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Channel: 高村円淨のブログ
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落ち葉拾い

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 トランククーラーが付いて居ても結構トランクが広いのがRS41型の特色です。昭和40年7月のマイナーチェンジではエンジンルームを広くした分トランクが若干狭くなるデメリットが生じました。
 
 さて、今の季節葡萄の肥料作りと、来年に向けての肥料づくりで落ち葉拾いにトヨペットクラウンデラックスを使う事はしばしばです。5キロ先の運動公園には良質な落ち葉が見られます。
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 此れは葡萄肥料の時の写真ですが、この間も「もってのほか菊」用等に使う落ち葉拾いもしました。
 旧車と云えどやはり実用が第一です。クラウンは長距離走行が本職ですが(私の中では)こういう仕事もできなければ廃車となります。
 
 *まぁそのうちUP致しますが、我が家となると一番の稼ぎ頭はカミさんの「うさちゃん号」ですね(笑)

ファインモデル 消防指令車

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 此れは最近落札したファインモデルの1962年式トヨペットクラウンでラックスベースの消防指令車です。発売価格は12000円です。
 
 ファインモデルシリーズで今入手となるとRS40系はタクシー(東京駅構内タクシー)が恐らく12000円を大きく超す価格でしょう。次がパトカーと黒塗りが10000円を少し超す価格で他は10000円に達さないみたいです。
 
 今回入手した消防指令車ですが半額にも満たなかったみたいです。それでも入札は私以外無。一番安いのが消防指令車でした。此れには正直驚きましたね。
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 涙目テールが川端企画、ファインモデル共に1962年式となり、ファインモデルだけでしたが、丸テールは1963年式となりました。(64年式は無)
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 東京消防庁と出て居ますが、他に京都と大阪が有った記憶が・・・・??パトカーは警視庁のみでした。
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 基本パトカーの部品で構成されて居ます。
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 当時公用車でも官公庁の幹部が乗る車以外はデラックスを使う事は有りませんでした。
 でも今は廉価版なんですよね~、私のお義父さんは畑にあるGS130と同型のスーパーサルーンに公用で運転手付きで乗って居る所見ました。(フフフ、現役当時でも自家用車はマーチなんですよ)
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 ついでに山形県も当時幹部連中が乗る車はやはりRS41でしたが、県知事は1959年式のキャデラックがこの時代でした。

仙山線

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  12月3日強い寒波が東北地方を襲来し仙山線に大きな被害を与え、架線に線路脇の樹の枝が引っ掛り撤去が非常に困難で結果的に8時間近く電気も流れない列車の中に閉じ込められる事態に陥りました。
 
 そもそも仙山線は昔から自然災害との闘いが余儀なくされ此処の担当は運転士、車掌共にベテランが担当して居ります。
 今回も線路脇の木の枝を伐採したり落ち葉が線路に落ちない様にする対策をしていましたが、それでも今回の事故に繋がりました。
 
 悲惨だったのが面白山トンネルと駅の中間地点付近で丁度救援バスを送るにも道路が無い区間にて足止めされ、電気が寸断された(陸前熊ヶ根~羽前千歳間)ので救援電車は送れない、作業用ディーゼル機関車は連結器が全然違い牽引も出来ないと最悪な状態でした。
 
 もはや技師や保線作業員が頑張って復旧しない限り移動できない状態だったのです。考えてみると線路を渡って山寺駅まで歩くも有りそうですが、確実に体調を悪くします。
 
 クハ455の時と同様トイレは付いて居ましたが流石今の電車!電気が流れていないと使えない悲惨な物でした。
 
 この様な事態になりましたが、仙山線は名誉ある「土木遺産」に登録されており現役で使われて居る遺産です。この仙山線を使っての仙台や山形観光もプランの一つに提案します。
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  こちらは熊ヶ根鉄橋。JRの鉄橋では日本一高いらしいです。風速が25Mを超すと余りに高いので運行中止となります。
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  蒸気機関車時代方向転換する転台機。写真は作並ですが山寺にも有ります。個人的には山寺の方が状態が良く見えます。
 
 作並の方は土砂で埋めたのでその分状態が悪くなりました。共に昭和12年に完成して居ります。
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  現在は「せんざんトンネル」ですが、正式には面白山隧道。トンネル内に信号設備が有り其れが土木遺産に登録されました。それにこの隧道は5キロを超す長い自動ですから当時日本一の長さの筈。
 
 それも戦後に作ったのではなく、昭和12年に完成ですからこの点も大きく評価出来ます。
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  以前紹介しました奥新川変電所の跡地です。6年前までは、ボロボロの廃墟ですが建物や機材が残されて居ました。此方を参照のほどをhttp://kuromax.web.fc2.com/ruin/miyagi/plant/oku/oku0.htm
 
 今認知症で特別養護老人ホームに入所中の大叔父(お爺ちゃんの実弟)が此処でかつて勤務していました。兄弟で長く国鉄に努めて居ました。
 
 奥新川変電所は東北初のコンクリート施設ですし、東海道新幹線の開発にも大きく寄与して居ります
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 山形県の山寺鉄橋にて。未だ奥新川変電所が稼働中の頃でしょうか?クハ455や451、453は交流電流なので走る事は出来ませんでした。当時の仙山線は直流電流なので急行はディーゼルか客車だったでしょう。
 
 因みに仙山線は昭和35年10月に全線電化工事が完了して居ります。
 
 *今回は自然災害で大きく報道されましたが仙山線は私のR48観光同様魅力が沢山です。山寺駅付近の風景も良いですよ。

車検準備

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 VNY30はユーザー車検で毎回行って居ます。1月は振替休日が多いので(年末年始休暇の振り替え休日)1月に車検をする、何もする事がなくなるので1月の楽しみと云う事でGS130クラウンの頃から1月に車検を設定して来ました。それと面倒くさいタイヤ交換も(冬タイヤへ)交換もこの時行います。
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 冬タイヤに交換しました。
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 ホイールカバーも左後ろ以外はオール樹脂キャップで、これが冬用です。
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 実はキャブレターから繋がる写真中央のホースからガソリンが滲む事があり、それも走行してからだったので運行前点検では気付きませんでした。
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 ある日何気にボンネットを開けると、ホースにガソリンが滲んで驚きました。
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 交換して真っ青こんな顔になりましたね。
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 ホースは以前トヨペットクラウンデラックスで使った燃料ホースの端材が有ったのでそれを転用。
 無理かな?と思いましたが使えました。RS41の方を現行ホース対応に改造していました。
 ホースは写真中央の巻物がある中にあります。
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 他に燃料フィルター、タンク側パイプのホースもそれです。こちらはオリジナルホースはもう使えない様に改造しています。(太さの規格が現行品には無い物でした)
 無論これも今回交換したホースと同じ物で上記のホースと共に交換した際の端材です。
 
 無駄なく使えたので良かったです。
 
 *他にホイールシリンダーの固着があったと聞きました。RS41とは違い新車当時からの部品ですから起きちゃったかな?

牛筋煮込みを作る!

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 大根収穫も順調にすすみ、牛筋煮込みを作りました。
 
 材料は 大根、ニンジン、平こんにゃく、牛筋、ゆで玉子、生姜(少々)
砂糖、醤油、みりん、料理酒
 
 分量は男の料理ですから、あまじょっぱくするが基本で、丁度関東風のおでんの様なこげ茶色の汁になれば良し!
 
 無論この料理を巡ってはカミさんと喧嘩になります。
 
 カミさん:「何だずぅ~、味濃いべぇ~!いまっと薄味にしろやぁ~」
 
 私    :「味が薄いのでは旨ぐねぇずぅ!お前の好きな白い汁は旨ぐ
       ネェずぅ。 玉子を入れるのには訳が有る、味を濃くしても白         身で甘くなるから多少濃くとも大丈夫だずぅ!」
 
     じょばじょば~!と醤油を入れた時の会話です。
 
 
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 大根。既に一部は鶏の唐揚げに大根おろしをして食べると美味しいのでそれに使いました。此れの6割が煮込みに使います。
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 玉子と牛筋:玉子は固ゆでが私の基本。こんにゃくも牛筋の下に隠して居ます。
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 ニンジン。2日前に掘った物。
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 いちょう切りにして、予め圧力鍋で柔らかくした牛筋やこんにゃく、玉子も入れますが、カミさんは「玉子は未だ早い!」となり「入れねぇど、玉子さ味染みねべ!」とまたもや喧嘩です。
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 湯気で曇りましたが完成です。実際は作った翌日に食べました。
 
 *因みに私あまじょっぱい汁で良く煮込んだ玉子が一番の大好物です。何を差し置いても此れが好き。
 
 おでんで玉子が無いと暴れます!「へっげな、おでんはおでんでねぇ~ずぅ!」と云う具合に。(笑)

仙山線思い出

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 仙山線の思い出は昭和43年10月以降平成14年まで仙山線の主であったクハ455ですね。山形ミニ新幹線が福島ー山形間で工事した時クハ455が奥羽本線に入線する様になり、その頃良く乗り時折乗る仙山線の車両を嬉しく思いました。
 
 12月3日の追録として、平素から仙山線はこの季節は倒木が無いか運転士は注意を払いながら運転し、倒れそうな木が有った場合でも直ぐ仙台運行指令所に連絡する規定になって居り、次の列車は遅れらせたり、場合によっては運休処置をしますが、当日は吹雪の為視界不良で事故前に通った列車の運転士は木の様子は確認できなかったそうでした。
 
 その為仙山線の運転士はベテランが担当する事になって居ます。
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 今は鉄道博物館に収蔵されましたが、訓練車時代のS-1編成のクモハ455-1。平成3年~17年まででしたが、当時455系では国鉄色はこれ以外無かったので運行するとなると何処の路線にでも「撮り鉄」が押し掛けたそうです。
 
 写真は借り物ですが、中央の教官と訓練生が笑顔ですが極秘で運行した筈ですが「撮り鉄」が何人か居たから「あれ~?どうして判ったんだろ~?」と苦笑いしています。
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 写真の右側車輛(モハ454-1.クヤ455-1)は鉄道博物館収蔵前までには郡山工場で解体になりました。
 思い起こす事は平成2年、モハ454-1で私はまたもや蛮勇を振いました。当時クモハ455-1側が喫煙車でしたが、モハ454の車内でオミズ系の女3人が喫煙していたのです。無論皆さん関わりたくない状態でしたが、先ずは「あの~ぉ、此処禁煙車両なのですが・・・」と低姿勢で出てそれでも辞めないから「此処は禁煙です!隣のクモハ車両で煙草を吸いなさい!」と一喝。
 
 それでも辞めないから車掌を呼び出すと吸殻をポンと投げ捨て3人は退散しましたが、「コラ!吸殻持って行け!」でした。
 
 友人は「お前すんげ~ナァ」でしたね。注意したのは後に紹介する、写真で解説致しますが、先ずは煙草を禁煙場で吸われるのが不愉快でしたし、現役柔道部ですからチンピラの一匹、二匹が来ても投げ飛ばす自信が有ったのです。
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 此れは国鉄時代。この時代の455は乗った記憶がないですが、急行仙山時代の写真。恐らくお爺ちゃんは国鉄を引退して久しい筈。車輛はクハ455-39と云う事なのでこの部分ならば昭和40年製造です。
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 これも借り物。急行現役当時のクハ451,453、455でも10番までの共通車内。昭和40年製造までの特徴です。
 
 上端の左右を見ると網棚が本当の網ですよね。この車両が私大好きなのです。此処がキハ58に繋がる好きな点です。
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 モハ450、452、454-10まではこちら。クーラーの配置の関係でモハは独特の天上です。
 
 実は私、この網棚車輛でああいう事されると腹が立ったのも有って注意しました。それにこの頃はお爺ちゃんが一番働いた頃。事実上子供5人を育てる為必死でしたし、今住んで居るウサギ小屋のローンもあるのでそんなお爺ちゃんの姿が見えるのがこの時代の車両です。
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 写真はモハ452-1ですが、よ~く中央見るとグリルが見えますがモハ450、452で見られた特徴で冷房の熱気を排出する通風孔でした。
 
 昭和54年に一部改造して455-200番代に編成された車両もありました。此の車輛に乗ると私は嬉しかったですねぇ。柔道部の仙台遠征で仙山線に乗った時タマタマS-202編成があり、こちらに向かい走って乗りました。昭和38年、39年製造編成でした。
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 鉄道博物館絡みで訓練車時代のクハ481です。此方は昭和40年製造です。山形県には入線しませんでしたが好きですね。

走行距離は

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  製造から20年近いVNY30ですが、意外と走って居ません。初めの頃は遠距離に使いましたが、ここ数年は多くが職場か畑の往復です。まぁ冬場ならもう少し多く走りますが年間5000キロ前後になりました。
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 購入当時で2.8万キロ程でした。11年オチでこの距離でしたので、前オーナーも余り走らせては居なかったみたいです。
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 カミさんの車日産ティーダ。別名「うさちゃん号」
 
 ナンバーは撮影する時気が変わるとナンバー変更します(笑)今は草食動物運輸局うさぎ陸運支局に登録中です(笑)
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 こちらがティーダの走行距離。新車で購入当時はVNY30は3.5万キロ程でしたが先月末に逆転です。
 
 何分カミさんは「家にはマトモな車が無いからティーダを酷使せざるを得ない。」
 
 と云います。つまりRS41やVNY30はカミさんにとってはマトモでない車と云う事です。お袋も一緒となると先ずティーダになりますね。やはりお袋も嫌がりRS41は最後に乗ったのは5年前で、VNY30は6年前が最後かな?
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 こちらはRS41ですが、17万キロをオーバーです。
 
 丁度レストアが終わってから12年で8.5万キロ走りました。その前にお爺ちゃんを始め大叔父、伯父、親父は24年で8.5万キロ走らせそのまま廃車になりました。

高畠の昭和通り

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 去る10月19日のクラシックカーレビューイン高畠に参加した時に目に留まった昭和資料館で元映画館を紹介いたします。
 
 改めて紹介しますと、高畠の商店街はバブル崩壊以降見る見る寂れて行き、この打開策として昭和の街並みを残そうとなり、今の形になりました。この取り組みは先駆的な取り組みでイベント開催も含め町おこしのモデルとして大いに注目を浴びました。
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 今は映画館から喫茶店になりました。
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 かつて使って居た機材。ゴツイ作りが昭和30年代ですね。
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 こちらは昭和40年代の物でしょうか。
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 映画黄金期のポスター。
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 こちらも黄金期のポスターです。
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 昭和に浸りながらの喫茶も良いですね。旧車オーナーなら自分の愛車で行ってみたいものです。

東京五輪に湧く所

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 高畠の昭和通りには東京五輪に関するグッツや関係者しか所有して居ない貴重な物を持っている方が居ます。先ずはコレクションから。
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 ヒントは陸上関係の方です。
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 後で紹介しますが山形県内の聖火コースをこのユニホームを着た方が走りました。多分高畠なので・・・・(しつこいけどあ・と・で」
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メダル等。此れは凄い!
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 この方が関連品の持ち主です。
 
 これを書いた方は恐らく60歳前後ですが、多分町内にいらっしゃるのでは?見たらどう思うでしょうかね?

東京五輪の選手でした!

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 お邪魔したお店の女将さん、実は当時18歳で東京五輪に陸上選手として参加されました。当然今も店を切り盛りされていらっしゃいます。
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 本番のオリンピック前に行った「プレオリンピック」だそうです。
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 こんな貴重な額も有ります。
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 やはり一番凄いのはこの制服ではないでしょうか。当時国家の威信を賭けてのオリンピックですから、最高の材質で作られて居るそうです。
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 良くわかりませんが東京五輪関係なので。

で、東京五輪のグッツを見るには?

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 昭和2号館にこれ等が展示してあります。
 
 実を云うと前回の2012年の高畠ミーティングで存在は知って居ましたが、何処にあるか判らなかったのです。まさか蕎麦屋さんだとは思いませんでした。
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 日本記録だそうです。凄い!
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 これも凄いなぁ。よ~く見て下さい、JPNの5位に、持ち主の「IZAWA」さんが入って居り、他にJPNは居ません。日本一ですね!18歳でですよ、凄い!
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 この映画を見たので大まかな東京五輪の様子は判ります。記録映画で、昭和40年に公開されました。
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 東京五輪のポスターです。熱気が感じます。
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 此処の蕎麦屋さんに行けば見られます。
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 美味しい蕎麦です。気さくな女将さんがいらっしゃいますよ。是非お話してください。

東京五輪山形県のコース

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  東京五輪の聖火ランナーが走ったコースですが、山形県は第3グループに入り、北海道から青森県ー秋田県ー山形県ー新潟県ー群馬県ー\埼玉県ー東京都と引き継がれて聖火台に点火されました。
 
 山形ルートは県内ですと現在の県道22号線が当時は国道13号線でした。現在の国道13号線は当時は工事中ないし未供用でした。
 ルートでは有りませんが旧栗子峠は廃道マニアの聖地の部分が現役だった頃です。(現栗子峠は昭和41年5月29日開通)
  山形市内に入り当時県庁は国道112号線沿いでしたので、13号線は山形北部までで、山形市元木方面から113号線に沿って新潟に行きます。
 
 恐らくですが、山形ー新潟ルートは難路であったと思われます。特に角脆弱なルートでマトモな隧道は無く当時は建設中だった宇津井峠も僅か20年で廃道にせざるを得ない状態で、ランナーも苦しかったかも知れません。
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 写真は関係ないですが、聖火ランナーのシーンが有ったので。後ろはプリンスグロリアですが、確認が取れませんがもしかしたらS40D-2型であるならば今もこのモデルが残って居るかも知れません。プリンスガレージかとりさんが所有されて居ます。
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 日の丸飛行隊。
 
 以前紹介しましたが、お袋の従弟が指名されましたが、残念ながら殉職し別の方になりました。
 恐ろしい事に、当時不具合が有る機体でも練習時間を長くしないなら飛行許可を下したそうです。無論それ相応の腕が有るパイロットでないと許可は下しませんが事故が多発する訳です。
 
 それと、意外に知られて居ませんが、前日の10月9日は東京は土砂降りで夜中まで雨が降って居たそうです。その為飛行隊員は皆「明日は雨だから、飛行隊ショーは中止」となって、皆で酒飲みをしていたそうです。然し・・・・10日の未明には雨が止んで、段々日が昇り快晴となって、「ヤバイ!」となり大慌てでほぼ「ぶっつけ本番」であのショーをやったと云われて居ます。
 
 万が一お袋の従弟が此処で・・・となれば・・・・
 
 でも当家としては家族の意見にも耳を貸さず自分の夢を貫いたので、一切の賠償は請求しないとしました。ひいお婆ちゃんは39年以降体調を崩してしましましたが、ひいお爺ちゃんは気丈でした。

高畠観光ラスト

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 プチ観光の山形県は高畠町の観光案内(クラシックカーレビューイン高畠2014関連)は全て終了となります。
 
 置賜地区には高畠以外でも長井市等には昭和の街並みが残って居ます。皆様方も置賜観光も是非頭に入れて下さい。勿論置賜の一番大きな都市米澤も見所満載ですが何れこの地区をRS41でドライブした時にでも紹介しましょう。(或いはカミさんととなると「うさちゃん号」)
 
 山形県は観光県ですから、全国、いや世界中からのお客様を心より歓迎しキットご満足して戻られると確信して居ります。それと自慢は38市町村に全て温泉が有りますので山形県の温泉制覇も一つの観光です。
 無論食べ物は皆美味しですよ!
  
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 こんな蔵が有る風景は20年前までなら何処にでもありましたが、今は少なくなりました。
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 何だか崩れそうなお宅ですが私の町内にもこんなお宅が有りましたが今は多くが解体され当家が古い家になりました。
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 このお宅の作りが良いですね。
 
 そうそう、所沢の軽商用車軍団の団長さんのTさんのお宅もこんな感じでしたね。今私たち夫婦が住んで居る家も15年前はこんな感じの家でしたが、解体して今の家になりました。トヨペットクラウンデラックスも此処から出てきます。
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 杵屋菓子店。南陽市に本店を持つ200年を越す老舗のお菓子屋さんで、高畠支店の様子。
 駐車場が無い店舗は今は少なくなりましたが我が市の支店も20年以上前はこんな店舗でした。
 店の前の道路に横付けして左の方向指示器を出して停めて買うものでした。RS41ならば左のウインカーを点滅させて・・・・。
 
 昔から我が家も杵屋さんでお菓子を買って居ます。お菓子を送った先でもほぼ100%の方が満足して居ります。
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 タクシー会社の本社。此れは懐かしい作りです。
 
 贅沢を書けばセドリック230とか4代目コロナを置いて頂ければ最高の雰囲気なんですがね~。
 
 あっ、逆にこちらは難しいか、G31とかP312の方がはるかに多く残って居ますね。
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 でもこの掲示板が230とかRT80が似合うんですよね~ぇ。
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 この天井の梁が凄く素敵です。
 
 以上で高畠関連の記事は全て終了です。
 
 いやぁ~、ブログ記事がいよいよ無くなりつつあるナァ~、冬場の餌無状態に突入ですが何とか凌げるところまで凌ぎます。

ドアのゴム関係

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 実は此れもオールオッズ関連のトラブルで、前日東京入りをした時運転席側のガラスが1/3しか下がらないトラブルが発生しました。
 
 一応地元に帰ってから修理はしましたが、「あくまで応急処置、全て交換しないと再発する。」と云われ、暫く調子が良かったのでダラダラとなり、12月9日に重い腰を上げて修理に出しまして10日に終わり帰って来ました。
 
 他にも右リヤドアの淵ゴムに問題が有り今回ガラスのランチャンネルゴムと一緒に交換する事としました。
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で、此れが右リヤの淵ゴム。本来は内側が高くなる筈ですが外側が高くなって居ます。道理で雨の日右側のシートが濡れる訳だ。
 
 無論ルーフの一部に当たるからめくれて、以前自分でボンド補修しましたが、最近其れが剥がれ始めて居ました。
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 ランチャンネルゴムは問題あったけども淵ゴムは異常が無い右前。やはり内側が高くなって居ます。
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 マツダ用の部品ですが、RS40系以外でもS40系グロリアにも流用出来ます。当然薄茶のボッチは外します。
 
 因みに私の車のレストア当初これと同じゴムが使われました。多分マツダ用でしょうね。S40系のみならず、かなりの数の旧車にも転用できるかも知れません。
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 ランチャンネルゴム。此れは汎用品で、旧車の世界では有名なゴムです。此れもプリンス系には良く使われます。
 
 私の車のゴムは確かにめくれた跡はありましたが、何だかもう暫く使えそうでしたが、この際思い切って交換し、これまでのゴムは処分しました。「ガラス屋さんも、多分もう少し行けるかも知れませんね。」でした。
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 此れは交換後。キチンとした姿になりました。
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 余り撮影しても意味がないのでそのままの状態で撮影。

今年は終わりかな?

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 ゴム交換後、次の日から天気が悪くなるので燃料を満タンにしてしまおうと考え、近所のスーパーの前でパシャリ。
 
 事実11日以降走らせる事が出来ない程雪が降りました。
 
 
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 中々良く撮れています!今回もハザード点灯しています。
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 19時頃ですが人通りが余り有りませんでした。
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 10日の様な状況は通常はクリスマス前後までは続く筈なんですが・・・・・・。
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 11月20日の真似。
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 ジャンジャジャ~ン!
 
 凍結防止剤散布車輛が市街地にも走り出しました。
 
 塩撒きなので車にとって大敵です。もう今年は走らせられません。後はシートカバー洗濯が出せる記事かな?

巨峰の剪定

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 今年最後の作業です。果樹に関しては此れが終わると漸く、休みに入れます。まさに「葡萄1房は1年掛かって作る」です。
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 今年は写真右端の2本の太い枝が古くなり、更新の為切り落とします。
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 今年の初め昨年収穫後の消毒を怠ったのが原因でいつもより害虫(カミキリムシの幼虫)に入られ(特に後に紹介する巨峰が)どうなるか心配でしたが枝が良く此処まで育ってくれたと感心しています。
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 こちらは一昨年増築したので若い枝が多いです。
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 何が何だか判りませんが(笑)
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 剪定後。撮影は翌日行いました。作業直後はくたびれて撮影する気力がなく、翌日雪の中行いました。
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 スッキリしました。
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 剪定のポイント。
 
 *枝同士がぶつからない様に切る。
 
 *芽は5~6程度は残す。
 
 *芽の前に枝を少し残す。
 
 *実の成りが悪かった古い枝を覚えて剪定する。(その為樹木の活動が終わり休眠する今の時期が剪定となる。)

巨峰その2

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 今回も巨峰ですが、昨日UPした樹が駄目になればこちらが主力となる予定です。
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 違い棚にしていますが、こちらも巨峰でタマタマ端材があり作りました。
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 こちらが本体の棚。昨年はこちらが結構被害があり収穫は余り有りませんでした。
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 こちらは結構ありました。やはりリスク回避のために作ったのは正解だった?
 その奥がスチューベンで垣根仕立てです。
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 手前の枝を更新します。
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 剪定後。
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 見ずらいですがよ~く見ると左端に緑の紐がありますが、あれが次の枝です。
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 こんな形にして、競り合わない様にします。

スチューベンの剪定

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 今回はスチューベンです。
 
 スチューベンはニューヨークが原産地で緯度が同じ青森県で昭和27年より栽培されました。甘味は巨峰以上で下手なシャインマスカット以上甘い事も有ります。
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 昨日UP出来なかった巨峰枝の固定。若い枝はこの様に矯正は可能です。
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 スチューベン。
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 剪定前イメージ 4
 順番間違えましたが、巨峰、スチューベン、ナイヤガラ、柿の剪定が終わった物を此処に集めて廃棄する藁縄を貰い、枝の上に米糠撒いて、更にこの上に米糠撒いて発酵させます。
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 剪定後イメージ 6
 雪が降りだしました。此の後良い具合に藁縄が雪に埋まります。

畑の様子

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 肥料撒きは未だ米糠の入手目途が立たないので、未だ出来ませんが準備出来次第実施してブログにUP予定です。
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 柿の樹ですが、特に上の方を中心に剪定しました。
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 雪が積もりました。後日雪の上に肥料を撒きます。
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 クラウンGS130の今。肥料撒きが終わったら一輪車を車内に仕舞います。
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 フロントグリルにコケが生えました。
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 今年はどの位積もるだろうか?

シートカバー洗濯

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 雪が少ない我が市でも結構積もりました。もう走らせる事は今の所難しいです。
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 時々書く市長のお宅跡地
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 道路もこの通り、雪は嫌だナァ!
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 シートカバーを剥がすと・・・・
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 オリジナルのシート地です。これ意外に少ない。
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 西陣の銀糸で作られました。(辰巳物産で製作)
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 51年も使うとネェ~、カバーをしてもこの通り傷みますが仕方ないな。
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 リヤシート。奥の座面のボタン実は剥がれて紛失したので廃車から外して取り付けました。
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