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Channel: 高村円淨のブログ
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他にこんな物も

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 手に入れました。この間のオークションとは別ルートですが、部品取りのベースで一番多かった色が「トスカイナオリーブメタリック」で以前UPしたMS41もやはりその色でした。
 販売は黒が多かったクラウンですが、残存となると一般オーナーに一番売れたトスカイナオリーブメタリックが多い結果になります。無論残存車種もこちらです。
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 これは?ハイ、ボンネットヒンジです。
 実は今付いている物は摺動部分が駄目になりやはり、この色と同じ昭和38年9月~12月製造の個体から移植して黒に塗り替えました。今はスペアパーツになっているオーバードライブソレノイドもこの個体から移植。
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 余り走らない個体故綺麗で、つやも残ります。
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 各部ジョイントもずっと良い。
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 反対側も良い状態です。



柿の木の剪定

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 2/11予定の柿木剪定でしたが、カミさんが休日出勤する様上から命令があったので予定を繰り上げ2/7に行いました。
 近隣の農家も段々と選定作業を始めています。
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 結構伸びました。
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 上に延びる枝を切りますが、アンマリ下向き枝も今回切りました。
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 競り合う枝を切りますが、基本的に柿は昨年実を付けたところにはならない様子です。
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 不要な枝はそのまま地面に放置して枯らしてから肥料にします。以前ですと焼却に場運んで有料で廃棄していました。あ~今思えば勿体なかった。
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 太い枝は後日畑の隅に積み上げます。
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 畑を一部貸していますので、やはり枝が隣の畑に行かない様に思い切り切りました。
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 30年は使った剪定道具です。


雪が降ったり、溶けたり

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 繰り返しております。撮影は2/7ですが3月中旬の様な風景です。
 お陰様で昨年末交換したショックアブソーバの具合を確認できます。
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 ここから見る分には、もはや雪がありません。
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 でもやはり2月ですね、反対側はしっかり積もっています。この日降雪の予報でしたが降りません。
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 さてショックアブソーバーの御利益は・・・・
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 1時間大通りを走るので、具合を確認しましたが、確かに交換前と比べて乗り心地は良くはなり、直進性は安定しましたが、極端に判る程ではなかったです。
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 でも直進性の向上は良いですね、然しながらショックアブソーバーの交換した感じが判らない自分は何て鈍感なんだろ???

4/9.10の予定

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 今年初のイベント予定ですが

 4/9が草ヒロ探検をおこなう予定です。今年は未だ探検していない置賜地区を実施予定です。置賜地区はかなりマニアックな個体がある事は10数年前さらっと回って確認しましたが本格的には未だしていませんでした。(平成13年頃畑にあるクラウンGS130で探検済み)

 4/10はヒストリック&クラシックカーミーティングIN仙台に参加予定です。主催者に連絡を取って参加申込書を取り寄せました。
 尚このイベントは4/9(土)も開催日で2日連続ですが、探検隊の管理人さんに仙台の旧車事情をお話ししたいし、他に探検日を設定となるとカミさんがピンク怪獣の飼育放棄と怒るのでこの設定でないと厳しくなります
                                       
 イベントの趣旨として
 仙台市民に自動車文化を伝道する。があり私も仙台市民なら誰でも知っているR48の旧道を走った我が愛車を熱く語ろうと思います。
 
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 当ブログで結構見てくださる方が多いお袋の従弟の葬儀の写真です。これも仙台には関係があります。
 復習として昭和39年5月19日に発生した岩手県宮古市で発生したF86訓練機墜落事故で殉職しました。R48経由でマスターラインの後ろを私の車が走りました。
 撮影地は宮城県松島町の松島基地です。


さらば!7.25-13 BFグッドリッチ

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 平成16年に試にと購入し、具合が良いので、平成22年に2~3部山になったので交換。前回のタイヤは27338キロ走行したので、今回は?と思い、総走行距離を計算すると29585キロでした。
 今回はスリップサインが出るまで使ったので、前回の方が上手くタイヤを使い廻したと思います。
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 実は一昨年前の2本のタイヤをほぼスリップサインギリギリまで使い、慌ててリヤのタイヤを前に入れ替え、これもスリップサインが出ました。
 写真は右前で、左も薄らサインが出たので交換しました。
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 もしかしたらギリギリ車検が通るレベルの左前のタイヤ、然し古くからの100円硬貨の「百円」が溝に隠れられないなら交換の法則に合わせるとこちらも交換です。
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 比較的深い方でもこの有様。
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 2代目BFグッドリッチもさらば!でもここから見る分にはマダマダ使えそうですが、それは見た目。
 確実に車検は通りません。
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 以前髭さんに紹介した6.40-14サイズを在庫しているタイヤ屋さんです。
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 お疲れ様でした。
 それと以前ユーザー車検でやっていた山形県内のタクシー業者さんですが、この程度の溝があると平気で使い車検では溝のあるタイヤで受験し、車検場から離れた果樹園の農道でタイヤを交換し本当のボーズになるまで使ったそうです。
 解体屋に流れる時は溝が一本もないのは当然、ワイヤーが出るまで使い、溝が深いスノータイヤも溝が無い状態での入庫がザラにあり、部品もあちこち欠品があり凄い使われ方だった事は35年以上たった今も鮮明に記憶しています。ですから先ほどの話は本当にあったと確信しています。

 一応車趣味人として40年を越しましたがこういうやり方は「非常にいけません!」ね。
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 今回は一昨年試験装着した6.00-13のヨコハマライトトラックタイヤ。7.00-13に準じています。
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 このリブが良い!乗用車っぽく見えるタイヤで良いですね。

タイヤ交換して

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 30キロ程走って来ました。
 既にこのタイヤで2912キロ走行しており、今更・・・な所もありますが、ショックアブソーバー交換してからは初めてであり、タイヤ交換したタイヤ店の社長も
「このタイヤでは乗り心地は固いべぇ~。」でしたので、より試したくなりました。
 タイヤ店の社長は昭和8年生まれの83歳で、タイヤ店を開業し今年60年。面白い話も聞きました。
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 基本的に大きさは7.00-13と同じサイズで、セドリックH130、グロリアS43には採用されたタイヤです。
 以前乗った時は然程7.25-13とは変わらなかったと思いますが、いずれデッドストックの7.00-13に入れ替え走らせる予定です。
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 結構大変な撮影でしたが、何とか潜り込んでショック新しいショックを撮影。
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 このタイヤだと主治医が云う通りショックアブソーバー交換して、直進性がUPする意味が理解できました。
 BFグッドリッチの頃は幾らか良くなった実感でしたが、今回は本当に直進性は楽になったと感じます。
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 そのご利益はこのステアリングダンパーが大きいですが、でもBFの頃と同じなので、やはりショックの影響は大きいみたいです。
 それと少し前オーバードライブの一部配線が無かった頃このタイヤだと何故かキックダウンが入りました。無論今も入りますが、BFのサイズはやや大きく、少し設計と違う様になるのかな?
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 タイヤ店の社長の話では、昭和36年10月に運転免許センターが現在の天童市荒谷に移る前は上山市だったそうで、現在の県道22号線沿いにあったそうです。
 上山にあった頃大型免許を取得したと話していました。(上山時代は判りませんが、荒谷に移転した時、天童市と荒谷があった旧豊栄村の人が優先して免許を取得できたと話があり、この時お爺ちゃんが免許を取得。それで我が家にはクラウンがあります)
 この写真は山形市かな?と思いきゃ上山市での撮影なのでUPしました。競馬場も最近まであったので景気が良かったみたいですね。
 当時は免許を取る為山形県内あちこちから宿泊して取得し、結構連泊で頑張った方も少なくりません。宿泊関係でも結構市内は潤ったのかな?

 それと普通免許はそれよりだいぶ前で、横浜市で取得。但しエライ難しく、取れないとなり、住所を東京鮫洲で取得できる所や神奈川の外れだと取りやすいので、それぞれの場所に移動して取得した人も少なくなかったそうです。
 またこの難関な横浜では、裏ワザがあり、3か月間住み込み無給で教習車の移動などを手伝いすれば、全ての免許を終了時にあげるとあったそうです。
 恐らく、試験車両の移動をそれだけやれば身に付くので試験しなくとも免許をやっても良いだろうだと思います。

 


幽霊が大学卒論に?

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 採用されたとあり、驚きました。
 何でも特に被害が酷かった市町のタクシードライバーに聞き込みをしてまとめたそうです。
 現実的な話では、幽霊を乗せた場合料金を徴収できないので、その分の損益は運転手もちになるそうです。
 やはり卒論で共通している事が季節外れの服装であった事、寒さを訴え、運転手にヒーターを求める事が挙げられた様です。但し、リヤシートが濡れたはありませんでした。
 印象に強く残っている事としてかなり酷く被災した地区へ頼まれ運転手が「あの地区は殆ど何もないですよ、それでもいいですか?」と運転手が云い、現地に到着すると客が「じゃ、私死んだのですね?」と残し消えたそうです。これは自分が死んだと実感し昇天したのです。

 実は以前も書いていますが私の親父も幽霊となった話で有名です。但し彼の場合幽霊の存在は否定し、常日頃「幽霊の話をするのは頭がおかしくなった奴の云う事だから真に受けてはならない!」
 と云い、幽霊関係の本(妖怪も)を読むと怒るものでした。

 その親父の結婚当時の写真があり、UPしました。
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 昭和47年3月25日です。親父27歳、お袋21歳です。
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 近所の人々。もう写真に写る人の多くは鬼籍に入られましたが、左から3番目以外の方々は平成に入り鬼籍に入りました。3番目の方は旧天童町長の奥様で私が生後3か月の頃亡くなったと聞いています。
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因みに当時のお袋の写真。
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 あれから15年で親父は亡くなります。四十九日の頃まで何かと出ていたそうでした。
 然し私たち家族の前には出ませんでした。只でなくとも厳しい親父なので、生徒も「高村先生はもう死んだのよ!」は云えなかったかな?
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 その親父が運転経験ある我が車の運転席を改めて。
 兎に角親父は運転が苦手でしたね、でも親父の運転で何度か遠出しましたが、ガチガチになって運転したかな?トヨペットクラウンデラックスでドライブ出来ただけでもう大満足!それに海だの山だのに行くから盆と正月が一気に来た喜びでしたね。

 ピンク怪獣は今の所うさちゃんが乗らない様に躾けているので「だ~め~」「バイバ~イ」「ぱっちん!」と拒否しています。
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 私一人で楽しむ車かな??

伊藤かずえの愛車の如く

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 私のトヨペットクラウンデラックスも自分の体の一部ですね。雨の日、雪の日は乗りたくないので基本走りませんが、13年間で8万キロ以上は走りました。
 近い所では近所の某病院(余り評判は芳しくないが)に月1度の通院から東京や横浜方面のイベント参加等には使います。

 伊藤かずえさんの愛車は平成2年式のシーマとの事で大きさが丁度良いとありますが、やはり長年乗ると今の愛車が一番運転しやすい事に気づきます。
 RS41の場合、ボンネットが短い分狭い道での切り返しが丁度良く、VNY30よりはずっと運転しやすいです。

 私の車はエンジン、足回りは多数の新品部品を使い、ミッション、デフはOHしました。伊藤さんはエンジンとエアサスを新品にしたそうです。この辺りも似ていますね、長く乗るにはこういう大出費も多々あります。

 現在トヨペットクラウンデラックスは52年8か月で17.6万キロ走行しました。
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 病院の駐車場にて。
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 診察の後は薬をなじみの薬局にて処方して貰いますが、薬局に行くルートも昭和の様な町並みでこの車には合っています。


自動車ショー歌を歌い

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 また旧山形陸運支局にやって来ました。
 昨年も同じ歌を歌って訪れましたが、実は重大な誤りに気づき、タイヤ交換したので試走行がてら参上しました。おさらいとして設立は昭和25年で閉鎖は昭和39年7月となっています。
 僅か14年で現在地に移転しましたが、やはり改めて正しい場所が判ると、「こんな所ではとても業務を行うのは困難、いや不可能だ!」と思いました。
 
 もし興味がある方、グーグルマップで「北山形駅」から東側へ進めると不自然に新しい住宅地が見えます。その場所こそが旧山形陸運支局で、到底業務を行う事は無理、不可能と理解できます。住宅地以前は日通山形営業所で数年前まで日通が業務をしていました。
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 恐らくですが当時の正門と思われる場所にて撮影。
 やはり他人様の住宅前ですから変態丸出しですね、幸い平日のお昼でしたので、余り狙った撮影をしなければどうにか撮影できます。
 パトカーが来る前に・・・・。
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 国鉄(JR)北山形駅のすぐ隣である事が理解できるでしょう。茶色いお宅が一番端です。この駅舎は昭和39年以前からあったと思います。
 そのお宅を曲がると昭和の様な町並みが見られます
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 室内から。恐らくここまで昭和38年の6月に東京トヨペットの販売員が運んできたかな?
 比較的道がマトモな仙台経由関山ルートが新車輸送路と見ています。尚最近知りましたが、13日にUPした旧豊栄村荒谷を経由して現在の県道22号線をひた走りすれば自然に国鉄北山形駅に行き、陸運事務所に着きます。
 この当時まだ「全日本自動車ショー」が正式名称で、題名が「自動車ショー歌」となるのです。10月より今まで続く「東京モーターショー」になります。
 ここに出る車で今も残る物はクラウンだけでしょうね、

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 茶色い家から曲って、西側。ここは入り口ではないでしょうけど、念の為。
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 南側。どうでしょうかね?ここから入ったかな?大型車は侵入困難なので恐らく一番初めの北側が正門であった事は間違いないと思います。

 昭和39年当時の5ナンバー登録は未だ7000~7500台程度しか山形県内にはありませんでした。当然ナンバーも「す」のまま。(一番多い4ナンバーは「そ」の4000番台と思われ、す、せ、そまで進んだでしょうね)
 何分山形駅前の広場に何処と決めずに自由に駐車が出来たのです。無論お爺ちゃんも駅前広場に黒塗りのこの車を停めて仕事に入れたのです。(尚お袋に聞いた話では殆どトヨペットクラウンデラックスで通勤はしなかったそうです)

 尚現在の山形陸運支局は山形市漆山地区にあり、広さは旧敷地の6倍はあるでしょう。幾ら自動車が少ないとは云えど、当時でも車を捌く事が難しかったと思います。昭和43年ともなると爆発的に登録が増えますからねぇ~、

運転歴42年。最後の車!

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 今年66歳となるお袋。
 人生最後の車をこの度購入します。
 昭和49年1月に運転免許を取得し、市役所の女性職員では10番目以内に入る取得なので、当時は女性が自動車運転はするべきではない!が山形ではまかり通っていました。
 以前も書いていますが、昭和39年8月に関山峠の山形県側で母子が事故死した時珍しい女性ドライバーだったので、幽霊騒動が独り歩きしたかも知れません。
 
 今はATに慣れる為平成19年式ミラですが、十分に慣れたし、昨年それまで乗っていたマーチを運転させると、見事にMTの運転が出来なくなっていたので、私たち兄妹は安心して新車を選ばせる事が出来ました。
 このマーチは今年は車検通しますが、次の車検で廃車します。

 意外に思いますが、結構MTからATへの転換は出来ない年配者は居るそうです。それでカローラはMTが廃止出来ないそうです。もしこれが失敗したらどうしよう!と思いましたが、3日以内に完全に使いこなしており、良かったです。
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 色はこのタイプのパールホワイトです。価格の値引きも主治医にお願いして納得いく価格で購入できる見通しです。
 昭和56年11月28日にダットサンサニーを購入以来34年。結局我が家は日産から離れられません。
 (トヨタは昭和38年6月~56年11月27日までの18年です。)
 尚ディーズは注文を正式に受けてからの生産なので、納車時期は3月末以降と思われるそうです。

ウィンドーウォッシャー分解清掃で・・・・

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 大変な事になりました。
 この写真を撮影した当時は何の問題はありませんでした。撮影した翌日何気に使ったら・・・・
 洗浄液の出が悪くなり、最終的には全然出ない状態になったのです。
 見た目では何処も悪い様子はなく???となるばかりで、どうしようもなくなり武左ゑ門さんにSOS!
 まずは作業様子をUP致します。
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 以前もやった事あるので判りますが、丸ごと外して作業した方が確実なのです。
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 前回タンク清掃したのは2年ほど前で、福祉施設職員故の変なクセがあり、ハイターで綺麗にしたいと考え全て洗浄液は交換します。
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 上は外した直後、下はスクリューを綺麗にし洗剤カスをふき取りました。
 この時問題あるかな?と考えられる事はモーターを固定する締め付けバンドが緩い感じがしたので増し締めしたことかな?と今思います。
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 RS41のタンクに残った洗浄剤の上澄みはVNY30に使いました。尚タンクには汚れは見られませんでした。
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 ハイターに30分ほど漬け置きします。その後良く洗い流します。
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 組み付けた直後はフツーに出ている事を確認しました。当然問題なく作動する物と見ていたのです。
 さぁ!一体原因は???

ウィンドーウォッシャーの顛末

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 写真は武左ゑ門さんから拝借して本日のUPです。
 昨日UP致しましたが、タンクとスクリューの清掃をやり、その日は問題なく噴射したが、翌日には噴射力が弱くなり、最終的には噴射しなくなりました。

 初めはホース取付口が折れたと思いましたが、良く観察するが異常がなく、???の世界でした。
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 あっ!これは明らかな御曲りさん!これじゃ~噴射が弱くなるなぁ!締め付けバンドが緩かったので増し締めしまして、どうもこれが今回致命的になった可能性が高いです。
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 私の車のウォッシャーは変な経歴があります。
 新車時のウォッシャーは既に無くなっており、再登録した時は台座部分が青系の昭和40年頃のパブリカかコロナ辺りのウォッシャーでした。又当時は作動方法を知らなかった上、あんな物意味が無いと思い、初めの4年間は全然作動させませんでした。更にだいぶ前からスクリュー隣のホース差し込み口が折れており、何とか補修し漸く作動方法が判って作動させるが、もう全くダメで「こりゃ困った!」となり、師匠に相談。すると          
 東京都内(23区内です)の解体屋にて発見。この業者は整備工場に程度良い中古部品を販売する事を生業にしており、程度良い廃車を丁寧に解体して中古部品として販売する業者でした。
 売れ残りの中に1963年式用が残っており、マスターラインライトバンから外したらしい物で、昭和46年頃入庫したそうです。ですからタンクは綺麗その物でした。
 が…台座にひび割れとスクリューのホース取付口がボンドでかなり分厚く補修しており、1年~2年使うと駄目になりました。いや~困ったとなり、ニコイチ制作を始めました。
 そこでタマタマ平成5年頃かな?学生時代出入りしていた解体屋に行くと昭和37年製造のRS41があり、その廃車からスクリューがマトモな物を手に入れて居ました。(台座はバラバラになりました)使えない物だったがタマタマ保管していました。
 
 その時パブリカなのか、コロナなのか判らないスクリューも捨てなかったので、台座を外して37年製造品と合わせる事になり今の姿になります。

 恐らくですが、何用か不明なウォッシャーAssyは山形トヨタの営業所近くに私が幼稚園時代逃げ込む先の解体屋があり、そこから良さそうな廃品を入手して安く取り付けてくれたと思います。あの当時は兎に角余裕が無い時代でしたので。(多分ですがメーカーから新品は買えたでしょうね)


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  これが解体屋にあった昭和37年製造の個体。
  大変な思いして前に行くと部品が余りなく、悔しいから手前にあったウォッシャーを外して10数年取って置いたで す。それが後々役に立ちました。
ですから、そもそもモーター台座とスクリューは透明の樹脂部品ですが、昭和40年辺りから電装製のウォッシャーは青っぽい色を付けたのでこういう色です。
尚今スクリューが青いのはウォッシャー液に青系の物を使って居たから染まってしまい青くなりました。

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左が武左ゑ門さんの車のウォッシャーで新車時はこういう透明の台座にスクリューでした。
ウォッシャーに関しては私の車は中古の中古部品なのです

発売当時のカタログより

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 トヨタセールスが持参するメーカーOPTカタログより転載です。コロナRT40Dがモデルになっていました。
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 流石トヨタのウオッシャー。カタログに有る通り強烈に飛びます。武左ゑ門さんのブログにありますので、そちらを見ると誇大広告ではない事が理解できます。
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 写真では見づらいですが、よ~く見ると私の車の蓋と同じ青っぽい台座です。カタログは昭和40年用です。
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 昨日UPしてからよ~く記憶を巻き戻すと、昭和58年の5月か6月辺りにこの車と同じ廃車がデーラー近くの解体屋に入庫していた記憶があるのです。間違いなくライトバンデラックスでした。この頃交換しただろうと推測しています。
 但し入庫したRT46Ⅴも廃車から数年は経っただろう個体で、それ以外はこのタイプのウォッシャーはないので他は考えられません。
 3段積みの一番上でしたが、外した後に積んだかな?下にはサニーB210のクリーム、その下は青メタの最終型のカローラKE20でした。

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 台座は多分コロナから外した物と見ています。
 尚ウォッシャーは当時パブリカからクラウン8まで一律
3200円也でした。

 もし車検で検査項目ではなかったら修理した可能性は低かったでしょうね。だって殆ど使わないのだから。

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 おまけワイパーブレード。もうこの当時は既に汎用品だったでしょう。今はオリジナルです。


第一次動植物国宝切手

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 高額編。いずれの切手共に此処1~2年程で手に入れました。30年前だったら今の価格の数倍はしました。
 24円の平等院もありますが、今オークションで「これ!」と云う物が無く未だ入手していませんが、いずれ気に入った物あれば入手します。
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 14円姫路城。意外にも高い。
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 50円弥勒菩薩。これはくせ者価格でまだ入手していない平等院の倍近い価格で取引されています。
 00がない次のシリーズもあるが、これも結構なくせ者で高いです。こちらは就職して少ししてから入手しましたが、当時でも写真の物は高くて買えませんでした。

ウィンドーウォッシャー届きました

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 お忙しい中調整頂き有難うございました。早速取り付け作動させるとしっかり作動しました。
 では今回分解清掃した他の理由を書きたいと思います。
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 まずはこのタイプのウィンドーウォッシャーの弱点が、此処!
 グイと曲ってオリジナルはやや硬めの透明ホース。それが何度かボンネットを開け閉めしている内に柔軟性が無いから無理が掛かって「ポキ!」
 古くなればなるほどそのリスクが上がります。
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この洗浄剤ものちにUPしますが、交換したい意欲がわいたのです。このタンクは1963年式用のタンクで、元はマスターラインライトバンについていたそうです。
 おのずとナンバーは品4でしょうね。(それと取り付けステーも、元の物は仲間に売却) 
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 2年前かな?武左ゑ門さんのブログにありますが、スクリューの中に一定量を吸い込んでそれをモーターで噴射する構造辺りがこの「噴水ジュース販売機」に似た感じです。
 その昔駄菓子屋で同じ物でジュースを飲みました。飲みたいな~の欲望がわく作りです。
 それもあってこの構造のウィンドーウォッシャーは何としても修理したいのです。
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 ほれ、この通り。頭の中ではあの噴水ジュース販売機をイメージしています。とてもカンガルー印のタイプやモーターが下にあるタイプはしたくないな。
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 で、今回洗浄したい理由がこのウォッシャー液が大きな原因です。これはHCやカーショップでは売っておらず、山形では大きなスーパーマーケットで売っています。
 青く透明な液体にクラクラとなり、全て入れ直そうとなりました。又我が家にある洗浄剤はあと僅かで、そろそろ買わねばならない時期で、遅かれ早かれ近日中には買う予定でした。
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 撮影時は違いが判ると思ったが、イザ出すと判りづらいですが、先にUPした洗浄液以外は「ぼてぇ~」とした感じで濃いなぁと感じ希釈しなければ使えないと見るからに判る物ですが、こちらはそんな感じがありません。

 また大徳寺有恒さんの著書「ぼくの自動車史」にご自身が初めてマイカーで乗られた英国製のボロボロなオースチン(1953年式)のウィンドーウォッシャーについて記述があり、お金持ちの先輩のお宅の車は洗浄剤入りで自分のただの水とは大違いとありまして、スーパーでこれを見た時思い出して迷わずこれを選んだのです。

 確かに昭和40年当時トヨタの洗浄剤は1缶200円もする高額な物でした。でこれは230円程度で2L購入出来ました。(ぼて~っとした物だと同じ2Lで200円を割る物もありましたが、ここはあえて金勘定は考えません)
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 思えば旧R48や13の時代、ウィンドーウォッシャーは必需でした。砂利道で隧道からの漏水が著しく、特に我が故郷の福島市寄りの二ツ小屋隧道は激しい漏水があり砂塵で直ぐにフロントウィンドーは汚れます。これは季節を問いませんでした。

 恐らく今以上ウィンドーウォッシャーは活躍したでしょうね。当然洗浄液は満タン補充で返して下さいね、大叔父殿。



若い頃のお話

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 数日前何気にブログをフラフラしながらあちこちを見ると、懐かしい顔にぶち当たりました。
 多分古くから特に90年代後半から00年にかけてムーンのイベントに参加した方なら恐らくピンと来るはず。

 多分日本に2台?と思われるシングルナンバー付の涙目テールマスターラインです。
 
 実はこの車マニアの世界に姿を現したのは平成10年の9月、岩手県のニュージーランド村でのイベントでした。この時地元の商用車マニアのMさんが手に入れたばかりのこの車をいとも簡単に手放す意向を示され思い止まって欲しいと話した記憶があります。

 この時今の愛車にナンバーを付けたばかりで金が無く体力的にもう限界でしたので、到底この車を買う金はありませんでした。

 もしもが付きますが、あと1年書類付きフレームが無かったらこの車本気で買ったかもしれません。Mさんもナンバー維持には協力的でしたので。
 今ならですが、多分オーバードライブ機構を移植したかな?それとマトモな3Rエンジン探したかな?

 実は9月のニュージーランド村でのイベントで直ぐにオーナーは変わり意外や近い他県のオーナーさんが入手されました。その点私は喜びましたね。

 ではこの車の経歴を書きます。登録は昭和38年4月らしいですが、1年オチの中古で2代目オーナーが購入しました。その後近くの整備工場に平成10年の車検切れ近くまでずっと整備をしていたそうです。
 当時商用車はプライバシー丸出しで乗らねばならず、2代目オーナーの職業と名前、住所そして「自家用」がペイントされていました。
 この方は小学校の校長で定年を迎えられ、その後も高齢で運転できなくなるまで乗られたそうです。職業は公務員と書かれて居ました。
 ここまで酷く個人情報を書かねばならない地区は岩手県とあともう1県ありました。山形は「自家用」だけでOKでしたが、苗字を書く例が多かったですね。
 
 では懐かしい写真の解説をしましょう。
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 この写真はかなりの確率で平成10年の宮城県の北部「岩出山」のイベントでバルーンフェスティバルと同時開催をした時の写真でしょう。
 中の展示から見て間違いなく3代目オーナーになってからの物です。
 オーナーさんは私よりずっと年上の方ですが、とっても若く見える方です。奥様もかなりの美人さんでオーナーさんより2歳年上と聞いて更に仰天。
 また結構旧車イベントに付き添ってくれて夫婦で楽しまれて居るのが印象的で、私も「○○さんみたいに旧車に興味ある妻と結婚しよう!」と思ったものでした。

 *アハハハ・・・現実はじぇ~んじぇん。でも初めの3年は付き添ってくれましたが、強烈な姑、大姑が「あんな車乗る物でない!」と加勢するからそれ以来殆ど乗りません。
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 この写真で平成10年の岩出山と判断。タイヤは6.50-13-6PRのヨコハマスノーセフティ。スパイクを抜いたタイヤでした。
 今なら6.00-13で何とかなる筈ですが、6.50-13は製造が打ち切られ久しい状態でした。
 翌年には6.50-13-6PRのほぼ新品ホワイトリボンを入手します。
 であれ?その翌年かな?確か平成11年はこの車に乗ってオールオッズに出掛けた記憶が・・・・??この時時速100㌔で結構車内が五月蠅くてラジオどころではなかったのです。これは鮮明に記憶しています。
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 リヤゲートは理由は判りませんが丸テール用(1964年式用)になっています。オーナーはどうにか涙目用を3年がかりで入手した筈ですが、この頃ボデーの痛みが酷くなり、フロアーがかなり底抜けしてレストアが必要になった筈です。
 また何とか私の車を綺麗にレストアして1963年同士オールオッズやクラウンピクニックに参加しようと話していました。でも今思えばこの車結構重症だった感じがします。
 で、このマスターラインのイメージ曲がこれ。
 この車が過ごした場所が水田地帯だったので余計イメージが濃いのです。
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 ウィンドーウォッシャーも治り、成生城へ。
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 成生城の外堀跡付近かな?名残があります。
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 平成15年にオーナーのもう一台のマスターラインと一緒にクラウンピクニックに参加しました。それから3年してかな?今度はもう1台もボデーが不味い状態になり、走れる40系が無いので「私の車を運転して頂けないか?」と申し出てクラウンピクニックに参加。
 この時膿出し兼ねて結構勉強になりました。マスターラインで五月蠅くて駄目だったラジオは余裕持って聞く事が出来ました。オーバードライブの有り難さも良く理解でき、改めて自分の車は先進的と認識したのです。

 ムーンの社長の言葉を借りていますが
「この車1台あれば他は要らないな。」です。やはり40年以上の付き合いになりますが今更他の旧車は・・・ですね。でも乗りたい車有るんだよなぁ~。


 *恐らくですが、状態はどうあれこの車は残存している事は確かですが、ボデーが良い状態ではないし、多額の修理費がかかるので、公道復帰はマダマダ先と思います。オークションでも結構高値で部品を入札し驚かされます。

パトカーの通夜会場

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 山形県内各地を走り回ったパトカーや関係車両は旧運転免許センター近くの山形県警学校、近くの敷地に集結します。
 パトカーの場合タクシー以上激しい使い方でそれも長期間(15年)なので到底中古で使える代物ではないです。いや、それ以前完全解体なので払い下げは絶対ないです。
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 多くが山形88ナンバーでしたので先ず間違いなく廃車予定車両ですし、もう見ない型が殆どでした。
 右から2番目のカルタスは、一般でも今の時代見ません。恐ろしい走行距離でしょう。
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 これは捜査関係者用かな?或いは護送車??
 高校時代私は機動隊隊員輸送バスに乗った事あります。金網張りでかっこよかった!

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 旧運転免許センター跡地。平成16年頃まででした。現在はここから数キロ西へ。
 尚先ほどのパトカー廃車体を見る時ここを左折、尚余り次じ~っと見て居ない方が無難かもしれません。

雪が溶けました

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 日当たりがとても良い事もあり、畑の雪は皆溶けました。作業と云う程ではないけど大根収穫等をしました。
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 想定ではスズメクサは皆枯れる予定でしたが、余り枯れませんでした。暖冬の影響でしょう、米糠も昨年みたいに糸が張りません。
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 大根を引き抜き葉っぱを積み重ねて米糠を撒きました。今年は人参でも撒こうかな??
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 玉葱が植えてあります。
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 藁縄はソコソコ土と同化しました。
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 今年暖冬とあり比較的早いうちに雪囲いを外すお宅があってか、2月半ばには廃縄が積み上げられ下に柿の剪定した枝を積みました。そのうち土になるでしょう。

参加受理証が届きました その1

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 来る4/9.10に行われるヒストリック&クラシックカーミーティングIN仙台の参加受理証が届きました。
 既にご案内の通り10日のみの参加となりますが、もし10日にお見えになる皆さんよろしくお願いいたします。
 今回も適当に色々な写真をUPしました。
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 こんな表紙で結構しゃれています。明日は会場地図をUP予定ですが仙台の中心地で行われ、今までのイベントで市街地の中心地でのイベントは経験がなく、もう楽しみでなりません。
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 何も考えずに、なんとなくで撮影しましたが、いいアングルです。
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 ドアバイザー右。
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 同じく左。
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 リヤより
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 トランククーラーとクールファンが見せ場。

参加受理証が届きました その2

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 今回は地図をUP致します。
 イベント会場案内地図でこれだけ詳細な物は余りなく、好感を持てます。黄色い部分はR4です。
 幹線ルートに会場が有る事が判ります。仙台駅からもそう遠くはないと思われますので列車でお越しの方にも便利です。
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 イベント案内地図の多くがここまでカラーでなくても良いけど、地元の人でないと判らない様な酷い物が少なくありません。これなら安心して行けますね。
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オイルプレートとキャッスルステッカー。
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 プラグコードは5Rエンジン用のフォークリフト用です。無論製造は2012年です。(デスビ/ローターも2012年交換)電気周りは万全です。
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 TOYOPETがグレーペイントで残るは珍しいです。無論TOKYO TOYOPETも自慢ですよ。

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