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みさと公園のイベントに

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 ダットサン123トラックが参加していると知り丁度このトラックが復活して5年。又私が発見から33年となり書いてみたいとなりUPしました。
 
 ダットサントラック123型は実働となるとあと1台有るらしいですが、新車時からのナンバー付となるともう此れ1台しかありません。もう1台東京ナンバーの個体が有ったのですが、放火されて相当前に廃車となりました。
 こんなに貴重と知ったのは30歳前後の時期ですが、それまではもっとあるだろーでした。
 
 33年前を振り返りますと今だから書きますが発見した時私は9歳で、当時叔母が山形市本町に有る山形グランドホテルに勤務して居り、食事をしようとなりホテルの裏手の狭い路地からお客様駐車場に入ってしまい、その時発見しました。その時点で現役引退から3年でしたが、隣にはベレットSTDがあり(こちらは現役)古い車が2台有るなぁと記憶していました。                

 中学に入学する時期にもうないだろー。と思い行ってみると何と未だに残って居り度々山形市まで、時々出すツノダ号で見に行き、高校ともなると部活の帰り週に何度か「押忍!」と挨拶していくのが日課になりました。
 何分前の部分は外から見える状態で古ぼけて埃まみれの状態ですから薄暗さからプチ観光に出した宿龍院の十王像の一つ「五官王」に見え、神秘に感じたのです

 押忍!をする様になり2年ほどしてですが、ノスタルジックヒーローに嵌り、今度は「このトラックを何れレストアしたい!」の気持ちが芽生えました。当時市内には113型セダンの廃車(昭和44年車検切れ)がありこれを部品取りにしようまで考えました。あの当時ですから、屋号は全て消すと考えて居ましたね。
 
 然し大学に進学して「やはり自分が何が何でもレストアしたい車はRS41である」と云う思いと書類が無い!と判り、もはや123型の事は完全に頭から離れて居ました。国家試験、就職とありこちらが主ですからより忘れてしまいます。
 大学卒業後の進路は決まったけれども、本格的泥沼に陥り最終的にはフレーム入れ替えで対処し、本当にスッテンテンになりました。
 
 平成12年にレストアはとん挫しかけ、その時ふと123型を思い出し「レストアしたい」と云う地元山辺町の方が現れこの方に託そうと考え、場所を教えました。実はその少し前ですが京都のマニアが救出を名乗りでましたが、写真撮影まで行った物の、引き上げは断念しました。
 今度は地元だし、見たい時に動く姿で見られると思い場所を教えました。すると・・・
 この年オーナーが亡くなったとなり、未亡人が「夫の形見なので手放したくない」となり、断念したと云うのです。
 この時期はお袋もお婆ちゃんも未亡人となり久しかったですが(お袋は昭和62年、お婆ちゃんは平成3年になる)何とまぁ強い事、夫々の形見はあっと云う間に全て捨てたのです。結構この時期1960年代の旧車を「夫の形見なので・・・」と手放せずガレージにシングルナンバーで残す事例が良く聞かれました。
 同時に当面は無くならないと安心しました。

 時が流れて平成21年になると遂に手放す決意をします。実はその少し前から手放そうとして数か所のレッカー業者に引き上げ依頼するが出来ないと断られお手上げでしたが、この年山形市本町で通行止めにして工事する時期があり、その時期に引き上げるとなり、東根市内の整備工場が名乗り上げて引き揚げました。相当大変な作業だったそうです。
 もう一台ベレット1300STDもあり、その時期には不動車となり工事での通行止めがなかったら永遠に引き上げ不能だっただろうだそうです。

 タマタマ現オーナーにその3年前に知り合い、話をしていました。ダットサンにとって余生を過ごすのに最高の場所と考え情報を流して居ました。更に価値観が同じなので「ここしかない」でした。

 平成21年に引き取り、登録に向けて調べると意外な歴史を垣間見る事となりました。
 「実はワンオーナーと思っていたら、2オーナーで然も初代オーナーが職場の元上司のお父上である事が判りました」
 
 現在登録証明書の話をすると旧車は特に昭和30年代は初めの記録が無いと云う話しが聞かれますが、このトラックも例外なくありませんでした。タマタマ上司から「我が家にはクランク棒で動くトラックを村で一番に買った、その後は当時出たばかりのダットラを購入した」と聞いて居たので、まさかと思って写真をお借りしたら、まさにそれ!たまげました。

 このトラックの場合昭和32年7月登録は間違いないけど、手放したのは43年5月頃との事で証明書に残る「昭和43年6月2日移転登録 神鋼電機商会」があり間違いなく2オーナーを確認しました。これがスタートです。
 つまり山形県は46年4月1日に登録事項はコンピューター管理になるが、それ以前の記録はその時点で登録された記録のみしか残らず、紙台帳で管理していたデーターは消していた事が判ります。

 当時11年オチの車を購入する。然もサービスカーに使うとなると本当に激レアな話です。その歴史も重要だと思いますね。更に上司の話では「ウチのトラックは水色ではなかった」と証言しており現オーナーと詳細に調べるとやはり水色ではなく「くすんだ緑」である事が判明しました。つまり神鋼電機サービスカーの色と思われ、当時メーカー指定カラーの色にするとメーカーから補助金が出たそうです。又この車はダッシュボードまで同じ水色なので、初めからこの色と思って居ました。
 11年オチにここまで徹底するか???と驚く個体ですので、これだけでも凄い個体なのです。
 更にこの車全く不動期間も税金滞納が無い事も驚きました。きちんと納税証明書の束も有ったのです。

 車検証も見ましたが、昭和53年7月更新時期が最後でしたが、初年度登録が「57年ー月」だったのです。となると私の車も当時は「63年ー月」でしょう。此れは年式打刻制度の名残です。制度廃止後購入のカローラKE20だと「昭和47年6月」となって居る筈です。

 現在このトラックのナンバーは山形県では最古と思います。封緘が2つ付き、昭和33年より1つになったので国内でも古い方でしょう。又この時期現在のナンバーに変更になり2年1か月ですが、当時4ナンバー枠は此の車で山形県では1504台しかないと判ります。当然30年6月以前登録の車も全てこのナンバーに登録ですから他のナンバーを入れても恐らくは2000台は山形県内には自動車その物は無い筈です。

  この車はエンジン、電気系統、(配線引き直し含め)その他シャーシ周りは全てOHしております。新品部品も結構多用しており、やっとこ走るレベルではないです。その気になれば日本1周だって可能ですが、流石に人間が持ちません。
 現オーナーに登録は平成22年10月4日です。

 今回は見つかった写真でお話をUPします。
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 此の位置からの写真を発見しました。実は右側は外に出るまでの31年間全く日に当たって居ませんでしたので、結構綺麗なのです。

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 この写真が2オーナーを証明します。よ~く煽り板を見ると、TEL 2-2987 とありますが昭和30年代には無い局番です。我が家はRS41購入した頃電話を引きましたが、当時は今の局番の末尾4桁で山形市へも掛ける事が出来たし、電話番号も多くは末尾4桁だけの筈。
 明らかに昭和40年代以降の表記ですし、大抵は塗り直してまで新しい電話番号は書きませんし、現車を見れば直した痕跡も無いので昭和43年に11年オチで買った事が証明されます。
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 引き上げ直後の写真です。バンパーは昭和57年当時はグリルと同じ白でしたので現オーナーに知らせまして今の色です。
 車検は昭和54年7月で切れ、整備は高校時代の同級生のお宅の整備工場で実施したみたいです。(現在は廃業)イメージ 4
 イメージとしてダットラが新車の頃の上司の在住地区の様子。明治時代と変わらぬ風景で本当の農村でした。こんな風景にダットラ123が有ったのです。
 初代オーナーは明治44年生まれで平成22年に99歳でお亡くなりになられました。村で一番初めの4輪車で当時消防団で使う事も有ったそうです。
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 嫁ぐ10年前ではありますが、そんな風景の場所から当時山形県1番の都市に行くからさぞやダットラは驚いた筈。山形市本町は当時は県庁所在地、更に商業の中心地ですから今以上活気がありました。
 写真の信号の上に三角の屋根が見えますが、多分此れは当家の親戚の笹沼玩具店かな?お寺では無い筈
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 丁度ダットサントラックは此の小学校の前の反対の入り口に生息していました。昭和初年度に建った県内初のコンクリートの小学校でアールデコ調の貴重な建物と云う事で残って居ます。
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 そして山形旧県庁。茅葺屋根ばかりの土地にこういう建物がゴロゴロですから、ギャップは相当でしょうね。グランドホテル隣から歩いてすぐですから、村から見れば物凄い都会です。


オールオッズ2015

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 今回は自分の愛車をUP致しました。前回自分の車が良い雰囲気で撮影された物発見し、同じ方と思いますが、今年はモノクロで撮影されました。
 エントリー車の中では一番の高齢でした。全体となると僅差で過日紹介したシルバーの個体ですが恐らく昭和38年5月18日の午前製造かな?私の車は午後と思います。(因みにハンドブレーキフロントワイヤーが車体番号の1番前から1964年式と共通の新型用に変更されます)
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 プロのカメラマンなんでしょうね、良い雰囲気です。後ろの席にひいお爺ちゃんでも座って居そうな写真です。昭和39年5月に松島基地に行った時の写真を彷彿させられました。
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 フロントより、結構皆さん撮影されて居ました。嬉しいですね。
 YOUTUBEに今年のオールオッズが出て居ました。3:41辺りから私の車が出て居ますよ。

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 確かこれは展示して間もない時間帯だったと思います。ある程度見学者が居なくなってから撮影しました。
 フロントガラスにこれまでの経過を書いた物を掲示しました。これには新車当時のナンバーも書いて居ます。
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 42年間も乗ると本当に夫婦みたいな存在です。
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 毎回ですが、関東のイベントでは「飲酒運転追放」のステッカーを貼ります。私の在住している市が書かれて居ますが、本当に山形県から来た証でもあります。

 若い頃、平成11年に起きた悲惨な飲酒運転事故で厳罰化を求めて運動に加わりました。あの頃は元気で、診察後は真夜中までレストアして、時にはその運動に頑張り漸く、厳罰化になりました。

 若かった事もあり厳罰化には大変喜びましたが、年を取ってふと振り返ると「一定の効果は認められるが根絶は無理だな」と思います。
 これだけ厳罰化しても治らないとなるとついウッカリ以外は恐らくアルコール依存症が原因では?と考える様になりました。
 きちんと更生させる意味合いからも、刑事罰後専門病院に入院させて治療の必要があると今考えて居ます。
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 実は今年からクラウンピクニックも合同でオールオッズと共に行う事になりましたが、今の職場に就職した平成12年間違いなくオールオッズとクラウンピクニックは合同でしたが、程なくして分離開催となりました。

 昨年何気にボスに「オールオッズと共同開催なら嬉しいんですけどね。」と話したので、もしかして其れが今回叶ったのかな????

 お台場での雰囲気が良いのです。マダマダ若い人には負けたくないし、40系を教えて行きたいと思います。でももう私の体は確実に無理は出来なくなりました。

 それとこの観覧車の風景気に行って居ます。

23年ぶりの再会

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  私が高校3年生に上がる直前、ユーズドカー多磨より売りに出された車、「足5」ナンバーの新車時ナンバーが付き、ナンバーが切られて久しい今の車ではなく、此の車にウツツを抜かした時期がありました。
 年式は昭和39年なので、自分としては乗りたい、欲しい時代の車ですし、どう足掻いても「山形5ナンバーは戻らない」ので、ノスヒロの広告を舐める様に見て居ました。1991年2月、4月号と出て、6月には無かったので、もうない物と思って居たら・・・・

 平成4年の3月に有る事を確認しました。その時以来
23年ぶりの現車確認をこのイベントで行いました。当時私は運転免許を取得したばかりの頃でした。
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 当時は未だ知識が乏しく、黒塗りでは有りましたが、内装がトスカイナオリーブメタリック用でして、その時点では痛みは有るがオリジナルである事は確認しました。
 欲しいナァとは思いましたが、95万円と出て居り今はとても買えないと諦めました。
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 ガラスの破損は無く、オリジナル通りのG4マークが全てに付いて居ました。クーラーなどのオプションは有りません。
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 オプションはせいぜいこのドアバイザー程度です。
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 鍍金類はフロントも含めて前オーナーの時代で完全に施されて居ます。何処の業者かは忘れました。
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 ナンバー灯も綺麗です。
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 ライトリム。此れも全面に施されました。足5ナンバーその物は平成12年に切られ、(それ以前の可能性もあり)前オーナー購入の頃はナンバー無でした。

  
 

名誉の撤退

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 順調だったキャベツと白菜が9月20日前後から雑草含めて害虫に喰われました。今までだと中生、晩生は早生とは違い寒冷紗をしなくとも多少は害虫には喰われるが此処まで酷く喰われる事は有りませんでした。
 今後きちんと寒冷紗を施す事を学習し、代わりに玉葱を植える事としました。
 そんな訳で今回はホウレンソウと大根の9月種撒きした物は栽培断念の「名誉の撤退」としました。
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 凄惨な現場です。もうやる気が起きません。
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 不耕起現場も同じ状態ですが、もう撮影する気も出ません。
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 カラッと残渣は撤収してコンポスト設置場所へ雑草と共に捨て来ました。撮影は10月4日です。
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 此処がシャインマスカットを植える場所です。此処もそろそろ手入れをします。
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先ずは耕して玉葱の準備。予定では10月10日以降です
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 シャインマスカットを植える・・・・11月かな?
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 巨峰は烏よけ網を外しました。

玉葱定植

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 自宅前に20本、葡萄園に30本玉葱を定植する方針にしました。苗は50本で398円なので、良い物は自宅前、そうでない物は葡萄園に定植する事としました。
 自宅前用。茎が太く大きい物を選んで20本定植しました。
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 20本から漏れた物。無論いい物もあります。
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 自宅前に定植後。中でも良い物は中央に、並はサイドに定植しました。
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 葡萄園。キャベツ、白菜、そして雑草までもが全滅した場所です。並でも良い物から順に日当たり良い所に定植しました。此処が良い所です。
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 全景。自宅前もそうですが、マルチの替りに藁や籾殻を敷きました。
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 大根。葉っぱが喰われましたが致命的ではないです。
 初めに種を撒いた本番用の大根は全滅しました。後撒きと、イタズラでその中間に撒いたこの大根が生き残りました。
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 ネギは夏場枯れてしまい半分に・・・・・。

あかべえさんの愛車

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 もう一つのお楽しみがあかべえさんの愛車。何とSTD(RS40)ではあるが、珍しい黒なのです。
 あかべえさんによると、恐らく官公庁の車では?との事でした。よりタクシーに特化したモデルなので黒は要らないとなり昭和40年7月以降から黒の設定がなくなったそうです。(40年6月までの丸テールだと黒が有ります)
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 多分新車時もホワイトリボンだったんだろうなぁ。
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 フロントドラムはフィン付きだろうか?体調不良で確認まで頭が回りませんでした。
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 ウェザーストリップは明らかにRS40用でガラスにも着色が有りません。

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 同じくリヤも。見事な透明ガラスです。
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 リヤガーニッシュは当然ありません。
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 当時のトヨタのラインアップ。昭和41年頃でしょうか。
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 ドアの下にモールが無く、三角窓もモール無はRS40の証です。1963年式も同じく有りません。

昭和39年後期~40年前期の個体

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 涙目、丸テールまでの個体で一番多く残って居るのがこの年代の個体です。それにオーストラリアから里帰りした個体もこの年代が多いです。
 今回はこれ等の個体をUP致します。
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 オーストラリア里帰り個体、その1 トヨタクラウンバン。
 トヨペットではなくトヨタになります。
 確かこの車のオーナーさんご夫婦で旧車を楽しんで居られる筈です。我が家は・・・・
 うさちゃん号の走行距離が延びるので有り得ません(笑)
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 その2トヨタクラウンピックアップ。
 此れは平成11年頃私の知人が購入し、暫く乗った後手放してあちこち回り、数年前別の知人が購入し、国産風に直しました。
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 ライトはロービームが当時の物らしい東芝でハイビームが更に古いシールドビームで此れは貴重です。
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 実は此処、TOYOTACROWNですが、知人が山の中からマスターラインライトバンの廃車体を探し出し、エンブレムを入手して此れに移植。
 杉林の奥にあり、とても車は取りだせない所だったそうです。
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 これもそのマスターラインより。此処はTOYOTA。
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 オマケ、知人の車に点火時期ステッカーが。
 実はこのステッカーは知人の前オーナーが貼ったそうです。多分三角窓に貼れずに止む得ず貼ったのでしょうね。持ち込み車検の業者だと中々左前の三角窓に貼る事が難しいそうです。
 古くを知る検査員が居ないので、違法と見るんですよね~。

クラシックカーフェスティバルINところざわに参加します。

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 明日は所沢でのイベントです。関東在住のブログ仲間の皆さんの多くが参加を予定されて居ます。
 もう既にブログの写真をどう撮影しようか?と今後のネタを考えて居ます。

 所沢の予定としまして、もう暫く9月27日のオールオッズが残っていますので、明日早い時間に到着できましたら、一寸した概要的な記事を予定しています。もし遅かったらお休みで月曜日に予定しています。

 それが終わりましたら、オールオッズの写真が無くなるまでUPしまして、その後順次所沢を予定しています。何分もうすぐネタが枯渇する冬がやって来ます。ご理解願います。
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 前回のオールオッズの1つ。
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 東根市関山上悪戸です。もう稲は刈り取りされて新米として出回って居る事でしょう。


クラシックカーフェスティバルINところざわから帰りました

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 ブログ仲間でも特に関東在住の皆様方の参加が多くとても楽しいイベントになりました。
 私は22時頃自宅に到着して車を磨いたり、写真の取り込みなどで今の時間となりました。
 改めて山形自動車道経由が一番近い事が判りました
 尚当面の間イベントリポは、オールオッズが終わって居ないので終わるまではオールオッズを継続しまして、終わり次第本日のイベントをUP予定です。
 今回は久々にスワップミート廻りが中心となり余り展示車は撮影していません。

 本日のみ触りだけでもと考え3枚ほどUPします。
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 此れは昨日です。関越道の追い越し車線で飛ばしてしまい・・・アリャリャ!(ミニバン5台をごぼう抜きしました)
 「これこれ、そこの馬鹿ボーズ、アンマリ飛ばすでないぞ!」と何処かからか聞こえました(笑)

 結構運転しやすいんですよね、関越道は。
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 ブログ仲間の皆さん
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 初参加のRS31です。

オールオッズ

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  クラウンクラシックスのサービスカー、「トヨペットマスターラインRS46」です。
 トヨペットマスターラインの丸テールまでは不当な位残存していません。以前も書いて居ますが、黄金の60年代そしてオイルショックまでにはコテンパにこき使われて廃車となり皆溶鉱炉に放り込まれたと思います。

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 システム故障で文字が大きくなりません。恐るべしヤフーボログですな。
 

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 さてこの個体以外で最後に見たのは昭和54年。今も付き合いのある「ベゴ屋」さんから牛糞購入する時、畑にこの車一杯分の牛糞を運んで貰いました。

 その廃車体を当時見て、ライトが楕円の東芝なのでそれ以来此のデザインのライトが好きです。


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 再びボログになりました。最低。

 此れは正真正銘のエンブレムです。因みにこの個体は昭和40年前期式です。
 
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 お愛嬌でRS41用のリヤガーニッシュです。



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 非常に珍しいオーナースペシャル。色も珍しいです。
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 エンジンスワップしたS56V。先程のオーナースペシャルがベースですので、スタンダードよりは幾らかよい。


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 他クラウンたち。



メガウェーブに

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 トヨタ自動車博物館の展示車両の1963年式RS41がやって来て展示されて居ました。
 オールオッズ会場から歩いて行ける距離にメガウェーブが有り、昨年紹介しました私が購入しようとしたRS41を見に行こうとYさんをお誘いし行きました。
 今回は展示はされては居ませんがメガウェーブの何処かの倉庫に保管されては居るでしょう。

 さてトヨタ自動車博物館のRS41の解説をいたしましょう。車体番号は「3RS41-34108」で昭和38年7月末~8月半ばまでの間に生産された個体でしょう。
 35999が最終生産番号となります。(1964年式は36001が最初の番号で昭和38年9月22日が打刻)
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 タイヤは昭和43年頃のタイヤみたいです。
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 フロントより。ガラスは昭和40年式用を取り付けて居ました。後で他の写真で解説しますが64年式と思われる部品が多様されて、恐らくかつては解体屋とか整備工場の片隅に有った個体と思われます。
 グリルの王冠マークは変色して金色では無かったです
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 ライトはオリジナルの○小糸。此れは評価が高いですがライトリムは梨地が出来ず、フルクローム鍍金です。
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 ワイパーはオリジナルの部品で、アームも同じくオリジナルのNDマーク付きです。
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 RS40系のデータです。
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 生産台数は結構ありますね。驚きます。

トヨタ自動車博物館展示車両について

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 今回メガウェーブに展示されたので、展示車両の影響を受けた玩具を紹介しましょう。
 川端企画もそうですが、特に忠実に再現したのが「エブロ」です。エブロのミニカーと共に比較する記事をUP致します。
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 リヤの灰皿。63年式は右側にあるラジオSW、シガライターは付きません。此れは明らかに64年式用です。
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 エブロには忠実に再現されて居ます。凄いですね!
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 リヤトレー。ラインは最初期から最終まで同じデザインですが、当初私の車は反り上がって使い物にならず新規製作しましたが、玩具でも再現されて居るので奮起してオリジナルを探し当てました。
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 これがそれ。実は展示車両はボデーの色と内装の色が合いません。此の車は武左ゑ門さんの車と同じ色ですが、内装はトスカイナオリーブメタリックの車両用です。
 折角此処まで素晴らしい再現だったのに此処でコケました。

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 ドアの下にステンレスモールが有りますが、此れは64年式の特徴です。
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 エブロも忠実に再現されて居ます。

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 カタログの写真は64年式の写真です。63年式と64年式の合わせと思われます。
 前回トヨタ博物館の展示車両は「解体屋か整備工場の廃車上り」と書いたのはオリジナル部品が無いからです。


メガウェーブ マスターライン

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 クラウン60周年と云う事でメガウェーブではトヨタ自動車博物館のRS41のほか、マスターラインRS36Ⅴも展示されて居ました。

 でもこの個体はトヨタ自動車博物館の個体ではなさそうです。これだけオリジナルに近い個体がトヨタ自動車博物館には無いからです。
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 見える所から見た分にはフェンダーミラー以外はオリジナルでない部品は無いみたいです。
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 ガラスはG1で昭和36年製造。車体番号は確認が出来ないので1961年式か62年式かは判りません。
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 こんな樹脂製ドアバイザー、当時結構売れました。皆金属製では無かったのです。
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 最終車検が平成11年なので、後ろの絨毯がオリジナルには無い作りなので最近の作りです。第一当時貨物車に絨毯は有り得ません。
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 同時展示としてクラウン8のカタログがありました。(関東自動車製造なので)

祝 ノスタルジック賞受賞

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 今年のオールオッズではノスタルジックヒーローの編集部が参加して居り、「ノスタルジックヒーロー賞」を受賞したのが昨年知り合った神奈川県のIさんが受賞されました!おめでとうございます。

 やはりワンオーナーならではの風格が受賞理由です。
 昨年のオールオッズでもUPしましたが、「家族みんながこの車で楽しんで居る!」が非常に感じて、大切に乗って居るナァがヒシヒシと感じました。

  オーナーさんの拘りも感じましたし、ワンオーナー、しかも車が好き!それとメカに興味が有る!を感じさせる部分があるので、それを紹介致します。
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 同じ色の同型車がバブル期まで隣町の大工さんが乗って居ました。山形5ナンバーで下がドアには「○○工務店」と「自家用」がペイントされて居ました。
 良いナァと思っていましたが、平成3年には無くなっていました。
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 マフラーは非オリジナルですが「此れが良いのですよ!」きちんと整備していると思います。それにシングルナンバーですからカッコいい!
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 ボケましたが、このハザードSWが「メカに興味ある」を示す証です。ハザードSWは此の車を購入された昭和43年は義務化されておらず、翌年の44年4月1日から義務化されます(同時にシートベルト、ヘッドレストも)
 その為街のカー用品店やガソリンスタンドでは結構SWキットが販売されて居ました。車好き、ドライブ好きは結構付けました。尚私は平成になってから取り付けました。それまではSWは有りません。
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 歴史ですね、三角窓のステッカーは。これが旧車ならではの魅力です。
 でも私は4歳までの間にこのステッカーが付いたKE20もですが、ブログに出すRS41も剥がしました。
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 反対側から。ピンボケ写真の所で書き忘れましたが、写真を見るとハザードSWの隣にヘッドライトマークのSWがあり、此れは50系のフォグランプの疑いが濃厚です。多分その昔はフォグランプが付いて居たのでしょうね。
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 このステアリングが何よりものワンオーナー車の証。それと車に興味ある事が直ぐに判ります。興味ないと基本程度は別としてオリジナルで残るケースが多いですが、興味あるとなると、長年乗ると何処か此処か替えて見たくなるのが人間です。
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 カスタムのエンブレム。オーナーさんにお願い。このエンブレムは無くさない様にお願い致します。替えが殆ど有りません。
 ホイールキャップのオリジナルは探し当てましたし、喜んで頂けたでしょうか?
 

星雲仮面マシンマン(ED)を歌いながら

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 お台場を後にしました。多分タイトルの意味は御来欧音さん或いはギリギリで31ワゴンさんなら判ると思いますが、他の皆さんは一寸判らないかも知れません。
 昭和58年前後に放送された子供向けの特装番組で、後に聞きましたがかなりコストダウンされたドラマだそうです。でもOP/DE共に主題歌が凄くよく、今もあの主題歌はドライブで口ずさむ事有りますが、殆どが東京に行った時です。
 今回は帰りなので、歌詞にある「夜の都会のハイ・ウェイ~・・・・」なのでYOUTUBEから拾いUPしました。
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 お台場を出た時の距離です。
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 余り車が来ない時間を狙って、パチ!首都高走行時は口ずさみます。

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 通称「うんこ」雲。都内在住者も知らない方が多いそうですが、有名人夫婦のブログに有りましたが、ご主人が「都内のガス会社のビルだよ!」と云ったそうですが、有名なビール会社の本社だそうです。
 私、此処の社員ならば嫌だナァ。

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 東北道の追い越し車線にて。部下が良く云うけれども、東北道でこの追い越し車線は走行したくないそうです。「高村先輩、よくあの古い車で・・・・」と云われますね、私は「42年付き添えば夫婦同然。信頼感だよ。」
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 実は9/27当日秋場所千秋楽。お台場からず~っと大相撲中継を聞いて居ました。これもオーバードライブの御利益で、同じ63年式マスターライン(RS46Ⅴ)に同乗した時相撲中継処では無かったですね。
 流石に今回の優勝決定戦不満が残りました。だって横綱が大関に変化して優勝でしょ~、それも本割では大関に負けたし・・・・
 変化は悪くはないけど、格下の者は横綱に変化で仕掛けた相撲は「失礼」に当たるとたとえ金星挙げても親方に注意されます。横綱は品格を疑われ審判部に批判される事有りますが、やはり横綱は変化を使うは反則にしたいですね。使えるのは大関以下。

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 21時頃無事自宅に着きました。394㌔でした。既にUPした所沢より幾らか近いですね。

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 綺麗に磨いた後の記念。



オールオッズ ラスト

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 オールオッズの記事もこれでお終いです。今回は特にテーマはなしで色々な写真をUP致します。
 この後ところざわのリポを予定していますが、その前に農作業についてUPして、その後と予定しています。
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 4代目を中心にした写真です。
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 タテグロ。初期型が私好きですがHA30も好きですねぇ~、イザ買う時は迷います。山形5ナンバーがどちらも結構残存していますよ。
 もし白の初期型のオーナーがもう1年早く手放せば私今頃PA30のオーナーだったかも知れません。山形5ナンバー付で欲しいと思いました。
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 リヤスタイルが良いですね。
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 昭和39年式にサイドウィンカーが有りますが、私の車にも同じ物が付いて居ました。40年後期以降のそれを付けるのが流行ったみたいです。
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 表彰。見えにくいですがワインのワゴンRからこの4台が表彰対象です。
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 今回の参加賞のステッカーですが、前回はグレーでイマイチ気に入りませんでしたが、今回は青系で前の物は剥がして貼り直ししました。
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 貼ってから記念に旧R48にて。

お礼肥

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 葡萄の収穫が終わり、殺虫剤を散布してお礼肥をしました。(展着剤も使います)
 商品名万作ボカシ、牛糞肥料、苦土石灰を施しもう少ししたら生ごみ肥料等を元肥として散布予定です。
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 今年一番頑張った巨峰。仙人さんに送った巨峰がこの樹です。

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 ナイヤガラ。今年はとても甘く殆どが生食。職場でも近所でも喜ばれました。
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 肥料散布後。ナイヤガラ。

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 同じくスチューベン。
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 そして巨峰。作業が終わった時はすっかり暗くなりました。


誰もいない海を口ずさんで

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 クラウンが置いて居る棚の葡萄も収穫が終了したので、お礼肥とクズ葡萄、烏よけ網の撤去そして消毒を行いました。昨日UPした葡萄もそうですが収穫中消毒が出来なかったのでその間カミキリムシの幼虫が居ると被害拡大するので、消毒します。
 更に雨が降るので展着剤も使いました。
 残念ながら一番本日の写真の命たるイントロが、ナレーションで殺されて居ますが幾らか聞けますが、何時もこのイントロが思い浮かぶのです。

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 イントロのイメージ写真その1.葡萄も無くなり寂しくなった葡萄園。そこがイントロに合います。
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 支柱もそうですね。もうトマトを撤去して久しく「今は~、もう秋~、だれも~いない海~・・・」が似合います。
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 網を仕舞います。烏の被害から守ってくれます。
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 フロントガラスも汚れますねぇ。樹木の下に車は停めてはなりませんぞ!
 消毒を施しましたので「暫ぐ消毒ぶっかがんねくて、いがった~と思ってだげんと、蜘蛛もいねぐなっどこごのオヤヂ消毒いっぱい撒ぐずねぇ~」とでも云って居るもみたいです。
 
 私の場合蜘蛛は害虫退治目的で退治しません。積極的に蜘蛛の巣を張らせます。これだけでも消毒はかなり使わずに済みます。
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 ワイパーはモーターごとマニアにプレゼントして今は有りませんが、クズ葡萄が溜りました。
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 袋に入れないクズ葡萄がポロリ・・・・
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 もう一つおまけにポロリ。


所沢にコロナがいっぱい

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 集合しました。40系だけでも3台以上集まり、振わなかったクラウンの穴埋めになりました。
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 コロナRT46ⅤD。近所の電気修理屋さんも同じ色、形のこれに乗っていました。ボデーが弱くステップとフロアーの端が錆びて17年使って廃車。暫く物置として自宅に置いて居ました。
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 デラックス登場は此のマイナーチェンジ後からの顔からです。
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 こちらの姿が懐かしい。分割バンパーの記憶がしっかりしています。
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 此れは珍しいコロナSTD。何でもタクシー上りだそうです。
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 ガラスは文法通り透明。
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 前泊したホテルで一緒でやはりイベントに参加していました。

BacktotheFutuerから30年

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 既にCCIガールさんがこの記事をUPしましたが、本日山形新聞の「談話室」と云う朝日新聞で云うならば「天声人語」の欄がこれですが、載って居たので話題にしました。
 2015年10月21日ともなると、あのタイムマシーンはバナナの皮で走るとされていますが、マンザラおかしな話では有りません。天ぷら油の廃油でバスが走る物が存在します。その事を談話室では載せて居ました。

 他にも廃棄した衣類等を原料とした燃料も有り、これも紹介されて居ました。ですので30年前21世紀になりまさか走るとは思わなかった3台を改めて紹介します。


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 以前から紹介していますが、元羽後交通のボンネットバス。実はこのショットは非常に貴重で、態々この写真の為に大分は豊後高田から福山に駆けつけてくれた貴重な写真です。漸く発見しました。

 おさらいとして、
 左のバスは1957年式で、今国内では2番目に古いバスで、実働となると最古らしいです。
 昭和32年5月10日に納車されて、13日に登録、「秋2
あ 0155」で主に角館で営業していました。
 昭和44年5月12日に廃車となり以後平成17年まで湯沢市郊外で藁小屋として余生を送って居ました。

 右のバスは1961年式で、日野のバス。
 昭和36年9月19日に納車登録され、ナンバーは
 「秋2 あ 0175」でした。昭和47年5月16日に廃車となり、稲川町にて釣り堀の店舗になりこれも平成17年まで稲川町にて過ごし、一時的に宮城県北部で一緒になり、平成18年までには広島は福山市に運ばれます。

 この写真は平成21年頃撮影されました。

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 強烈な写真はこれですが、屋根とフロントグリル、フレーム以外は全て新規製作したそうです。エンジンはオリジナルは残ってはいたものの、激しく腐って居りOOH不可能との事で次のタイプのエンジンに載せ替えたそうです。良くぞまぁ広島まで運んだと思いました。
 それよりも、どうやって登録したのか気になりますね、到底どちらのオーナーも廃車証明書は残すとは考えにくく、羽後交通で廃車証明書を残していたのだろうか?

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此方は毎度おなじみのクラウンですが、
昭和60年当時は何時息の根が止まってもおかしくないレベルだったのです。これも21世紀になって
東京まで高速を100㌔以上で走るは、年間7000㌔走るはとなるとは、30年前は考えられませんでした。

そう云えば最近思い出しましたが、本来オリジナルだった温度調整SWがリヤトレーに有り、弄って遊んだら見る見る冷えたが程なくして冷えが甘くなり伯父に「こら!
円淨、クーラーが壊れたぞ!」と怒られた記憶が蘇りました。今思えばアイシングですね。秋田の内陸部に伯父と親父の共通の知人宅に行った時の話です。

因みに伯父に聞いた所「え?そんな事あったのかよ!」でした(笑)「でもお前はあの車に乗るとはしゃぐよナァ、○四郎が運転苦手でお前を乗せるの事が余りなかったからナァ。」○四郎=親父の名前です。米寿を迎えた伯父ですが、マダマダ元気で卒寿も夢ではないですね。因みに伯父の卒寿は親父が亡くなり満30年の2年後ですが、カミさんの祖母より早く卒寿を迎えます。

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