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Channel: 高村円淨のブログ
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シートカバーを掛けます。

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 ウサギがシンボルマークのクリーニングチェーン店でクリーニングを行いました。以前ですと4日は掛かりましたが、今回は最短の2日でビックリしました。経費削減の一環で半額デーを利用しました。
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 汚れが目立つフロントシート。半年に1度はクリーニングに出します。
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 作って11年、8万キロも使うと擦れてしまいますので、アイロンで貼り付け可能な布地をあてがいました。
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 肘掛。此処は1年に1度は出します。
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 リヤシートは1年に1度のクリーニングです。
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 リヤシートの肘掛も同じです。
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 此れで綺麗になりました。
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 以前武左ゑ門様から頂いた灰皿とかバーを固定するフレーム。涙目テール用との話でした。
 当時のシートカバーは作りが悪く、こういう物が無いとずれた物でした。いや、材質も良くなくオーダーメイドでカバーを作るのが当時の常識だそうです。

竹鶴威さん逝去

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 NHK朝の連続ドラマで放映中の「マッサン」の甥であり養子の竹鶴威さんが17日16時38分自宅にて老衰の為90歳で逝去されたと報道が有りました。
 
 竹鶴威さんは私がR48観光で是非立ち寄って欲しいと推奨する仙台蒸留所の建設に尽力された方です。謹んでご冥福をお祈りいたします。
 
 尚此方に竹鶴さんの90年の生涯等も紹介されて居ます。
 HPを読んだ所実の両親は「父、母」とあり、「マッサン夫婦」の事を「政孝親父、リタお袋」とありました。晩年に書いたものですが(恐らく80歳~85歳に掛けてかな?)代表権がない相談役になった頃のものみたいです。
 
 今竹鶴さんは自宅近くに居そうですが、「政孝親父、リタお袋もう少ししたらそちらに参りますぞ、僕は90歳まで行きましたよ。」とでも話して居るのではないでしょうか?因みに政孝さんは85歳、リタさんは64歳で亡くなって居ます。
 
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 小さいですが、仙台工場の写真。仙台工場の歴史はこちらです。
 
 こちらは以前も出した、旧R48でのショット。私の車が一番走った頃は未だ旧道の旧隧道を走って居た頃ですので、仙台工場の完成はこの車は見て居ない筈。
 但し仙台工場は昭和42年の7月頃から工事が始まり当時の写真は先に紹介した、工場HPに建設中の写真があり、此れを参照に当時を想像して頂きたく、出した所です。
 
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 市長に貸した頃中での会話はきっと、
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 「宮城町にニッカウィスキーの工場が出来るそうだナァ見学が出来るそうだよ、それに近い将来R48も大きく変わるだろうし、おらほの市にも観光客が来るだろう。」
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「去年栗子が完成し今関山を工事してますけど、栗子の道の良さは格別ですよ。関山も今よりは安定して走らせられるでしょうね。」
  
 
 
 
 

いつでも夢をを歌い・・・・

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 此れから紹介する部品は昭和37年に製造されました。その為5月18日製造より早く古くなります。この年「いつでも夢を」がヒットしました。今聞いても古さを感じません、この車と同じですね。
 
 東京五輪前の日本をどう映し出して居たのか、想像しただけでもワクワクします。
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 フロントガラスです。元のガラスは破損し、傷が多い中古を探し当てました。ただいま程度が良いこの様な自動車ガラス証が付いた物を探して居ます。
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 このガラスを通じて東京五輪以前の風景がどう映ったのでしょうかね?オールウェイズ3丁目の夕日の様な日本でしょうか?
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 昭和37年製造の廃車体からゲットした部品。15年根性で解体される日を待ちゲット。当時我が市ではクーラー付きはこれだけでした。
 お爺ちゃん「こんな物別に要らないと思うけどなぁ」
 
 私、「今とっても重宝しているよ!」
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 これも同じ車より表示板をゲット。
 
 改めて見るとゆっくりまったりさんの車のメーターと比べ結構汚い!
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wマークが欠損していたから廃車からゲット。
ウィンドーウォッシャーを操作する時ボタンを右に回すので剥がれて紛失しました。
あとスクリューも昭和37年製造ですね。
 

解せない事

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 全国ニュースにもなりましたが、12月20日未明に東北文化公益大の短期大学の准教授が山形市十日町1丁目でひき逃げされ、そのまま1.5キロも引きずられ死亡した凶悪事故が発生しました。
 
 山形県内ではこの手の事故は先ず聞いた事が無く犯人は誰だ?と連日推理していました。
 
 当時の人物像は旧型のトヨタアルファード&シルバーだから、10代の若者がやったとは到底考えられず、40歳以上の家庭持ちだろうと予測していました。逮捕は概ねクリスマスまで、遅くとも大晦日までには必ず逮捕されると見込んで居ました、
 
 流石山形県警!優秀です。昨日23日の午前中には容疑者の自宅、犯行車両をきちんと割り出して、同日夜に逮捕しました!
 
 容疑者は山形市内ではない所に住む60歳の現役県立高校の教師で来年の3月に定年退職を迎える男でした。尚犯行については全面否認しています。
 
 
 そこまでだったら、何もブログには出しません。
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 実は容疑者の事を良く知る人物の1人が私なのです。かつて歯科医をして居た当時の患者さんだからビックリしました。退職後も容疑者とはラーメン店で度々会って居り、何かと世間話をしたものでした。決していい加減、不誠実とは思えない人物で、近所でも評判が良い方でしたので一様に驚きを隠せません。
 
 解せない事として、容疑者は19時近くから22時近くまで職場の同僚と山形駅近くの飲食店で食事して居り、「酒は一切呑んで居なかった」そうです。又容疑者は私が退職してから体を悪くして飲酒が余り出来なくなったのでとても飲酒運転には結び付きにくいとみて居ます。(私が診察したのではなく、本人から聞きました)
 
 飲食したのは19日(金)ですが、容疑者はそのまま同僚との飲食を終えたら自宅に帰ったと供述しており、報道によっては20日未明は山形市内を運転していたとあり、此の辺りが不明点です。唯共通している事が「自分は間違いなく容疑車輛は運転したが、事故現場には一切行って居ないし、知らない。今回の容疑の件は納得いかない」
 と完全否定して居ります。とても嘘を付く人ではないので、容疑者側に立つとなると、1、帰宅後誰かに容疑者の車を勝手に乗り回され気が付くと事故を起こされた・・・・自宅を知って居ますので見ると絶対勝手に乗り回したら気付く構造の自宅です。気付かないなら馬鹿も馬鹿。又容疑者が住む市の警察署がすぐそばですから、第三者が盗み等は出来る場所ではないです。
 
 2、容疑者は持病がある。それで一時的に意識混濁した。・・・私が現役当時治療前に持病の申告が有ったので注意して診察に当たりました。(なお具体的な持病は伏せます)然しそうだとしても、1.5キロも繁華街を何処にもぶつけずに運転は出来ないと思います。・・・・これも説得性が無いな。
 
 他に考えられる事はまさか「コピーカー」が勝手に暴走して20日朝までに本体と合体した・・・・漫画じゃあるまいし・・・
 
 残念ながら容疑者を弁護する程私の頭には説得材料が無いです。兎に角不可解でどうやって容疑者の無実を晴らす手段があるか考えて居ますが出て来ません。容疑車両には事故現場にあった部品が多数合致ですし、血痕も付着し被害者の物と一致するかは直ぐに判ります。
 証拠が無い、自白だけの事件ではないので嘘をどうやって付くかが難しいのです。弁解すればする程泥沼です。
 
 こう書いて居る自分ですが、明日VNY30を運転して人や他人の財産に損害を与える可能性が十分あります。私は酒は意識して呑まないので飲酒運転は先ず無いでしょうけど、轢いて結果死亡させるは可能性が有ります。
 
 容疑者に云いたい事は此処まで来たら「申し訳ありません、実は人をひいた事は判って居ましたが、認める事ができなかったのです。」と素直になるしか道は無いと思います。
 
 恐らく裁判員裁判の対象ですし、武道の心得があるので一般の人よりは重い刑期が課せられると思います。多分このまま否認を続ければ最高刑一杯になる恐れもあります。
 
 怖いナァと思う事は22日(月)は2日前に事故を起こした状態のまま職場が有るM市の高校まで出勤している事です。山形は夏休みが短い分22日辺りから冬休みに入ります。容疑者は剣道部の顧問なので監督に行かねばなりません。又関係省庁からの提出書類も有るので、それも作成しなければならず呑気に休んでは居られませんので、学校が休みでも必ず出勤します。人を轢いて死亡させた状態の車が学校にあったら怖いですね。多分生徒の中には体調を崩す者も出そうです。
 
 多分ですが、轢いた事は判って居り、2日間生きた心地がしない筈です。もし何ともないと本当に思っていたら相当な精神力の持ち主ですね。
 

肥料撒き

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 通常は剪定が終って少ししてから肥料撒きをしても雪が降らず、クリスマス辺りからチラホラ雪が降り始めますが、今年は15日までには雪が凄く積もり困りました。でもあと2か月は雪が降り続くから今肥料を撒かねばなりません。
 
 積雪前の肥料撒きは非常に大切で、これをしなければ来年の野菜作りに影響を及ぼします。撒く順序は米糠、油粕(未発効)、牛糞、場合によって籾殻の順番です。米糠を初めに撒くのはスズメ等の小鳥に食べられるのを防ぐ為です。又雪に直接撒く事によりより早く発酵させる為です。
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 米糠4袋に牛糞2袋(1袋は自宅前に撒く)、油粕は1袋撒きます。米糠が重要です。
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 奥の巨峰、ナイヤガラ、柿と不耕起の部分は積雪が酷いので初めに全て終わらせたので、色が違って見えますが米糠を撒いた直後です。
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 ミス写真では有りません。撒いた所をアップで。綺麗でしょ。
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 クラウンの脇。結構積もりました。
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 スチューベン。
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 巨峰、クラウンが有る所。
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 大根を植えた部分。

肥料撒きその2

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 米糠の後は油粕、牛糞の順番に撒くと今回の写真の様な姿に雪上が変わります。米糠が一番重要でこれ等の発酵も進めます。
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 今年大根、枝豆を植えた場所です。
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 此処はメロン、白菜、キャベツを植えました。イメージ 3
 巨峰には更に籾殻燻炭をプラス。
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先に撒いた不耕起と柿。
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 来年は此処にはジャガイモかな?キャベツ側にトマト、クラウン側がジャガイモかな?
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 スチューベンも。此処にも籾殻燻炭です。
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 クラウンの前も籾殻燻炭をプラスします。

ホーン増設検討

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 ホーンについては現状で特に不満は有りませんでしたが、この度オークションで滅多に出ない「H」ホーン(丸子ホーン)が出品され、Hホーンの増設を考え始めました。余り高額にならないならば落札してみようか?と考えて居ます。
 
 実は私の車「M」と「L」だけとなって居り本来は「H」と「L」の筈で、情けない事にホーンを手に入れてから1年して気付きました。それでも別段不安、不満も何もないのでそのまま数年過ごしました。
 
 タマタマオークション出品をきっかけに増設しようと思い立ちました。
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 増設場所は右側のこの部分です。
 
 実は山形5ナンバーがあった当時クーラーの配管が変更され恐らくホーンの「H」が邪魔になり此処にエンジンのヘッドを向いた方向に取り付けられて居ました。
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 より判りやすくする為出しましたが、直ぐそばは此処の部分です。
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 そう云えば・・・・と思いだしデンソーのホーンが何処かに有った筈・・・・やはり「有った!」それもラッキーな事に「H」でした。
 
 実は此れ部品取りの昭和40年式から外した物です。私の車は初めは丸子ホーンでした。
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 全体像。
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 クラウン8はこの辺に「M」ホーンがあるそうですが、根本的にイグニッションコイル、ボルテージレギュレター、その他の補機類がRS40系丸テールまでとは逆に付いておりその分余裕があり、取り付けが出来るみたいですが、余裕が無いので先程の部分にホーンを取り付ける事になります。
 
 *もう1つホーンで記録する事として、丸子ホーンが1つ出て来ました。但しHもLも付いておらず恐らくはLかも知れません。(HはVNY30に取り付けました)テストした所作動しない事が判明。多分此れが私の車に元々付いて居た物です。
 

自宅前の畑にも

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 同じ様にしっかりと施肥します。
 
 やり方は離れの畑と同じです。
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 自宅前の不耕起現場の部分です。此処には根菜類は植えられません。
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 此処が根菜類の植える場所。
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 さぁ、来年はどうでしょう?
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 玉ねぎはアーチ型の針金の内部にあります。
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 一輪車を車内に仕舞って
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 農具は運転席に、黒い袋は籾殻燻炭です。
 
 此れにて平成26年の農作業は終わりです。

全日本自動車ショー

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 終戦から17年の昭和37年、この年の全日本自動車ショーで2代目トヨペットクラウン、同時にプリンスグロリア、日産ではフェアレディSP310が同時発売。2年後に控えた東京五輪に向けて自動車業界も大きな進化をしました。
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 その頃の東京の一部の風景。これも東京五輪に向けて取り壊しとなった建物も多い事でしょう。僅か10数年前此処で悲惨な空襲があり、その中を焼け残った建物も有りますが、そんな事関係なく取り壊しとなります。
 
 今は東京五輪の頃建てられた建物が次の五輪に向けて次々取り壊しが始まって居ます。
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 全日本自動車ショーのパンフレット。東京晴海で開催されました。
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 来場者に粗品。はっきりした事は判りませんが7回目の昭和35年から紙箱入りのスプーンも用意されたみたいです。桐箱入りは昭和41年頃まではありました。
 
 *だいぶ前のOTに第10回の昭和38年から紙箱となったとありますが、あれは誤りです。
 
 確かに昭和38年からコストダウンが物事進んだ気がしますけど・・・・。
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スプーンの柄です。上のマスコットはミスターK事片山豊氏のデザインで、第一回から使われて居ます。
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自動車ショーハンドブック。
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以前も紹介しましたがMTプラス電磁式OD付き
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トヨグライド選択の車両。当時6万円プラスでした。
 
 
 
 
 

トヨタの出品

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 全日本自動車ショーにトヨタが出品した時のパンフレットが此れです。新型クラウンだけあり大きく出て居ます。
 
 このパンフレットは・・・・当然後年手に入れました(15年以上前)我が家は車なんて全然興味関心は有りませんから。一族でも車好きは片手で数える人数しか車好きは当家には居ません。
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 当時出て間もないRS41型。38年2月まではホワイトウォールでした。
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 初期カタログでお馴染みの絵です。此れはブリキ玩具でも使われて居ます。
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 このモデルからセダンDXより3万円高いワゴンカスタムが登場。但し、この青メタは参考品で止まりまして、トスカイナオリーブMとコロシアムベージMの2色だけしかないと云う損なモデルでした。
 
 多くはライトバンとして使われて居ました。
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 トヨタ自動車工業元町工場の様子。昭和34年より操業された近代的な工場です。

ナンバープレートのビス

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 私の車レストア終了時はナンバープレートのねじは今時のフツーのねじでした。別段私はねじは拘っていませんでしたが、主治医がマイナスビスのねじを何処からか見つけてくれてリヤのみ昔のマイナスねじになりまして、4~5年前からこのねじです。
 
 恐らく廃車前はマイナスねじであったと思いますが、デーラーマンに「ねじは残して!」何て気の利いた事はお袋、お婆ちゃんはしません。一時抹消証明書を受け取り「御苦労さま」で終わりです。
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 此処だけが古いねじです。無論私の車に残ったねじでは有りません。廃車当時ねじは1本も残って居ませんでした。多分昭和40年代の物でしょうね。後はもうないそうです。
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 こちらはフロント。此れは今時のねじです。まぁこれで良いや。
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 反対側。
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 草ヒロを見ていると多くがねじが無いですね。たま~に廃車した時ねじを残している人が居ます。話を伺うとやはり車が好きな方だと云う印象が有りますね。
 余計こういうねじが残りにくくなり、拘る気持ちが判りますね。
 
 ライトバスを出したのは我が家で一番初めに畑に置いた物置代わりの車だからですが、色も同じタイプの写真を発見したからです。
 昭和51年に親父の教え子のお宅で工務店経営者が居てそこで廃車となったバスを引き取りました。畑まで自走して、そこでナンバーを切って以後20数年使いました。歯科医引退に伴い開業をしないとしたので駐車場にするとなり、バスを処分しました。
 
 このバスも見事にビスは有りませんでしたね。平成9年に置いたサニーは自分がナンバー切ったのでビスは残しましたし、クラウンはナンバーフレームも残したのでもちろん残って居ます。
 
 それと我が家が一番初めに畑に物置廃車を置いた訳ですが、その後3年以内に我が家の真似をして次々に廃車を畑に置く農家が現れました。畑で1台廃車を見付けるとその数キロ半径以内に必ず何台か見かけるます。一方カミさんの実家では誰も畑に廃車は置かず今もそれらしいものは有りません。豪雪地帯も有るのでしょうけど。

新年おめでとうございます

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 本年もどうぞよろしくお願いいたします。
 
 さて昨年は自転車(左)が購入から50年を迎え、トヨペットクラウンデラックスは51年となりました。夫々今年は1年を足します。どちらも未だ現役です。
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 冬なので外には出して居ません。
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右から。自転車のライトは未だ50年にはなりませんが、40年は裕に越している筈です。
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 今ワゴンRがあるお宅は元市長宅の跡地に昨年新築されたお宅。此処も今と同じ駐車場で、クラウンMS105、セドリックH331が有りました。但し市長の長男=友人の親父さんは運転免許を取得して程なくして事故を起こしそれ以来免許更新はするが決して運転はしなくなりました。その奥方(友人のおっかさん)が運転していました。
 昭和43年に結婚しましたが、それまでは市長宅には車がなかったのです。
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 リヤより。
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 そしてもう一つ現役選手の柱時計。此れはひいお爺ちゃんが国勢調査員と町内会長を長く務めたと云う事で市より表彰を受けました。
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 此れがその記録。この時計も50年を迎えます。カミさんには不評ですが、私はこの音を生まれた日から聞いて居ますので自然です。
 表彰当時ひいお爺ちゃんは79歳でした。存命なら今年129歳です。(平成2年104歳で歿、親父が亡くなり3年後でした)

小判切手

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 前回は竜切手を紹介しましたが、この切手に至るまでに2種類の図案があり、桜と鳥が有ります。この頃までが銅板を彫って印刷した切手でしたが、小判切手から本格的原版を使っての発行となりました。明治9年5月17日の事でした。
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 この切手の図案の人物がフランス人技師のギョエツ。ギョエツの指導の元切手が近代化しましたが、その後日本を気に入りそのまま帰化し日本で生涯を閉じました
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 最初の小判切手。楕円形のこの図案が小判に見える事から小判切手となりましたが、先程の図案をよく見ると四隅に図案が有り、此れが精巧で12銭に関しては気球があります。日本も欧米列強への仲間入りをいしきしたのでしょう。
 この切手は明治9年5月17日発売で、3年後には色違いが発売されます。
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 色違いの小判切手1銭。明治12年10月11日発売。その後又新しいシリーズが発売されます。
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 1銭切手が明治17年1月1日発売。此方は色違いばかりではなく紙質が違うそうです。
 隣の5厘もそうですが紙質がこの頃から変わり小判切手は明治22年までには全部紙質が変更されます。マニアの間では明治9年~16年までの切手を旧小判、それ以降の明治32年まで発行の切手が新小判と呼んで区別しています。
 
 理由の程は判りませんが、竜切手~旧小判切手までの切手が明治22年に全て使用禁止となります。
 
 あくまで私の推測ですが、今残存するこれ等の使用禁止切手でも状態が良い切手は皆海外に流れてコレクション対象になったと思います。

トヨペットスタウトRK45

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 今回は2代目スタウトの初期型RK45型を紹介いたします。昭和35年10月に発売され、37年9月には4灯火モデルになりエンジンも3R-B型となりました。
 
 このモデルは以前何度か紹介した私のクラウンデラックスの燃料タンクユニットに転用したモデルですからカタログだけでもと入手しました。
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 結構洒落たデザインですね。1961年式です。
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 4灯火のイメージが強いので初め見た時は違和感が有りましたが、今はこちらが良い感じです。
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 乗用車の様な乗り心地を目指しました。何となくコロナを連想させますね。
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 フレーム構造。如何にも強靭で最大積載量は1750キロとされて居ます。
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 エンジンはR型の1453㏄エンジンで、手動チョーク方式です。

トヨペットスタウトRK45

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 2代目スタウトは結構長く製造されましたが、このRK45型は僅か2年ほどでした。大半は昭和42年に5RエンジンにモデルチェンジしたRK101、次が37年9月のRK100でRK45は一説には残存車が5台程度と云う情報が有ります。RK100の頃より乗用車らしい乗り心地で2RエンジンのRK43も併売されますがハイラック登場で姿を消しこちらも極少数しか残って居ません。
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 スタウトの他のモデル。恐らくこのタイプはもう無いでしょう。有ったとしてもパネルバンの箱が何処かに・・・・が良い所でしょうね。
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 当時のオプションです。シガーライターまでだったんですね。
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 キャブ。左端に少し見えますが、四角窓のキャブが。此れが私好きなんです。但しキャブはオートチョークではないです。
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 此処が燃料タンク。実はフレームがダイナと同じらしいです。無論タンク位置も同じ。
 
 で、後ろのタイヤ側の丸い物が燃料タンクユニット。此れがクラウンと概ね同じ部品です。
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 実際は、アームは写真の1.5倍の長さが有ります。過度の部分も少しクラウンよりは大きいですね。そこを調整して切り詰めれば流用が可能です。
 
 フロートはオリジナルは使えなくは無かったけども、汚くて使用断念。昭和40年式の部品取りから移植しました。他にトヨエース用も転用できます。
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 結構此処が気に入りました。間もなく製造から54年です。この頃味噌ラーメンが札幌で誕生したそうですが、山形では龍上海と云うラーメン屋さんがその前年に誕生させたと聞きます。
 
 それとシャボン玉ホリデーもこの年から放送開始です。(山形では当時開局1年だったYBCより放送)

明治の記念切手

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 記念切手の最初の発行は明治27年3月1日の明治天皇銀婚式の切手です。当時神格化された天皇ですから、天皇の画像に消印を押すは恐れ多いので紋章等にされました。明治時代に限らず昭和時代になっても天皇家関連の記念切手の図案は紋章などが描かれました。参考まで初めて天皇家の肖像画が用いられたのは昭和34年の今上天皇が皇太子時代
ご成婚した切手が最初です。
 
 近年の記念切手の動向として収集家の需要が少なく、かつて人気が有った切手もかなり下落しました。特に昭和30年を境に下落が酷く単片での取引は、額面割れが当たり前でシートであっても額面取引はそれ程でもありません。
 
 此れは切手収集家の高齢化が挙げられます。私がかつて通販で購入していた切手商も2軒だけが辛うじて営業をしており、他は全て廃業しました。竜切手はその世界では有名な業者さんから購入しました。
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 此れが日本初の記念切手明治27年発売です。
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 日清戦争勝利記念(明治28年8月1日)有栖川宮熾仁
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 此れも日清戦争勝利 北白川宮能久
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 日韓通信業務「合同」 明治38年7月1日
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 日露戦争凱旋観兵式 明治39年4月29日
 
 今後戦前記念切手もUP致しますが、多くは天皇家に関する記念切手が多いです。これが昭和に入ると戦争の切手も出ます。戦前期の日本もかつては北○鮮と大して変わらない時代で有った事を切手物語って居ます。
 
 それと今は未だ入手していませんが切手に菊の御紋が初めて付いたのは明治5年7月発売の桜切手(手彫り切手、竜切手の直ぐ後)~終戦から2年の昭和22年8月までで、当初「菊の御紋がないのはおかしいのではないか?」と詰め寄る者も多数で、中には此れは日本の終わりと考え自決する者が居たと記録が残って居ます。初めて菊の御紋が無い切手は昭和22年8月15日発売の「民間貿易再会」と云う記念切手です。

冷却系統

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 髭さんのブログを拝見していて、H31の水温が上がらないとの記事が有り、そう云えばVNY30も水温計は然程上がらないので、観察をしました。
 
 そこそこ走ったので撮影。やはり此処までは上がりますが真夏でもこれ以上上がりません。
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 えらく低いナァと思いますが・・・・・
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 アッパーホースは触れられない程では無い物の、それなりに熱いです。このモデルは正常ではこれ以上上がらない物でしょうか?
 
 
 此処からはオマケウォーターポンプ関連で
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 此れはエンジンOH前まで使って居たRS41のウォーターポンプハウジング。今は程度が良い物が手に入りそれに交換しました。
 
 レストア当初、クーラー装着と云う事でサーモスタッドが抜かれた状態で納車されました。恐らくですが、当時水温センサーが故障し、作動せずクーラー復活して水温上昇を心配したのかな?晩秋はヒーター利かず悲惨でした。そこで当時世話になって居た「自動車修理工場」に取り付けを依頼すると・・・・
 
 「サーモの台座の腐食が酷くて取り付け出来ネェ~ナァ、状態の良いハウジング無いのかナァ」  
 
 でした。オイオイ、修理工場ならばこの位ならば補修して出来ないのかよ??他にも修理工場と名前を掲げているけれども、部品交換でないと対応できないは・・・・となり、この工場は離れる事になりました。
 
 でこの頃から今の車の主治医と付き合う様になりました。主治医も「この状態ならば悪くはない、此れで出来ないならば腕は良くない証拠だよ。」でした。
 
 主治医もこの工場の事は良く知って居り、市内で一番古い民間車検場で、勉強は良くするけれども、部品の修理、加工は殆どしない。修理技術の向上は見込めないとの話でした。
 確かに組織体系図は無論、国土交通大臣は誰で、運輸局、陸運支局の局長の名前を事務所内に掲示して居り、役所みたいな工場でした。
 
 でも当時ユーザー車検の事前整備のオーダーを嫌がる工場が多い中、この修理工場は引き受けたのでこちらに変更しました。その前の工場は社長は前整備は受け付けたが、病気引退後社長代行した工場長が前整備を断る様になりお付き合いを辞めたのです。
 
 さて明後日はこのVNY30の車検です。一応ブログにて報告予定です。
 
 
 
   
 

クラウン発売60年!

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  昭和30年の本日トヨタ自動車工業、自動車販売は初代トヨペットクラウンとマスターを発売しました。本日で60年の節目を迎えます。
 今回は初代クラウン関連部品でストックしている物があり紹介します。
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 此れはプラモデルの箱絵ですが、まさにデビュー当時のモデル。まだRS型だけでした。
 この箱絵凄く気に入って居ます。幾ら時代がノンビリしていても滑走路に自家用車が入る事は有り得ない筈。 恐らくパイロットのご主人(外人?)のお見送りでも再現しているのでしょうかね?箱絵の御嬢ちゃん恐らく私のお袋と同じ年齢でしょうから、もう立派なお婆ちゃんでしょう。
 
 何となくこんな曲が似合いそうな??https://www.youtube.com/watch?v=J9Enr0FW6E8特に終わりがプロペラ音を連想します。
 
 
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 今回紹介する初代クラウンの関連部品は、RS30用です。初代最後のクラウン用ですが、この品番ではRS40にも使えます。此れは??
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 BRAKEDRUMとあるのでわざとらしい書き方でしたが、RS30(40)の専用部品=STD用なのです。でもこのフィンが私は好きでこのドラムに入れ替えました。因みに此の数字の品番は昭和39年以降の品番です。
 
 此の位置から見ると良い感じです。
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 此れが全体像、無論中古品なんかではないです。
 
 実は私の車の本来のブレーキドラム(フロント)は処分してしまい、特にすり減りやすいフロントドラムが駄目になれば後がないので、マズいナァ・・・と思って居たら、オークションに出て居り落札しました。
 
 初めは1つだけでしたが、出品者に無理云ってもう一つ探して貰い1台分となりました。
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 此れが紹介部品が取り付けられるトヨペットクラウンでRS30型。昭和35年10月発売で、このモデルより13インチとなります。
 その前のRS20型は初期のRS型と同じ足回りでした。だから、RS40型と共通はこのモデルとなります。(参考までRS21型は足回りはRS30系、40系と共通)
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 現在の私の車のドラム。
 
 以前も書きましたが、35年前解体屋で100系コロナのタクシーの廃車体が沢山あり、ブレーキドラムにフィンがあり、此れがカッコ良く見えたのと、私が好物の1つプリンアラモードのカップ容器のふたにこういうギザギザがあり、それに見えたので、より好きでした。(小学1年生らしい発想でしょ?(笑))
 
 20代前半で手に入れた修理書を見ると懐かしいフィンが有るではないですか!喜び勇んでナンバーを付ける前の廃車だった自分の車のドラムを見ると「ツルン」・・・
 その時パーツリスト見てRS40=STD用と知りました。
 
 頑張ってドラム探すが発見できず、タマタマ知人が持って居た部品取りがRS40で、そのドラムを頂き今に至ります。
 
 3年前に1度ドラム研磨が必要になり主治医に聞くと、意外にも余り距離を走らない個体(或いは1度途中交換した)である様だと話して居ました。その為もう一度研磨は出来そうだというのです。
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 本来付くRS40型トヨペットクラウン。タクシー使用が前提となるSTDモデルなのでフィンを付けたそうです。

ユーザー車検 前座

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 私がユーザー車検を初めてやったのが、平成13年2月の事でした。車は度々出てくる平成4年式のクラウンSDX。
 
 先ずは車検は整備士でないと出来ないと勘違いされて居る方も少なからずいらっしゃいますのでその辺りからお話を進めます。
 
  昭和26年に制定された道路運送車両法ではきちんと「車検は使用者がしなければならない」と法律で定められて居ます。ですからその時点で既に「整備士でないと出来ない」は誤りです。
 
 事実20~30年ほど前発生した大馬鹿ヤローの長崎陸運支局の職員が女性ユーザーに対して「女のアンタに車検が受かりっこないよ!」と発言した事例があります。この時点でその職員は懲罰委員会に掛けるべきでした。そういう無法者行為をすると数十年たっても書かれますよ(笑)
 
 無論お袋が大笑いする事を平成13年に話して居ましたが「車検は整備士資格がないと出来ない」なんて云っていましたが、私は「俺は歯科医師だ、人間の整備士だぞ!」と云うと話した事が懐かしいですね。(無論手先が思う様に利かず引退していましたので、整備は無理)
 それだけ車検は整備士の独占業務と思う方も少なくありません。
 
 先ず今回前座としたのは車検証が変わったからです。自宅に帰り「はっ!」と思い出して、RS41 車検証と比べると違いが有りました。
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 陸運事務所のショット。此れは又次回も使います。
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 此れはRS41の物。受験種別以降を注目してください。
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 これがVNY30用。写真が切れていますが点検整備記録簿は記載ありです。それよりも受験種別と受験形態を見て欲しいと云う思いが有ります。
 
 
 
  時期は判りませんが昨年のある時期から車検証の記載方法が変わると有り今回ふと思い出し、見たら変わって居ました。以前クラウンRS41の書庫で出しましたが、年数の古い車両が整備しないとありましたが、その対策みたいです。
 
 先ず、「受験種別」此れは民間車検場が設置された整備工場やデーラーが「指定整備車」となります。
 「持込車検」は必ずしもユーザー車検では有りません。民間車検場がない工場、車検代行センター等も含まれます。此処は然程拘る必要は有りません。
 
 「検査時の点検整備状況」は「記載あり」になっているかは必ず確認します。「記載なし」はヤバイのは云う間でもないですね。
 
 「受験形態」此処に注目しましょう!指定整備車は当然RS41の様な車検証ですが、ユーザー車検は「使用者」になります。
 実はユーザー車検の場合、陸運事務所で検査を受けてから不合格部分を整備するがメリットですが、こういう受験形態を書かれるとその後きちんと整備しても「記載なし」になる可能性が有りますね。ユーザー車検派の場合先ずは整備記録簿を入手するから始めなければなりません。(以前GS130の時自分が作った整備ノートを出したら当時受付に居たTと云うジーサンが「此れは違う」と頑固で云う事聞かず結局「未整備」となり、当時の運輸省にお宅のTと云う職員が云々と書いた手紙を出しました)こういうトラブルも有りそうです。
 
 まぁユーザー車検の締め出しとも捉えられそうです。
 
 新車検になって検査後の整備は不利な状態です。中にはきちんとやって居る方も居ますが、年数が古くなると整備しない事実も突きつけられればやはり記録簿なしは嫌煙した方が利口ですね。
 
 云い換えれば、持ち込み車検は万全ではなく、故障率も高い。それは当然何せ陸運事務所の検査員は整備士資格が皆なし。あくまで初級第3級一般職なのです。(20年前だと10人整備士資格所有者が全国の陸自に点在していた、今は指定工場の定年になった高齢者が臨時職員で居る事が有ります)民間車検場の検査員の様な整備技術は持って居ません。
 つまりテスター上での整備状況しか判らないからです。現に何処がどう悪く、どんな整備すれば良いかアドバイスが誰も出来ません。そんな状態で車検を通した車は怖くて乗れたものではない事は子供でも判るでしょう。もしかすると車検後ブレーキが利かなくなるかもしれません。
 
 今回の車検証は中古ユーザーに大きなメリットが有ります。整備記録簿を善意、悪意問わず処分した中古車の場合此処を見れば60%程状況が掴めます。この点は国土交通省も強調して訴えていました。無論引き続き走行距離の記載も有りますからメーター巻き戻しもやりにくい。当然記録簿なしは本当に記録らしい記録も無いならば絶対手を出してはいけませんね。
 
 キチンと整備した車ならばRS41の様な車検証です。逆に整備記録簿を処分するメリット(却って処分して嫌煙されるかな?)が無くなるかも知れませんね。      でも時代が変わっても整備記録簿なしは私は信用できませんね。だって定期点検をしていないかも知れません。将来VNY30をパーツカーにする場合私の車お得ですよ(笑)整備はきちんとしているし、私自身走りも神経質ですので。

ユーザー車検 書類

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 車検を受けるに辺り準備する書類が7種類あります。其れをキッチリ揃えたならばもう合格も同然です。
 
 ① 車検証 ②自賠責保険証 ③自動車納税通知書 ④定期点検記録簿以上4点は家で揃えます。
 
 次からは車検場で集めます⑤継続検査申請書 ⑥自動車検査票 ⑦自動車重量税納付書 
 
 注意点は③は紛失しやすいので納税後車検証と一緒の保管をお勧め致します。⑤~⑦は初めての方は車検場で事前に揃えるのも一つの手です。雰囲気に飲み込まれてミスの原因になる事が有りますので。
 私は10回目なので、余裕持って2ラウンドに予約して1ラウンドの時間に書類を揃えます。
 
 それと今車検予約はインターネットとなって居ますので、そこから予約をします。数年前はシステムエラーが酷く予約が成らない事が有りましたが今は安定して予約が出来ます。
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 昨日UPした写真ですが、此処が山形陸運事務所の写真です。
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 その隣が整備振興会で、此処でも自賠責保険の手続きが出来ますが、整備工場で保険更新するとその分の手間が省けます。
 
 イヤイヤ、実は驚きました。今回は自賠責保険を此処で更新しましたが、お金を受け取った時事務員さんが云わいる「ファミコン言葉」でたまげました。
 
 それも50歳以上と思われる方でした。「2万円でよろしかったでしょうか?」・・・「えっ?・・・あっ、ハイ・・・」
 
 「おつりの方○○○○円になります。」  「あっ、ハイ・・・」 「こちらの方粗品のタオルになります。」
「あっ・・どうも・・・。」となってしまいました。
 
 私も中年オヤヂなので、違和感を感じますね。
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 メーターは昨日時点でこの距離です。
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 自動車検査票にはこう書きます。
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 検査手数料を貼り、重量税は別の用紙に貼ります。
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 此処まで出来れば8割は車検が終了です。
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 更にホイールキャップを外します。
 
 何て書きましたが、実は次の検査でとんでもない所が不合格となります。此れは明日です。
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