Quantcast
Channel: 高村円淨のブログ
Viewing all 1734 articles
Browse latest View live

スタンダーズさん有難うございました。

$
0
0
 写真の右端にTのSWが有りますが、実は温度調整SWで、これはダミーなのです。配線引き直しの時手に入れましたが、故障して居り治る見込みがないとそのまま、クーラー修理時に付けて居た武骨な温度調整SWを見えない所に下げて居ました。
 然しイザとなると手元での調整が出来ないので今年みたいに暑いと調整が思う様に行かずアイシングに直結します。その為止む無く温めとしていました。
イメージ 1
 実を書くとこのTのSWの所にかつては何らかのSWが付いて居たみたいで、復活当初は乱暴にもぎ取られて居り、以前のUP分にありますが、パーツリストから見ても此処がオリジナルと見て居ました。
 関係者は既に故人となった人ばかりで、未だに謎のSWですが、最近になりこのもぎ取られたSWが非オリジナルと判りました。

イメージ 2
 オリジナルは左端の物。でも此処ではオリジナルでもアイシング対策が取れず益々厄介なのでオリジナルに戻す気は全然ありません。

イメージ 3
 前回の物購入から久しかったにも拘らず、別のSWのAssy有難うございました。
 検査結果正常作動で、SW丸ごと外して、初めに購入したSWにあったコンデンサーを移植して、より質の高いSWに仕上げました。

 尚このSWは昭和41年2月製造の刻印があり、初めの物は昭和42年3月の刻印がありました。恐らく安全対策でコンデンサーが付いたのでしょう。
 通常ですとこのタイプのSWは故障は殆どなく壊れる事は稀だそうです。42年製造のそれは相当無理な事して壊れたと思います。

 それと配線を覆うカバーが60年代らしく流麗な感じがして良いです。其れをイメージするのが

 特にエンディングが透明な感じがしてこの映像を直ぐに思い浮かべました。




グロリアワゴン6

$
0
0
 乗用車メーカーでありたいプリンス自動車工業。
 初代のグロリアはライトバンこそ無かった物の、同じ車体のスカイラインはライトバンを用意するも、名前は「スカイウェイ」としていました。
 トヨタ自動車工業でも「マスターライン」とする位なのでトヨタもかつてはプリンスと同じ考えであったと思われます。
 スカイラインとグロリアが別々の道を歩むようになると、今度はグロリアと名乗るこそ、ライトバンではなく「ワゴン」としていました。
イメージ 1
 年式は昭和41年式。日産合併間近の頃でしょうかね?ワゴン6の場合純プリンスには拘れない程数が有りません。
イメージ 2
 今は8PRだとすぐに手に入りますが、6PRは特注です。オーナーさんならではの拘りです。
 因みに此のサイズは8PRなら直ぐに手に入りますので7.00-13サイズオーナーさんドンドン注文しましょう。
イメージ 3
 リヤより。此処はセダンとは作りが違います。
イメージ 4
 ステアリングは黒。商用車ならではのコストダウン。セダンに見られる白はコストが高かったと思います。
イメージ 5
 100馬力のG7エンジン。レギュラーガソリン仕様です。
イメージ 6
 オリジナルミラーが良い。此れが回収された理由は数あれど、最近聞いた話では陸運事務所での車検では「突起物」扱いで車検に合格しない噂が有ります。

 *昨日はネットの無線ラン環境をピンク怪獣に弄られ
 繋がらなくなり、1日復旧に頑張るが出来ず、未明にカミさんが復旧させてくれて本日更新できました。


巨峰の施肥

$
0
0
 お礼肥が終わって少ししてから今度は元肥を行います。元肥は牛糞と生ごみ肥料等を施しますが、量が不十分なので、クラウンの下にある巨峰は豚糞を施しました。その下には米糠、油粕、魚粕を撒いて来ました。
イメージ 1
 おおよそ3週間前。
イメージ 2
 今は丸裸に近いです。それ以前に殺虫剤、殺菌剤は施しました。
イメージ 3
 サイドから。
イメージ 4
 左側から。
イメージ 5
 黒い物体が豚糞です。「うっ!くせぇ~!」と云う声が聞けそうです。間もなく廃車から10年ですが、まさかこんなド田舎に暮らすとは新車時この車は思いもしなかったでしょうね。
イメージ 6
 タイヤも埋まりました。
イメージ 7
 尻に大根です。

初代プレジデント

$
0
0
 実はこの車と同型の廃車寸前の車にその昔乗って居ました。今でももう一度乗りたい車の1台です。
 ホイールキャップの1枚を今も大切に車庫に飾って居ます。当初車庫の外側の外壁に飾ろうとしたら、お袋とお婆ちゃんが怒って撤去させられました。懲りずに忘れた頃飾ると今度はカミさんが怒り、ついでに鉄道型電灯と云う傘が付いた電灯を飾ろうとしたら又怒られ・・・(笑)我が家の女子3代は余計な物は飾りたくないので。(多分初代もかな?)初代と異なる点は物を平気で捨てるが3代共通です。なので我が家は物が残りにくい。
  実はこのプレジデントをイメージする曲が越路吹雪さんの愛の讃歌です。越路さんの愛の讃歌は歌い方によってイメージする旧車が異なります。今回紹介の曲は
このプレジデント、ゆっくり、しっとりは何故かファミリア800のライトバン(但し昭和41年6月発売のモデル)
 愛の讃歌は結構な数の越路バージョンが存在します。
因みに動画は昭和45年の日生劇場でのリサイタル。

 スケルトンワイパー。私も持って居ますが今はオリジナルで間に合うからお蔵入り。
 間もなく手放して34年になるカローラKE20も最後の1年はこれでした。
 フロントマスクが良い。日産3.5トン積みトラックもこんな顔ですね。
 この給油口が良いのです。このタイプが好みですが、今は衝突対策で新車では禁止されています。

 中学時代の学年担当だったY先生のお父様が経営されて居たガソリンスタンド兼自動車整備工場にこういう状態でBタイプのトランククーラー付きが廃車場に置いてありました。(平成16年頃)
 車検は昭和55年に切れて居り、走行距離は1.6万キロのトランククーラー付きでした。よくよく話を聞くと小学校の近くのMさんと云う土地成金が居て、昭和47年に当時1億円を手にした方が乗って居たそうです。話を聞いてすぐ思い出しました。
 程度が良かったので廃車後解体せず倉庫に仕舞うが、10年程野晒したので悲惨でした。
 因みにY先生は全然車に関心がなく、我が家に有ったサニーの次のモデルB410に乗って居ました。それも傷、凹みだらけ・・・・(汗)
 丁度畑に有るクラウンに乗る少し前でしたね。もう一度乗りたいな。

シャインマスカット定植断念!

$
0
0
 シャインマスカットを今年定植しようと考えていましたが、ナント!「平成27年度分は予約で完売!」との事。
 今年の定植は断念と相成りましたが、来年の11月20日以降に購入する事に決めて1本予約しました。春に定植する方法もありますが、こちらでは先ず枯れる事の方が多く、1年待った方が賢明です。その為の土づくりをしました。
イメージ 1
 逆に1年待った方が良かったかな?と今は思います。
 まだ土づくりが半端だった面があり、納得いく土づくりを本日の作業としました。
イメージ 2
 上手い具合に造園屋さんから廃藁縄を頂きました。
 そもそも古畳を肥料にする考えがありましたが、農林資産省では余り推奨しないらしいので、視点を変えて毎年金を出して捨てている藁縄を頂く様に交渉しまして、今に至ります。
 藁の肥料を土に埋めると結構生育が良いのでこれを皆埋めました。
イメージ 3
 そもそも今年定植予定でしたので、土を掘るとミミズが出るは出るは・・・・。ミミズ銀座でした。
イメージ 4
 1年掛けての土づくりですから、米糠は穴の中に施します。無論藁を確実に分解する様にする促進剤でもあります。
イメージ 5
 燻炭もみ殻を施しその上に藁をギッシリ。写真は撮りませんが奥にもこの半分程度の穴を掘って同じ事しています。根っ子が確実に伸びる様に考えました。
イメージ 6
 これで作業終了、埋めた後米糠を穴の上全面に施しました。真ん中の「くぼ地」に苗を植えますが、来年10月には一から定植準備を始めます。



イメージ 7

 購入する苗屋さんの古い写真です。創業102年の果樹苗生産販売店で全国にも発送していますが、高品質で定評があります。
 実は購入に行った時クラウンRS41で行きましたが、現社長さんが私の車を懐かしそうに眺めており、「実はこの車かつて自分も運転していた。親父は運転免許が無いから、俺が運転手で運転していたし、車も俺が選んで居たのでよく覚えている。」との事でした。
 でもクーラーは付けては居らず、車検ごと買い換えていたそうです。

 な~るほど、クラウンを選ぶのも納得です。写真を見るとスタウトRK100で、同じ3Rエンジンを積んでいます。(厳密には3R-B)

 で、今この苗屋さん、BMWだのレクサスだの名だたる車が車庫にワンサカ。相当車が好きだと思います。
 あと、社長夫人がお婆ちゃんの教え子。「あら、高村先生のお宅にもこんな凄い車があったんだね。」とおっしゃって居ました。




スバル360分離給油

$
0
0

 個人売買で勘違い、トラブルになりやすい年式のスバル360です。単に昭和39年式と出ている場合が要注意。
 特徴的な「出べそ」給油口の有無の確認だけではトラブルに発展するが、混合給油か分離給油かを確認、それと車体番号が「4K111-」か「K111-」かが確認情報です。
 今回は分離給油で以前も書いていますが、お義父さんが運転免許を取得してバイオレット(初代)購入前同じ県庁職員から借りてしばらく乗っていたモデルです。
イメージ 1
ステッカー等が再現され、当時ものホワイトリボンとマニアックな1台です。マフラーカッターもオリジナルなのでタダモノではないですね。
イメージ 2
 スバルマチックがいいですね。・・・・・今気付きましたが、「SUBARU YAMAGATA」??山形県から発見したのでしょうか?
イメージ 3
 一般的にみるスバル360ですが、このモデルも私は好きです。因みにこの直ぐ後のモデルは出べそが無くなり、先ほど紹介した県庁職員だったマニアはこれを部品取りにしていました。
イメージ 4
 サイドウォールに皹が・・・・
イメージ 5
 お義父さんは同じ色のデラックスに乗っていました。この車は現在山形県南部のマニアが部品取りと共に引き取りました。
 お義父さんは今MTを運転できませんのでその方が良いでしょう。(笑)
イメージ 6
 軽商用車たち。
イメージ 7
 サンバーは色が懐かしい、TN360はこのタイプの前の解体を見ていますので記憶が鮮明で、ミゼットは畑の近所にあったなぁ。

軽三輪たち

$
0
0
 ところざわのイベントには数多くの三輪車が参加します。東北のイベントでは先ずこれだけの台数は期待できません。
イメージ 1
 以前も紹介していますが、未再生のホープスター。ただのホープスターではないです。
イメージ 2
 この傷み具合に味があります。そして群青色の袋が痺れます。その昔の商用車で良く見られ、当時を思い出します。
イメージ 3
 荷台の痛みもそれ程ではないですね。
イメージ 4
 ナンバーが凄い!こんなナンバー見た事ある?
イメージ 5
 菱形のシールが懐かしい。光って反射板になります。
イメージ 6
 オールウェイズ3丁目の夕日で有名になったミゼット。
イメージ 7
 パネルバンで尚且つ左ハンドルはすごい。

イメージ 8
 綺麗にれストアされています。

昭和56年11月28日

$
0
0
 毎年この日に思い出す事が我が家から昭和47年式のカローラKE20Dが去った日だからです。同時にその日にダットサンサニーB310に入れ替わりました。(平成20年3月頃処分)
 カローラは翌年の6月4日まで車検がありましたが、買い換えた理由は、売れ残ったB310が昭和56年内ならば格安で買えるし、1300でも高いグレードの売れ残りがあるから買い換えたそうです。また希望色のベージュだったのでより買い換えが進みました。(実は友人の父親で親父の直属の上司に当たるH先生が同じB310のDXを昭和55年頃購入。車に興味がない親父にしては珍しく「俺の車はH先生より豪華な車だ。」と亡くなる少し前独り言を云って居た事が忘れられませんが、売れ残りなのでDXと同じ程度の価格ですし、当時は未だ経済的にもキツイ頃でした。この車確か平成10年まで現役でした)
 担当セールスは現在は農業と市議会議員をしているMさんです。当時生保会社を退職して日産サニー山形のセールスに転身したばかりの新人さんでした。

 そういえば親父自身「車は10年が寿命だ」と話しており、この機会のうちに買い換えたいと云う考えがあったのでしょう。なので、クラウンRS41の運転がままならなかった事はクラウンにとって幸運だったのです。
 これが私みたいに上手かったら、1年後の48年6月には車検切れなので親父は間違いなく買い換えたでしょう。(或いは排ガス整備終了の48年4月30日まで)親父の性格は決して物は粗末には扱わないが、時期が来ると勿体ないとか何もなく捨て去ります。

 買い換えの話が出たのは11月上旬頃でした。当時私は8歳で、クラウンはそのまま残るが、カローラは手放すとの事で、親父に「パパ、畑に置けない?」と聞いた所
 「ママが畑に置いて良いと云うならば、良いよ。」でしたのでお袋に聞くと「向こうの畑(今葡萄園)にバスがあるし、うちの前の畑は絶対駄目!」となりダダこねるが駄目でした。その為手放す事は泣く泣く認めました。

 34年前のあの日霙混じりの雨が降る寒い日だった事は今も鮮明です。スノースパイクタイヤで納車され小学校では「きよしこの夜」の歌を練習していた時期ですので、この歌を聞くとカローラの事を思い出し10年ほど前までだと、我が家にKE20が戻る夢を見ました。更に当時のナンバーのままでなのでナンバーも鮮明に覚えています。(でもサニーの次のマーチは3台手放したが、すべてナンバーは忘れた)
 
イメージ 1
 これは3年前の高畠での写真。スノータイヤで参加しまして、56年の11月末はスノータイヤでしょう。このタイヤは当家でストックしていたタイヤです。
 カローラは簡易カーポートで当時保管しましたが、これがカローラを手放して程なくして壊れ、ダットサンは以後野晒でした。
 よくRS41の購入金額聞かれますが野晒で新車1台駄目にしたとの事で、ダットサン購入代金の90万円と答えるのはその為です。

 この歌聞くとどうしてもなぁ~。手元に今クラウンGS130おいているからカローラみたいに夢に出ないし、サニーも納得いくまで置いたから夢に出ない。


クラシックカーフェスティバルインところざわ2015 ラスト

$
0
0
 イベントリポもこれで最後となりました。
 今回はブログ仲間の皆さんとも十分にお話出来なかった事には訳がありまして、その弁明と書くと変ですが想像以上普段のイベントでは手に入りにくい部品がゴロゴロしていたのです。
 既にUP済みのクーラーダクト実は入手出来ないものか??と頭の中ではそれがグルグル。そして、先ず手に入らないライトグリルモールの左が手に入る(と云っても操作がありますが)、そしてクラウンピクニックで知り合ったIさんに宿題として頂いたホイールキャップ1枚。
 ビックリのバンパー等でしたので、特に今付けているバンパーが手に入らなかったら、血眼になってこのバンパーの入手を考えていた筈。
イメージ 1
 これは自宅を出発直前のメーターです。
イメージ 2
 そうしてブログ友のOさんにお会い出来テンションUP!
イメージ 3
 長年探したグリルモール左が出てきて更にテンションUP。右は出ますが、左は今付いている物含めて結構な年数を掛けて探しました。
イメージ 4
      実はこの部品9月のオールオッズで、丸テール用のモールが欲しいと現物合わせで私の車に合わせたマニアが師匠のスワップミートの場所から持ち出しており、一つは間違いなく丸テールで、もう一つはこれで
 ハスキーボイスだったのもあり、出せるだけの声で
「かえず(これ)は涙目用=1963年式用だずぅ、けん(これ)が丸テールの1964年式用だずぅ。・・・・ゴホゴホ」
 
 私はもうてっきり売れたと思い、回復してから師匠に挨拶できないこと詫びて、話したら
 「あれね、高村君から聞いたとマニアは云っていたけど、あの人たちは丸テールに用があったらしいから売れ残ったよ!」と云って「ところざわに持って行くよ。」となり持参していただき購入したのです。
イメージ 9

 要再鍍金状態ですがそれ程でもないのでいずれ手放した右をもう一度探して再鍍金予定です。

イメージ 5          
こちらはスワップミートに出ていたバンパーですが、
状態が良くないのでオークションに出したが誰も落札せずでした。

                          
イメージ 6
                                                                        
バンパー以外でもモール等が出ていましたが誰も手を付けなかったみたいです。
ただ、気になる事がもしかしたらこの車20年前書類焼失させた時、代替えで買おうとした黒の昭和37年製造かな?と思いました。何分オーナーがイビズで交渉から1年ほどで車体に幾重にもビニールカバーを巻き付け「ふき」畑に放置して最近までそのままだったと聞きます。
傷み具合とモールが一部外版に付いた状態なので外版が結構綺麗だが、バンパーが駄目な所が怪しいのです

イメージ 7

実はホテルまでの場所が判りづらく結構ロスありましたので、距離はその分多いですが、イベントが終わってから距離を撮影しました。帰りは迷わなかったので会場までの距離が判ります。
イメージ 8

427キロでしたので、走行としては糸魚川やお台場よりは遠く思われます。




雪囲い

$
0
0
 全く興味がない訳ではないけど、庭弄りは余り趣味にはしていませんが、少しは興味があります。
 今母屋は築後48年で増改築を幾度か繰り返し良い状態ではなく、15年後を目途に建て替えます。
 その時現在の庭の大半を潰す事は計画にあり、今年は残す予定の木ばかりに雪囲いをしました。
イメージ 1
 キャラの樹ですが、これを中心に周りの樹と灯篭、蹲を新しい家に庭として使う予定。ここの風景が好きなので庭と和室の設計は出来ました。
イメージ 2
 ぶれましたが、この位置がいい。このまま新しい家に移植するぞ!
イメージ 3
南天。これはあと1本ありますが、15年後生き残った方を移植。
イメージ 4
 松の木の下にあるドウタンも候補です。
イメージ 5
 残念ですが、ここにある樹は全て処分。雪で折れたらそのままです。
 手前の大谷石ブロックは庭の土止め材に使う予定。奥のブロックは新しい家に移植します。
イメージ 6
  わらびの根は11月上旬までなので手に入れそこない、来年定植します。

カローラ、サニーの想い出

$
0
0
 11/28UPでなんとその日はヤマモティさんの誕生日と知り、その日に合わせての登録もされたとの事で急遽サニーの写真も我が家の車に近い物を発見したのでUPしました。
 なお我が家にはこれまで購入した車の写真はありません。その為ネット内で探すより他ありません。
イメージ 1
 ホイールキャップはオリジナルではないので、違うけどまさに色とグリルは同じ車です。このモデルが我が家でRS41の次に昭和47年6月に購入しました。
 手放す1年前は2枚ホイールキャップを紛失し、全ドアにあったドアバイザーは助手席だけ残り悲惨な姿でした。(この頃クラウンはホイールキャップ全て紛失)
 このカローラの想い出は廃車の時以外でも、最後の車検となった昭和55年6月にカローラ山形で我が家にメカニックが納車した時、車内から「ハッとしてGOOD」がラジオから流れて来ました。
 更に嬉しい事にホワイトリボンタイヤで納車なので私は大喜びでした。が・・・・
 親父が渋い顔、実は親父はホワイトリボンが嫌いで質が悪いと云うのです。直ぐにブラックになりガッカリしました。その為この歌はカローラのイメージの一つです。


イメージ 2
 これは探す過程で発見した山形55ナンバー付の当時もの写真。我が家は「山形55 そ 65-71」でクラウン以上何故か鮮明にナンバーは記憶しています。
 「て」ですので、このナンバーは昭和48年であろうと思われます。(このモデルにチェンジされたのは昭和47年9月から)解体屋でもこの色が結構入庫しましたので、我が家の車よりずっと程度良い車も入り、親父にぶつけて破損した所は解体部品で直す様促しましたが、直す事はありませんでした。

イメージ 3
 サニーB310がこれ。このモデルは廉価版のDX以下なので、親父の直属の上司で友人の父親であるH先生の車と同じ。
 私も平成9年まで乗りましたが、元々が整備不良な車でしたからオーバーヒートを頻発して、夏場は特に乗れた代物ではなく、その為解体屋で程度良いクラウンの廃車をとっかえひっかえ乗る事になりました。
 GL(或いは1300SGLだったかな?)なので、初めて目にするリヤガラスの電熱線に感動し、専用SWに熱線がONになっているオレンジランプには廃車、解体屋に出すまでお気に入りでした。
 しかしボデーの質が悪くて、1年生の時のクラス担任(若い女性教師)が左リヤフェンダーに思いっきりぶつけ、そこを格安鈑金修理したのが原因で私が乗る頃は激しく錆が噴き出て学生時代はアルミテープで誤魔化し、他にもあちこち腐って廃車しました。

 廃車後は今スチューベンが有る所に置き、当時はサクランボを植えており、消毒がかかった事もプラスされ左リヤフェンダー近辺から朽ちて近所の子供から「お化けが出そうな車」と怯えられました。販売してくれたM市議さんすみませんね。10月の市議選で1票入れたのでお許しを。



3Rガスケット

$
0
0
 少し前ですが3Rエンジン用ガスケットと云う事でヤフオクで落札しました。
 社外品ではありますが、現在使用中のガスケットが抜けた場合に備えての落札です。
 このエンジンのタチの悪い事は3Rと3R-B用があり、厚さが違います。この点が他のエンジンと違いタチが悪いですが、せめてものの救いがヘッドを削れば3Rエンジン仕様にはできます。
イメージ 1
 以前集めた部品を含めてエンジンガスケット類。もう一セットOH出来る量がありますが、主な物はこんな感じかな?
イメージ 2
 3R-B用もあるので、間違わない様に書きました。

ひっぱり屋さん有難うございました。

$
0
0
 以前から欲しいと思っていた、エンジンプレートですが、10年近く前黒の昭和39年式の車両にタマタマ残っていたそれを貼り付け妥協して満足していました。
 タマタマ夏頃ひっぱり屋さんが、その妥協の産物を探され、私は強引に今回頂いた黒と交換を(ただし上手く剥がせればですが)申し出ました。

 で、涙目用は今回UPする物が純正です。

 その前に実は私の車以前少し前に書きましたが、温度調整SWとしてオリジナルに近い物(角テール用)があり、それに替える為一時入院としましたが、本当の入院の理由はショックアブソーバーの交換で、タマタマ流用品の選択に失敗しテクノアートさんに依頼し、それが時間がかかって居る事、ブレーキが突然「すぅ~っ!」と云う感じで抜けるので(ブレーキフルードは漏れていない)その修理、キャブのオートチョークの清掃その他諸々があり、長引きそうな状態です。
 本日テクノアートさんに行くのでリポートを次回以降予定しています。

 それに今タイヤ交換で整備着手がかなり遅れているので漸く始まったばかりみたいです。
イメージ 1
 これが涙目用のエンジンプレートです。色は覚えていましたが、39年式用よりは小さい感じがします。
イメージ 2
 新車で購入当時こういう感じで納品されるそうです。我が家の車は完全に無くなって居り、恐らく気付く事なく捨ててしまったと思われます。
 実は私の車は書類を焼失させた時、整備手帳もろとも取扱書類全て集団収集ごみの燃えるごみに捨てたらしいです。その中には今だ手に入れられないクーラー取扱書もありました。
イメージ 3
 裏がこうなっています。近く貼り付けるので貼る前に。

クーラー温度調整SW

$
0
0
 最初に購入した温度調整SWですが、不作動でしたので、暫くは復活当初付いていたゴツイSWでしたが、イザ暑い時となると見えない所に設置した事もあり手元で調整してアイシングを予防する事が難しかったので、不作動だったSWを何とか改造して作動SWにできないか?と相談した所、困難が付きまといオリジナルを探すとなり、以前ヤフオクに出て誰も落札しなかったSWを在庫確認し、あったので取り付けの運びになりました。

 オリジナルのSWも入手は出来なくはなかったと思いますが、現実問題リヤシートまで行って調整ではゴツイSWを撤去したメリットが「殆ど」なく結局はアイシングでクーラーが使えない悲惨さを味わうので、オリジナル編重はやらない事としました。まして家族の誰もが乗らない車ですから。
イメージ 1
 実はこれまでこの位置での撮影は嫌がりました。その為この位置からの写真は基本的に有りませんでした。
 なおダッシュの下がスッキリした状態は短期間で終わる予定です。近くETCを取り付けます。
 この間のクラウンピクニックで、東北道川口ICはETCが中心になり危険な思いで一般料金所に行き、カッコ悪いとか云って居る暇がないと感じました。
イメージ 2
 こんなにゴツイSWがありました。不格好で気に入りませんでした。でもこれが無いと作動しないので仕方なく我慢して気ました。
 もしこのSWが必要な方居ればお譲りしますので、ゲストブックに連絡先をお知らせください。一応40年以上前のクーラーSWもこれと同じ物が付いています。
 後付クーラーのSWが作動しないとかあれば役に立つ筈。尚「着払い」になりますがお申込み下さい。
イメージ 3
 先ほどメリットが「殆ど」なく・・・と書いた理由がこれ。
 以前はこの近辺は配線が走って居り、余り見栄えが良くはなかったのです。オリジナルに「準じた」仕様にしてスッキリし、同時に以前何気に気にしていた「ヒューズが何処に有るか判らない」の不安が解消されたのです。
 
 作りについては判りませんが、このオリジナル温度調整SWを付けるには一部配線変更が必要と云われ「エラい事になった!」と思いましたが、今まで空き室だった
6本ヒューズボックスの真ん中に25Aのヒューズを入れる事が出来る様になったのです。
 実はこの空き室こそが、OPTでダッシュ、トランク関係なくクーラーを取り付けたらヒューズを入れる事になっています。
 
 今度は何かあった時パニックにならずに済みます。
まして、クーラーなんて云う代物は当時車内のアクセサリーでは一番電気を喰う上、それにヒューズが無いは恐ろしいと思います。
イメージ 4
 たったこれっぽっちのSWの為大掛かりな事態に陥りあ~あでしたが、良い方向に流れるので費用は掛かるが致し方ないでしょう。
 それとブラケットの上の方向を見ると、グレーの樽状の部品がありますが、これは昭和42年3月製造の壊れていたSWの部品で、幸いこの部品は生きていました。
 安全に不可欠な部品で、今回入手したSWには付いて居らず安全対策で移植しました。

 こんなSWですが「ニコイチ」で組み立てたのです。
イメージ 5
 新たに配線が生じましたが別に私は構いません。
イメージ 6
 見えにくいですが、左側にコイルばねがありますが、そこが温度検知器です。これをマットの切り込みの所に差し込むのです。
イメージ 7
 差し込むと概ねこんな感じです。


ところざわのバッチを付けてみました

$
0
0
 元は品川ナンバーだったVNY30ですが、購入以降山形県内から出た事ない車になりました。
 クラシックカーフェスティバルインところざわのバッチを付けてみて旧車の雰囲気を味わう事にしました。
イメージ 1
 カミさんの実家から玄米を買うので玄米運搬には欠かせないライトバンです。
イメージ 2
 無論農作業にも使います。
イメージ 3
 今回は19回と云う事でVNY30に付けました。20回はRS41に付けたいナァと思います。
 以前初めて参加した17回のバッチ付けましたが、きつく締めすぎたのか、程なくして付け根が根元から折れたので17回のバッチは廃棄しました。
イメージ 4
 今年のバッチです。やはり20回でRS41に付けたい。さてどんなバッチになるやら?


ブレーキ回りもOH

$
0
0
 クラウンが入院した事を書いた時、ブレーキが「ふわ~っ!」とした感じになると書きましたが、マスターシリンダーをレストア後13年間全く弄らなかったので、恐らくそこに問題があるとなり、今回OHする事となりました。
 ホイールシリンダーは10年前に交換し、カップもその時交換しましたが、今回は念の為これも交換し、同時に弄らなかったクラッチレリースシリンダーもOHする事としました。油圧系は全て弄りまして、ブレーキホースも13年となり交換します。

イメージ 1
 思えば15年前、トヨタ共販通いのスタートとなった部品がこれだった。その頃までトヨタなんぞにクラウンの部品はもう一つもないと思っていましたが、OTの51号のこの記事に目が留まりました。

イメージ 2
 ボロボロのクラウンカスタムの復活記事です。このマスターシリンダーが・・・・・

イメージ 3
 「新品のマスターシリンダーが光っている」に目が留まり本当なのか?と半信半疑で注文したら・・・・
 程なくして入手出来てその後2年ほど金がたまっては共販通いがスタートしました。

イメージ 4
 既にブレーキホースは、製造廃止でしたが、現物合わせで入手ですが、今回は残念ながらこれに近い物は全て製造廃止か在庫なしで、止む無く特注でステンメッシュに切り替えです。
イメージ 5
 クラッチ&ブレーキペダルの部品の一部も交換。
イメージ 6
 見づらい1つをアップで。
イメージ 7
 この部分です。少しガタがあり、交換します。

 レストア当時新品だった部品も結構ガタが出て交換時期に突入しており、時間の経過の長さを感じます。やはりあの当時新車だった車も今多くがスクラップ。


31470-30030の不良品

$
0
0
 この品番はレリースシリンダーASSYで、数年前までは供給されていました。31470-20020は1964年式以降の40系用でRT40系も共通部品になっています。
 20020はこれを注文した平成12年~14年までの間に製造廃止となりましたが、30030は1963年式のみとなっていますが、もしかすると他に転用された車があったと思います。
 今回紹介するのは平成12年10月7日販売部品に不良品が見つかり、もしこの時期に購入した方がいらっしゃいましたら不良品が納品された可能性があるので確認が必要と思われます。一応20020も基本先端部品が違うだけなので確認した方が無難です。
イメージ 3
  レリースシリンダーASSYです。

イメージ 1
 丸いボ部分が本来図の部分になくてはなりませんが、そこにはなく、シリンダー内部にコロリと落ちていました。中に落ちる構造ではありません。
イメージ 4
 次に部品注文する時に役に立て様と考え伝票は残していました。
イメージ 2
 幾らでも判る方がいればと思い、伝票のデータをUPしました。でも10数年異常なく作動したものだ。
 それから、油圧系部品のシール類は殆どがフネフネになっていましたので、13年は交換時期です。

整備途中経過

$
0
0
 家から20キロ離れた工場ですから、滅多に行きませんが今の所難関の一つクーラーの温度調整SWが間もなく終わる所だそうです。
 作動確認すると指定位置通りに、きちんと温度が調整出来て昭和42年3月製造のコンデンサーも規定通り作動したそうです。
イメージ 1
 写真は少し前ですが、ブレーキはホイールシリンダーのカップゴムは全て交換しました。リヤの左が20年前のイベントで発見したミヤコのRS40用ですが、トヨタ共販で購入したゴムに入れ替えて居ります。(右は某整備工場で1つだけでてきた純正品)

イメージ 2
 ブレーキホースは特注で発注済み。ブレーキシューは十分そのまま使える状態です。


畑全体に施肥

$
0
0

 これから雪が積もり畑全体に施肥します。魚粕、油粕、牛糞、米糠を撒き雪の力を借りて発酵させ来春に向けます。写真は自宅前の畑ですが、葡萄園も同じ対応をしています。
イメージ 1
 クローバーやスズメグサが生えていますが、これらは枯れていい肥料になります。
イメージ 2
 キャベツの残渣。このまま上に米糠を振掛け発酵させます。
イメージ 3
 玉葱。今は有機肥料を沢山施し冬に備えます。
イメージ 4
 人参の収穫が始まりました。
イメージ 5
 ホウレン草。こちらも大分収穫が終わりました。

黒プレートを有効にお使いください

$
0
0
 黒いプレートをこの間の赤茶色の交換品として有効にお使い頂ければ幸いです。
 このプレートは昭和39年3月に登録したクラウンRS41Cから頂いた物で、この車の初代オーナーは市内では有名な木工会社の社長。宮内庁に自社製品を納めた事でも有名です。
 因みに当時の社長の孫と中学時代は同期で、彼が生まれる前にはこのクラウンとプレートは福島県のオーナーの手元に渡っていました。
 それが流れて宮城県内に流れてそれから分けて頂きました。廃車証明書は無くなっていましたが、ラジオと時計の説明書とこのプレートだけが残って居ました。それと保証書と思われる物と。それで同期生の家から出たと判りました。
イメージ 1
 欲しいとは思って居ましたが、ひっぱり屋さんが話題にするまでは、赤茶色プレートはあちこち探すも出て来ません。2年のほど前に「もうない」とみなして使いました。
 因みに初代オーナーは私のお爺ちゃんが亡くなった翌年82歳で亡くなりました。
イメージ 2
 頂いたプレートはこのように貼ります。
イメージ 3
 整備士ならこう貼るだろうと、整備士の心理で貼って貰いました。真ん中に貼るはないそうです。(私は真ん中かな?と思いました。あ~危なかった)


Viewing all 1734 articles
Browse latest View live


<script src="https://jsc.adskeeper.com/r/s/rssing.com.1596347.js" async> </script>