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Channel: 高村円淨のブログ
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トヨペットクラウンの概要書

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 これは数年前に手に入れましたが、こんな物も販売前に各セールスに配布されました。これを見て販売戦略を立てたのでしょう。
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表紙です。
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 STDのRS40の特色。ガソリンはレギュラーを使用します。凄い事はSTDでもフロントガラスは合わせガラスであること。当時としてはかなり画期的ですが、39年9月発売モデルからゾーンライトガラスにコストダウンされます。そしてフィン付ドラムはRS40型のみ。
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 オーナーカー或いは官公庁とか法人が主なオーナーで、純自家用はそうそうなかったので、我が家の様な車は異端児でした。
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 ここでも燃費と騒音の減少が強調されています。無論役に立ちますが、高速走行では威力を発揮されます。
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 RS41より3万円高い108万円のクラウンカスタム。
 車体番号はマスターラインと同じ枠を使っています。
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 シート地の特色。
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 テストコースを走るRS41です。
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 発売当時のカタログ表紙です。


旧国道48号線(謎の部分)

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 少し時間が出来たので撮影しました。
 本日も時間が無く、サッサと撮影して帰らねばならず、余り構図は考えずテキトーです。
 はっきりした事は若干当時とは違うけどほぼ間違いなくこの細い道は旧R48で、関山峠開通に三島と共尽力した村山関山村長の生家にたどり着きます。
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 当時はこれだけ杉葉が多かったとは思えませんが、道幅からして間違いなく旧R48時代のまま取り残されたのでしょう。

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 後続車から見てこんな感じかな?
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向こうから大型車が来たら・・・怖いな!


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 ここから2キロ程で今も完全な形で残るかつらざわ橋です。

 *パソコンが云う事聞きませんので、そろそろ入院です。記事が非常に作りにくい。

よ~く効きますRS41のヒーターは

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 大分春めいて来ました。でも朝晩寒い今日この頃で、時折ヒーターのお世話にならねばなりません。
 さて少し前ですが、お寺の世話人の仕事で、檀家回りをしましたが、GO.STOPの繰り返しになりヒーターとライトを付けるから電気消費が大きく、昨日バッテリー(出光のバッテリー)エンジン始動率の信号を見て、かなり低くなり、「エッ!」
 初めはオルタネータがイカれた?と思ったら、「車両点検」の信号は点滅していないから、昨日UPの関山旧道撮影で充電したら治りました。

 改めて近所をチョコマカ乗る=車に負担が甚大と確認しました。
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 強烈に効くヒーターです。窓を開けても結構暖かい!
 ん?で子供の頃そんなに暖かかったっけ??
 やはりサーモがイカれてしまってたか???当時は助手席が多かったのです。因みにカミさんはリヤシートでも「もう暑い!」ですから。

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 関山旧道。何度も撮影してポイントを上手く纏められる様になりました。この写真撮影時は時間があったので狙いまして上手く行きました。
 ピンク怪獣飼育と趣味の両立をどうしましょうか?

ブシュ~、シュ~!!!

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 昨晩の事でした、うさちゃん号で自宅を出て20M走ると・・・パンクしました。私は24年運転しましたが、ここまでデカイパンクの音は初めてです。
 明るくなってから、冬タイヤがパンクしたので、否応なく夏タイヤへ交換となりましたが、パッと見た所穴の箇所が特定できませんでした。
 まずは1本だけ夏タイヤにして、タイヤ屋さんへ行きました。


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 実はこの時点では、もう1年使うかどうか考えて居ました。修理しようかな~?しないかな~??

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 2012年製造ですから、あと1年はどうにか使えます。その時点では「修理して来年に備えよう」でした。


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 しか~し、別のタイヤより、「サイドウォールに画鋲が刺さっており、修理不能」でした。この時点で昨日パンクしたタイヤの修理は断念しました。


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 ここです、ここ!タイヤは平面以外の部分が損傷すればたちまち使用不可能になります。と云う事で冬タイヤは今年の晩秋に購入決定!
 これはこれで運が良いかも!迷う時期に壊れてくれたので。

 画鋲を抜くと「ス~ッ!」と抜けて行きます。

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 アルミホイールですから、タイヤのボルトを締める時指が入らず、もう自分の鉄ホイール以外交換しません。
 で、この夏タイヤも今回3分山なので、交換します。

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 ダンロップより買収されて無くなった会社のタイヤです。次回のタイヤはダンロップが安いからそれに決定!

♪貴様と俺と~は~!

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 同期のさく~ら~・・・・
 YOUTUBEで昭和時代のカースタント映像集を発見しました。明日もお休みの方が多いので、この投稿は5種類あるので、探してみて且つ今日の休日は是非映像を見てお楽しみ頂ければ幸いです。
 
 特攻隊を彷彿させるこれ等の映像、子供の頃実際見た物もあり、当時は大変興奮しました。
 



 60年代の国産車が激しく壊れます。結構勘違いなさる方が多いですが、この手の映画の為に国産旧車の残存に影響したと云う方が居ますが、それは100%有り得ません。そもそもその車に飽きてしまい、或いは見栄と体裁の為に手放したいとなり、当時は中古でも需要有る車ではないので、そもそもは解体屋に送られるべき車でした。
 解体屋に送る前の最期の花道に選ばれたある種幸運の車であります。

 途中RS41のパトカーがありますが、この作品の大本を持っており、確認していますが昭和40年前期のモデルでした。作品は昭和51年ですから、1年車検になるので、手放した個体でしょうね。

 初めの作品で、白いオープンカーがありますが、セコイ車のすり替えがあり、G31の屋根を切り抜いたポンコツになります。年式は1964年式です。


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 この車は私が欲しいと云ったので、残りました。


ドサクサに紛れて

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 グロリアライトバンのタイヤ交換を行いました。タマタマピンク怪獣がおねむをしており、雨で畑は出来ずなので、カミさんの車も交換したので、行いました。


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 まずはホイールキャップを外して、右前のシールを確認。ナットを緩める前に

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 右後ろに書き替えてナットを緩めます。タイヤを外して

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 ブッシュやブーツの破損を点検破損なしで、

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 ディスクローターも点検。

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 各部ジョイントも点検。異常なし。

 *11/30に冬タイヤに交換して3/20までの走行距離は1220㌔でした。実質通勤以外に余り使って居ないと計算できます。ピンク怪獣が生まれてから殆どこの車には乗って居ないと思います。



クーラー試運転

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 結構気温が高い今日この頃、クーラーを長い時間使って様子を見ました。
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 一応1月以降も1週間に1度は1分程度クーラーは付けて居ました。今日は気温15度なので10分程度付けました。

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 メーンSWはLOにします。

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 昨年末取り付けた温度SW。取扱説明書に基づいて使用します。SW調整時微かに「カチン」の音がありました。概ね指定の温度通りです。
 コンプレッサランプ、良い具合に光ります。
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 その1か月前に入手した程度が良いクーラーグリル。
 提供者にその後クラウン8用を取り付けたらどうだったか?尋ねたら「吸気口が焼肉グリルみたいだ」でした。


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 コンデンサーも綺麗にしたので、昨年より効きが良い感じがします。

東根市大字関山字悪戸

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 本日は時間が取れたので再チャレンジして謎とした悪戸の細い旧道を撮影しました。更に近く沼沢地区からの撮影をUP致します。
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 間違いなく国道それも1級(昭和38年指定)でありながら1車線でした。

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 こんな感じで走るのでしょうね。20㌔出せれば御の字です。

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 当然オーバードライブはOFFにて走行です。とても恐ろしくてONのままでは走行出来ません。

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 昭和38年当時走る車の多くは定期バスか大型ボンネットトラック、オート三輪等でしょう。乗用車は稀でした。

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 かつらざわ橋へ。ここが一番近代化された所です。6Mも幅があり安心して運転できます。

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 仙台へ向かう図。尚、5月になったら、轍を辿るではないけど、当ブログの人気記事「松島基地から当家へ」を当時の写真等交えてUP予定です。
 残念ながらトヨペットクラウンデラックスが写った写真は出て来ません。逆にS40グロリアタクシーの写真が出て来ました。

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 約半世紀近い年月を経て走った旧道ですがお爺ちゃん、大叔父はどんな事考え、同乗者と何を語らい走ったのだろうか?


農薬実施状況

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     文字が大きくなりません。このポンコツシステムめ!


    殺菌剤3/20 1000倍  葡萄全て

    殺虫剤3/23  1000倍  葡萄,柿に散布。

土作り

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 いよいよ平成28年の農作業が本格化します。一番重要な土作りが最初の仕事です。
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 実はこの写真に収めるまで大変で、撮影しませんでしたが、生ごみ肥料が実は発酵しておらず殆どが残りビックリしました。そこで土と混ぜて牛糞、米糠に混ぜました。5月頃使う予定で、時々切り替えしします。

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 コンポストは移動しました。

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 葡萄園の空き地の玉葱。後でUPする自宅前の玉葱より元気です。実は此処、余り良くない苗を植えましたが、土が健康なので生育が良いのでしょう。土が大事です。
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自宅前の玉葱。当然順調。

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 自宅前畑の新しい不耕起現場。支柱は今月初めに土が柔らかい時に刺しました。胡瓜、メロン、茄子を予定。





旧R48を走る

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 今回は何度か出した地図に沿って走りました。結論から書くと地図の④から⑤までは旧道は現存、特にこの区間は当時のままであり、貴重である事。
 ⑤から②区間は赤い図示の道に準じたルートは現存。但し改良工事で幾らか図示からはずれる。又別ルートでは道が外れる。

 後でUPしますが、向原から原宿間は基本山であったと推測しています。つまり昭和38年の現道工事で開かれたのです。それにより、旧R48の通りは忘れ去られ、谷間の集落と見做されました。
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 この地図なしでは語れません。今後もたびたび出ます。
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 ⑥です。写真参照。恐らくここも旧R48と見て良いでしょう。
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 ④から⑤区間。モノクロでシングルナンバーでも下げたら絶対昭和40年当時とUPしてもばれない雰囲気です。

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 実は⑤の表示部分付近にこんな物が落ちています。
 この年代の車は明るくないですが、多分トヨタのコルサとか云う車だと思います。トヨタ初FFらしいですね。
 もう残存は20台あるかどうかとか???

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 ⑤付近。ここでいきなり道が新しくなります。そのまま右折します。

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 左折すれば仙台へ、右折すれば悪戸へ此処は勘がものを云います。

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 名物草ヒロ。関山の草ヒロとしては有名な物件です。これも余り興味ある物件でないのでワーゲン以外判りません。尚隠れて見えませんが、もう一台奥にサンバートライがあります。


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 ②へ到着。ここは高崎村村長「村山和十郎」の生家。
 村山は初代山形県令三島通庸と親交があり、あの鬼県令を「三島君」と呼ぶ仲でした。村山は明治30年代に村民の一部を引き連れて北海道へ渡り、大正時代に69歳で亡くなります。(実は明治34年奥羽本線開通で関山もそうですが、栗子も寂れて峠に出来た集落が過疎化する事態に陥りまして、昭和初期に入るまで続きました。これ等集落は自動車の普及で息を吹き返します。
 尚村山和十郎生家を右折して仙台ですがここは、恐らく山の中腹の集落であったと思われます。又ここから1.5㌔程で旧かつらざわ橋へ辿り着きます。
 左折すると高崎地区の原宿になりますが、恐らく1キロしない場所で山にぶつかるとは思います。

 *参考まで、実は関山峠を開拓する際、小山田新道=猪野沢ルートもR48の候補でした。
 そこで関山ルートと猪野沢ルートではどちらが早く作並に到着するか競争しましたら関山ルートでしたが、関山には複数人の走り手が居後り、猪野沢は1人だったので、関山が当然早いとなりました。
 
 もし猪野沢ルートに複数人居たら・・・歴史が変わっていたでしょうね。
 

 
 

 

重要な作業

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 さて葡萄栽培のポイントは石灰を施す事。酸性土では葡萄は育ちません。春先はしっかり石灰を施しましょう。肥料以上大事です。

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 この巨峰は質が良い実を成らせますので期待できます。

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 ナイヤガラ。収穫時期を間違えないならとても甘いです。

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 スチューベン。今年も極甘の実を期待します。

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 そしてクラウンの前に植えた巨峰にもしっかり石灰を施します。尚今年来年着色不良となれば樹を切り倒します。
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 造園屋さんから頂いた廃藁縄でも状態が良い物は自宅前の畑の敷き藁に使うのでクラウンの車内に取って置きます。
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 今年の11月24日以降の予約でシャインマスカットを定植します。このクラウンも葡萄の林に囲まれるでしょう。




かつらざわ橋までの旧道

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 ここは現在のR48です。旧道時代は山の中であったでしょう。

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 高崎小学校交差点。
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 ②村山和十郎生家の西側。旧道時代は山の中の家だったでしょう。結構立派な家ですね他に蔵もありました。

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 地図で云うと⑥から③までの区間の茶色の図示部分を撮影しました。
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 地図にはありませんが休石を少し過ぎた所。左側の山際がかっ旧R48でしたが、現在は人家が立ち並び立ち入る事は出来ません。
 尚地図②から①へ向かいその先に進んでいます。
 

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 地図②から①へ行き、休石を過ぎて先ほどの写真を
走るとこちらへ辿り着きます。


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 昭和26年5月竣工のかつらざわ橋。

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 幅の広いコンクリート橋です。これなら大型車同士でもすれ違えるでしょう。


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 かつらざわ橋を過ぎて大滝へ向かう。但しこの付近は山であったと思われますが、路線図は新たな資料待ちです。ここから5~6キロ程で関山隧道に辿り着きます。


 *いよいよパソコン入院かな?兎に角勝手にカーソルが移動し、写真が消えるが複数回あり、試にマウスを外すが、時々勝手にカーソルが移動します。

こんな個性的なトヨタ車たち

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 さて私のRS41は普段の足としても活躍しており、近所のスーパーにも買い物に行きます。
 買い物の道中こんな個性的なトヨタを発見しました。
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 初代プリウス。それも山形58ナンバー時代なので、初期型でしょう。今だ走っているんですね。
 私が聞いた話では10万キロを越した辺りから途端に公害の発生源になるとか・・・トヨタでも下取りした初代プリウスはトコトン解体したそうです。

 それと前からは撮りませんでしたが、ライトは完全な白内障状態でした。そもそも残したくない車ですからもう供給は止まったでしょうね。

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 昨年発見しましたが、ピンククラウンとナント!ビッツまで居たのです。参った!多分ですがクラウンはご主人、ビッツは奥様の様な気がします。
 このピンククラウンは650台の受注があり、山形県では絶対注文は無いと思いましたが、有ったからビックリしました。

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 私には乗る勇気はありません。
 因みに新車の頃から暫く、私のクラウンは車庫を固く閉ざして余り人目に触れさせなかったそうです。
 お爺ちゃんにとって私のクラウンはピンククラウン以上勇気が要る車だったと思います。
 その後親父が婿入りして、3か月は毎日乗りましたが、古いので親父も何も人目は気にしませんでしたが、大きすぎて運転できませんでした。

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 どちらかと云うとこの車は公用車の代替え的な車でした。余り乗らなかったので、レストアは大変ではなかったのは事実です。

 でもね、たとえこの車山形5ナンバーが付いていても、かなりの確率で私にすら名義変更は出来なかったとは思います。2人行方不明が居ますので・・・(汗)


葡萄棚増設

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 昨年シャインマスカットの棚を作った時点で半端だな?と思ったが、反面仕方ないかな?と思いました。
 でもこの畑は葡萄が中心と決めてから思い切り増設する事としました。
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1.8M×2.7M分の増設。思ったより畑の場所を喰いませんでした。
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 見づらいけど、全体像。

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 自宅前の畑。草生い栽培、不耕起栽培が方針ですが、苗の定植や種まきの前は綺麗に除草してからしています。

 *昨日カーソルが何処かへ飛んでゆく症状が治ったと思ったら再発しました。何処かが壊れているのかな?それともタマタマ使った時ネットを近隣の人が使わなかったか???
 


レストア再開から15年

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 ふと思い出してみれば、本日がレストア再開から15年です。そもそも平成10年6月2日にレストアを初めて、平成11年8月には外観はどうにか出来ましたが、本来したかったフロアーの切り貼り等は出来ないままで、そのまま1年以上放置となりました。
 その時レストアを引き受けた学生時代の友人とトラブルとなり、12年3月には一旦自宅の車庫に引き取り、そのまま1年が過ぎました。
 この時の率直な感想は「このままズルズルとなってレストア断念、しいては個人売買欄に「レストア断念車」となって出る事を実感しました。
 そのブランクの中で引きうけてくれたのがクラシックカーナゴヤさんでした。そして15年前の今日セルフローダーで今ノスヒロ誌で連載している「ヒグー」事ひでよしさんと妹さんが来てくださいました。あの日峠で吹雪いて苦労されたとの事、本当にお疲れ様でした。
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 さて、今蔵王が噴火云々で有料道路を無料開放中である西蔵王高原ラインですが、走って来ました。
 当然ですが現在蔵王は安全ですからドンドンお越しくださいませ。

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 トヨペットクラウンデラックスの場合ODはOFFにしないとどうも走るのが困難です。50キロ程度しか出せず、カーブもあるので、ONのままではずっとキックダウンSWを効かせたままでないと思う様に走れません。ですからOFFで走りやすくなります。
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 車窓より。
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 あれから15年。今ではこんなに良い出来で満足しています。
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 電装入れての完成は平成14年9月21日ですが、かれこれ10万キロ近く走りました。
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 ここずっと晴れの日が続いていますのでRS41に乗る事が殆どで、方向指示器でホーンリンク兼用ウィンカーと勘違いして端を親指でY30を操作。
 イヤ~恥ずかしい


作並へ行きました

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 関山峠の旧道を探索する事を趣味とされる方々ご推薦の焼肉店へ食事に行きました。
 初めての来店で、本来は別のR48沿いの別のレストランに行く予定でしたが、何故か休みで、(事前情報では火曜日なのですが???)以前から気になっていた焼肉屋さんへ行きました。
 今回は事前リサーチが甘かったので、別の物をたべましたがそれでも、とっても美味しく次回はもう少し調べてから食事に行きます。

 因みに今思えばのお勧めメニューは、牛ホルモンとラーメンです。ツボに秘伝のタレで仕込んだなが~いホルモンに先ずビックリします(2~3人分)それにラーメンも独自のスープで旧道探索の方々が美味しいと推薦されています。

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 駐車場で先ずは。

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 ホルモン満月さん。R48の黄色い屋根が目印。当日はホルモン定食を注文しましたが、流石看板に有るメニューで美味しいホルモンでした。(尚ホルモン定食は昼だけの限定メニューです)



平成27年度決算

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 昨年度1年間でどれだけ費用が掛かり、走行したか計算しました。結果年間走行は3827㌔で1年間で大よそ18万円掛かりました。

 一昨年度から年間総走行距離が4000㌔に満たなくなり、それ以前から年間5000㌔以下が数年続きました。
 購入当初は6000㌔~7000㌔でしたが、原因を調べるとRS41の状態が安定してきたので余り乗らなくなった、子供の誕生でグロリアライトバンに乗る機会が大きく減ったが年間走行が減った理由でしょう。

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 走行の殆どが通勤と、農作業のみとなりました。


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 タイヤは3/20に交換しました。



関山旧道のブルーバード その1

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 今回は以前から謎であった1963年式ブルーバードについてリポート致します。
 写真は山形、宮城、福島界隈の登山の愛好家マロ様より拝借いたしました。拝借した写真について解説等を行いたいと思います。
 
 実はこのブルーバードの存在は一部の関山旧道探索を趣味としている方から数年前より「関山旧道に現役当時転落事故を起こした車が未だにある」とうわさが流れ、そのうち何名の方がどうにか写真を撮影して報告されて居ました。然し殆どがピンボケで車種特定には至りませんでしたが、登山のプロ級の実力者であるマロさんだからここまでの写真を拝見する事が出来ました。

 さてこれは昨年転落事故を装う為に悪戯目的で不法投棄した廃車と断定致しましたが、それはおいおい証拠写真が出ますが、先ずはこの宮城県側で最も有名な転落事故の幽霊話となった事を紹介いたします。

 *昭和39年9月22日の事です。宮城県は松島町に在住する六条家の長男六条歩が運転する車が関山峠の宮城県側を走行中、運転未熟の為誤って崖下に転落し
一家全員が転落死した話です。
 この時家にはお婆さんと障害がある赤ちゃんを残しており母親が心配して幽霊となり(それも血まみれ)で出て家まで送り届けて欲しいと懇願する話が有名です。

 *六条と出したのはこれは数か所のサイトで発見した事と同僚にタマタマ松島町出身者が居り、六条を名乗る名字は無く、歩と云う名前は昭和39年当時は運転免許取得が間もない事を考え最年少の18歳と考えると到底この名前は考えにくく恐らくは偽名と見ています。

 ただ昭和39年9月22日の事故は事実です。この話がベースになり色々な怪奇現象の話が生まれました。宮城県側はこの話が有名で、山形県側は旧道工事が間もない明治13年7月21日の爆発事故で成仏できない霊が出る事で有名です。

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 この車が六条家の車と云う話になっているらしいです。又一部では交通安全慰霊碑が宮城県側にあり、この車のオーナーが事故死したと云う話もあります。
 交通慰霊碑には実名の若い男女の名前が記されていますが、昭和41年当時の若者は私の親父よりせいぜい5歳年上と思いますね。教師の給与では到底中古車でも1963年式ブルーバードは買える代物ではなく、同世代の親を持つ私にはわかりますが、それこそ飲まず、喰わず餓死寸前で、彼女なんかにかまける暇がない程頑張って金を貯めないと乗れません。(車体は買えても維持費が出せない!)それこそスーツは親のお下がりでボロボロを着て教壇に立たないとね。


 ですから若い男女はスクーターでの転落事故だと思いますし、たとえ維持費が安い軽自動車でも教師には無理だったと思います。

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 で、ブルーバードが有るのはこのハシゴが目印で、これは別の意味で取り付けられました。ここまでは登山経験が無くとも近づけると思いますが、ここから先はマロさんの様なプロでないと危険です。ですからこのハシゴが付けられましたが、登山レベルが初級以下初心者や経験なしは絶対近づいてはいけません!
そういう方はここでお帰り下さい。

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 で、ブルーバードを見るには・・・・写真の中央にありますが、20Mと15Mのロープを繋ぎ合わせても足りないそうです。ここはもうプロ級でないと絶対下には行けません。

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 初公開フロントからの写真。ここから見る分には完全な事故車ですね。でも先ほどの写真から考えるとタイヤが無いはどう考えても不自然極まりません。ましてナンバープレートが無いもおかしすぎます。幾らシングルナンバーが付いていてもこれ等を取りに下山する人は先ず居ません。

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 これも初公開エンジン。補機類がありません。不自然すぎますね。スクラップ材となった車を放り投げたとなります。


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 御来欧音さん、ファンシーの車体番号と比べてください。「P312-3-48483」となっています。1963年式であるのは確かですが何月頃製造かは資料がないので断定できません。


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 これはかなりの決定打。内装が全くないです。スクラップとして溶鉱炉に放り込む寸前の物でしょうね。
 車はデラックスですからラジオが標準で付きますが、当時はラジオは真っ先に外します。草ヒロ探検でも結構な数の個体がラジオを外していました。高価だったんですね。



関山旧道のブルーバード その2

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 2回目の本日は気にしていた足回りの状況を解説致します。総論として明らかに転落事故の車輛ではない事が証明されましたが、放置時期は昨年も触れましたが、かなりの確率で昭和46年と見ています。(年式が1963年式だから8年後となると昭和46年です)
 あの当時の平均車齢は8年程度。車は仙台方面を向いている事が判るので、山形方面から侵入して、比較的平面路のこの現場から放り投げたと見ています。

 更に昭和43年10月1日から昭和48年頃までは旧関山隧道宮城側は入り口閉鎖をしておらず、(山形側は平成20年閉鎖)通行可能時期考えると46年が妥当です。
 あくまで閉鎖理由は悪戯半分で怖い物見たさに訪れたり、アベックが人目をしのんでやって来たり、山菜取り目的だったりと色々でしたが、遂に当時社会問題になっていた暴走族問題で宮城県側でリンチ事件が発生して旧建設省(現国都交通省)が問題視して閉鎖しました。
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 フロントガラスの部分を見るとウェザーストリップやそのモール(デラックスなので)が残っていない事が不自然です。

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 立木が2本あり、そこにぶつかって止まりました。然し樹にリヤホーシングがめり込んでしまいました。

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 こちらはフロント。かなりの部品がめり込んでいます。


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 シートなどがありません。不自然さ丸出しですね。

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 ここが決定的な不法投棄の証拠。デフのドレーンボルトがないので、投棄当時からオイルが無い状態です。恐らくエンジンオイルのドレーンボトルも同じ様にない筈です。逆に当時非金属や、金になる部品を外してそのまま溶鉱炉に放り投げていた解体業者がいたのかも知れません。

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 ハブの部分。全く曲っていないから転落でタイヤが無くなったのではないです。

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 リヤも同じ。見事なフレーム構造です。SP&SRのフェアレディ(フェアレデー)も同じフレームを使いました。

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 先代210系はフロントもリーフでしたが、310系になりダブルウィッシュボーンに変更になりました。ここが大きく進歩した部分です。



 *関山峠の歴史、そして近代史では多数の人々の犠牲、幽霊騒ぎが全国的に有名で調べれば、調べる程色々な新事実が出て来るので奥が深く魅力があり、人々を惹き付けます。

 私の車トヨペットクラウンデラックスもその道を走った事に誇りがあります。更には栗子旧道も走りました。

 宮城県側では特に有名な話は六条家一家全員死亡事故ですがそれを証明するかの様に転落車輛が引き上げられないと恐怖を煽る目的でこの様な事をしたのか?・・・・
 或いは純粋にスクラップを運んでいたらワイヤーが緩んで気が付けば落っことして引き揚げ不能になったのか?でもどう考えても旧道現役当時商品価値があるブルーバードを廃車解体は私には考えられません。
 まして危険な旧道を現道完成後、過積載が当たり前の当時リスク冒して走る事は常識では考えられません。
 ですから悪戯目的が私の中では有力ですが、こういう連想、想像を膨らませる物件も有り、昭和時代の置き土産ある旧道ですからブログにも良く載せるのです。

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