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Channel: 高村円淨のブログ
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来年もよろしくお願いいたします

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 あっとの云う間の1年でした。ピンク怪獣の飼育と旧車趣味の両立をしていますが、来年も多分2つまでの県外イベント参加でしょうね。
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 この位置が結構気に入っています。
 さて、昭和38年紅白の映像の一つです。
 実は紅白歌合戦の開会式をUPしたかったのですが、何故か執拗な位何者かがこの映像を消すので安定しているこちらを選びました。同時に歌手によっても執拗な位消しにかかる様子です。
 この年我が家に今は私が乗るトヨペットクラウンデラックスがやって来て、今母屋が建って居る所に車庫があり、多分52年前の今日は走らせないで寝かせていたかな?何分当時は関山は一応は開通してはいるが、しばしば通行止めだったし、栗子は11月から通行止め。
 因みに母屋が建った昭和42年以降は旧自宅の一部を壊してそこに車庫を作り、丁度市長のお宅の真ん前が車庫になりました。(昭和62年以降は開かずの車庫になります)
 恐らく当時我が家では、今は私ら夫婦が住む家の台所の部分にテレビを置いていたからそこでお袋と叔母はこの映像を見ていたでしょう。
 以前紅白の開会式を見ましたが、バックには翌年の東京五輪の聖火を模した物があり、聖火ランナーがトーチで付けると電気の火が灯る仕掛けで、まさに学芸会の様なセットです。まだ日本は貧しかったけど明日への希望を感じる映像だと思いました。
 因みにお袋は13歳、叔母は11歳ですが、なんとなく当時の我が家の状況を1963年紅白を見ると見える気がします。
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 これは今年47年ぶりに訪れた関山峠山形県側入り口ですが(隧道近くには行っていません)新車だった昭和38年泥だらけになって走った事でしょうね。

 来年もまた阿呆な内容満載でピンク怪獣にPC破壊の被害が無い限り毎日更新予定です。



新年あけましておめでとうございます。

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 本年もどうぞよろしくお願いいたします。
 
 今年の年賀は関山旧道山形側入り口にしました。次点は義理の叔母が長年勤めた県立山形中央病院の隣の山形県立医療大学としました。
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 47年ぶりに訪れた関山旧道です。当然当時は未舗装も良い所で走ると直ぐに泥だらけとなり酷い場合はショックアブソーバーも抜けたかな?そこは運転手(現大叔父)の腕の見せ所。
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 とてもいい雰囲気でしたが、やはりホワイトリボンで写さないとイマイチだなぁ。
 それとやはりフォグランプを点灯させるべきでした。その点で次点となりました。
 大分夜間撮影が上達したとは思います。

 参加できるイベントは今年は・・・・考えるだけでも楽しいですが、できれば仙台クラシックカーフェスティバルを今年の初参加にしたいですね。

発見銀バスカラー写真!

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 何気に気にしていた山形交通バスの銀バスのカラー写真が見つかりました。写真左端ですが、これが創業当時のバスカラーでした。
 更によ~く見るとツートンカラーのバスも色が私が知る色とは違うみたいです。塗り分けも若干異なります。
 恐らくですが写真は昭和32年頃でしょう。ちらりと見えるSKBトラックが証拠で、この年我が家はテレビを購入しました。
 撮影場所は山形駅ですが、(山形大衆駅)お爺ちゃんはこの頃は山形ではなく多分天童駅だったと思います。
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 駅舎は昭和39年まで使われその後解体され昭和42年には赤レンガの「赤ビル駅舎」=山形ステーションビルになります。でも笑いました、「STATION」と表記され平成2年に解体されるまでそのままだったのです。
 この写真の時代は「山形駅」と表記だけだったと思われます。
 銀バスは当時関山峠(当然旧道)を定期便で走って居ました。無論馬力が無いバスでしたので、冬場子供たちが後ろに紐を引っ掛けスキー履いて引っ張るとスピードが落ちて運転手に怒られると聞いた事あります。
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 時代が近いと云う事で近所のスーパーでの撮影をついでにUP。

南方占領切手

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 先の大戦で日本は開戦から半年までは勝って居ました。その後爆竹の勢いでフィリピン、マレー、インドネシア、ビルマ等を連合国より奪還し日本領としようとしていました。(実はこれ等南方の国は連合国の植民地化とされていたので、独立させたいとの考えもあり戰爭に突入したのです。それと当時日本は石油の輸入が止められ石油の確保の観点もありました。)
 日本国内で南方で使う切手を発行して其々の国で使う目的で昭和17年より19年頃まで発行されました。
 当然昭和1次や2次の様な「昭和すかし」が切手の裏にあります。
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 フィリピン。2センタボの図案が特にお気に入りです。
 でもあの地で水田なんか出来たのだろうか?それに笠に着物は現地人は??
 でも好きですこの切手。
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同じくフィリピン。
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 帆船もあります。右はビルマ。
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 マライ=マレーシア。大日本帝圀郵便が入りますが、果たしてこれ現地人は読めたのか???
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 4セントは漁船かな?10セントは民家です。
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 マレーシア。
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 ビルマの像。

車検準備

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 車検は1/7の2ラウンドに予約しました。
 特に深い意味は無いけど、コイン洗車場で洗車しました。最も少し汚れを感じたので。
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 見栄えは洗車しても変わりません。
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 整備の都合上定期点検が車検期間より早く切れます。こういう変な期間となりました。
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 電球もOKです。今年の車検はどういう展開になるやら?


やっぱりクーラー不調!

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 数日前、退院直後殆どクーラーが効かないと書きましたが、その時の感覚が正しいと思う様になりました。その後何となく「3分掛けて居られる」と12/28のブログにありますが、記憶を戻すとクラウン8の吹き出し口の時なら兎も角、オリジナルになってからはとても耐えられないと記憶があります。
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 SW修理でおかしくなったかな??
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 もしやもしや??試に吹き出し口に手を当てると・・・
 ややや??ガラスに向けてエラい冷たい風が吹き付けます。
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 RS40系のガラスはカーブがきつく、12/28は何らかの条件が整い冷風が届いたのでしょうね。
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 この角度が確実に冷風が届きます。道理で初めにグリルを立てた時渋かったんだなぁ。前オーナーはずっとこの位置で立てていたと思います。

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フラットにすると違いが判ります。

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 当然ですがこのまま使うと今の季節1分もしないうち、消したくなります。3分となればやっと治ったばかりの風邪がブリ返します。
 尚最近昭和41年のトランククーラーの取扱説明書入手したので、特に温度SWの赤線の意味が不明なので、届いたら調べてUP予定です。
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  またもボログ!文字が大きくなりません。メーターは176000キロになりました。


トランククーラー取扱書を落札

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 既にご案内の通り、今年角テール以降の温度調整
SWを取り付けた事を報告致しましたが、同時に昭和
63年の6月初めまでの間に廃車証明書と共に集団収集ゴミに出したと思われる取説の一つ「トランククーラー」の物をずっと探していました。
 1963年の取説は相変わらず出て来ませんが、角テール以降は時々出ていましたが、中々縁が無くて手に入れられませんでした。
 タマタマ今回ヤフオクを見ていたら、関連のオークションに今回の落札品が出ているではないですか!SWも角テール用ですから落札する事としました。
 
 実は出品者IDを見てもしや・・・・と思ったら、そのもしや!の物でした。
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 表紙です。本当に涼しげですね。昭和42年式用も見ましたが、表紙は違います。1963年式用も恐らく違うでしょうね。(因みにこれは昭和41年式です)
 何分1963年式は推測ですが25000台RS41型が作られ100台程度しかトランククーラーは付けられませんでした。その中に我が家の車も含まれますが、生き残りとなると一桁ですが取説まで残るものは・・・あるでしょうかねぇ~。
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 裏表紙です。保証書が残っており、間違いなくこの車はあの個体からの物と確信しました。
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 実は・・・・この温度調整SWはこの取説と共に残って居た部品です。
 以前UPしていますが、SWは昭和41年2月製造。で、この取説は3月23日から保障開始となっており、間違いなく同一です。
 尚、取り付けベースは42年3月製造のSWが付いて居り、残念ながらSWassyは故障していました。でもコンプレッサランプが付いて居り、程度が良い元から付いていたランプをこちらに移植して、コンデンサーも生きていたので、(41年製造品にはなかった)サンコイチしてこの姿になりました。
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 他にもODのゼネレーターも分けて貰いました。写真は出しませんが、ボンネットの水切り、ドアのボデー側のゴムの一部もこの車から移植です。(尚カバーは何故かRS40ないしRS41B用だった)
 結構調達しました。
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 全くの同じ色で年式の個体がリ・ボーンに出たMS41です。この個体はクーラーは付いていませんが、部品取り車は書類が全て残り、平成5年まで現役だった車から部品を譲り受けました。
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 今回の取説は赤線の意味の確認で落札しました。

ユーザー車検

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 毎年の恒例行事車検で東北運輸局山形陸運事務所に行って来ました。毎回ですが不安はライトですが今年も難なくクリア。しかし今回は・・・・
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 毎度おなじみホイールキャップを外すの写真。結構これでもサマになりますね。元々入手時点でホイールカバーは無く過去に乗ったクラウンをかき集めて取り付けています。
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 前回の車検から4000キロ走行です。RS41より走って居ません。
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 今回のトラブルは書類です。
 前検査がトラブルです。実は私の整備記録ですが、法定点検が6か月となっています。12か月が本来ですが、理由は後で主治医に確認しますが、何故か内容は12か月でやっても記録は6か月としてしまいます。
 
 それが今回のトラブルです。前々回は過去の整備記録全て見せて「全部6か月ですね」となり、それで問題なしとなったので車検証は「整備記録あり」となりました。
 尚前回はトラブルはなかったです。

 陸運事務所の担当職員には「整備士の報告は12か月の内容でやっていると聞いたし、ずっとそれで通っていた。」と話しまして、「整備していないとなるので、後日整備確認のはがき送らせて頂きますが。」には
 「余計な事だ、迷惑なので送らない様に!」と話しました。この時は臨時職員の女性でしたが、のちに年配の正職員が説明しましたが、納得は行きませんでした。

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 ひとまずはラインへ。当然問題が有る筈ありません。
 それと注意事項が気になり、「警告、検査員への暴力行為、迷惑行為は警察に通報します」の旨の張り紙があり、時間があったので聞いてみると、以前はすごく多かったが、最近は大分減ったそうです。
 すかさず「いや~私ね、福祉施設の職員なんですよ。近年ご利用者さまの家族からのそういう行為で悩んでいるんですよ、あたしは警察対応を提案してますが、中々上司も部下も乗り気でなくて前例として参考にさせて頂きたいです。」と話しました。

 冗談抜きで今困っていますが、私の時は何故かそういう事がなくて、武道の心得のない職員だけの時起きちゃうんですよね~。因みに武道の心得がある職員は私が最年少ですが他に2人います。
 皆年寄りだから明確にしたいです。
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 これが今日までの車検証。撮影しました。
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 で、これが今日からの車検証。
 車検証発行で納得はしませんので、再び別の正職員(矢作勲さん)が指摘したが、矢作さんの云い方がきつかった感じなので私も怒り口調で経緯を話しました。

 車検の後にテクノアートさんに行きましたので、その時本日の事情を話しましたが、どうやら「点検整備状況」についての取り決めが整備事業者の間でもごく最近講習したので、国土交通省の上層部では取決めが通達されているが、末端職員には完全に通達されずトラブルに発展したのでは?となりました。
 
 一番の原因は「どうして12か月の内容でやった」と云うけれども、「6か月」となってしまうか?が問題です。
 これについては後日主治医に確認が必要です。
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 ホイールキャップの位置を車検後変えてみました。

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 左側はこんな感じで。

 それとRS41のブレーキについては写真はありませんが後日説明予定です。


こんな物を落札しました。

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 昭和39年式用のエンジンプレートを外して、その外した跡が残ったのでボロ隠しの意味合いからこんな物を落札しました。

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 復元品らしいが、昭和時代のキャッスルオイルのステッカーを入手しました。

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 エンジンプレートが大きくてオリジナルを貼った場所には貼り付けできず、ボンネットフード裏に貼りました。
 そこでここをどうしようか?と考えたら出品されていたので落札したところです。
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 実はこの車、キャッスルオイルは私の代になってから使ってはいません。

このようなことはないように その1

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 さてトランククーラー取扱書の中身をUPいたします。
 まずはこのクーラーが発売されるまでの歴史から始
めます。
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 これが「はじめに」我が家では取り付けて今年で53年ですが今は「取り付けてよかった・・・・」ですよ。
 市内の有力製作所の社長(現市長の父親)はクラウン8を昭和39年の発売から直ぐ購入ですが、クーラーが付いていませんでした。
 我が家はひいお婆ちゃんが「こじきだな物、夏場寒すぎて風邪ひぐべなや」とか「○蔵さん(当時の市長)よぐこだい寒いの平気で乗っているいべなや」でした。
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 青写真のカラー写真はこれだと思われます。(昭和40年発行のトヨタ純正OPT価格カタログより)
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 RS21用のカタログより。実はこのタイプのトランククーラーは6代目のMS110系まで基本本体は同じ構造でした。その為モーターで苦労する事はないらしいです。
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 同時期の東芝製。この透明の筒が良いですね。
 RS41の1963年式はこれがありません。
 デンソーは昭和32年に自動車用クーラーを発売するが、クーラーと云うより、水蒸気が発生する作りだったそうです。暫く使うとビシャビシャになり不快な物だったそうです。
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 幾ら強い冷房能力でも炎天下に停めては余り効きませんね、特に黒は。
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 此処、要注意!太字の部分は厳守しましょう。
 大叔父も「危うく!」があったと話してくれました。それが昭和39年の頃だったそうです。

 実は大叔父は特攻隊員の生き残りで、知覧から何とか山形に帰った時切符を紛失し、その際山形駅で止めたのが私のお爺ちゃんで「あの時の駅員」と記憶しており、当然オーナーがその駅員と記憶していますから、ヒートさせたら…だったことでしょうね。
 当時まだ市内ではクーラー付は私の車以外ありませんでした。

このようなことはないように  その2

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 次のやってはならない事は・・・・意外にやってしまいそうな内容です。心当たりないですか???
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 つまり、ヒーターのコックを閉じる事です。閉じないと(或いは壊れて流れていると)只でなくとも強烈に温まるヒーターですから、汗が噴き出ます。
 逆にオーバーヒート防止になるかな(笑)

 それと車の端にあるベンチレーターを確実に閉じる事も重要です。外気導入だと全然冷えなくなります。
 まぁ、私の車が現役時代栗子隧道走行でベンチレーターを開けて居れば・・・地獄のトラックの排ガスをもろに吸い命の危険が考えられました。
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 これは昭和40年7月製造以降の角テールが純正採用ですから、40年前期以前のモデルは操作が違うので、私の車を参考にしてください。
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 写真はヒーター使用中ですから、一番左はサブラジエターにLLCを通しています。このまま夏場もしておくと、強烈な熱風が助手席からやって来ますよ!
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ベンチレーターは「引く」が昭和40年前期以前。これで外気を遮断しています。
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 やらねぇ~よ!と聞こえそうですが、案外やっちやう吸気口に物を置く事。毛バタキはトランクに仕舞おう!
 これ忘れちゃダメよ。
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 ついやっちやう。私もこれやってアイシングしました。
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 大人になってからもやったけど、今思えば、昭和52年7月末に秋田の内陸部に行った時伯父(当時49)がLOに入れていたけど、私が弄ってHIにしたかな?白い煙が出たかは記憶が定かではないですが親父(当時33)と伯父が何やら会話に夢中になって居た時、後ろ向きに座りつまみを回しました。
 冷えなくなったのは確かです。

米糠散布

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 今年は雪が降ってもすぐに溶ける天候で昨年12月末に中間散布で撒いた(通常は滅多にしません)米糠が見える状態でしたが、本散布しました。
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 学校が近く飛んでくる落ち葉を作物残渣に混ぜてその上に米糠を散布しました。
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 玉葱は米糠に魚粕を混ぜました。
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 キャベツ(早生)、白菜の跡地に残渣を放置してドバッと。でもスズメクサが雪が積もらず枯れない、来春まで残るかな???
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 毎年12月にはコンポストに雪よけカバーをするのが当たり前ですが、今年になってカバーを掛けました。

温度の操作方法

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 ダイヤル操作で上手くクーラーを使いこなしましょう。格別難しくはありません。
 基本動作は「FAN」SWを押す事をお忘れなく。速度は20キロ以上の時に作動します。(エンジンは2000rpmから)ですからメインSW隣の「T」ボタンを引いて作動させるとアクセルを踏む必要はありません。
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 ここの内容を理解すれば十分です。
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 私が一番多く使うパターンですので一番初めにこの図をだしました。「MED」で使う場合の温度SWは??
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 当然ですが、中間です。これでまだ暑い時は赤ラインの所へ。(いきなり目一杯はしないでね)寒いなら左へ。
 つまり、赤ラインは強い冷房(かなり冷える)と云う意味でね。概ねこの組み合わせは気温25℃の時です。

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 これは一寸暑いかな?と云う時です。場合によってはコンプレッサを止めて扇風機として使う事も出来ます。
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 今なら4月末~5月中旬がこの辺りかな?
 なお、初めに書いていますが「LO」と強い冷房の組み合わせはしないでね。
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 これは私殆ど使いません。数年に1度だけですね。但し使っても3分以内に「MED」に戻します。
 何となくですがこれのままだとクーラーが壊れそうな気がして・・・・以前VWで焦げたトラブルがありましたので、それを聞いてから使わなくなりました。
 畑のGS130や今の足車VNY30もRS41より多くは使いましたが、そうそう滅多に「HI」は使いません。
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 ゴツイSWだった頃度々この位置に準じる位置でした。これじゃ~アイシングしやすいですね。特に一番右設定のままもありました。
 やはりこのダイヤル式は便利ですし、体に馴染みますね、悔しがりではないけど、オリジナルのリヤSWは誰も乗らなくなり久しい現状では全く使えません。

こんな場合は?

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 どう使うのか?となると知っていると居ないでは大きな差が出ます。今では当たり前ですが、おかしな表現があったのでご紹介いたします。
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 特に黒塗りでは効果があります。悲惨な位暑くなりますからね。でも渋滞に嵌れば悲惨で、却って悲惨になります。
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 曇り止めが一番有効な気がしますが、如何でしょうか?
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 「ドライブの際にはせいぜいご利用ください」・・・・・
 一体どういう表現??
 確かに冷えまして、精肉を夏場買った時は重宝します。それと昭和53年に海水浴に行った時ジュースはよ~く冷えました。
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 オロナミンCクラスならこの位入りますよ。でも350m缶はこんなに入りません。

こんな場合は? その2

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 今回のUP分は比較的知らない対処方法がありました
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 ダンゴ運転=渋滞時ですね、この方法は知りませんでした。
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 原則として山道および高速走行時はクーラーはOFFにします。エンジンに負担がかかるし、高速走行でコンプレッサが焼付くので旧車のクーラーはOFFが無難です。現役だった昭和43年までだと基本大叔父はクーラーは使わなかったと証言しています。
 最も栗子国道(旧道時代の呼び名)では絶対に使えた代物ではありませんでした。
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 ヘビースモーカーが乗った車ですから、ここは我が家は絶対覚えるべき注意点でした。
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 SW押し忘れは私は余りないですが、普段乗らない人は起こしそうなミスです。
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 R12ガスは良く抜けたのでしょうか?私は気が付けばR134ガス対応ですので、その点は判りませんが、134ガスは抜けた記憶が無いです。


メンテナンスについて

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 今回は手入れ方法です。
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 今の時代渋滞が当たり前ですから、これでは使い物になりません。オリジナルのままではもう駄目で、特に東京では殆ど恩恵がありません。
 何分都内走行の平均速度は18キロで、旧万世大路の17キロより若干早く走る事が出来ますが、先ずオーバーヒート必至です。
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 フィルターのお掃除。私は毎年本体のエバポレーター清掃をしています。
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 ここは忘れて居ました。今度清掃します。
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 こういう仕様です。
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 詳しい手引きが有るそうです。見つけたら入手したいです。

ラジオ修理依頼

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 実は今RS41用ラジオの修理を依頼しました。
 今回の修理する物は新車当時付いていたラジオです。平成14年に一度修理出して本来の機能を取り戻しましたが、何分ラジオの側面にあるステーがが何故かもぎ取られて振動が酷く自動選局装置が故障。
 肝心の音については特別問題がありませんでしたが、5年程使って居ないので今はどうなるか判りません。

 元のラジオに戻したくて…が修理依頼の理由ではありません。実は今付いているラジオに原因不明のトラブルがあり、新車当時のラジオを修理する事としました。
 具体的には寒い時何故か選局装置の動きが鈍くなり、使い物になりません。また時折ラジオ感度も悪くなります。

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 新車当時のラジオです。実は小さい時自動選局装置の動きが可笑しくて「T」のつまみを握ったら、それが原因なのか選局できなくなり、後年「T」のつまみの奥にあるユニバーサルジョイントが変形し、当時の後遺症が出て部品取りから移植して漸く作動させました。
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 ちらり触れましたが側面にあるステーがもぎ取られました。(昭和58年辺りと見ています)
 ステーについてはラジオ修理業者に取り付けて貰う事になりました。
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 今の所自動選局装置のモーターは異常なしだったそうでコンデンサーの何処かがやられたと思います。
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 原因追及の過程で、調整したら、自動選局装置が動く気配が出てきたそうです。
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 実は昭和38年の中期以降に付けられた品番が30020と私の車のラジオは回路が大分異なるそうです。送った昭和39年式から外した部品取りのラジオは使えず仕舞いとなりました。(今付いているラジオは30020なので部品取りに使えるので無駄ではないです)

 トヨペットクラウンデラックスのラジオは奥が深く、たった数年で何種類もの回路図が異なるラジオを作ったみたいです。

葡萄畑も

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 米糠を本撒きしました。撮影は1/5ですが、本日になり漸く雪景色になりこの写真がおかしな物になりましたが、マダマダ雪は十分な量はありません。
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 関東の冬を思わせる風景です。職場の同僚は3日程前で、「この季節草取りをするとは思わなかった!」と云う位の状態でした。
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 雪が降らないと草が枯れません。困った!
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 3年ほど前からですが、造園屋さんは11月下旬から廃藁縄を置いてくれますが、「何故?」と思いますが、あまり深追いすると供給が止まると嫌なので有り難く頂いています。ただ、この時期の廃縄は状態は良くないです。
 雪解け後は状態の良い物が入るので、これは敷き藁として利用します。
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 雪で分解が進む様に米糠をドンドン撒きます。
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 落ち葉や雑草も藁と一緒に土にします。
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 不耕起の現場。今年は何を植えようか??


保証書

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 当時物品税が課せられた自動車用クーラーですので、当然ですが時計やラジオとは違う長い保証が付いていました。長いと云っても1年ですけど、当時自動車本体も1年または2万キロ保障でした。
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 一応温度SWはこの車の保証ですが、異常なく来月50年になります。
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 これが保証書原本。これは別に付きます。
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 もう少し載せたい所でしたが、保証書にある住所をグーグルマップで検索すると実在するお宅ですので、
「これはヤヴァイ!」と判断して掲載を見合わせました。悪しからずご了承下さい。
 そんな大きなお宅ではありませんでしたが、良く20年近く廃車を保管できたと驚きました。多分ですがオーナーはお亡くなりになられて、その未亡人が暫く手放したくないと保管した車でしょう。いい例が度々出てくるダットサントラック123みたいに。
 他に都内では数台同じ理由で手放せない夫の形見の60年代旧車があります。

 どうなんでしょうかね~、私のお袋やお婆ちゃんみたいに強く夫の事を忘れてじゃないけど、葬式の後一気に遺品を捨てる方が良いのかなぁ?
 それとカミさんの叔母ですが、金目にならない物はもう全部捨てて、金目の物は処分に困っているみたいです。(換金したいそうですよ)
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 もし⑤にある内容の事が出来る人いれば私尊敬します。凄い・・・・・
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 これだけ残せたのですからね、他に面白い物もついていました。これは後日。
 何度も何度も書きましたが、我が車は何もありませんでした。これだけ何でも残っていたとなると、初代オーナーは相当大切に乗られてキッチリ手入れされていたと思います。
 私の場合取説は大事に箪笥の引き出しにこの取説含めて仕舞っていますが、私が死んだ場合カミさんはクラウンに付けてくれるかな?
 でも「死ぬ前に手放して換金してね!」と云います。


東京トヨペットのチラシ

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 面白い物としてトランククーラーの取扱説明書の中にこんな面白いチラシがありましたのでご紹介いたします。昭和41年3月に登録しただろうから、この頃の東京トヨペットのチラシでしょう。
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 銀座営業所でしょうか?確かに前オーナーの住所は品川ナンバー管轄区でしたので。
 東京の1等地の住宅密集地区にグーグルマップでは示しました。ですから余計保証書の住所は掲載を控えたのです。
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 コロナRT50です。クラウンMS41を出すのが普通だと思いましたが、コロナで庶民感覚でも出したのかな?
 
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 当時営業所となると、煙草の煙で充満しむさ苦しいイメージがありますが、こんなにファミリー狙いな施設が当時でもあったとは驚きます。
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 何となくこの写真が営業所で、これに煙草の煙が混ざれば私のイメージです。午後だと入り口に出前のラーメンどんぶりが重なっているも重要です。
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 山形にはこんな施設があるデーラーは今だありません。
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 こんな施設までありました。一寸理解できません。
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 今もあるのでしょうね。
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 当時の500円は多分ブリキ玩具の自動車より高いです。昭和38年当時ですが、バンダイあかはこのクラウンデラックスは380円でした。(38年と41年では物価は大分違い高騰していました)


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