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Channel: 高村円淨のブログ
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銀座ですからねぇ~

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 チラシにはエライ高額な価格設定がなされています。
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 ここいらだったら昭和40年発行のオプションカタログとほぼ同じですが・・・・・
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 ここです、ここ。
 外国製となるとエライ価格です。私が生まれた頃もそうですが、舶来品信仰があり、天才バカボンでもバカボンママの同級生が「あ~ら、わたくし外国製でないと飲まないの、お宅のジュースは何処製?」
 「日本製よ」
 「じゃ、要りませんわ!」
 今外国製=いかがわしいですけどね。子供心乍忘れられないセリフです。
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 ベビーチェアー私の物ありました。が、娘の妊娠が分かった時お袋は処分を忘れたらしく、「お袋、俺の子供用のいすあったろ?」と云うと「もうあれは捨てた、孫にあんな危なく汚い物駄目だ!」でした。
 この辺りの用品も何となく高い感じですが、まぁ馬鹿に高いとは云えません。
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 おまけ、デーラー主催のスタントカーショーもありました。奥にあるRS41もこれからスタントが始まります。
 丁度この時代は昭和30年代のフルサイズカーはクズにしかなりませんでした。
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 これは新潟県での別のショー。


本格的に降りました

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 1/19になり漸く雪が降りました。正直もう今更と云う気持ちもありますが、大寒がまだなので多少は期待しています。雪が降らないと果樹には悪影響を及ぼしますからね。
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 自宅付近。一晩でここまで積もりました。今週末には更なる寒波が来るとか。
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 葡萄園もこの通り。ここには自宅前に植えきれなかった作物を植えます。
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 クラウンも埋まりましたが、例年の4割前後です。
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 コンポスト。ゴミ捨ても大変ですがカバーでどうにかしのいでいます。
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 クラウン反対側から、廃車から今年で10年目です。
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 一面真っ白。
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 30年前ここは畑だった。その後ハンバーガーショップ、ラーメン店3軒入れ替わり、今は住宅に変わろうとしている実は此処、ミゼットの「シャレコウベ」が2台向かい合って置いてあった。我が家でマツダライトバスを置いて1年程して置いた。
 他にも我が家の畑を先頭にいろんな畑の物置車がこの通りにはあり、まさに「廃車体街道」そのものだった。
 親父もまさかこうなるとは思わなかっただろう、彼は余り物に拘りはない人なので。

昭和3次切手

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 コテンパに連合国に敗退した日本。敗戦の翌年には新しい切手の図案が発行されました。
 まだこの頃は天皇家の菊の御紋が付きます。
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 今は1円が前島密ですが、一番初めの前島切手は15銭でした。
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 葛飾北斎の富士山。
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 うすうす気づかれて居るでしょうが、大日本帝國郵便が日本郵便に変更になりました。
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 図案には戦争を連想させる切手はありません。
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 5円金魚ですが、右が戦後初の糊が付く切手です。

ラジオ修理断念

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 今付けているラジオ修理をかつてやってくれた業者にラジオ修理を依頼しました。
 このラジオの鬼門は自動選局装置。他のラジオ修理でも自動選局装置の修理は結構修理できない様子でした。尚今この手のラジオ修理が出来る業者は他になく、もし出来る業者ご存知の方教えて頂ければ幸いです。
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 前回は修理出来たが、今回は修理が出来ず戻りました。但し修理完成から1~2日はきちんと作動したが最終チェックで作動しなかったそうです。
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 他の業者に依頼しようと考えましたが、30年以上前にもがれたステーを取り付けてくれると聞いたが、現物を見てもうガッカリ!一気に修理する気が無くなりました。
 最低レベルを通り過ぎた駄目な修理です。
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 これは部品取りのステー。これを剥がして移植できないとなり、最終的にはこちらを生かそうかな?
 尚、今回修理のラジオと部品取りのラジオは互換性が全くありません。

思った事

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 ひっぱり屋さんの投稿を見て旧車を嫌な思いをして止めた近所の方が居り、テキトーに撮った写真を並べて書いてみたいと思いました。

 近所と云ってもこの方はご自宅が当家から大分離れた所にあり自営されている美容室が近所にあるのでそう表現しました。結構繁盛しているお店ですが、何分私は30年以上同じ理容室ですから全く縁がありません。

 さて件の美容師さんは、親父の教え子でタマタマ菩提寺の仕事で美容室前をRS41で走ると、ヨタ8があり、先ずは仕事を終わらせてから「新たな旧車が有るな」と見に行きました。

 オーナーも暇な時間帯だったので声を掛けて頂き、話の過程で親父の教え子(但し教科担任)と判り昭和44年生まれなので、何気に自分と同じ年に製造された車が有るので、後先考えず結構な値段で買ったそうです。
 またこの方も母校が荒れた時妙に古い黒塗りの車が朝夕迎えに来る事を記憶され「あの車なら、今私が乗っている車なんですよ。」と話しました。
 以前も書いていますが、教職員の身の安全の為自家用車通勤を校長が命じました。多分その時お爺ちゃんが運転して親父と他2~3人の教職員を乗せたと思います。(親父は殆どがボロ自転車通勤でした)

 然し購入して暫くすると、やはりミッションだ、デフだから徐々に異音が出てどうにもならなくなり、ある時期からヨタ8が置いてある所に錆粉が目立つようになりました。
 錆粉に混じってオイルの跡が出来て、私も声を掛けにくくなりました。

 主治医から人伝えに聞いた話では見た目は綺麗であったがジャッキを掛けられる代物ではなかったそうで、最終的には部品取りとしてバラバラにしたそうです。
 今その方は外車のワゴン車に乗っていますが「旧車はコリゴリ」となったそうです。

 試乗したかどうかは聞いては居ませんが恐らく感情的になり、しなかったと思います。
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 反射して光って良い様に見えましたが思う様に撮れません。
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 もう雪が降り外に出せません。
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 反対側より。雪解けが待ち遠しいです。
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 やはりこのダッシュボードの造りは良いし、40年以上見ているが飽きませんね。
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 東芝ランプはいいデザインですね。

今も健在子供の雪遊び

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 私らオッサンだって子供の頃はありました(笑)
 やはり冬の遊びと云ったら、かまくら、坂を作ってそり遊びではないでしょうか?私も当時よく遊んだものでした。ですから冬は今とは違い待ち遠しかったですね。

 それと私らが子供の頃は当時の大人は必死に頑張って人生初のマイカーを買いました。近所では一番古い我が家とて、自動車なんて買ったのは昭和38年ですが、町内でマイカーが普及したのは昭和43年頃。
 43年頃購入した車は私が幼稚園辺りになると次々廃車になり、全部や全部ではありませんでしたが、廃車して数年間は庭先に置いているお宅が結構見られました。そして、冬ともなれば、家屋の屋根から雪を下して廃車の上に坂を作りそり遊びをしました。

 我が家ではカローラをしたい所でしたが、お袋がエライ反対したのでそういう遊びは出来ませんでしたが、親父が庭先に雪を積んでくれて廃車があるお宅よりは小さいが、どうにか楽しめるレベルの坂は作れました。

 私は近所の庭先に廃車があるお宅にそり持参で行きましたね、どのお宅も廃車から5年程で解体屋に出しましたが、今もどのお宅に何があったか覚えています。
 うち3軒は今も菩提寺の世話人の仕事で顔を合わせるお宅です。

 本日は近所で見かけた雪遊びの様子を撮影しました。ふと私が子供の頃を思い出しました。
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 かまくら、私は中でミカンを食べて楽しみましたね。
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 見にくいですが雪で作った坂。雪が少ない中では大した大きさです。この3倍は大きく作りましたが、それでも廃車があるお宅よりは小さく不満でしたが、喜んだものでした。
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 先週何気に撮影しましたが、更に今週はガソリンが安くなりました。
 実は我が市は山形県内では一番安いけど、平均的な他の都道府県から比べたら高いです。
 それには理由があり、山形は4つの地区に分けられ、ガソリンは村山、最上地区は仙台市から、置賜地区は新潟市から、庄内地区は秋田市から夫々油を仕入れています。
 つまり山形県には石油コンビナートが無いので、他県から仕入れざるを得ません。その為東北ではダントツ1位の高さで、全国的にはベスト10に入る高い地域です。
 
 特に東日本大震災でそれが仇になり暫く山形県は石油類が高いままでした。
 特に高い地区は最上、置賜で驚く程の価格ですよ。


第2次新昭和切手

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 前回の切手とは違い目打ちが施されました。昭和22年5月に発行されました。
 左から古い順です。
 数字だけの武骨な図案。
 50銭に注目。戦時中の原版のままですのでこういう現象が見られます。尚その隣は次回の第3次新昭和切手です。次回書きますが、天皇家の菊の御紋が無くなりこれがとんでもない事になりました。

第3次新昭和切手

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 昨日の続きですが、菊の御紋がこの切手辺りからなくなり始め、これに抗議した人が結構いたそうです。
 菊の御紋は初期の頃UPした龍切手の後に発売される桜切手(明治5年8月より発売)から描かれ、昭和22年までの75年間付けられました。

 中には壮絶な方も居り、菊の御紋が無くなったという理由で自殺を図る者まで現れました。それだけ天皇家は絶対的な存在だったのですね。
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00の下にアンダーラインが引かれますが、これは銭単位の意味です。
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 今問題になっている捕鯨も図案に採用されました。
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 1円50銭の場合は左の切手みたいになります。
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この頃から物価狂乱が始まります。戦後の激しいインフレです。

産業図案切手

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 当時の日本の主な産業に携わる人々をモデルにした切手を昭和23年5月より発行されました。
 この切手になると今の切手と同じ「日本郵便」となり、菊の御紋は完全に姿を消して事実上戦後の切手と云える内容になりました。
 この切手は私が本格収集を始めるきっかけになったシリーズです。
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 2円が農婦3円が捕鯨で30年前に入手しました。
 特に2円農婦は初めて切手図案見たとき田んぼの案山子に見えて何となく好きで、この2円が切手収集の起爆剤になったと云えます。
 3円の捕鯨はこの色が好きで捕鯨機も良いナァ。
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 5円は茶摘みと採炭夫。採炭夫は昭和24年より発売ですが、茶摘みはとても高くこれ1枚で精一杯でした。
 何分まだRS41の部品収集に本格的に手を出さなかったのでどうにか手に入れられました。
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 6円は印刷女工、8円は採炭夫。
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 この切手は昭和24年の衆議院選挙で立候補者1人に当たり50枚給付された切手です。

ホイールシリンダー問題解決なるか???

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 私の車の課題は時折ブレーキが「ふわ~っ!」とした感覚があるで、専門の機械で測定結果、ブレーキラインやホイールリンダーは異常がなく、マスターシリンダーが怪しいとなり、Assyを新品で探しました。
 ヤフオクでこの度落札し、RS40系用で出ていたのではなく、4代目、5代目クラウン用のクラッチ用で出ており、本日代金を支払いそのまま整備工場に送りまして、先ずはオリジナルのマスターシリンダーと同じ物かチェックして頂くので、工場からの報告があれば、正式に流用可能かどうか結果のご報告を致します。

 出品者(業者ですが)の話では社外品で、MS50系と共通とあり、40系とも共通ですのでかなりの確率で問題なく使えると見ています。

 サイズは3/4ですので、その点は40系と共通で、基本的に40系についてはクラッチもブレーキも同じマスターシリンダーを使って居ます。

 さて本日送付したそうですので、遅くとも来月初めには結果報告が出来るであろうと見ています。

 このまさかのブレーキ修理の課題が残ったので、今年のニューイャーミーティング、6年連続の不参加が決定です(悲)これが無いならば参加が出来たかもしれません。


産業図案切手

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 このシリーズは昨年やっと全て集めましたが、コレクター泣かせが2つあります。
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 15円は紡績女工、16円は産業ではないけど穂高山。
 高かったけどこれ等は30年前に入手しました。
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 20円は植林、この辺りから中学生には厳しいコレクションです。30円は郵便配達夫で植林より高く高校生の頃集めました。(26年前かな?)
 RS41の部品集めを始めた頃でこの頃から切手収集を中断しかけました。
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 コレクター泣かせナンバーワン!100円電気炉。
 戦後の普通切手ではダントツの泣かせ切手ですが、タマタマ安かったので昨年入手。
 社会人になってからもトライしましたが、とても買える代物ではなかったです。
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 コレクター泣かせナンバー2、500円機関車製造。
 この切手収集は今の職場に採用なって最初のボーナスで購入。その後切手を15年ほど収集中断。

 *初めにUPした神功皇后切手でも書いていますが、昭和24年まで切手での電話料金支払いが認められていたので100円、500円は多くが電話料金の支払いで使われたと推測できます。
 昭和22年、物凄いインフレがあったので高額切手も発行されました。因みにこの切手が発売された頃の日給は「にこよし」で240円です。

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 この切手で重要な事として、昭和12年から続く昭和透かしがありますが、この切手で透かしが廃止になります。


マスターシリンダー続報

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 1/27落札のクラウンMS60.80.100系のクラッチマスターシリンダーですが見事クラウンRS41のブレーキマスターシリンダーに流用可能と判明致しました。(そもそもRS40系はブレーキ、クラッチともマスターシリンダーは共通。珍しい構造です)
 あくまで推測ですが、最後トヨタ共販から手に入る時は30024でした。MS50系は30023、RS40系は30022でしたので30024は22と23の共通品となり、今回の落札品は24であっただろうと推測できます。(尚未確認ですが、50系はSDX=MS50FやS=MS50Sはブレーキマスターシリンダーは専用ですが、50DX以下はもしかすると40系と同じ共通か?60系以降はスタンダードでもブレーキとクラッチマスターシリンダーは別物です)

 尚、ブレーキが「ふわ~っ」の原因はかなりの確率でマスターシリンダーの可能性が濃厚です。一応これまで13年使った新品で共販から購入したシリンダーのピストンを残しているが、落札品に挿入すると、丁度いいクリアランスで、ガタ付もなく正常に作動するとの報告で、恐らく鋳鉄部分が摩耗したか何かの可能性があるそうです。
 何れにせよ、落札品を用心の為OHし、それに交換すればブレーキは解決だろうとの話です。少なからずホイールシリンダーだ、ブレーキパイプは異常ありません

 で、今回それで終わりでは味気ないので、純正採用車両についてUPいたします。
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 MS60の初期型。これは思い出があり、解体屋で黒塗りの後期型が入庫し、かなりピカピカでしたが哀れ我が家と同じ昭和47年式のカローラKE20DXを積み上げられました。この時は既にKE20は手放した後です。他にこれと同じ前期の5RエンジンのRS60も昭和55年に入庫し、解体でボンネットを開けると結構広いエンジンルームに小さいエンジンで驚いた記憶が・・・
 間違いなくブレーキマスターシリンダーの隣は今回の落札品でしょうね。

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 MS105なら私は数か月間運転しました。で、教習車であったこの個体と同じRS80を大量に解体屋で見て、なんとなく好きになり、トミカで№32がギリチョンでこの5代目が売られお袋にせがんで購入しました。
 何でだか判りませんが解体屋で結構長く教習車のRS80を残しその上に何台か色んな廃車を積んで2年は置いていました。この時ガラスが割れて合わせガラスであった事が判りました。
 
 さて、そのRS80も解体となりS原産業と云う解体した廃車の最終処分場に同行したとき、ユニック車のラジオから当時発売されたばかりの「熱き心に」が流れ、いい歌だなぁ~と思い、一生懸命覚えました。
 この時積んだのが、ライトエーストラックに通称歌丸ハイゼットその上にRS80を積んだはず。ユニックは日野レンジャーでしたよ。
 その為今もあの当時の想い出があり、「熱き心に」を歌うとRS80等が思い起こされます。

 YOUTUBEより。キハを見ながらどうぞ!

 *ニューイャーミーティング参加の皆さん、都心の道路凍結、圧雪ありませんか?雪道で夏タイヤは大変危険です。チェーン携帯、できればスタッドレスに履き替えがベストです。不幸にして用意できない場合は細心の注意の上走行してください、くれぐれも急の付く運転はしないでくださいね。

ニューイャーミーティング2016

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 ニューイャーミーティングに6年連続の不参加です。今回はブレーキ関係の修理でその費用が掛かるので金が無い事ばかりが不参加理由ではありません。

 ニューイャーミーティングに見学に行くがてら、立ち寄る予定の一つが鉄道博物館です。最近収蔵車両の増加に伴い増築中との事ですが、増車の1つにキハ58-75も含まれていると云う噂があり、今だ最終配属地盛岡運転所に放置中なので、レストアしてくれるか、それとも解体かの瀬戸際(解体する可能性が大)です。
 大宮工場に運ばれたならば、見計らってニューイャーにも参加したい所ですが今鉄道博物館に行っても仕方ないので不参加となります。

 キハ58-75は非常に珍しい最初期型で、貴重な個体です。又初期型車は全国各地を転属しているが、この車両は余り激しい方ではないです。
 それとこの車両は既に展示中のクハ181、455、481と同じように訓練車です。気動車での訓練車はJR東日本管内ではこの車両のみで平成20年まで活躍していました。

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 この車両は昭和36年12月16日日本車輛で落成し、香川県の高松機関区(当時)に配属。昭和50年に南秋田運転所に転属し、57年~60年まで山形機関区、(当時)60年以降は盛岡貨、旅客車区(当時)に転属し平成3年1月には訓練車となります。
 訓練車になった時は南秋田運転所よりキハ28-2102が転属し盛岡では唯一の冷房付車輛となりました。
 キハ58系の場合キハ28-2000番台がないと冷房が使えませんので、6年間は無駄なお荷物だったかもしれません。(盛岡は昭和39年以降製造が多い)

 それと特筆すべき事は国鉄時代でキハ58の60番台以降は殆どが廃車となり75番は非常に珍しいサバイバーです。尚冷房工事実施、未実施問わず昭和62年までには廃車です。

 参考までキハ58-54番は南秋田で廃車となるが、この車両は沖縄以外ほぼ日本中を転属しました。これ程激しい物は珍しいが、75番は初期型としては転属が少ない方です。

 75番は基本的にお爺ちゃんが定年以降に山形にやってきた車両ではありますが、大叔父が定年前後の頃山形に来ています。

 きちんとレストアされて鉄道博物館に収蔵されたら今度こそはニューイャーミーティングに参加したいですね。


ユーザー車検の宿題

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 1/7UP分のユーザー車検について何故整備記録簿があるのに「整備記録簿なし」なのか宿題を仕上げました。結論は山形陸運支局の矢作さんの問題ではなく、どうやら主治医の勤務先もそうでしょうが、指定整備工場で車検整備の記録簿で書いてほしいと書いた事に問題が有る様でした。只矢作さんも性格がまっすぐな方故、融通を利かす事が出来ないのでトラブルとなったと考えています。

 まず、私は整備業界については判りませんので、指定工場であろう、認定工場であろう、車検整備は何処にどう出しても同じ記録簿になる=ライトバンなので12か月点検頼むと出したので12か月で記録が当然と認識しています。
 
 所が、指定工場の見解では車検整備で出している以上ユーザー車検の前整備はお門違い。法定費用は当然、車検手数料を取るのが当然の成り行きと認識している様子です。
 それで、ユーザー車検で出している以上永遠に「6か月点検」での記録簿しか出せないそうです。尚12か月点検内容で点検はしてると説明受けており、昨年は同じ扱いで事務処理してもらったので、それが当たり前の認識です。

 やはり認定工場にユーザー車検前整備を依頼するものではないですね、この時主治医も専門用語を織り交ぜ話すので、良く判らずテクノアートの工場長から聞いて漸く彼の云う事を理解しました。

 今の主治医変更をしようか悩んではいます。今後車検もテクノアートさんにしようか???

  以前ユーザー車検の読本を読みましたが、やはり認定工場はユーザー車検を敵視しまくっていますねぇ~(笑)尚主治医が云うには今までの整備を受けたら、12か月点検記録簿を自分で記入すると良いそうです。
 
 

準備体操をしました

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 いつもならまだ走らせる事は難しい時期ですが、今年は雪が少なく天気を見計らい走らせる事が出来ます。
 さて近所の田圃を走らせて来ました。
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 この通り道路は綺麗ですが、田圃は雪で一杯です。
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 まだ2月になったばかり寒いです。
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 ハザード点灯。思ったより綺麗に映りませんでした。

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 機能維持の一環で寒いけどクーラーを作動させます。
概ね1分程度で十分ですが弱にしても結構きつかった!
 尚右端の「T」SWの白い部分を見てください。


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 昨日は1時間ほど雪のない広い道を走りオーバードライブを作動させます。


冬も折り返し地点

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 マダマダ雪が積もっていますが今日は節分、春が近づきました。これまで撮影した多くの個体はこの何倍もの雪の下と思われますが、ここは撮影した個体の中では日当たりが一番いいところにあります。
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 廃車から9年を越しました。
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 葡萄の樹からの落雪で、今年も屋根が凹みました。

ニューイャーミーティング私見

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 見学にすら行かなくなり6年になる私が書くのも難ですが、今回ブログを含めて師匠からも「以前と比べて規模が小さくなった」と聞きます。

 私なりに考えた事として
  ①旧車人気の陰り・・・「若者の車離れ」が尾を引い    
   ている。まして危険で不便な昭和の自動車なんぞ
   に金を掛けるに理解が出来ない。
 
  ②旧車オーナーの高齢化…私ら40歳代が若い世代
   段々寒さが体に堪える様になった。

  ③1960年代車の部品枯渇…数年前までだと規格品
   ならばメーカーからも出たが今はそれすら出ない。
   それに伴いマトモに走らせる事が出来ない。
   *尚部品の枯渇はオーナーにも非がある事は過
   去の記事に書いている。

  ④2年前の会場移転の影響…特に東京、横浜、千葉
  在住の参加者の怒りを買った。このことを今だ根に
  持つ関東南部マニアの声は根強い。

  ⑤お台場旧車天国が定着…特に④で挙げた事例の
  後第2回の旧車天国は大爆発!師匠曰く「息苦しい
  程の参加者だった!」そうで昨年の3回も更にでかく
  なり、もうニューイャーミーティング以上らしい。

  ⑥主催者に対する反逆・・・私も10年ほど前までは
  主催者の会の会員だった。入会当時は結構何かと
  お世話になり重宝したが、ある時期からツレなく
  なり脱会。その後内部でももめ事が多かったと聞く


 今の所こんな事が思い立ちます。丁度私も関東地区のマニアと知り合い26年。それまで15年間は一匹狼でやって来ました。
 

整備日程など

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 1/27に落札した60系~100系のクラッチマスターシリンダーAssyはテクノアートさんに預かって頂いてますが、
OHキットはトヨタ純正で行う予定です。
 マスターシリンダーは外見が社外、内部が純正、クラッチレリースシリンダーはその逆と面白いでしょ?(笑)

 6か月点検を兼ねて2月下旬から3月にかけて行う予定で、その前にタイヤ交換も予定しています。

 今回は今の所ヒストリック&クラシックカーミーティングIN仙台に参加予定で、花見も快適な状態で行いたいと考えています。今年は4/9.10の予定で、私は両日参加したいがピンク怪獣の飼育が忙しく両日は非現実的ですので、10日を今の所予定しています。

 4月は思い切り走らせたいですね。

第一次動植物国宝シリーズ

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 昭和25年11月になると、大正3年以降続けられた透かし入り切手が廃止になりました。
 そもそも透かしは大正2年に発生した菊切手シリーズにほぼ本物と見分けが付かないレベルの偽造品が使われたとの事で入れられましたが、昭和25年の後半には印刷技術の向上により、透かしが不要となりました。
 
 尚菊切手の偽造品はイギリスのコレクターが偽造切手事件のホトボリが冷めた頃を見計らい、苦労して偽造品を入手して自分あての封書を送り、消印が押された物が現在数千万円単位で取引があり、未使用の偽造品もそれに準じる取引がありますが、先ず出る事はありません。
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 実は先に紹介した産業図案切手が透かしなしで昭和25年11月~12月にかけて発売され、そのまま00単位(銭単位)が廃止になる昭和27年まで発行されました。
 第一次動植物国宝シリーズの第一号は1円の前島密で、昭和26年4月14日に発行されまして、隣は石山寺多宝塔(80銭)で26年5月発行されました。
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 参考まで産業図案シリーズの2円農婦、産業図案時代より綺麗ですね。昭和25年11月発行。
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 5円オナガドリ。左が旧で右が新。結構高かったが高校時代何とか頑張って購入。
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 10円法隆寺壁画。これは昭和24年2月に法隆寺の壁画を寺側の過失により焼失しそれ以前に残った写真をもとに描かれました。
 これもかなり高く社会人になってから購入しました。


ドアヒンジゲット!

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 少し前のヤフオクで書類付きのドンガラを出品した方に交渉してゲットしました。
 ベースは昭和40年式の丸テール最終型、トヨグライド車なので使える部品が限られ先ずは以前から欲しかったヒンジを入手しました。
 注目点は廃車が昭和52年である点。当時は初年度登録から10年を超すと1年車検になるので、マダマダ使えても廃車になる事例は実に多く、そういう車だろうと見ました。
 やはり狙い通りで一番の目的、ヒンジを支える板バネが1個は折れて居たけど他は状態が良かったです。でもヒンジそのものは程度が良かったので何かに使えるかな?他にも?が付くものが1つありました。
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 これが全景、上のヒンジは文句なく状態が良く、下の4点が一番の目的だが色々ありました。
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 比較的状態は良いかな?錆もそんなに酷くはないので簡単に復活できそう。
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 これ、折れて居ました。無論それを知っての取引ですが、ヒンジそのものはかなり程度が良いので惜しいです
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 撮影したこのヒンジが一番初めに使うでしょうね、恐らく摩耗率の高い運転席へ回るでしょう。
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 メールで写真が送られた頃から気になって居ましたが色違いで、良く見るとキャッスルグレーメタリックの色に見えます。ヒンジが折れる等で中古品に急遽交換したのかな?
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 良品と中古品の比較。やはり違いますね。
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 現役の私の車、運転席です。グリースを塗っていますが、ここが一番早く交換でしょうね。


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