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Channel: 高村円淨のブログ
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参加受理証が届きました その3

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 会場見取り図です。これも判りやすいですね、初めての参加でも安心できます。
 今回も思うままに撮影した写真をUPいたします。
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 中々いいアングルだと思います。少しずつ撮影レベルを上げて行きたいものです。
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 仙台でのイベント、山形のイベントでも宮城県の参加者が中心で概ね参加するメンバーは見えていますが、国産車の中では私の車が古い方です。
 東北の場合旧車は凄い個体はゴロゴロですが、多くがイベントには出たがりません。ですからこの程度の車が古いとなります。
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 東北では東京五輪JAFバッチ実は不自然なのです。この時代東北にはそんな物はありません。
 宮城県は昭和40年代の初頭に業務開始だろうが、山形県は昭和45年より開始なので、本来は大阪万博バッチまたは札幌五輪が正解です。
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 見栄張るクンですが、このデザイン結構好きなのです。まぁ、先程の東京五輪バッチと東京トヨペットステッカーもあるので、東京から流れた中古を買った見栄張るクンみたいで良いんじゃないですか?(笑)


昭和39年の山形と東京

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 何れの写真も東京五輪開催当時の写真です。
 山形の写真は間もなく駅舎を取り壊す直前の頃ですので、当時お爺ちゃんがこの駅舎に勤務していました。
 当時の山形駅の職員は結構秋田県人が在職していました。お爺ちゃんも昭和20年代半ばの頃は秋田にいまして、30年代初頭には山形県に戻りました。
 尚秋田県人は結構見栄っ張りで車は結構早い時期に代替えすると某ブログにあり、秋田県人と交流が濃いから、何時しかお爺ちゃんも運転免許を悪戯半分で取得したかな?その翌年にはトヨペットクラウンデラックスの新型ですから、秋田の同僚や部下も舌を巻いたかな??

 東京の写真はタマタマ何かの探しこみの中で発見しました。山形と東京では空気が違う感じが写真からも伝わりますね。
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 山形では当時聖火ランナーが走っただけで特に五輪には関係なくごく一部の人はオリンピックを見たいので頑張ってカラーテレビを購入された方も若干居ました。

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 この写真で昭和39年9月~10月と見ました。コロナ40系が写っていますので、39年9月5日発売の39年末に解体だから、雪もない事と服装が11月にしては分厚くない所を見ると東京五輪開催直前か、開催時だろうと推測できます。
 無論当時卸したての新型ですから、構内タクシーとして出したかったでしょうね、山形交通さんも。
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 東京五輪に沸く東京。因みにこの年お爺ちゃん、お婆ちゃんの夫々の親(ひいお爺ちゃん、お婆ちゃん)が東京にオリンピック観戦に出て、東海道新幹線にも乗ったそうです。因みに同居のひいお爺ちゃんは当時78歳!達者ですが、ひいお婆ちゃんは孫を失ったばかりで、体調を崩して東京には行けませんでした。


スバル360=テントウムシ

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 と思った初めてのスバル360がこの車です。
 家から徒歩4分の所にある物で、昭和59年の秋に置かれ60年の正月頃屋根が陥没してこの姿になりました
 当時私は小学5年生で旧車雑誌何て当時は何処にもなく、僅かに旧車販売の広告で「くるまにあ」とか学研等の学習辞典に時折出る当時の型落ち車で正式な車名を知るか解体屋で車を知る以外手だてはなく、例えば
 スバル360のニックネームはテントウムシは全然知りませんでした。

 で、この車を何故テントウムシに思えたか?実は従弟が当時買って居た学研の太陽光で走るテントウムシの付録があり、太陽光の当たる部分が丁度凹んだ屋根と同じに見えて「テントウムシ」みたいな車だなと率直に思いました。それがスバル360のニックネームがテントウムシと知ったのはそれから5年後高校生の頃です。
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 撮影は平成4年3月です。
 持ち主は以前スバル360の分離給油の時書いていますが、お義父さんと同期に県庁採用になったKさん。
 昭和46年採用でその時でスバル360の「出べそ」分離給油に乗られ、2年後お義父さんが運転免許取得後しばらく借りて出べそに乗っていました。(今お義父さんはMTの運転は不可です)

 さてこの車は年式は昭和41年式で、宮城県在住の方なら書くと判るでしょうが、松島町のトヨタライトバスの上にマツダライトバスが積んである解体屋にこのスバルがあったのです。オーナーはH沢さんですよね。
 私が見たのは昭和59年5月の松島修学旅行の時でした。ケンメリHTのシルバーの上にのっかっていました。その時点で屋根が凹んで居たのであの個体と判ったのです。タイヤもスノータイヤで、この車も当初スノータイヤを履いて居ましたが、2年後多分ホイールを使うためにかな?タイヤを外しました。
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 Kさんは残念ながら平成22年に62歳で癌の為亡くなりました。お義父さんもガッカリしていました。
 車の主治医も知り合いと云う事で、先ほどの個体で使える部品を診察して、そこを壊さない様にユニックのつり上げを立ち会い丸ごと「出べそ」給油口車と同じマニアに引き渡しました。

 どうも以前から思って居ましたが、この風景「仰げば尊し」がとても似合う感じがするのです。又本日は高校や大学等の卒業式ですしね。
 今では2番が学校で歌われる事が無いので、2番があるものを見つけUPしました。とてもいい歌詞なんですが、日教組が強いので2番は抹殺しました。それで3番を2番として教育しました。私たちは2番は大人になって知りました。

人参を全て収穫して

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 米糠を人参を植えた所に撒きました。人参の葉をそのまま畑に放置し春先には肥料を混ぜる予定です。
 今年は枝豆でも此処に撒こうかな?
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 2年連続なので別の作物にしたい所です。それで枝豆を撒く事にしました。
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 自宅前畑の玉ねぎ。葡萄園にある玉ねぎにも化成肥料を撒きました。
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 写真左側に今年は人参を植える予定。右が先ほど書いた人参を植えた場所。

定期点検を兼ねて

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 課題となっているブレーキマスターシリンダーを交換しました。今回はオークションより落札した物で、デッドストックなので、念の為OH。
 やはりゴムシールが若干の変形がありました。その為シールを総交換しました。あと今トヨタ純正から出ているピストンはどうやら、他の供給品と共有化したのか、オリジナルより幾らか小さく、「ふわ~っ!」の原因がこれではないか?となりました。又完全に悪い、合わない訳ではなく、幾らかシリンダーが摩耗して余計に「ふわ~っ」の原因になった恐れもあるそうです。
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 撮影は1週間ほど前ですが、問題点が結構出ました。エンジンマウント、ミッションマウントがデッドストックにしたけど、疲れ気味らしいです。
 何らかの対策を考えなければなりません。
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 クーラーコンデンサーの清掃を依頼したら、出るは、出るは、土埃や虫の死骸・・・。そろそろ掃除しないと冷えが悪くなったかもしれません。
 やはり取扱説明書があってよかった!
 他にヒーターホースの1本がお疲れ気味なので、6月のLLC交換でホースを新調します。
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 1/27に落札し29日までには届いて、OHしました。
 オークション画像で見るよりはかなり綺麗でした。
 工場長も「新品は違うなぁ~」
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 もしトヨタに蓋の純正が有るなら純正と交換予定です。
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 手間取ったのは燃料フィルターで現行製品の汎用品ではあるが、東北地区には在庫が無いとの事でしたので、まだ手元に戻って居ません。
 オリジナルよりずっとデッかいフィルターを取り付けました、。

書類なしの苦労

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 今月号のOT誌にホンダS600の書類なしの再登録に素人が挑んだ記事が投稿欄にありましたね、何でも何人ものマニアが挑んだが尽く撃沈したとか。
 因みに有名な業者さんに依頼するのも手ですが、別の行政書士、司法書士等のHPを見ると、この手の専門家でも中々困難とあり、失敗してもその費用は頂くとありました。
 投稿欄に出たS600は私の車よりは難易度は低いと見ています。何故なら所有者が健在、(中古登録だったらしい)所有者とS600のナンバー付写真が複数有る、自賠責保険の証書が残っていた。が難易度が下がります
 でも尽く撃沈はどうも前所有者が余り協力的ではなかったかな?(投稿者は教師らしく、勤務先の権限をつかったとかありました)

 な~んども書いたので飽きたでしょうけど、我が家は本当に関係書類はな~んにもなし。更に所有者に問題があるし、相続人の1人が絶対に連絡取れない行方不明者(多分生きては居るだろう)
 ナンバーはあくまで私の記憶。公にとなると証明できません。まして山形県には国土交通大臣は居ないので先ずコネなんかない!
 
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ホンダSシリーズ含めてこれが有るからどうにかなります。これがモノコックだと…犯罪ですね。

定期点検終了

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 燃料タンクの直ぐ後ろに新設したフィルターが届くのが遅かった事があり、1週間掛かりましたが無事終わりました。今後車検ごとこの汎用フィルターを交換予定です。それからブレーキ関係については無事に「ふわ~っ」とした感じの症状が完治しました。
 やはりマスターシリンダーに問題がありました。
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 これはクーラーのコンデンサーです。試にクーラーを付けると以前より冷えたと感じました。やはり定期的に掃除しなければなりませんね。

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 問題のブレーキマスターシリンダーですが、向かって右がブレーキで今回落札した物。よ~く見れば違いが判りますが、蓋を純正品と交換すれば先ず判りませんね。多分ですが左のクラッチ用より新しいかも知れません。
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 ここから見たらもうわかりません。せいぜいペイント跡があるかないか程度。
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 上から。それと運転してみてですが、ピンも交換したのでよりスムーズなクラッチ、ブレーキ操作が出来ると感じます。恐らく新車当時の感覚は今の状態であろうと思いますが、やはりスバルよりは軽いですね。
 冗談抜きでレガシーは足が吊りそうになり、RS41やVNY30に乗ると何て楽な!と思います。
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 オイルも交換したとあってエンジンは軽く、ショックアブソーバーの恩恵があり、鈍感な私でも今回は本来のトヨペットクラウンデラックスとはこんな乗り味の車と実感できました。
 走る、曲がる、止まる、についてはかなりの数の部品を新品にしたので新車と同等だと感じていますが、現代の路上でも十分使えて、先進的な車であったと思います。
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6代目MS110系2ドアHTです。これはエンジンが換装されており、ソアラ用が積んであるとか。そのうち詳しくUP予定です。
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おまけ、夜景を撮ってみました。暗くなりすぎてイマイチ


しまった!

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 うっかりカーポートに仕舞う事を忘れて、更に酷い寒さで大変な事になりました。
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 撮影は昨日土曜日でしたが、-5以下の最低気温になり車はご覧のとおり凍ります。イメージ 2
 本日は休みだったので良かったけど、これが早番とかだったら一仕事です。
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 リヤより。ぜ~んぶ凍りました。
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 どういう事なんだ?天井まで凍った!これは初めて見ました。驚いたと同時にブログネタ決定!
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 あ~っ、凍った事により、ドアが閉まらなくなります。こういう時は写真の部分に熱湯を掛ければ治ります。
 JAFでやり方を聞きました。特に日産系はこういうトラブルが多いみたいで、(ダットサンでは経験なかったけど)このVNY30はしばしば起きます。
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 近所を適当に。やはり野晒は同じ様になりますね。
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 カーポート保管は凍りません。やはり自動車を持ったらカーポートは最低必要ですね、特に山形の様な寒冷地は。雪国生活は金が掛かります。光熱費、除雪関係その他諸々で雪が降らない温暖な土地は羨ましい。


6代目クラウン

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 大変珍しい2ドアタイプです。程度は上で一度再塗装したので新車みたいな状態です。
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 私は昭和45年までは詳しいのですが、それ以降はガクンと判らなくなります。確かそんな車が有ったナァ?程度ですが、6代目も2ドアが存在ていたとは知りませんでした。
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 本来は2000㏄のエンジンでM型したが、オーナーさんの好みで2800㏄のエンジンに載せ替えました。
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 20歳前後の頃4ドアHTの2800㏄らしいモデルに乗った時期がありました。今も記憶にある内装はこんな落ち着いた物ではなく、ケバい感じがする場末のスナックみたいな内装のシートでしたが・・・・??
 MT仕様に改造したと思われます。
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 走行距離は13.3万キロでマダマダ走ると思います。
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 こちらはリヤシート。
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 テールは撮れる所まで。
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 多分ですが、トランククーラーが付くタイプでしょう。
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 レザーHTの状態が良いです。

 *ブログのシステムが故障しているのか、私のパソコンが故障しているのか、とんでもないところにカーソルが移動したりします。特に触らずともとんでもない所に動きます。心当たりの方居ませんか?

消毒記録

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 今年から、農作業ブログに作業記録をしてみます。
 
何分これまで記録した手帳をピンク怪獣が悪戯するので。

 3/5 殺菌剤1000倍散布、(葡萄全部)
 3/6 スミチオン乳剤(葡萄全部)

 

快適に走ります!

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 本来のタイヤに近い物となり、ショックアブソーバー交換で特にR13の天童大橋の橋のつなぎ目の走行で「しっとりした」走りが実感できます。
 東北中央病院付近の勾配ある坂ではODのキックダウンも快調で失速なく走ります。
 更に商用タイヤとはなるが、相性が良い感じがして7.25-13の時にはなかった良い乗り心地が感じます。
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 このアングルの撮影も安定しています。(でもこういう行為は危険な事は変わりありません)手放し走行も可能である事を書きたかったので、信号や交差点が無い区間(R13です)で撮影。
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 給油の為。あれ?ここでも販売していたんだ!いや~この原液中々ないので、定期点検では補充しないで欲しいと話しました。でもスーパーより高いナァ。
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 もしまだあれば予備をスーパーで買おうかな?今回は原液で補充しました。実は前回少し薄いかな?と思う量だったので。
 然しこの青い透明な色は良いナァ!別に他の物でも問題はないけど、私のウィンドーウォッシャーの拘りの一つはこの液体になりました。
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 補充は結構大変!かつてはどうやって補充していたのだろうか?これは専用で買ったのではないです。たまたま放置されていたので、使ったら具合良かったので。

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 おまけ、こんな写真如何ですか??


パトカーの通夜会場 一寸深く見ました

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 私自身前回撮影して気になりもう少し見てみました。
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 覆面パトカーのY31が居ました。警察学校の生徒さんがOFFの日蕎麦屋さんに食べに来た時、ジャージ姿の5人がスカスカのY31の覆面上がりでやってきました。もうあのY31は解体でしょうね。
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意外に台数はありません。もっとあると思ったら。
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 どこの解体屋が引き取るか?
 そういえば、東北モーターショーがありましたが、展示車両は皆東京モーターショー上がりの廃品ですが、今頃この手のパトカーと共にスクラップでしょうね。

第一次動植物国宝切手

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 このシリーズを全部揃えようと暫く中断していましたが漸く手に入りました。
 更にまさか無理だろうの4円も手に入り予想以上の早い再開が出来ました。

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 入手困難な4円=これは産業図案切手時代やその前からの図案を踏襲しています。以前の切手との違いは透かしの有無と紙質ですが明らかに質が良いです。
 この切手のみ菊の御紋があり、昭和27年まで発行。
  どうも透かし有時代の切手と勘違いされてか、入札価格は大した事なくタダに近い価格でした。
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 人気の平等院。収集を始めた時代と比べるとタダに近い金額です。当時は今回の落札価格ではそれこそジャンク状態(基本販売しない)でしょうね。それ以前この価格では取引しません。

菩提寺で五重塔を建立します!

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 菩提寺で今年の9月より3年ほどかけて高さ33Mもの大きな五重塔を建立する事が正式に決まりました。
 山形県では127年ぶりの新規建立となりますので、関係省庁でも「完成後はぜひ見学させてほしい」や「新しい山形の観光名所になるので期待している」と云った肯定的な返事があり世話人である私も張り切っています。
 
 実は私昨年菩提寺の世話人に就任し最年少の42歳です。今の所「若造に何が判る!」と60代や70前半の中堅に睨まれない様に余計な事は言えませんが、建立は中堅やベテランに睨まれない程度に住職のイエスマンになりました。(今は賛同していらっしゃる世話人が多いけど、一部は否定的な世話人も居ますし、檀家衆でも反対の立場は結構居ます)

 我が家は特に女系なので、何時家が潰れるか判りません。ピンク怪獣がベッピンさんになり、他家へ嫁がせれば今年130年になる我が家はそう遠くない時代に消滅し墓は産廃となり、遺骨も知らない間に処分場へ流れます。(*遺骨はそもそも産廃処分は合法です。そのままではマズイので大抵は何か不燃品と共に混ぜて処分します)
 そんな時私はピンク怪獣を呪うとしても通じるか?親としては情けないし、やはりピンク怪獣には五重塔供養をする様遺書を残します。
 
 又私自身切手収集の過程で結構五重塔には関心があります。ですからそんな意味でも建立は大歓迎です。
 
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 これが現在の完成予想図です。派手さはないけど、材料を吟味し質の良い供養塔になります。
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 内部構造。現時点ではどういう方を供養塔に入れるか?は身寄りがない、娘しかおらず皆嫁に行った、もう山形には子供や孫が戻る見込みがなく、墓仕舞いしか道が無いを考えています。

 *詳しくは書けませんが、現在5柱の遺骨が遺族が関わりたくない、本当に家が貧しく喰うのがやっと、等で墓に入れない遺骨があり、隣の仙台市からもそういう遺骨を預かっています。これらは完成後埋葬予定です。
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 この切手はいずれ郵趣で詳しく紹介しますが、航空切手と云う物で昭和26年に発行(写真は27年以降)
 初めて知った時からこの色が非常に好きで、30年前に無理して購入。 
 この切手はダグラスDC-4型機と五重塔でこの組み合わせと色でより五重塔に魅せられました。
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 上が昭和26年~27年まで。これは高校時代結構無理して買いました。発売期間が短く高いのです。このシリーズは30円から買いました。


 航空切手でも30円はごちそうさまのOPをイメージします。我が家は空港が近く、飛行機が時計代わりでして、OPが航空機のエンジン音に似たイメージで、色は綺麗な夕焼けで五重塔には一番似合う色だと思います。


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 他のシリーズです。他に40円の黒ありますがそのうち出します。

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 これも五重塔を美しく出しています。切手収集から五重塔が好きなのです。
 庭に五重塔の灯篭をされる方が居ますが、私は若いころ置きたいと考えましたが、お婆ちゃんは嫌がりました。「お墓と同じ、あんな物置くのは学が無い証拠」とよく云って居ました。


正しい旧R48を発見

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 昨年頻繁にUPした旧R48シリーズ。これまで不可解な道とした旧道ですが、昨年晩秋に漸く発見。
 やはり地図は正しかったのです。
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 よ~くこの地図を頭に入れてください。特に④を写真、地図共に記憶してください。
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 ここが④地点。しばしこの風景をUPしています。
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 ④の部分を仙台方面に左折すると直ぐに急カーブの坂道が出てきます。これは地図でも確認できます。
 私はこの道がないとどう頑張っても仙台に行けないと思って居ましたが、良く考えるとこの道はどう見ても、旧道時代に作られたとは考えられない面もあります。
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④地点に戻って左折の坂道を撮影。やはり杉林が不自然に切れています。
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 晩秋に発見したのが、ガードレールが切れているので、よ~く見ると・・・・
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 あれれ!道があったべ!
 んだごんたら、これが旧国道だべなぁ!
 んでも、狭いんべ~、

 よ~っく見んど、奥さ続いてるずぅ~。地図を④、⑤、②と見ると先ず間違いないるーとだんべ。
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 まずは車を入れる、いやぁ~狭い、狭い。こんな道良くぞ大型車が入ったナァ。
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 今日は時間がありません。そのうち時間が出来たら探索予定です。
 この道が解明されないと、あの地図が納得出来ないのです。



人生最後の車:日産ディーズ

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 本日納車となりました。2年間AT転換教育の成果が出て今ではすっかりMTは運転出来なくなり、先ずは一安心。兎に角MTオンリーの年配者にならなかったので、妹と共に喜んでいます。
 絶対75歳までの間に買い換え需要があるのだから、その時MT車が限られ、悲劇を見ますからね。まして昨日までのミラが初めての中古ですし、66歳になって今更誰が乗ったか判らない中古はねぇ~。
 かと云ってカローラセダンを今から運転しろ!と云ってもマーチまでの大きさしか出来ないのだから、カローラは無理があります。
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 今回はスチールホイールにしました。何故って?私、アルミホイールではナットが穴に指を入れられず、スチールでないと対応できません。
 実は当初デーラーOPTは一切なしで注文ですが、流石主治医が担当なので、ナンバーフレームとドアモールは純正、バイザーは社外でタダで取り付けて貰いました。ここでデーラーよりお得ですし、値引き額もデーラーより若干大きいです。
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 購入検討した9月ではマイナーチェンジ前で、今回はチェンジ後ですのでカタログとは違います。
 まぁ、私は違いが判りません。
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 35年間日産から離れられません。ず~っと日産です。
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 初年度登録タマタマ閏年です。こりゃ~珍しい
 更にこの車ディーズでも高グレード4WDですから余り注文が無く、その下のグレードが売れ筋ですから、ある種もう希少車。
 何分、普通車は運転が厳しいので軽自動車が現実的なのです。高齢対策もばっちり!
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 白を基調としたインテリアです。
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 ベース車よりは高品質なシートで、事実ベース車より日産販売品が売れて居ます。不思議だ!
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 50年以上の年数差。
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 OPTが結構付いてきたので、フルに近いレベルです。我が家は基本フルOPTは買わない傾向です。


おまけ、練習車輛

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 2年前妹が7年間使ったこのミラをお袋が初めての中古で乗りました。それでMTのマーチ1200は妹が引き取りました。「このままMTであと10年乗るは現実的ではない、MTはもはやカローラの一部等と購入できる車が限られる、カローラの大きさがある車は運転は出来ないので、それ以下となるとスポーツタイプなので何としてもATに慣れて貰わないと困る!」となりミラを我が家に置いて行き、マーチを引き取りました。

 やはり趣味で乗る車ではありませんので、経済寿命である15年で足車は買い換えなければなりません。何かあった時確実に走らせるには致し方ありません。
 
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 暫くしてからマーチを運転させましたが、確実にMTの運転は出来なくなっていました。もはやATでないと運転できない状態でした。
 走行距離は6.7万キロにはまだ届いて居ませんが、そろそろ届く距離でした。
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 車検は今年の4月26日までですので丁度いいタイミングでした。

ブログ開始2周年!

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 本日でブログ開始2周年です。うっかり忘れて居ました。この1年で訪問なされた方は約27000人余り。昨年のスタート時よりは増えており、皆様には大変感謝致して居ります。

 この1年を振り返り撮影技術が若干向上したと思います。何分パソコンなんて何が何だか判らず、とりあえずは始めちゃえ!とやったのが2年前でした。

 さてある時期からブログ主それぞれに、訪問者の年齢、どの記事に反応したか判るようになり大変便利になりました。

 人数は兎も角、当方のブログで人気記事は「松島基地から当家へ」が人気あります。まだブログを始めたばかりの頃ですので、見にくい点ありますが、最近旧R48の山形県側では重要な道路が判りましたので、探索予定です。

 今パソコンが調子悪く何処かで長期休暇が有るかもしれませんが、今後ともよろしくお願い致します。

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 こんな写真撮ってみました。
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 これはイマイチだったなぁ!



内部資料を入手

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 東京トヨペットの内部資料が手に入りました。
 内容はボチボチUP致しますが、ライバルの日産セドリックカスタムとプリンスグロリアデラックスを比較したガリ版刷りで他愛もない比較記事ですが、東京トヨペットの販売員の意気込みが感じます。
 只今まで考えていたオーバードライブに関してはあっさりしており、意外やセールスポイントではないみたいです。
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 これが表紙のガリ版刷りです。これは今後も何度か出ますが、判りやすくする為です。
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この当時の東京トヨペットの販売タワーで昭和30年12月に建てられ、40年2月で役割を終えます。周りに高層ビルが建ち目立たなくなったが撤去の理由です。場所は数奇屋橋にあったそうです。写真は正式にRS40系を発売前ですから黒いカバーで覆っています。
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RS40系発表後の写真。この写真凄くお気に入りで、東京五輪を間近に控え慌ただしく活気付いています。

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 因みにこれが土台。建築から7年の割には古びた感じですね。



 25年ほど前、東京五輪当時の映像がこの歌をバックに流していたので、イメージが被ります。
 何かにとりつかれた感じで遮二無二に働き、夜綺麗なネオン塔を眺めてホッとする一コマを感じて。
 月光値千金はキングコールナットが有名ですが、他にも美空ひばりも悪くないと思います。

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 今回は昭和37年9月発行なので、それから9か月で我が家にこんな車が入るとは当時誰も思わなかったでしょう。

ライバル車の比較

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ーが3イメージ 5
 どうも今回はヤフーブログのシステム故障ですね。絶対に上に書けない。勝手に吹っ飛びます。
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 諸元表、大きいと思って居たセドリックカスタムですが、意外やRS41よりやや小さい事が判りました。
 当時ホイールベースで税金が決まって居ましたので、目一杯の広さで勝負しています。
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 ギヤ比ですが、これはセドリックの場合エクストラローの可能性が高いです。このギヤ比はライトトラック(2トン程度)のギヤ比に似ていますので、基本使わなかった筈。例えば関山や栗子の旧道で前に鈍重な大型トラックが居た場合失速した時には重宝したでしょう。
 当時はやはりこのギヤがあった方が良いだろうけど、都心部ではそうそう滅多に使わなかったでしょう。
 事実上セドリックは2速以上がシンクロ付なので、フルシンクロに近いでしょし、(ローはノンシンクロ)クラウンだけがローノンシンクロですね。
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 これが面白い!よ~くみるとグロリアはオーナーカーに感じます。オーバードライブが注目点。先進性があるが、余り注目が薄い感じがします。半自動とか電動とか書けば良いのですが・・・・。
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 やはり当時満足に高速性能を堪能出来なかった時代なのでセールスの間では強調されては居ませんね。これが面白いのです。

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 昭和37年9月21日の発表会。
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 40年近くこの車と付き合いましたが、今だ飽きが来ません。

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