならやり直しますが、そのつもりもないし、ピンク怪獣が活動中なのでこのままです(笑)
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 フロント。此れもボケましたが、売る気はないので。
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 私は出来る事ならばトミカみたいに「日本交通タクシー」からーだと良かったナァ。でも他のモデルは60年代だと全て東京駅構内タクシーで70年代は当時の個人タクシーみたいな色です。
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 リヤから。きちんとバックレンズまで再現
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 ブリキ、ミニカーどれもデラックスをベースにタクシーやパトカー等を作ります。玩具に見られるお愛嬌です。

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 確かRS20型単独販売が有り、パトカーと消防指令車が有った筈。
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 以前から思って居ましたが、「東京駅構内タクシー」は本当に存在していたのでしょうか?写真で見た事がないのです。ご存知の方教えて下さい。


スチューベンと巨峰のジュース

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 クラウンが有る側の巨峰の大半が色が入りません。概ね7割どまりですが、5割どまりをジュースにしました。
 他にスチューベンは房の上に部分は黒いけど、下の部分が青い物もあり、これらの良い所を集めてジュースにしました。

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 巨峰とスチューベンです。
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 一先ず全て洗いまして。
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 色付きのいい部分を集めます。水等は一切入れません。
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 コンロに掛けて、葡萄の水分からジュースが出来ます。
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 10分ほどでこれだけ出ます。注意点は焦がさない様に良く観察します。
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 お湯切り網からクズが入らない様に瓶に入れます。
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 今回はジュースにならない青い部分と共に玉葱の植え穴に入れて来ました。

構内タクシーとは?

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 正直な話東京駅に限らず構内タクシーって何だろう?と云う疑問が湧きました。何分この手の玩具は高価で縁遠く余り考えては居ませんでしたが、この度縁あって色々調べて見ました。
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 先ずこのボデーカラーが実在したかどうかは判りませんし、今の所玩具の世界での色であると思います。
 で、構内タクシーとは?国鉄時代駅の構内に乗り付け出来るタクシーの事で、各タクシー会社で信用できる業者に一定枠乗り入れを認めたタクシーとの事。
 構内指定車輛でない物は駅に乗り付けは出来ないシステムでした。(この玩具の様なカラーが実在したらこの車両以外乗り付けは出来ないと思われます)
 タクシー会社のとって構内指定は会社のステータスだったと聞きます。=国に信頼を受けたと云う事ですね
 尚此のカラーが実在したとしても、営業はフツーに出来ますし、例えば営業管轄内で駅以外でお客を拾って営業は出来ます。あくまで国鉄駅構内には入れますの意味だそうです。
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 昭和39年頃のタクシー写真です。「品5」ですので、39年11月(一説には9月25日)以前のナンバーですから玩具の年代が該当しますが、構内タクシーカラーではないですね。グリルの左側のバッチが構内タクシーの証です。個人タクシーなのであの色ではないのでしょうけど、本当に存在したのか疑問は未だ解けません。

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 全国共通なマークなので拡大版がこの写真です。
 多分申請が有った時、先ずは助役以下が審査して決済ハンコは駅長がしたでしょうね、お爺ちゃんは私の愛車を入手した時山形駅助役でしたので審査していたと思います。
 お爺ちゃんは駅長推薦されたが、体が弱かった事と余り人前に出る事が好きではなく裏方に徹する人でした。
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 参考まで何処かの地方駅でのショット。こんな感じで停車し客待ちが出来るのが駅構内タクシーです。

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 参考、カタログ最初期(昭和39年3月~5月初め、5月中頃~8月の2種類あり)
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 39年9月~40年6月まで。このカタログ中々出て来ません。オークションでとんでもない値段まで跳ね上がりました。

運行前点検

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 何も遠距離のイベントに行く時ばかりでは有りませんが、運行前点検を密にしました。

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 必須点検がオイル。未だ交換から間もないのでオイルの新しい色です。
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 きちんと4Lに入って居ます。
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 LLCは指を突っ込んで第一関節が完全に水が浸る所としています。これもOK。
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 高速走行なので空気圧は高めでOK。
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 ウィンドーウォッシャー。此れは雨でも殆ど使った記憶がないですが、一応。それとブレーキ&クラッチフルードも交換したばかりですが漏れて居ないか点検。無論OK
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 今は漏れては居ませんが、暖気中漏れて居ないか点検をします。OH以前ポタリ、ポタリがあり、その時の汚れです。OH後は漏れる事有りません。
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 本日は11時頃出発予定です。宿泊先は横浜なのでどの位の距離か測ってみたいと思います。

まずは

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 東京から無事山形に帰宅できました。又会場で会いましたブログ仲間の皆さん、40系オーナーの皆さん会えて大変楽しく且つ有意義にこの2日間過ごす事が出来深謝申し上げます。

 私はお台場の会場を14時45分頃出まして、やや迷ったが15時5分頃に首都高に載り、東北道、山形自動車道を走り自宅には途中の給油、食事を含めて21時までには到着できました。
 丁度5時間後の20時5分には部下のお宅が近い某ICに付きやはり栗子峠経由と比べると1時間~1時間半は早く着く事が今回実証されました。
 正直書くと今回首都高小菅には何としても16時前には着かないとヤバイとは考えて居ました。何分デズニーランド部隊が危険な運転をやらかして事故に遭う確率が16時~18時は多いとみて居ます。私自身も首都高はイマイチで怖いので余り利用はしたくないのが本心です。然し載らないと渋滞に巻き込まれ更に最悪ですからね。
 
 未だ30になる少し前ですが、畑に有るクラウンGS130で赤坂等古い自動車部品屋さんで部品漁りした頃夢中になって17時45分頃に小菅に入りエラく恐ろしい目に遭ってそれ以来デズニー部隊には注意しています。その為話に夢中になり慌ててしまった所は今回有ります。

 暫くオールオッズ等の写真が中心ですが今日は先ずは挨拶としてこの様な記事をUPいたしました。
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 前回の六十厘越です。
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 東根市関山悪戸の田圃。もうすぐ新米が食べられます。

 今回は走行シーンに力入れてイベントがやや徒になった感があります。
 紳士淑女の皆さんはこういう馬鹿なボーズの真似は決してしないで下さい。


オールオッズ出発

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 今回新規ルートでの走行を考え、一体どの位走るものか?と思い又ブログを始めたので折角なので撮影し記録する事としました。
 山形を11時頃出発します。
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 出発直前のメーターです。オドメーターは30㌔を指して居ますが給油してからの距離です。
 今回のルートはR13、山形自動車道、東北道、首都高、横浜公園に到着します。(宿泊は横浜市中区内)
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 第一回目の給油です。上河内のパーキングエリアに出光があるのでそこで先ずは給油。
 基本的に出光以外この車に13年間給油していません。でも最近出光の看板出しても必ずしも出光の石油ではないと知り入るタンクローリーのチェックが欠かせません。
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 此処は出光ローリーなので先ずは大丈夫でしょう。
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 時速は100㌔程で走行し山形道も使ったのもあり、結構早い時間帯に東北道の3車線の場所に着きました。
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 利根川上を走行中。間もなく首都高です。
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 東北道を走行して唯一見かけた古いです。これ以外全て3ケタナンバー、10年に満たない年式の車ばかりでした。恐らくこの車のレストアが完成した平成14年式以前は大型車が殆どで、大型を入れても私が走った時間帯は全体の1割強位かな?と思います。
 ナンバーを付けた平成10年となると大型以外先ず有りませんね。
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 横浜に向かう途中何本かあった海底トンネル。
 実はこのトンネル走行で悲劇が待ち受けて居ました。
 意外に暑かった事もあり窓を開けて走りトンネルでも煤煙を吸った事もあり、喉がやられ「ハスキーボイス」になってしまいました。クーラーは高速走行では故障の原因になり使えません。

クラウンミーティングIN大黒

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 を急遽行いました。市内の夜景撮影するにしても難しく大黒ならばもう少し綺麗な写真が撮れるとなりミーティング行いました。
 いゃ~、若い衆が結構沢山集まって居まして、皆さんよ~く見て行きました。まさかこんな古い車に若者が群がるとは思いませんでした。
 この時点で喉がやられ本調子では有りませんが、若い人に少しでも旧車の魅力を伝えられたらと思いました。大黒に居る中で私等中年はお年寄りですね。(笑)
 若者たちよ年寄は悪い事は教えません、年寄の話を聞くと得しますよ。
 若者の車離れの話を聞きますがマダマダそん気配は感じません。
 意外性を感じたのが「あられちゃん」に似た彼女を連れたアンちゃんですが、あられちゃんが「クラウンが好き」との事、アンちゃんはプレジデントでも252系が好きとの話。こりゃ~良いですナァ、
 爺さんは「わしは昔プレジデントの150に乗って居たゾ、あれも良いゾ。ホイールキャップ1枚取って置いて居るべ。わしももっと元気ならもう一度250系含めてのりたいのぉ~」と話しました。
 私も旧車をサラリとカッコよく乗りこなす爺さんになりたいです。

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 ノスヒロ164号に出た1963年式RS41Cと。
 とても素性が良い車で歴代のオーナーが大切に乗り、整備担当者もずっと同じと云う素晴らしい車です。隣の黒とは違い喫煙歴もなく運転も整備点検も神経質なオーナーが乗りました。
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 夜の撮影は中々難しくやっとこれでした。体調不良も重なった事も云い訳とさせて頂きます。イメージ 3
 キミは見た事あるか?これが新車当時のエンブレムカラーだ!凄いですね。
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 フロントバイザーは私の車に50年近く付いて居たものです。お爺ちゃんや大叔父、伯父そして親父が完全に禿げる前もこのバイザーは見て居ます。
 それと私が生まれた済生館病院から出る時も。

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 少し上達してリヤ。
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 仲間もカーテンを付けました。初め写真取り込みの時「あれ?間違えたか?」と思いましたが、大きさで気付きました。
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 実際は東京トヨペットで購入では有りませんが、   昭和40年以降のステッカーです。そして完全オートマチック以前のトヨグライド。こういう生き残りは3台確認しました。

クラウンミーティングIN大黒その2

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 さて、日中撮影だとより良い写真をUP出来ましたが、ノスヒロ164号に掲載以降変わった点で目立った変更点の一つがフォグランプ。
 他に漸く手に入れたトヨグライド車用のヒーターバルブに交換した為にオリジナルのアクセルリンケージに戻せた事が挙げられます。
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 フォグランプ。私の車と比べる為に写真を繋げて見ました。本来のステーを装着すると、結構内側に装着する事となります。
 何故なら本来のステーはバンパーの内側のねじと共締めになるからです。
 RS41Cオーナーの場合50系用を入手したが、ランプその物は40系と共通であるが、ステーが違う作りで50系だとバンパーに噛ませる作りで、新たに50系用ステーの下に自作のステーを噛ませる必要があるそうです。
 メリットは取り付け位置が自由である事ですので、トヨグライドのエンブレムがオリジナルではフォグに隠れてしまうので目立たなくなるが、此の位置にすると其れが解決する事ですね。
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 オリジナルは○Mと書かれたSWですが、50系用は黄色いヘッドランプマークがSWとなります。

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 トヨグライド車の違いについて

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 ブレーキマスターシリンダーだけになります。クラッチシリンダー取り付け位置はMT車が中心の時代なので、モロに判るメクラ蓋みたいな物が付きます。
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 トヨグライド車用のヒーターバルブ。どう足掻いてもMT用を改造して取り付けは出来ず、完全専用品です。実は前オーナーが運転に神経質で、アクセルリンケージを改造してこの方が運転しやすい作りに改造したそうです。それに伴いヒーターバルブは何も問題は無かったがオリジナルが取り外されて別物になっていました。
 車歴として、新車時は某会社の社用車でその運転手が新車から3年で代替え時この車を購入し本人が亡くなるまで乗った車で次が新車時から整備した整備士だが、殆ど乗る事が無かったとの事で事実上社内ドライバーが前オーナー状態です。
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 MT車はこうなります。此方は前オーナーは別に車に対しては興味関心が無く、仕方なしに長く乗り続け、2代目オーナーが大事に乗ったそうです(笑)


RS41総決算

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 レストアが終わった当時からずっとこの1年でどの位の距離を走って、幾ら掛かったか税金を含めて計算しました。1年間の総走行距離は5586㌔で掛かった費用を割ると1キロ辺り53円08銭と出ました。
 過去にない安さです。要因は車検が無かった事と余り走らない上、ガソリンが安かった事が挙げられます。特に仙台市街地に昨年以降行きませんでした。此れが走行距離が低くなる要因です。
 
 まぁピンク怪獣の飼育でとても市街地まで買い物と云う訳には行きませんでした。
 本日はRS40系の大きな見分けポイントフェンダーミラーをUPします。
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 右のミラーです。上が昭和38年5月中頃までのミラーで、私の車はそれ以降なので最終型までこのタイプとなります。
 注意点としてミラーバイザーは標準では有りません。

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 左ミラーです。大黒ではアンちゃんが「ミラーがフェンダーギリギリまで下がるとカッコいいんですよね~。」と云って居ました。
 オーナーのOさんは「見栄えは良いけど使いずらいんだよね~」でした。実は私もその昔此のミラーを手に入れましたが使いづらくて程なくして今の物に交換しました。でも実際は此のミラーは新車時から付いて居ませんでした。


クラウンピクニックへ参加

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 さて、横浜のホテルを出て出発前の走行距離を調べるとこの距離でした。但し横浜市中区はガソリンスタンドが過疎地なのか、スタンド自体中々無い上、出光スタンドが全く見当たらず昨年は他のメーカーを入れましたが今回は大黒へ行く前に時間があったのでテキトーに探し回ったら1軒見つかりそこで給油、更にホテルが何処なのか判らなくなり、若干ロスが出たので距離が嵩みます。
 驚いた事にホテルに車の乗りつけるスペースが有るのが当たり前と思って居ましたが、宿泊先はナント其れが無く駐車場探しで苦労しました。
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 昨日からの走行距離は461㌔でした。
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 首都高湾岸線を走ります。此処までは鼻歌混じりでした。
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 この橋付近で
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 多分参加者と思われる車と遭遇。ラッキーと思いついて行きました。が、昨年有明のICが判らず又気が付くと突然有明方面への案内看板が出て曲がれなくなり仕方ないから銀座、箱崎方面へ行って湾岸に乗って有明で降りました。
 今回この車は有明の手前の何とやら?と書いてある看板方面へ行ったので「違った」と思いましたが、どうやらそこが会場へ近いICみたいでした。お台場のお馴染みの風景だったので。
 有明の看板に向かうと・・・・何と昨年同様お台場には着きません。どうやらあの参加者が下りた所が正しいみたいでした。
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 仕方ないのでベイブリッジから昨年同様の銀座、箱崎方面へ行って有明で降りるしかないと判断しました。
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ふざけた作りだ、コンチクショー!と思い、ベイブリッジを走って居る時撮影。やはり横浜から有明に行くには遠回りでも銀座方面から行くしか今の所無いですね。
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 更に其れが尾を引いたのか、会場に行くまで相当迷いました。昨年と比べ工事個所が多くやはりお台場も東京五輪に向けて工事が進んで居ます。青海駅が判らなくなり、此処でもロス時間がでました。

ムーンで仕上げた1963年式RS41

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 今回のオールオッズで一番の楽しみが今年2月ムーンアイズで仕上げた1963年式RS41でした。
 行くまでは「多分F県の1964年式(昭和38年末製造)のエンジン載せ替え個体を涙目風にしたのだろう」と思い込んで居ました。
 ワクワクしながら車を観察しました、すると・・・・・

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 ここから見る分にはビシッと仕上げられたRS41です。
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 シルバーのボデーカラーは1963年式に関しては存在しないカラーです。
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あ~ら、勿体ない、程度良いリヤガーニッシュなのに「E」が外れかけている。
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この時点では程度良い個体だナァ~でしたが・・・・
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 このフロントガラスを見て過去を暴きました!よ~く見るとガラスに傷があり、そこで判りました。
 実は私の仲間でもあったIさんの車だったのです。3年ほど前の時点で手放したいと話が有りましたが、何とか昨年まで持ち堪えたのでしょうね。
 
 でもこの車道理で程度が良い訳なのです。1963年式RS41型でこれだけ状態が良いのはあと1台高知県にある1台だけでこの展示車の次に私の車は程度が良いのです。
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 このマークのフロントガラスを私は探して居ます。
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 リヤのウィンドー。G2になっていますが、私の車も同じウィンドーです。防犯上車体番号は書けませんが、昨年のオールオッズに参加した時メガウェーブに行ってRS41の車体番号を確認したら私の車とほぼ同じ時間帯に作られたと判り平成10年辺りまでだと昭和38年5月18日製造が4台残存していると書いた筈ですが、4台のうちの1台が此れなのです。

 奇しくも本日私が知り得る38年5月18日製造グループがこのお台場内に3台(4台)集まったので非常に感動しました。

 此れは後半になって書きますが、メガウェーブは見学して来ましたが、特別展示が有って私が購入検討しようとした車が今回は見る事が出来ませんでした。でもお台場内には有る筈。
 無論特別展のRS41もきちんと撮影しました。


ムーンのRS41をよく見ると

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 鍍金類は殆どが再鍍金みたいですね。鍍金を施した所を紹介しましょう。
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 ライト枠。私も新車時パーツをこの様に再鍍金しまいsたが、どうも違和感が有り結局は手放す事となり今の枠になりました。初めは良いけど段々違和感が出てきます
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 ワイパーブレード。明らかに鍍金しています。本来は鍍金はしない方が良いのです。どうしてワイパーが黒になったのか理解すれば余りこういう事はしません。
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 オリジナルのNDマークです。恐らくは新車時から同じワイパーアームだったのでしょうね。
 私の車は既に非オリジナルで訳の判らない社外でしたが、アームが立つタイプで最近までそのままでした。
 使い勝手が良いので非オリジナルでも構いませんでした。
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昭和46年~48年の初めまで流行った羽根つきブレードです。トヨタ純正なので補給品かMS60系からのてんようでしょう。私はこのタイプのアームが好きです。
 然し純正の方がブレードゴムが手に入りやすいので純正のままなのです。(ヒントはうさちゃん号)
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 ウィンカーのカバー。アンチモですので再鍍金が難しい。もしかしたら未再生か?
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 ナンバー灯。此処も未再生の感があります。材質が薄くて大変かな?
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 単に此処の鍍金をUPしたかったのではありません。上手く撮れませんでしたが、ウェザーストリップが無かったのです。マトモに車内が丸見えなのです。恐らくこの車雨天時は走れないでしょう。
 直ぐにビシャ濡れとなります。


うさちゃん号と

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 5000㌔の差が出ました。どう頑張ってもうさちゃん号より多く走る事はないでしょう。
 と云うより走行距離が8万キロになったのでUPしたのです。

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 タイミングベルトは10万キロの頃交換で良いと主治医よりあったので10万キロ近い時ウォーターポンプとベルト類は確実に交換します。多分計算では4年後かな?
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 うさちゃん号。購入から8年です。

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 最近のY30。バンパーのワックスが禿げて元のグレーに戻りました。別に修理や交換の考えは有りません。
 リヤの左三角窓に注目!
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 オールオッズナショナル2015でMS50オーナーズクラブの会長より参加者全員にプレゼントされました。
 「本当はクラウンGS136Vが狙いだった!」のもあり貼りました。
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 ホイールキャップはMS105用。かつて乗っていましたので。


ムーンのRS41前の姿、タテグロ

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 前回紹介したシルバーの1963年式RS41ですが、入手当初はこんな姿でした。
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 この通り非常に程度良い個体だったのです。黒塗りでこれだけ良い車はそうそう有りません。

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 トランク内装も此れだけ良いのは少ないです。
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 同じ日に製造した事は判って居ます。
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 Iさんの話では以前北海道に渡った事有るそうです。
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 さて、ブログに有ったPA30。再鍍金でこれだけ綺麗になりました。
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 リヤ周りも綺麗ですね。

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   システム故障。文字が大きくなりません。

  やはりヤフーボログ!ひっぱり屋さんの云う通りです。



自宅前の畑

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 葡萄園がある畑の秋冬野菜栽培は断念する決心が付き、大根の一部ともってのほか菊だけの栽培として、今後は自宅前で野菜栽培、玉葱を葡萄園の残りで栽培する事としました。先ずはその準備等です。
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 玉葱を少し此処に定植します。
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 肥料を施して土を掛けて玉葱を植える準備をします。予定では10月10日以降です。
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 郵便局企画の秋刀魚対応の大根。何だか余り育たないナァ。先ずは追肥。
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 後植えしたホウレンソウは此処まで育ちました。
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 別のポイントです。
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 さて雑草などを積み上げて居たら、良い土が出来たので肥料を入れます。一冬仕込んで来年の肥料にします。
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 こんな具合に。今後は野菜の中心が自宅前の畑ですから自宅前でも肥料づくりを本格化します。

ムーンのボスの車

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 10年程前のクルージンで、「これ1台あれば他に車は要らない」と云う程の惚れようのRS46Gです。
 クラウンピクニックに参加すればしばしば目にしますが、それ以外は余り目にしません。
 そんな訳で普通のマニアは注目しない部分を今回撮影しました。
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 この程度ならば良く撮影するアングルでしょう。
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 元はコロシアムベージメタリックと云うカラーでした。其れを昭和63年までにはこの色になり、この状態のままボスは購入しました。
 基本前オーナーが製作したままの状態でボスは「ちゃんと走る様にしただけだ。」との事でした。
 更に初代オーナーは病院が所有していた話ですが、結構大阪方面の病院でワゴンが採用されて居ます。これ意外でも結構ワゴンカスタムの初代オーナーが病院オーナーの話を聞きます。

 それとマフラーにはムーンのマフラーカッターが付いて居ます。此れは同じ物を私も付けて居ます。
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 以前ボンネットの中を見せて頂きましたが、車体番号から昭和38年の7月末~8月半ばまでの製造でした。
 でもガラスは「G2」とあります。これだけ後期でG2は珍しい。或いはマスターラインとは違い合わせガラスなので、余り部品がはけずG2がこの時期まで残ったか?
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 こちらはG3ですが、RS46-****がないので昭和38年の7月以降ですね。
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 ワイパーブレードはNDマーク入りです。
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 アームも同じくNDマーク入り。これには驚きました。
ヒーターグリル(右側)は鍍金が施されて居ます。

 因みに此の車は昭和63年までは「大5ナンバー」でした。う~ん、結構昭和63年前後は私の車もそうですが31ワゴンさんの神戸5シングルナンバーが消えたり,現役を引退が目立ちました。

ムーンのボスの車 

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 車内はこの様な仕様になって居ます。黒い部分を白にした様子ですね。
 実はボス、オーバードライブで大変苦労されました。丁度10年程前ですが、確かクラウンメーンさんの愛車を見に行き門司のイベントにも自走で参加された筈です。
 その道中オーバードライブが故障したとブログに有ったのです。数年前まで作動するまでは回復したが、どうも安定しなかったそうで、私が経験した40㌔とか60㌔と云ったバラバラな時期にONだったり、アクセル操作してONの時期に入れてやるをしないと作動しないがあったそうです。
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 このホワイトカラーは多分ボスのセンスかな?確か前オーナー時代の写真は黒でしたから。
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 やはり梨地加工は難しいですね。どうしても全面鍍金にしないと駄目だ!
 ライトは東芝ですが右側は現行の小糸でした。確かこの時代は左右メーカーが違うと球の寿命が縮むと聞いたけど・・・・???
 でもメーカーが違うと車検が通らなかったのは確かで解体屋でもライトを買い求めるお客が結構いた記憶があります。
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 ボスに大分後になって話ししましたが、オーバードライブの弱点、オイルシールですが安定しないときはゼネレーター対応しか話して居らず、今後再び不調となればこのオイルシールの劣化、衰損が考えられます。此れはメーカーからは手に入らず、当方が自作しました。
 結構オーバードライブの要ですので、不調原因の半分は此処だと思いますので、ボスの車に不具合出たら私までと話しました。
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 こんな規格品みたいな物ですが意外とネックになります。これを交換すれば相当良くなりますよ。
 因みに私の車もそうですが、ボスの車もオーバードライブは全バラして居ります。
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 ボスの車とⅠさんの元愛車を並べて展示していました。次は参加者の車の中では一番古い私の車をUP
予定です。
 Ⅰさんの車ですがオーバードライブは快調だそうですが、いずれはシール劣化で不作動となる日が来るでしょうが、その時はお任せください。
 何分あの車私の車と同じ日に製造したので。

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