此れを書きたくて書いたのではありません。白色が設定になかったクラウンを白に塗るオーナーが昭和40年以降みられました。元々この頃までは「赤と白は消防車、救急車の色なので一般車両には禁止色とする」と云うアホらしい法律があり、赤や白は昭和30年代の国内仕様には無かったのです。
実は昨日、今日と振り替え休日で、我が家の古い写真を引っ張り出してどれかUPしようと企てましたが、「見事に惨敗!」しました。
ブログに出すトヨペットクラウンデラックスは「本当に此の車?」なのか証明できる写真は無く、出てきた5枚のうち一番大きいのが右フロントフェンダーがチョンと出た物で、後は車の前に複数人が立って居り、私が第三者ならば「本当にクラウンなのか?」のレベルが残りでした。
廃車証明書焼失発覚時も徹底して探しましたがあの時の記憶ではナンバーは読めない物のリヤを斜め左にした写真が有る筈でしたが、それが出て来ませんでした。昭和56年の蔵王でのオーバーヒートの写真は唯一のカラーで、此れを主に探しましたが出て来ません。
ナンバーは写っていないけれども「昔の写真です」をUPしようと考えたけど残念賞でした。次に購入したカローラKE20デラックスも探すと、最多の10枚。どれも部分的でしたし、パブナナバンさんに見せたいと頑張った「カローラ山形」のステッカーが写った写真が有った記憶があり(字は読めませんが、形位は)これも有りませんでした。記憶では昭和54年鶴岡の由良海水浴場に行った時の写真の筈です。
次のサニーB310は僅か3枚で、草ヒロ時代の写真は撮影しましたが写真その物をブログなんて考えなかったので処分。近所の子供たちが「お化けが出そうな車」と怯えた車が綺麗な頃の写真は妹と裏の家のお嬢さんが一緒に写った物が有りました。次のマーチ(2代目最初期)以降はゼロ!
血族でも私以外で車好きは5人しか居ませんので、こんな物。皆自動車=10年使ったら捨てるが我が血族の考えです。無論新車で買うが大前提で、1500㏄までが限度としています。だからクラウン何てとんでもないのです。今も血族でクラウンクラスを買ったは居ません。(あっ!訂正、従兄(と云ってもお袋より年上の今年68歳。)の末っ子がレクサスだった!その上は皆1500㏄以下か軽自動車、従兄は軽トラだけ)
さて私の車の現在登録証明書を取ると既にご案内の通り「山形5」時代の記録は無く、フレームの経歴が現在登録証明となります。それは
「○5 な 8653」 昭和59年12月18日抹消登録が初めに出ます。
次が譲って下さった方の情報で、1か月以内に私の情報=「山形58 ひ
2110」になります。(登録し車検を取得する事が譲渡条件でした)
「な 8653」は新車時ナンバーでは有りません。恐らくその県のナンバーから推測して昭和43年登録と思われます。この方は整備工場の社長である事は判って居り、トヨグライド故障でどうにもならず廃車にして長年保管したそうです。此れは譲ってくれた方の話ですが、一番最初は石油元売り会社の社長が運転手付きで乗っていた車みたいな話でしたがはっきりしません。(因みに2代目オーナーの時黒になり、その前が武左ゑ門さまの車と同じ色でした。)
血族でない所までとなると車好きは増えます。妹の嫁ぎ先で発見を紹介しますが、その前にこちらは凄い!歴代の車全部出てくる!購入時の車だけのもある!凄い凄い!更には裏庭で草ヒロになって、オッカナイ妹に捨てられた車の新車時の写真も有りました!(もう妹にもこのブログは見せられない)実は畑に引き込もうと考えたのを見抜かれて嫁いで新婚旅行から帰って程なくして解体屋を呼んで捨てました。今は其処に柿を植えて手入れはお兄ちゃんの仕事になりました。焼酎漬けは無論妹がして、食べるは妹は無論、甥と姪です。
顔を出さないを条件に妹のお舅の姉とその娘の写真に興味深いのがあり、加工してもらいUPを許可して貰いました。
義弟から見て伯母と従姉。車は伯父が中古で購入して白に塗り直して数年乗ったそうです。1963年式でミラーから後期型の1963年式RS41。
此れはスタントカーショーの写真を発見。昭和46年新潟県にて。此処でも白いRS41が・・・・。こういうモデル結構見ましたよ。