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Channel: 高村円淨のブログ
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巨峰の剪定

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 実はクラウンが無い方の棚とナイヤガラは時間の都合で写真を撮らずに剪定を終えました。
 今年は剪定するのによい時期が皆出勤日で早目にやってしまいました。
 概ね12月中旬がやるならいい時期と思います。
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 毎年の如く剪定前。結構伸び放題。
 1年でこんなに伸びます。何年も実を成らせた枝、実がならなくなった枝もこの時期に切り落とします。
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 結構むちゃくちゃ、このままでは実は成りませんので剪定が必要です。
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 葉っぱは皆落葉したので、12月ですから問題なく剪定できます。
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 剪定後。スッキリしました。
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 枝が競り合わない様に、間隔を空けて切ります。
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 芽は5~6程度残せばOKです。
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 この後はスミチオンで消毒します。


ジャイアントオート三輪

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 私が6歳頃の記憶で鮮明な記憶に残るオート三輪がこのジャイアント号。他にコニーを輩出した愛知機械工業と云うメーカーで、昭和40年に日産の傘下に入ったメーカで現在も日産車のエンジン開発をしております。
 その中でも半漁人みたいな顔をしたこのモデルは強く記憶に残り、親戚のお寺にこの三輪車が2台あり、1台を借りて農作業に時々使ったり、当時親父が勤務した山形市内の中学校にもこれで何らかの作業の為乗りつける事がありました。
 親父は運転免許は昭和47年取得で、オート三輪現役時代の取得ではないけど結構運転が上手かった記憶があります。

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 お寺にあったモデルは黄緑と云うかくすんだ緑のモデルと、もう少し写真より濃い色の青がありました。
 私は緑系のモデルに乗りました。
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 今も鮮明ですが、フロアーシフトがやけに長かった記憶が残って居ます。
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 ブレーキ&クラッチペダルは何だか操作しにくそう。ここは記憶にありません。

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 親戚のお寺はR48沿いにあり、恐らくは関山経由で仙台に行った事でしょう。今は亡き親戚のボーさんも結構車好きでしたし、親父が昭和56年に私の母校に赴任し、60年3月に定年退職するまで親父の直属の上司でした。4月から亡くなる日まではサニーで書いた友人の父親が上司になります。
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 車幅はこのクラウンより広いジャイアント号ですが、こっちは中々運転してくれませんでした。

剪定が終わって

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 スミチオンに展着剤を入れて消毒します。昨年まで展着剤の存在は知らず、何度かこまめに消毒を散布していましたが、今年からその苦労から解放されると思います。今年は春先に施しましたが、カミキリムシに喰われた被害は僅かでしたので効果があると思います。
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 12月上旬に剪定した巨峰です。
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 こちらはスチューベン。
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 余った端材で低い棚を作りましたのでここも同じ12月上旬に剪定して消毒しました。
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 ナイヤガラ。来年も今年の様な甘いナイヤガラを期待します。
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 剪定した枝はスチューベンの裏に積み上げてその上に造園屋さんから頂いた廃藁縄を積み上げて米糠を振掛けます。
 将来的にここはワラビ園になる予定で、根っ子がここまで伸びるまで、枝を捨てて、廃藁縄を積み上げます。
 11月頃カブトムシの幼虫が3匹ほどこの中に居ました
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 柿の木は2月の建国記念日以降に剪定予定です。昨年は同じ12月に剪定して今年は実が少なかったのでもう一度2月にやってみます。
 施肥をしたので、米糠や油粕、魚粕、牛糞は施しました。そこに落ち葉を敷き詰めて、藁縄を積んだのです。
 今後ワラビがスチューベンの後ろに延びたらここが枝捨て場となる予定です。
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 かなり小さいですが、どうせ植える予定が無かったので葉っぱがかなり食われて駄目になったと思った晩生のキャベツはここまで育ちました。

整備状況報告

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 昨日20時時点での整備状況を報告致します。
 一番の懸念事項のブレーキホースですが、制作が終わり納品になったそうです。無論オリジナルの様なホースではありませんがこれは仕方ありません。
 同様にマスターシリンダー、ホイールシリンダーはOHが終了。レリースシリンダーはOHキットが手に入るが、納品が遅れまだ行って居ません。(いずれのOHキットはトヨタ共販で入手できます)
 クーラーの温度調整SWは終了したそうです。きちんと作動するので先ずはホッ!
 
 他にも色々ありますが、全て終了したらリポートをUPいたします。
 イヤイヤ、このままクラウンネタ、ブログ全体のネタが枯渇するのでは!と焦った中でしたが12月20日にどうにか完成すると思われる状態にこぎ着けました。
 

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全面施肥

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 葡萄園の方もひとまず終わりました。
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 ホウレン草を植えまして、初め害虫にやられた!と思いましたが復活して大分収穫できました。意外に強いな!雑草は肥料になるので、このまま肥料を散布しました。
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 ここの大根も初めはやられましたが、良い具合に育っています。大根5本ほど収穫して知人に分けました。
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 クラウンの車内整理整頓しました。近く一輪車を入れます。
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 剪定で生じた枝がまだ残って居ました。
 「おらだ、これから肥料になるんだべか?」
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 珍しい青空です。「東京の青空が恋しい!」

第一次昭和切手

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 今年の初めに撮り溜めた郵趣ネタを再開します。今回は昭和12年発行の切手で、いよいよ日本が戦争突入した頃です。切手も段々と戦争の色が濃くなります。
 今日本は戦前に戻ろうとしている感じがしますが、どこかにそれを連想させる物無いでしょうかね?
 私は第二次世界大戦と云う言葉は原則使いません。大東亞戰爭と基本使いますが、これは昭和12年7月7日の日中戦争も含まれるとありますが、今後いずれUPしますが、昭和17年に「大東亞戰爭開戦1周年」の寄付金付き切手が存在しますので昭和16年12月8日が大東亞戰爭が開戦したとみています。
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 7銭切手は現在の北朝鮮にある金剛山です。当時は日本の領土でしたのでこの辺りが戦争を匂わせます。
 8銭は明治神宮。
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 10銭は東照宮です。12銭は航研機とされていますがゼロ戦に関係あるのかな?この辺りは私は判りません

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 14銭は春日大社、20銭は富士と桜です。
 ここまでの切手で敗戦後使用禁止切手はありません。
 今後UPの切手に使用禁止が出てきます。

昭和一次切手 高額

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 本日は25銭以上の高額切手を紹介いたします。
 これらの切手も戦後使用禁止になった切手はありません。私が入手したのは30年近く前ですが、何分当時は糊落ち切手ばかりで25銭以上はのちに手に入れた5円以外は全て糊なしです。糊なし=まだらに糊が残るなど裏の状態が良くない物を水で落としてからコレクション用に出す切手です。
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 25銭法隆寺切手。これは今もお気に入りです。この色具合が夕日を浴びる法隆寺みたいで好きです。
 俳人正岡子規が柿と法隆寺の俳句を残した事が良く判ります。
 30銭は厳島神社。これも30年前に入手。
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 50銭金閣寺。この切手も25銭に次いでのお気に入り。
三島由紀夫の金閣寺では修行僧が美しさのあまり放火したとありますが、美を追求した人はやはり破壊的真理で恐ろしい事をするのでしょう。
 戦時中米軍は法隆寺を含め金閣寺も爆撃対象から外して爆撃したそうです。
 1円の鎌倉大仏。これも良いですね。周りの背景が大仏を綺麗にUPしてくれます。

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 5円藤原鎌足。これは糊落ちでも結構高く、買えませんでしたので後年になり入手。昭和一次切手では今でも最高額です。但しバブル期の様な高額では今は売れません。程度が極上でも今は7000円で売れるかどうかです。こちらはバブル崩壊後、就職氷河期の頃ですので程度は良好。
 10円梅図。5円と比べ地味でそれ程でもなく今の評価はそれ程でもなく、これも糊落ちです。無論戦後使用禁止にはなりませんでした。



第二次昭和切手

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 昭和17年~20年3月10日の東京大空襲までがこの切手の発売期間です。
 この時代となると戦争の色が濃くなり戦後使用禁止となった切手も多数あります。
 第一次切手もありますが質が良くない事が判ると思います。何分物資はない、油が無いで満足な切手が作れず印刷の質は勿論、紙までもがマトモな物がありませんでした。とてもアメリカには勝てない良い見本です。
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 1銭女工。これは使用禁止になりました。2銭は木造船の造船。こちらは使用禁止にはなりません。


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 乃木大将2銭ですが赤が昭和17年オレンジが昭和19年です。当然どちらも使用禁止切手です。
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 3銭も乃木大将、4銭は八紘一宇の塔、5銭は東郷元帥ですが全て戦後使用禁止切手です。


RS41退院延期!

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 イヤイヤ、大きな問題が見つかったのではありませんが、半分はヤバイ問題でした。
 実は今回の入院の原因となったショックアブソーバーは丁度良い物が見つかり、後は納品待ちだけですが、「ついでに」と診て貰った所が次々と問題が発覚したのです。(もちろんクーラー温度SWもついでです)
 ついで整備のブレーキが「ふわ~っ!」となる現象があり(原因はマスターシリンダーの内部部品の寿命)その過程で今度はタイロッドエンド左にガタが発覚!
 その原因がナックルアームのねじがかなり緩かったらしく、振動が原因で寿命が短くなり、8万数千キロ走っただけでガタが来た可能性が否定できないそうです。
 その為ショックアブソーバーの納品待ちの期間中に足回りは当然全体のガタを整備してもらう事にしました。

 ただでなくともトヨペットクラウンデラックスは長距離、高速走行の専門ですから「少し不具合がある」は絶対に許せません。もう一台のVNY30以上厳しくしておかないと命の保証がありませんから。いやVNY30だって、農作業や通勤用だから遅刻が許されないので・・・・。
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 今回交換したタイロッドエンド。右用は何処かのイベントに社外の右があり購入。左は以前書いた親戚のタクシー会社の倉庫に数十年眠って居たRS20用の純正です。長年の休眠中にグリースニップルが紛失したので、中古の程度良いニップルを探して取り付けました
 
 タイロッドエンドASSYはこの車をレストアした当時は共販から新品で入手可能でしたが、今は製造廃止。
 当時は左の品番は廃番となり、右と共通化しグリース注入方式を廃止しました。(右、左の違いはグリースニップルの位置の違いです)
 ブーツについては、古いので3年ほど前に手に入れた純正新品ブーツに入れ替えます。
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 この箱は昭和38年以前の箱です。39年以降5ケタの番号となりましたが、それ以前はこういう品番でした。
 尚RS40系はRS20系(当然30系も)とタイロッドエンドは共通部品でした。もしかしたら1963年式に買い換えた時も残していた部品かな?
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 ブレーキホースは新製しました。実は共販でこれまで付けていたクラッチホースを注文したら、長さが著しく異なり非常に長く使えないので返品しましたが、これより長いブレーキホースが無いとなり、更に長いブレーキホースには使えないので、もはやRS40系のホースは新製しか道が無いでしょう。
 以前UPしましたが、クーラー温度SWを取り付けその際配線変更に伴い本来のヒューズ配置になり、25Aヒューズを設置。真ん中に白が入りました。

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 リヤのホースですが、そもそもオリジナルではなく現物合わせでしたので、留め口が長くて切断加工して取り付けました。(13年前です)
 *ブレーキホースはマスターシリンダーOHに伴い、ホイールシリンダーもOHし全てブレーキライン、クラッチラインは新品になりました。

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 ブレーキ&クラッチペダル周りも消耗品は総交換。(これもUP済み)
 これ重要ですが、前回レリースシリンダーASSYは製造廃止だが、OHキットは手に入ると書きましたが訂正します。

 正しくは「OHキットは手に入るが、RS40用のシリンダーにはそのままでは組めない物」が手に入るでした。従ってセイケンクラシックからレリースシリンダーOHキットを買うが正道となります。


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 おまけ・・・昭和38年以前のトヨタの純正箱の一部。黄色の後が水色(一部淡い緑)、オレンジ、赤となり今のデザインになります。



クーラー温度SWの状況

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 そもそもこのSW、昭和42年3月製造の物を手に入れ、本来は3年ほど前に配線引き直しした際、ゴツイSWを撤去予定でしたが、残念ながら入手した物が全くの不作動で代わりの物もないので、ダミーとして使って居ましたが、今年の様なドエライ暑さでは到底このSWを生かさないとアイシングの原因になり、初めは何処かの情報ではプリント式に裏を改造して生かせると聞いてそれにする予定でした。
 時間を掛けて一冬掛かると見込んで今の時期に作業依頼と考えて居ましたが、ショックアブソーバーが壊れて、流用部品を探してもらうが、全然合わないクワセモノで、結局はテクノアートさんに全て依頼し、温度SWも「ついでに」と依頼しました。
 然し予想に反し、ショックアブソーバーの手配が遅れ、きちんと生きていたSWセンサーがスンナリ手に入り(尚通常温度調整SWはそう滅多に壊れないそうですが)一冬掛けての修理予定ではなくなり、早期に修理完了となりました。
 入手したSWは昭和41年2月製造で、いずれのSWは角テール以降のトランククーラー付の車両から外した物です。
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 特に従来と見た目は変わりませんが、余計な配線が減っただけにスッキリした感じのダッシュ周りになりました。今まではこの位置からの撮影だと恥ずかしい位配線が漏りこぼれて居ました。
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 助手席周りは激変する綺麗さです。本来の流麗なクラウンに近付きました。
 クールファンが有るので本来あったダッシュトレーは外しましたが、RS40やマスターラインはこんな感じになります。子供の頃はダッシュトレーにお菓子を入れて、長距離ドライブではそこから取り出しては食べて居ました。ですからこの車汚ったねぇ~車だったのです。挙句煙草プカプカ・・・・。中古は嫌っすも判りますね。
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 トランククーラーですから、センサーはほかの配線に沿って走ります。
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 本来ここに配管は通りませんが、R134化に伴いエキスパンションバルブをこの様にしないと取り付けられず、今の姿になりましたが、これが思わぬメリットが出ました。温度SWセンサーを取り付ける時オリジナルより容易になりました。多分オリジナルだったら、かなり大変だったでしょう。

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 こちらは配線を引き戻してスッキリ。
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 エンジンプレートはこの様に貼らせて頂きました。

第二次昭和切手

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 前回の続きですが、ここに紹介する切手の多くが戦後使用禁止切手になりました。
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 東郷元帥5銭、勤労奉仕6銭ですが共に使用禁止。昭和17年に発行されました。
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 10銭は大東亜協栄で当時のの本領土ですので、真っ先に使用禁止です。27銭は靖国神社なので例外なく禁止切手ですが30銭は厳島神社なので使用できました。
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 40銭はともに台湾のガランビ灯台ですが左が昭和17年右が19年です。
 映りがイマイチになりましたが、10銭は敵国降伏で、米英を指すのでこれも即時使用禁止ですが昭和20年の2月に発行されました
 15銭は少年航空兵当然これも使用禁止。この切手に憧れて特攻兵になった者もいます。

殺菌剤散布、米糠中間散布

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 先週殺虫剤を展着剤を入れて散布したので、今回は殺菌剤を同じく展着剤入れて今年の消毒は終わりとします。
 こちら山形今週は積雪がなさそうなので、米糠だけを畑に撒いて滅多にしませんが中間散布としました。
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 車好きとあり、どうしてもクラウンのある棚が中心ですが、全ての葡萄棚に散布しました。
 「ないだてぇ~やぁ~、まだあのオヤヂ消毒しやがった!」・・・・。
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 ボンネットはこの様に濡れました。
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 冬場の対応の為前の席に積めるだけ荷物を積みます
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 一輪車を入れる為後ろ席を広くします。
 手前のカバーはコンポストに積雪期に掛ける為おいています。間もなく活躍予定。
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 スズメグサが青々としていますが、積雪により枯れるので、米糠をたっぷり撒きます。それとここは玉葱を植えましたが、自宅前よりは良くない苗を植えました
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 大根と害虫に喰われましたがどうにかキャベツ(晩生)が収穫出来ました。

タイロッドエンドその後

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 今トヨタ共販で販売されているオリジナルより大きいブッシュを付ける必要が有る事と、特に50年を経過した左の部品なので大丈夫か気にしていました。結果は問題なしできちんとグリースも充填したそうです。
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 RS20用のタイロッドエンドで勿論純正です。製造は昭和38年以前。よくぞ何十年と残った物です。
 本来はRS20用で購入したのかな?親戚の会社にもRS20があったのは確かです。
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 グリースニップルは程度良い中古を再使用。数十年の眠りの中で紛失してしまいました。
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 こちらは社外品のタイロッドエンド。これとて40年は裕に越しています。これは何処かのイベントで発見し購入しましたが、20年前だったかな?
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 グリースニップルはこの部品に残って居ました。新品です。

 それと撮影は忘れましたが、クラッチレリースシリンダーは無事OH終了しました。マスターシリンダーも完璧にOHしました。
 


下回り整備

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 ブレーキホースを全て一品物製作品に交換しました。また撮影した12月23日時点では試にと注文したショックアブソーバーが問題なく取りつく事が確認でき、24日には全て納品になり、今は11月以降悩ましかったショックアブソーバー問題は全て解決しました。
 明日以降今度はハンドブレーキに問題が発生し、今はストックしていたパーキングブレーキワイヤーを使い交換中で状況が判り次第UPいたします。
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 ブレーキホースフロント右。
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 昨日UPしたステアリングナックルアーム部分のボルトが緩んでタイロッドエンドを早く駄目にしました。
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 こちらは左前輪です。
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 リヤのホース。
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 こんな形で取り付けます。
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 新しいショックアブソーバーは赤になりました。
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 整備後改めてまでの経緯をUP予定です。

ハンドブレーキワイヤー

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 実は足回りの整備の中でハンドブレーキワイヤーが交換が必要となったのです。
 確かに「効き」はイマイチでしたが、ワイヤーなんぞ交換して意味が有るのだろうか?と思って居ましたが今回交換してかなり意味が有る事が判りました。
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 外してビックリ仰天!「よくぞここまで持ったナァ!」
 そんなレベルで、もはや寿命は遠の昔に尽きて居た感じでした。またハンドブレーキワイヤーその物は前後とも伸びており、とても使える状態ではないです。
 恐らく今回先延ばしにしても2~3年以内には切れたと思います。
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 これはリヤのケースですが、もはや折れてしまい全く用をなしていません。
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 リヤ側の一部はケースすらない状態でした。
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 フロント側もケースが割れたりワイヤーが伸びて使い物にはなりません。

 因みにフロントブレーキワイヤーについてですが、

 3RS41-27748の車体番号以降は「1964年式」のフロントワイヤーを使わないと取り付けが出来ません。長さは1963年式も64年式も同じではあるが、取り付け部分の1か所が異なり、取り付け金具は交換出来ず、私の車に使う事は出来ません。
 尚RS40旧型と書かれたワイヤーを発見したら、基本1963年式のみで、それも昭和38年5月18日製造以前でないと合いませんのでご注意。

 リヤについては、RS41専用品ですので、RS40や46用で購入しても取り付けは出来ません。但し年式に関係なく最初期から最終まで同じ部品です。
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 ワイヤーはフロント、リヤともに張り直しました。当然ですが、ホイールアライメントも測定しました。
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 今回入手したワイヤーは前後ともヤフオクで落札した物です。
 ワイヤー交換でサイドブレーキの利きが大改善しております。たかがワイヤーですが、製造年が少し違うと全然別物と云う事があり、これも奥が深いです。

ノスヒロ106号

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 ヤマモティさんの書き込みを拝見して、丁度ネタ切れ状態ですし、2004年発売の106号を買われたとあったので、第13回クラシックカーレビューイン日本海の想い出等を書こうと考えUPしました。
 それと咳込が見られ、目が醒めてしまい、体調を整えてから寝ようとも思ったもので今UPとなりました。

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 この写真は表彰後受賞者皆が集まり記念撮影しました。あの時の審査員は確か・・・ノスヒロ編集長、CG編集長が居た筈で、特に今は亡きM編集長が当時審査した筈です。
 初出場でまさかこんな栄誉有る表彰を受けるとは思いませんでしたね、だって糸魚川に集まる旧車は名だたる旧車が多く、それこそ「継ぎはぎだらけ」みたいな私の車は選ばれるとは思いませんでした。

 そもそも糸魚川に自走で参加するには、正直自信が無かったですね。確かにその前年には2度福島に出かけたし、2004年はどうにかK師匠のガレージまでは自走しましたが、それは師匠より修理をして頂くので故障しても師匠にSOSを求めれられる!と云う安堵感があり糸魚川までの自走は大丈夫なのか??と思った物でした。因みにこの年の5月~8月までオーバードライブの修理やら細々とした修理を依頼しました。
 
 それと当時はナント!「当時もの」ホワイトリボンタイヤだったのです。まさか100キロで走るとは想定せず、80キロ以内で走り、当時ものでも何とかなるだろう!と云う安直な考えで走りました。(その後の第16回クラウンピクニックにもこのタイヤで横浜まで走りました。今思えば怖い事していました。)

 尚今の職場に就職してから2~3度は農作業や草ヒロに出ている平成4年式のクラウンで糸魚川に見学で出かけまして、遠さは判っています。ただ救いだったのは国道7号線が高速道路並みに走りやすく車に負担が少ない事ですね。

 実はこのイベントは私自身が雑誌を見て参加したのではありません。3代目クラウンオーナーとして有名なAさんのお誘いがあったからですし、常日頃このイベントは面白いとあり、いずれは参加したいと私自身思っていました。まぁレストアから2年なので大分車も安定したと考え思い切りました。

 糸魚川でのイベントでは先ず、前夜祭に参加するとよりイベントを楽しめるとあり、必死で実行委員会が斡旋したホテルに予約を取りました。ノンビリしていると直ぐに満室になる凄さです。
 それと2004年の土曜日は確か曇りの天気だったと記憶していますが、イベント当日「ドエライ」大雨でした。
 
 余りの激しい雨に「こりゃ~参った・・・」でしたね。それが忘れられません。確か台風が発生したと記憶しています。今もそうですが、海岸線を走る「シーサイドパレードラン」と市街地を交通安全標語を掲げて走る「交通安全パレードラン」に参加するイベントですが、当時は高速走行は自信がなくて市街地パレードを選びました。

 それとあの日はシーサイドパレードランの時間帯はかなり激しい雨で、とてもじゃないけど当時の私には無謀な事でした。但しパレード前の開会式の時間だけ雨が収まる奇跡があった事は忘れられません。

 所が・・・お昼近くなると段々と雨脚が弱くなり、昼食時間帯には完全に止んでパレードは晴天の中での実施となりました。なんと云う奇跡なんでしょうね、むしろ暑いくらいになりました。

 さてパレードから帰還すると大○保実行委員長より「日本海大賞ですよ!」と囁きがあり私は「ハヘ・・・?」ナンノコッチャ?と云うのが初めの正直な感想でした。
 すると一番の賞としりビックリ!

 受賞理由が「平素から大切にしている事が判る」との理由でした。確か当時宿泊したホテルに日本クラシックカー協会の会長が宿泊しあの時(土曜日)ワックスがけした記憶があります。これは遠くのイベントに行くとよくやります。

 受賞した時、30年近くに渡る苦労が色々蘇りましたね、でも同時にその苦労がいっぺんに記憶から抹消され、「あれ~、俺何したっけ?」となりました。

 さて、あれから12年の月日が流れましたが、2004年当時と比べわがクラウンは確実に日常使用ができるレベルになりました。むしろあの当時は「マダマダ発展途上段階」で確実に今の方が日本海大賞が相応しいと自分で思います。

 あの後ですが確か「華麗なる一族」に出演しないか?のお誘いがありました。但しこれについては題名が初めから知らされたのではなく、数名のエキストラの名前と概要を聞かされましたが、私は
 「まず、ダブルクラッチ操作ができる俳優さんでないと私の車は乗りこなせないし、コラムシフト操作に熟練した人でないとマトモに走らせられない、ガタがきてではなくて、当時のトヨタ車の特性だし、それが嫌ならトヨタの旧車はきっぱり諦めなければならないよ。」とはっきり云いました。あの時私立探偵濱マイクに出た車の話にもなりまして、色々関わったので判りますが、やっとやっと走った状態なのであれよりは楽な筈だけどと話しましたが、調査結果は「ダブルクラッチ操作は出来ない」となりお断りしました。
 「華麗なる一族」の制作会社と濱マイクの制作会社は一緒だった事も付け加えます。

  あの時思った事は「ダブルクラッチ操作ができるドライバーの最年少が私かな?」と正直思いましたね。そんな私ももう40歳を大きくオーバーしましたので、旧車運転が出来る者が居なくなるのもそう遠くないでしょう。



退院しました

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 予定より大分遅れましたが退院となりました。
 今回は思わぬ長期入院でしたが、人間と同様整備工場も「セカンドピニオン」が必要である事を学びました。
 さて以前返信に書いていますが、入院の顛末を今日はUPさせて頂きます。

 問題の発生は11月でした。実はブレーキが「ふわぁ~っ」とするをクレームで主治医に出した時
 「リヤのショックが抜けている、特に左が酷い。それが原因でブレーキがおかしな作動をする。」
 と云うのです。どうも私には「胡散臭い」としか思えませんでした。
 何分ショックが抜けたと云うなら、それこそ馬鹿でも判る異常な作動をするし、そんな様子は見られませんでした。それを知ったのは11月頃で、実際整備をした9月上旬に「ショックアブソーバーの異常」を整備記録に残しているか調べたが、何処にもその様な文言はなく、本日も再チェックするがやはり書かれていませんんでした。

 但し抜けたショックはモンロー製品の社外品で、3年ほど前糸魚川から帰る時初めのショックが抜けて、知人から品番を教えてもらい入手しました。
 フロントに関してはKYBのRS40,41用をM社長に送って探してもらいベストマッチの純正と云っていい物を入手しました。
 ですから「あ~あ、所詮社外の安い物だからなぁ、3年で逝ってしまったナァ。」が初めの感想でした。(恐らくですがモンローのそのショックはそもそもRS41には合わない物かも知れないとの話もあります)

 3年前の実績で、きちんとした物をしようと、M社長にお願いしようとなり、同じく新品のKYBRS41用を送りました
 だが、意外に探し方が難航しました。
 「山形の整備士の場合きちんとボルトオンの物でないと取り付けは出来ない、3年前探して頂いた時の物も、ロアーの取り付け部分がプレス機で抜けばいい物をそれが出来ないので取り付け出来ない。と云った位なので社長の様に加工して取り付ける物は絶対不可。サルでも取り付け出来る物でないと困ります。」
 とお願いしたので難航したのかもしれません。(メーカーは何でも可としました。)
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 M社長を信じていたので、届いても中身を確認せずに主治医にショックアブソーバーを手渡しました。11/11の事でした。

 ところが・・・・いきなり電話が掛かりお昼近い時間なので「完成した、何時頃納車する?」だと思ったら、
 「ふざけた物だよ!全然合わない!取り付けてみるとコイルスプリングが外れたよ!」と怒号の報告でした。
 後で現物を見ましたがKYBのRS41用とこれまで付けたモンローと比べると明らかに目一杯縮めても数十センチ単位で大きく私もビックリしました。

 神経をすり減らしたやり取りがここから1時間ありましたが(大変でしたよ)ここで冷静なテクノアートさんに診断して貰う事としました。と、同時にショックアブソーバー他の整備を依頼しました。

 診断結果・・・・M社長済みません!それこそ物凄い加工をしないと取り付けは不可能となりました。初めに話した「サル程度のレベルでも取り付け出来る物」からは大きく外れますので返品とさせて頂きました。

 尚この写真はリフトアップをして別の作業中ですが、今の赤ショックはコイルスプリングが抜け落ちませんと云う意味で出しました。因みにコレはアルファーロメオ用で、この状態で数日経っていますがフツーにスプリングが付いています。
  
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 今はショックのボルト部分にこんな物が付いています。中々良いですね。
 左の配線はトランククーラー用です。
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 実はエンジンOHから早い物で7年となり、タペット音は今の所無いけど、調整を今までした記憶、記録がないのでやった方が良いのでは?と思い調整依頼を考えましたが、(長期整備なので)プロの耳でも問題が無いので先送りしました。
 何分、通常だと車検ごと調整なので、これだけ長いと不安になったのです。
 恐らくタペットが鳴らない原因として、基本的にメーカーや店員の顔が判るガソリン(私は出光)をずっと使って来た。結構良く走らせるからカーボンが溜まる暇がエンジンにはなかった。それが原因だと思います。
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 実は私、RS41の中でもこのSWのデザインがすごく好きなのです。水色のラインがたまらなく良い。それと手に入れて気付いた事が赤いラインもあったのですね。
 単に調整を楽にするだけが目的ではなくデザイン面からも、「何とかこのSWを生かせない物か???」は当初からありました。
 スタンダーズさん改めまして特別な計らい感謝いたします。とてもいい具合に使えて満足していますよ!
 因みにこのSWは昭和39年8月以降の車両から付いて、この位置に付くのが角テール以降から。
 1963年64年式はリヤトレーにSWが付きます。やっぱりオリジナルでなくともこのSWが一番使える。
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 カミさんに「どうだ!今度は快適にドライブできるぞ!夏場お前も運転して良いぞ!」と云うと

 「もうマニュアルは運転できないぴょ~ん、中古は間違っても乗りたくないぴょ~ん!」でした。
 
 「これ新車で元々買ったんだけど!」には
 「新車の頃私居ないんだけど!お爺ちゃんたちがどう使ったか判らん代物だっし~。」クラウンを運転して良いと云うと大抵後ろ足を「じたん、ばた~ん!」とか喉を「ブーブー!」ヤバイ、ヤバイ。

 私には新車感覚があるんですよね~ぇ、でお袋は・・・
 
 「このポンコツ、もう乗りたくない!娘(妹です)のポンコツの方がズッと良い」でした(笑)
 因みにお袋今は41年運転して初めての中古で、3月には日産の軽ディーズを購入し、これが最後の車になり、75歳になったら車と免許を手放す予定です。
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 今回足回りも念入りに診て貰い、ブーツも全てチェックを入れて「問題なし!」となりました。
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 ピットマンアームも異常なし!
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 タイロッドエンド交換でより異常なし。
 元医療従事者故、足回り、下回りは一番の要と考え、最良の部品が入れば直ぐに交換したり、ストックしています。僅かの不具合が命取りですからねぇ~。

 おっと、グロリアライトバンもそろそろ対策しなければね!

退院したが課題が!

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 昨日も退院してからR13を勢いよく走らせましたが、ショックアブソーバー交換のは御利益一応ありましたが、「極端に」判る程ではありませんでした。
 一方ペダルの「キーキー音」はピン交換によって見事解決し快適なクラッチミートが出来ます。
 タイロッドエンドについては・・・交換したけど変化が判る物ではなかったですね。
 これだけ大掛かりにして、何も感じない私は相当な鈍感なのかな?

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 毎回関山に撮影に行きますが、道路がシャーベット状態なので撮影はパス。止む無く自宅前にて。
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 市内を走って綺麗にして撮影です。
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 エンジンプレートが目立ちますね。イベントでも自慢げにボンネットを開ける様になるでしょう。
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 退院した昨日試にとクーラーを付けましたが、寒さが結構きつかったのか、退院直後は故障か?と思う状態でしたが、今日は結構冷えたな。3分程度で消してしまいました。無論LOで調整。(昨日はMでも冷えは感じなかった)
 因みにSWのボデーですが温度SWは結構緑錆がありますが、メインSWは52年間触っただけありピカピカ。
 緑錆の風合いがとても良いですね。
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 今年大きなご利益があったグリル。無論快適に使えました。皆さんのご協力の賜物です。
 やはりクールファンとのコラボは良いですね。
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 実は課題とは、ブレーキです。まだ
 「ふわぁ~っ!」としたブレーキ感覚が
 残って居ます。
  
 課題は来年に持ち越しで、工場でも新品を入手できるなら、それに交換するのが一番の近道だろうとなりました。

 理論的にシリンダー内部の部品が少し摩耗して空気が入りやすくなり、特に
 「じわ~っ!」とブレーキを踏んだ時は抜けた感じがするのだろう。との事。
 
  新品を入手したら、今ブレーキに使って居るシリンダーはクラッチに廻す予定。


東京大空襲後の切手

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 昭和20年3月10日の東京大空襲で、大蔵省造幣局は全焼し関東大震災に次いで2度目の目打ちなし切手が発売されました。昭和22年の初めまで目打ちなし切手が発売されます。
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 3銭は日章旗と桜、5銭は戦闘機ですが、5銭は戦後使用禁止切になります。

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 20銭は富士と桜。
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 30銭は厳島神社。
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 1円は靖国神社で戦後は使用禁止切手。
 5円は原版が焼け残ったのか、藤原鎌足です。

果樹の施肥

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 私の場合肥料は一気にドバッと施すのではなく、少しずつ時間を置いてやっています。
 撮影当時は雪が降ってはいませんでしたが、近く降るのでそれを狙って施肥する事としました。
 全て共通している施肥順は、米糠、魚粕、油粕、牛糞、燻炭籾殻としています。流石に作業途中は撮影が出来ないので、終了してからの撮影となります。
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 ここに来て10年近くなり、タイヤの1/4が埋まり、地面とバンパーのクリアランスが無くなりました。
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 大根の収穫が進み、リヤバンパーの姿が現れました。
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 ホウレン草は全て収穫し、害虫に喰われたがどうにか玉になったキャベツも収穫、先ほどの写真の所から収穫した大根です。
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 ここはホウレン草が植えてあった所、米糠が半端に余ったので更に散布。
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 質のいい巨峰を出す樹ですので、十分に施しました。
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 ナイヤガラ。来年も甘くなるように。
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 スチューベン。来年も並のシャインマスカットより甘い実を期待します。


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