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Channel: 高村円淨のブログ
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ユーザー車検 アリャリャ

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 事前整備をしたので、主治医から引き継ぎがあった「ライトを検査前にテスター屋で調整してもらうと良いだろう」と会ったので、どうせなら車検場で不具合ありになってから再検査した方がブログ的には面白いと考え、あえてテスター屋には行きませんでした。
 
 ユーザー車検のポイントとしてライト検査は比較的不合格になりやすいので自信がないならば事前にテスター屋で検査をお勧めします。
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 順番待ちです。
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 入場しました。此処でヘンな所が不合格でした。
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 スピードメーター。
 
 実は長靴を普段運転時は履かないのですが、寒くて横弱してそのままで検査したので、恐らくは感覚が掴めず不合格でしょう。
 
 実は検査員個人にもよりますが、今回は付きっきりで立ち会ってくれたので、今回は「長靴履いて感覚が掴めなかった、ズックが有るのでもう一度初めからやり直ししてみたい」と食い下がる気がしなかったし、本当に不具合があると思ったので、素直にテスター屋に行きました。
 
 もしこれが余り付き添わなかったら間違いなく食い下がりました。
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 総合判定所の検査員も「へ?」みたいな顔をして首をかしげました。何十年と走らせなかった車ならまだしも、50年以上になる車ですら此処が不合格は通常なくて、多くは40㌔に達したと云うパッシングのミスです。
 
 私の場合、動きが制限される長靴で慣れないテスターの上なのでコツが掴めずズレが生じて、時間切れになりました。(3度ほど失敗しました、長靴で検査はいけませんね、きちんと普段履ズックに履き替えましょうね)
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 今回は良い検査員だったので素直に此処へ。
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 さて問題のライトですが、シールドビームです。特に不具合は感じませんが、この電球も20年ですから、不安は有ります。そろそろ交換かな?
 
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 東芝シールドビームの後継製品です。丁度この車が生産された平成7年が最後の生産と聞きます。別に後世大切にと云う気はないですが、切れたら次はスタンレーに交換します。其れも駄目になればいよいよハロゲンの丸型ですね。

ホーン受け取りました

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 武左ゑ門さまに修理を依頼したホーンが1/8に届きました。本当に有難うございました。
 
 何故今になり修理を思い付いたのか、改めて書くと年末のオークションに丸子の「H」ホーンが出品され、ある時期に私の車のホーンが本来「H」の部分に「M」が取り付けられたと判ったが、特に不都合が無いのでそのままにしていました。でも滅多に出ない「H」ホーンが出品されどうしても欲しいと思い、且つ私も過去にK師匠に「H」ホーンを探して頂きましたが未だ見つからずで、その代りなのか師匠が何処からか仕入れてきた今のシルバーカバーを取り付け今日に至ります。それが「M」と「L」のセットでした。
 
 だから喜び勇んで入札に参加。然し結果は落札成らずでしたが、出品商品はそのままでは正規の位置には収まらない代物と判りある意味「ホッ!」としました。まぁ入札数から推測して落札は成らないと判ったので、早い時期から「確か部品取りから外したスペアーが有る筈」と思いだし探すとやはり有りました。それも探していた「H」なので嬉しさ倍増。
 
 然し今回修理依頼した物を使うと私にはホーンのストックが一つもないとなります。でもこれで十分!余計なストックが皆履けてラッキーです。
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 くたびれたホーンでしたが、こんなに生き生きシャンシャンとなりました。素晴らしいレストアです。
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 開口部もほれ、ご覧の通り!綺麗ですね!
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 武左ゑ門さまによると、ホーンは丸テールの物ではなく、昭和41年式以降のモデルであろうと事です。
 部品取りは昭和40年2月製造なので、恐らくは41年以降の廃車からでも外して、補修してそれなりの期間を使用したと見るのが正しいと思います。恐らく当時程度が良い中古部品だったんでしょうね。
 
 但しデンソーの「L」は出て来ませんでした。売り払ったのだろうか、捨ててしまったのか記憶に残って居ません。私の性格ではバラバラ保管はしないので、探しても無い=もう無いでしょう。
 
 イメージとして41年以降のモデルを出しました。
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 此れは現在VNY30に取り付けた当初付いて居た丸子ホーン。写真左がK師匠から頂いた「L」の丸子ホーンで、右が新車時からの「H」ホーンです。元々はスペアーにと残しましたが、シルバーホーンは新品だし、配線を引き直したので、スペアーの必要は無いと判断し、ホーンの音が気に喰わないのでVNY30に転用しました。
 
 思い出してみれば、新車時の「L」ホーンが故障気味で(時折不作動になりヘンな音になりました)更には主治医より「ホーンの音が車検にやっと通る状態」と云われ、運よく「L」だけ出て交換して暫く使って居ました。                                       最終的には丸子の「L」ホーンはついには鳴らなくなり、もうそれは捨ててしまいました。

油断もスキも無い葡萄栽培

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 剪定が終われば大方春まで休みとなる農作業ですが、時折こういう「有り難くない」幼虫が樹の中を食い荒らす事が有ります。
 
 全く油断もスキもないです。
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 此れは借り物ですが、葡萄カミキリの幼虫。こんなヤツが居ます。これはほんの1例。収穫後きちんと消毒したけど入られました。でもしないともっとあちこち喰われます。
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 巨歩が一部喰われました。簡易スプレー消毒で。
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 こちらはスチューベンです。
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 殺虫剤を喰われた穴にシュツ!
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 スチューベン。去年同じ被害をうけました。早く対応すれば大丈夫。

デーラーステッカー

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 近年デーラーで購入した車に貼り付ける確率が減ったデーラーのステッカー。我が家の車は「見っともないから貼らないで欲しい!」と注文したのでうさちゃん号には付いて居ません。
 
 我が家以外でも結構その様な注文をする方は居ますし、最近気付いたカローラ店の場合従来の2/3程度となりました。
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 東京トヨペットの昭和39年か40年の初めまでのタイプ。その後は黒バックに赤文字になります。
 
 記憶が定かでは有りませんが同じ形で黒バックに金の文字の東京トヨペットが平成になってからあった気がします・・・・。実は其れが良く見えて密かに欲しいと思う様になり、拘りの始まりです。
 
 でも何時しか忘れてしまい、気が付いた時このステッカーがヒョッコリ出てきたので入手しました。真っ二つでしたが、レストアで貼り直した時切れた感じでまぁよかろうとしました(笑)
 
 今まで余り考えもしませんでしたが、反射式である事にはとても驚きました。
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 お気に入り写真より、Jsティーポに出たTさんのRS41を参考にこんな感じに貼りました。
 このクラウンが山形5ナンバー時代の写真が殆どなく僅かにある写真全てナンバー自体が写って居らず、車も部分的。無論ステッカーは全く確認できない状態です。
 私の記憶ではこのステッカーは無く、廃車まで山形トヨタで整備しましたが、ある時期に剥がされたのかな?我が家ではこんな物剥がされても何とも思わないので。
 
 この車東京トヨペットから越県登録したまでは判りますが(親戚から頂いたので)何処の営業所かは判らないのでフレーム載せ替えとなりました。その送り主が現在行方不明で、生歿も不明な状態です。(今年92歳ですが・・・)
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 写真は不鮮明ですが、パブリカの廃車体。デーラーステッカーなのかは不明ですが、右側に貼られた
証拠写真です。

草ヒロ?芸術?旧車?

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 丁度昨年の今頃ですが、ある人より紹介を受けてこんな写真を発見しました。東京にある村井正誠氏(洋画家、1905~1999)の記念博物館です。
 
 この車は村井氏の自宅に長く保管されて居たらしい物で平成17年の村井氏生誕100年を記念し記念館が建設されこの車もこういう展示でとなり今に至ります。
 
 実は居るんですよね~、一寸頭のおかしなマニアが・・・。記念館のスタッフにこの車の希少性を延々と説く馬鹿が。「希少車をどうしてくれるんだ!」って。
 
 いや、自分だって今ブログに出しているクラウンRS41をGS130が置いてある畑に運んで葡萄園の棚の下に置いたかも知れません。
 実はRS41ではないけど、「山形5」ナンバーが付いた1964年式グロリアスーパー6か昭和42年式の同じグロリアPA30SDXがあり、どちらかを手に入れれば確実にあの車は葡萄棚の下でした。
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 間違いなく1963年式トヨペットクラウンデラックスです。
 
 この車も右側に東京トヨペットステッカーらしい物が残って居ます。う~ん、運転席側のドアのチリのずれが私の車とほぼ同じ。まさか??
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 フロントから。別の写真を見ると(今は発見できず)車検ステッカーが「6」に見えたのでまさか?私の車も6月登録。同じ昭和38年5月18日製造では???何だか怖い!
 
 因みに此の車鍵が掛かっているし、その鍵が発見出来ず現状ではドアを開けられないと有りました。
 フォグランプは社外品です。
 
 でもどうしてこの車平成17年まで残って居たのだろうか?タイヤから判断して昭和48年6月が最後の車検と考えられます。
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 こんな具合にお客様をお待ちしている様子です。フツーの人には汚らしく見えるでしょう。
 
 でも私は此れは芸術だと思いますよ。
 
 それフロントフェンダーにウィンカーが有りますが、此れは昭和40年以降に後期型のサイドウィンカーを取り付けるのが流行り、我が家の車も何故か付けて居ました。我が家の場合写真で判る範囲では昭和44年撮影の物に写って居ました。

旧正月

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 旧暦では本日が正月ですので、年賀状に使った写真をUP致します。
 
 今回は2つ候補が上がり、検討の結果下の写真を選びました。
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 この写真は6月に黒伏山高原にて撮影。お気に入り写真で下の写真撮影直前まで、今年は此れ!でした。
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 でもこちらの方が雰囲気が良くて・・・・此れは11月に仙台で撮影しました。

丸子ホーン再出品?

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 ずっと様子を見て居ましたが、前回落札できなかった丸子ホーンですが、再び出品され、本日が終了日でした。
 
 多分ですが題名が変わって居ました。前回は「トヨペットRS40、RT40用」でしたが、今回は「トヨタ旧車用?」でした。恐らく前回落札した方がRS40用と思い落札したが、結果的に取り付けられず返品したのを再出品したのでしょうね。あ~危なかった!終了直前に横取り入札がないならば・・・・ヤバイと思いましたので。
 
 尚武左ゑ門さまよりレストアして頂いた物は早ければ2月末、3月末辺りに取り付ける予定で計画を立てて居ます。

Satio Yamagataのステッカー

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 Satioとは日産サニーデーラーです。我が家の車全てを面倒見てくれる主治医がかつて勤務していたデーラーで、ステッカーを頂きVNY30に貼りました。概ね平成12年前後の物で、3ケタナンバー時代ですし「中古でござい」みたいで良いのではないでしょうか?プリンス店扱いのグロリアもサティで中古扱いをしますし。(主治医は平成14年3月に日産を退社)
 
 でもこの車元は日産プリンス東京(上島営業所)で販売された車です。ナンバーは元々は品川で憎っくきNox規制法で特定地域で登録出来なくなり、それを購入しました。因みに日産プリンス東京のステッカーはこの車には残されて居らず、山形のステッカーを貼りました。
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 楕円のステッカーが其れですが、何故か元々この部分が更に大きな楕円の何かステッカーを貼った跡が有りそこに貼ったのです。
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 此れがサティオのステッカーです。
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 此れはY30のHT(2000㏄)のバンパーに貼られて居た、横浜日産のステッカー。マフラー貫通の為止む無くこうなりました。年式は推定で昭和61年かな?
 
 何分解体屋の最終処分場に運ぶ寸前の個体から外しました。ガラスがかなり割れたエンジンや足回りが無い廃車でしたから。多分中古(そのまた中古かな?)で山形の地に来た個体と見て居ます。
 
 
 *オマケ
 
  この間のユーザー車検で陸運事務所に掲示された山形県内に平成26年11月末現在で登録された自動車の台数です。
 
 登録自動車(全ナンバーでしょう) 501419台
 
 軽自動車  (同じく全ナンバー)  423416台
 
 山形県の人口は約112万人。(30年前より14万人減)  つまり運転免許を取得して運転している人は80万人は最低居ますから何らかの自動車に1人1台所有しているとなりますね。=山形県は公共交通網が発達していないのです。それを裏付ける資料ですね。            

黒塗り車の末路

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 写真のモノクロは借り物ですが、撮影時期は昭和43年頃で、スタントカーショーでの様子です。投稿者によると涙目テール型も有るそうですが、投稿内には有りませんでした。
 
 此処で走る車は全て1964年式ですが、当時クラウンに限らずセドリック、グロリア、デボネア、ベレルは新車登録から4年もすると特に黒塗りはこうなる運命でした。
 
 黒塗りはワックス掛けが面倒で、ムラがハッキリ判るのでそもそもの下取り価格が安く(2~3割)中古車としての市場価値がゼロでしたので、大半が解体屋行きで、中にはドラマでの斬られ役とかこういうスタントカーに回されました。
 
 黒以外だと見栄張るクンが購入するケースも有りましたが、多くは修理費が払えず、故障したら廃車となります。
 
 黒でも長寿となると官公庁で買われた「た」ナンバーの車両が良い所です。手放す時はもう1年車検突入の頃だし、エンジンもかなり酷使されて「お後がよろしい様で」となります。
 
 4年~5年もすればもう乗れなくなるのか?となると基本そんな事は有りません。私なんかレストア後でも15年は乗ったし、山形5時代で24年でしたので。単に金持ちのプライドで、4年以上となると「あ~あのお宅苦しいんだ」と風評が広がるので嫌がる事と節税対策です。
 
 当然ですが、この手の車の部品は修理を前提としていないので、デッドストックで部品商の倉庫に眠って居るケースはそんなに有りません。
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 カーマガジンだったかでもっと激しい1964年式のスタント走行が有りました。此れは大人しいです。
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 この様に黒塗りが個人オーナーで買われるは珍しい事でした。お爺ちゃんが黒を希望したので黒が納車されました。お向かいさんも「公用車らしいし、高村さんのお婆ちゃんも気軽に貸してくれるし」と好都合でした。
 
 事実黒塗りの1963年式は平成10年までの間で程度が良い個体は1台だけで、自分の車が確認した中では4番目に程度が良く、自分の車以上は本当に有りません。だからレストアに手を出しました。
 
 私見として、クラウンの場合余り大切に扱われた個体はそんなにない様に思います。

見栄張るクン

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 撮影時期は不明ですが、横浜の解体屋での写真だそうです。注目は左側のフェンダーミラーで、ミラーバイザーが付きます。
 1963年当時デーラーオプションで設定が有りませんでした。此れが流行ったのは昭和44年(1969年)を前後にした頃で中古ユーザーが購入した時一寸した差別化で町の模型店に毛が生えたカーショップとかGSで購入したと思います。
 
 新車登録から4年~5年して見栄で乗る者もいれば、教習車と同じ車なので練習用で購入するユーザーも居ました。いずれにしても短命に終わるので1963年式ならば昭和46年(1971年)ともなればかなりの数の解体の山が出来たと思います。
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 撮影は昭和時代ですが、この傷み具合は海に近い所であるのは確かです。いやもしかすると海辺の近に何年間か放置されて居たのでしょう。
 
 でも現役当時どういう走りをしたのでしょうかね~。新車で買うユーザーは基本こういう部品は求めない様子です。無論練習用の車で買うユーザーも。
 
 やはり車に関心が有る見栄張るクンが買った可能性が有りますね。
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 それで此れが自分の車。此れは昭和43年頃の物です。
 
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 見栄張るクンは私高村円淨もその権化でしょう(笑)
 
 中古でお爺ちゃんから貰い、いい加減なお経で御布施を巻き上げ、レストア代に回し、当時のあらゆるオプションを付けました(笑)

鉄道模型すっだいちゃ~

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 最近御来欧音さまがキハ58系のNゲージを購入されたそうですので、私なりのレイアウトは有ります。今回はもし鉄道模型を始めるならばと云う事で一番好きなキハ58系の話を書く事と致しました。
 
 58系ならばもし手に入るならば非冷房仕様(本来の車両)の58が2両、冷房改造(残存で多く見る)58系が3両で共に急行仙山と月山を想定しています。更には非冷房は昭和39年、冷房は昭和38年まで5両目(下り向き)は昭和43年のパノラミウィンドーと決めて居ます。
 
 何故踏み切れないって?我が家にはピンク怪獣が1匹(ヤバい、見られない様にしなきゃ)とカミさんが居ます。怪獣はこれからの調教によりますが、カミさんは調教が不能。そもそもマニアが嫌いで鉄道模型は嫌悪感を持ちます。
 
 昨年4月初めカミさんの叔父(父親の実の妹の夫)が63歳で急死し、遺品に鉄道模型があり、引き継ぎたいと思いましたが、血の繋がった姪が嫌がる為未亡人の叔母は四十九日までには集団ゴミ収集に出しました。他にも拘りのパソコン等もあり、これらは義弟(甥)が処分して居ります。
 義理の叔母もカミさん同様マニアックな物は嫌うのですからマニアには良い物はどれも惜しみなく処分しますし、この数年マニア禁句の
 
 「アンタが死んだら此れどうすんの!」
 
 が随所に出して居たら本当に亡くなり(義理の叔父の実母が健在なんですよ、それも3人兄弟が居てもう叔父死去で全員亡くなりました)本当に処分に困ったみたいです。それを見ているので、より私が死後の処分を不安に思うのでしょう。
 
 何処かでコッソリはじめようかナァ?いや何とか説得したい。無論カミさんも結婚して3年もするとマニア禁句の「アンタが死んだら、これどうすんの?」はずっと云って居り、「皆処分してから死んでネ。」も云います。
 
 
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 此れは保存車輛の58系。手前はキハ58-563で奥がキハ28-2329。経歴は563は昭和39年10月7日新潟鐵工所製造で落成時からずっと広島に居た個体です。
 2329は昭和39年2月10日帝國車輛製造で、初めは329番でした。昭和44年5月19日国鉄工場で冷房改造工事を受け現在の2329に変更。
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 此れは結構探しました。以前から冷房作動時のディーゼル黒煙シーンが気になって居たのです。
 特に当地に有ったキハ28-2315が何とも云えない哀愁と云うかこの曲がピッタリのエンジン音なので。
 
 特に後半の♪待ちましょう、めぐり合う日まで~ですね。此処の感じが冷房作動エンジンに合うのです。
 
 キハ28-2315は昭和38年9月10日に東急車両製造、昭和46年5月19日に冷房工事を行われました。お爺ちゃんが定年になる年の工事です。(47年3月定年)
 
 それと奥新川変電所稼働時は急行仙山はキハ58系が中心でした。あくまで455が仙山にやって来た時は変電所は閉鎖されて居ました。

白い~クラウ~ン~

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 ハイラ~イフ、セダン~!https://www.youtube.com/watch?v=3D4820Ev1rA
                                                                                                       此れを書きたくて書いたのではありません。白色が設定になかったクラウンを白に塗るオーナーが昭和40年以降みられました。元々この頃までは「赤と白は消防車、救急車の色なので一般車両には禁止色とする」と云うアホらしい法律があり、赤や白は昭和30年代の国内仕様には無かったのです。
 
 実は昨日、今日と振り替え休日で、我が家の古い写真を引っ張り出してどれかUPしようと企てましたが、「見事に惨敗!」しました。
 ブログに出すトヨペットクラウンデラックスは「本当に此の車?」なのか証明できる写真は無く、出てきた5枚のうち一番大きいのが右フロントフェンダーがチョンと出た物で、後は車の前に複数人が立って居り、私が第三者ならば「本当にクラウンなのか?」のレベルが残りでした。
 廃車証明書焼失発覚時も徹底して探しましたがあの時の記憶ではナンバーは読めない物のリヤを斜め左にした写真が有る筈でしたが、それが出て来ませんでした。昭和56年の蔵王でのオーバーヒートの写真は唯一のカラーで、此れを主に探しましたが出て来ません。
 
 ナンバーは写っていないけれども「昔の写真です」をUPしようと考えたけど残念賞でした。次に購入したカローラKE20デラックスも探すと、最多の10枚。どれも部分的でしたし、パブナナバンさんに見せたいと頑張った「カローラ山形」のステッカーが写った写真が有った記憶があり(字は読めませんが、形位は)これも有りませんでした。記憶では昭和54年鶴岡の由良海水浴場に行った時の写真の筈です。
                                               次のサニーB310は僅か3枚で、草ヒロ時代の写真は撮影しましたが写真その物をブログなんて考えなかったので処分。近所の子供たちが「お化けが出そうな車」と怯えた車が綺麗な頃の写真は妹と裏の家のお嬢さんが一緒に写った物が有りました。次のマーチ(2代目最初期)以降はゼロ!
 
 血族でも私以外で車好きは5人しか居ませんので、こんな物。皆自動車=10年使ったら捨てるが我が血族の考えです。無論新車で買うが大前提で、1500㏄までが限度としています。だからクラウン何てとんでもないのです。今も血族でクラウンクラスを買ったは居ません。(あっ!訂正、従兄(と云ってもお袋より年上の今年68歳。)の末っ子がレクサスだった!その上は皆1500㏄以下か軽自動車、従兄は軽トラだけ)
 
 さて私の車の現在登録証明書を取ると既にご案内の通り「山形5」時代の記録は無く、フレームの経歴が現在登録証明となります。それは
 
 「○5 な 8653」  昭和59年12月18日抹消登録が初めに出ます。
 
 次が譲って下さった方の情報で、1か月以内に私の情報=「山形58 ひ
2110」になります。(登録し車検を取得する事が譲渡条件でした)
 
 「な 8653」は新車時ナンバーでは有りません。恐らくその県のナンバーから推測して昭和43年登録と思われます。この方は整備工場の社長である事は判って居り、トヨグライド故障でどうにもならず廃車にして長年保管したそうです。此れは譲ってくれた方の話ですが、一番最初は石油元売り会社の社長が運転手付きで乗っていた車みたいな話でしたがはっきりしません。(因みに2代目オーナーの時黒になり、その前が武左ゑ門さまの車と同じ色でした。)
 
 血族でない所までとなると車好きは増えます。妹の嫁ぎ先で発見を紹介しますが、その前にこちらは凄い!歴代の車全部出てくる!購入時の車だけのもある!凄い凄い!更には裏庭で草ヒロになって、オッカナイ妹に捨てられた車の新車時の写真も有りました!(もう妹にもこのブログは見せられない)実は畑に引き込もうと考えたのを見抜かれて嫁いで新婚旅行から帰って程なくして解体屋を呼んで捨てました。今は其処に柿を植えて手入れはお兄ちゃんの仕事になりました。焼酎漬けは無論妹がして、食べるは妹は無論、甥と姪です。
 
  顔を出さないを条件に妹のお舅の姉とその娘の写真に興味深いのがあり、加工してもらいUPを許可して貰いました。
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 義弟から見て伯母と従姉。車は伯父が中古で購入して白に塗り直して数年乗ったそうです。1963年式でミラーから後期型の1963年式RS41。
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 此れはスタントカーショーの写真を発見。昭和46年新潟県にて。此処でも白いRS41が・・・・。こういうモデル結構見ましたよ。

ニューイャーミーティング

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 今週に入ってからブログ仲間の皆さんも順次UPする様になりました。
 
 私は平成2年(1990年)から見学で参加して来ました。当時私は16歳で、タマタマ高校の同級生のお宅でカローラKE10を部品入手の目途が立たず廃車にした話を聞き、「こりゃ旧車は部品がメーカーから出て居ない」と判断して入手するにはどうするか?を考えた結果「ニューイャーミーティングで探す」となり、この年から部品探しを始めました。
 
 当時プリンスグロリアも憧れていたので売られた部品を見ると到底高校生の小遣いでは買える代物ではなく、その時点でギブアップし片脇でクラウンRS40系用が邪魔くさそうに出て居りそれを一手に購入。この部品は平成20年(2008年)=18年後に大いに役に立ちました。此れが無いならエンジンOHは出来ませんでした。
 
 実は後輩がやっている接骨院に治療に行った時「実はあの頃1月下旬に部活を必ずサボるのはこのイベントに参加する為なんだよ」と話しました。
 
 唯ニューイャーも平成22年を最後にずっと参加していません。23年は介護福祉士の国家試験(平成2年以降、大学受験や国家試験で不参加が有りましたが、それ以外は毎年参加していました)24年以降はレストア総仕上げでカミさんに借金したのでその返済で参加が出来ず、今年は返済したので参加を考えたら、生活費困窮の為値上げ要請でより小遣いが減って再び不参加に陥りました。
 
 ニューイャーの参加は実は部品ばかりが目的ではないのです。山形県は雪が多くこのまま過ごすと気がめいるので、綺麗に晴れ渡たり、雪のない関東に行って気分転換したいが有りました。
 今回は過去に買った部品を紹介し行ったつもりになります。その為「イベント」書庫となります。
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 ステアリングとホーンリング、更にはシフトレバー等もニューイャーで新品を入手。此れは平成12年(2000年頃)かな?一気に2000年に発見したのでは有りません。あとアクセルペダルもこの前後に入手しています。
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 ワイパーブレード。此れが最後の参加となった平成22年にニューイャーで入手。私の知人が出して居ましたので格安で。イメージ 3
 此れは・・・結婚した翌年の頃かな?ワイパーアーム。
 
 旧車趣味は絶対だと云って結婚したので付き合ってくれましたが、其の後3度は付き合ってくれましたが、東京、横浜見物が中心となり、今は絶対付き合いません。旧車は益々興味が無くなるし・・・・
 
 
 
 

冬のクラウンGS130

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 今年は今の所、この程度の積雪で止まって居ます。青空が姿を現したので撮影しました。
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 廃車から9年目の冬を迎えました。
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 雪解けが進まないこちらは大雪に埋まった感じです。
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 同じ青空で撮影しましたが、何故か夕暮れみたいな映り方、今後草ヒロを風景に溶かした撮影をしたいと考えて居ます。
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 雪の重みで屋根が少し凹みました。撮影後雪を降ろして直しました。

EF71とキハ82のペアー

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 鉄道模型で一番再現したいシーンがEF71とキハ82つばさ編成です。
 
 この編成は昭和36年10月~45年頃まで見られました。10年足らずで終わった理由は勾配がきつく、福島ー米澤間の板谷峠での走行でオーバーヒートを起こして82単独での走行は出来ず、EF71の手助けが必要でした。度重なるオーバーヒートで定時運行が出来ずお爺ちゃん達は払い戻し業務、ダイヤ調整やクレーム対応でかなり苦労しました。
 
 後継機種のキハ181は気動車の中でもかなり馬力が有りましたが、それでもオーバーヒートに悩まされ、昭和50年まではEF71とのペアーが見られました。特急つばさが単独走行となったのは昭和51年以降でクハ485になってからです。
 
 お爺ちゃんはキハ82、181で苦労して定年となりました。
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 本物の写真は無く、鉄道模型での写真だけでした。
 
 昭和43年6月にEF71が落成された時の写真にお爺ちゃんが写って居り、「漸く定時運行が出来る様になり、これまでの苦労が報われた!」と思った瞬間だったと思います。
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 昭和45年以降、EF71とキハ181の写真。恐らくお爺ちゃん達は新型の181に大きな期待をしただろうけど、残念ながらオーバーヒートしました。
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 小さい写真で失礼。しばし食べに行くラーメン屋で夏季に必ず食べる味噌味冷やし中華。此の色合いがEF71とキハ82の色を何故か思わせられます。

トヨペットクラウンデラックス取扱説明書

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 やはり冬期間ゆえネタが枯渇しつつある高村円淨のブログですが、以前から枯渇の時にと用意していた取扱説明書ネタが遂に出動です。
 
 既にご案内の通り、私の車は一時抹消証明書が無くそれに付随する書類も一切ないので、手に入れた物は全て私の代になってからの物です。
 
 実は他にもラジオ、時計の説明書はありますが、クーラーの説明書は有りません。多分元は有ったのでしょうけど入手出来ません。
 
 でもこの時代の車の良さは説明書が無くともどうにかなる物です。手に入れたのはレストアが終わって3年程してからでした。
 
 今回は一番クセがあるライト、ワイパーSWをUP致します。
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 先ずは表紙です。1963年型は全て此のデザインで、それ以降はカタログ(大判)の表紙絵が使われて居るみたいです。
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 バンダイあかはこシリーズの箱絵にも使われました。
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 「永くあなたのご愛用車としてお役にたちますようお祈り申し上げます」・・・私は42年愛用しました。
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 クセのあるSW、先ずはライト。要はOFFがクセがあり、横に倒す。
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 ワイパーも同じ。実は最初期のRS40系はOFFはSWを引きました。製造期間は昭和37年9月~11月まで(車体番号は不明)その後最終型の41年9月モデルまで、クセ有るやり方でした。
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  もっとクセあるのがウィンドーウォッシャー。ワイパーSWを左に捻る。噴射については「ご注意」を熟読。
 
 入手した物は昭和38年6月末の発行なので私の車の納車時期に近い物です。

クラウンGS130で遊んで居ました

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 ニューイャーミーティング参加の皆さんお疲れ様でした。本日は山形も気持ちよく晴れ渡り東京も快晴であったと思います。又本日は社会福祉士、介護福祉士、精神保健福祉士の3福祉士の国家試験が行われました。4年前もニューイャーミーティングの時でしたので、福祉士取得予定の御来訪される方にも合わせてお疲れ様と云いたいです。
 
 イベントも試験もこのブログ更新時には終わったと思いますので、夫々に参加された方お茶でも飲みながら見て頂ければ幸いに思います。
 
 私はニューイャーに参加しなくなり5年目になります。介護福祉士国家試験以降今度は銭が無いが続き、今回は生活費値上げに伴い再びビンボーに転落し不参加で、何とか糸魚川と所沢の参加費を貯めなければなりません。
 
 そこで今日は米糠撒きを行いました。米糠については後日農作業でUP致します。
 
 
 
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 ザザ~ッ!と米糠を雪上に撒きます。畑全体で2袋半は撒きました。
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 果樹には特別籾殻燻炭も撒きました。クラウンの顔が黒くなりました(笑)
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 米糠を畑中に撒くとガラスを黄砂の如く汚します。「ないだて、樹液ばりんねぐ米糠までかがるのがよ!」
 
 定期点検、車検ステッカーも健在で、廃車から8年になりました。「あと2年したら10年10万キロさ出らんなねべちゃ!」
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 メーターは変色しました。16万キロを指して居ますが、実際はあと3~4万キロは多いと思います。そうでもないと起きそうもない不具合があったので。
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 此処に座った事は何回有っただろうか?
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 予定では今年此処にジャガイモでも。
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 さて、オマケ。
 
 以前から書いて居る元市長のお宅跡地。お隣と半分で売り出されました。もう半分が昨年末売却となり数日前から建築工事が始まりました。
 
 市長の孫とは友人でしたから良い年になってからもあちこち遊びに行きました。11年前ある日突然居なくなり驚きまして、最近まで見知らぬ老夫婦が家を定期的に管理していました。老夫婦は「頼まれて居るだけで、何処にAさんが住んで居るかは判らない」でした。
 
 畑のクラウンはこの頃は廃車なので、変貌に驚くでしょうね。その南隣も家が無くなり3軒新しく建ちましたから。
 
 

ニューイャーミーティング思い出

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 ふと、前回の記事で31ワゴンさんへの返信で2000年のニューイャーミーティングを思い出し以前から何かあれば書きたいと思い、書く事としました。今回はイベントではないですが東京観光で乗ったタクシーです。
 
 東京駅から何処へ行ったのか忘れましたが、この時乗ったタクシーが日本交通タクシーのセドリック。如何にも東京のタクシーの色で、これだけでも東京に居る、雪が無くて良いナァと思ったものでした。
 
 それなら記事にはなりませんが、運転手さんが当時60代半ば位の女性で、どうも品が良さそうなオバサンでした。眼鏡も如何にも「ざ~ます!」と云って居る感じの方で、ふとお婆ちゃんの弟の妻=大叔母にとても似ていて「まさか?この年で?」とは思いましたが、やはり声で別人と判りましたが、やや甲高い声だったので本当に元は社長夫人だった方かな?と思いました。タクシー運転手さんは結構前歴を聞かれたくない方が多いと聞くので気にはなりましたが、想像に留め置きました。当時は不景気でしたから、恐らくは零落した社長夫人であろうと想像して居ります。多分今は遠の昔に運転手は引退したでしょう。何分都内のタクシー運転手はハードで4年程度で辞める事例が多い様子ですので。
 
 お婆ちゃんの弟の奥さん=大叔母は昭和2年生まれで、社長令嬢でした。典型的な令嬢なのでお手伝いさんが居ないと生活は成り立ちませんので、到底タクシー運転手なんて出来るとは思えません。無論自動車運転は未だした経験が無いです。
 
 2000年は丁度クラウンRS41のレストアがとん挫した頃です。今思えばこの年の4月から今の職場に転職しますが、採用試験とレストアを良くぞまぁ両立した物でした。(当時就職氷河期でかなりの倍率でした・・・・。)
 この時買ったのがステアリングホイールリング、オイルポンプ、カムシャフトキヤ等だった記憶が有ります。これ等はレストアで皆使いました。
 
 
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 写真は拾い物ですが、ほぼ同型です。その後のタクシーは屋根の上のウィンカーが変更になったそうです。
 
 セドリックY31型も昨年9月を以て生産終了になり日産ではセダン型タクシーは全て生産終了です。トヨタでもコンフォート、クラウンコンフォートを共に生産終了を近く検討しているそうです。タクシーのスタイルも変わりそうです。

米糠散布、収穫

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 ブログのシステムがおかしいのか、それともパソコンを娘に叩かれておかしいのか判りませんが、普段通りの作動がしませんがどうにか此処まで復帰しました。
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12月に散布した米糠、油粕、牛糞堆肥は土の上までに溶け込みました  1月上旬に撒いた米糠は雪の層の半分より下まで溶けました。
ニューイャーの当日(1月25日)に再び米糠を散布。

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此れは掘り起こして。別の部分ですが、12月散布の肥料は確実に畑の土面に到達して居ります。

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ネギを収穫しました。どうしてもスーパーのネギみたいに白い部分が長く栽培が出来ません。何故に、あそこまで長く出来るのか?ネギは難しいですよ。

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大根。昨年職場のバザーに出したので今畑にある大根は小ぶりが多いです。でも大きさ的には此れが良い。
昨年の反省はきちんと大根葉の間引きをしないと良い大根が収穫出来ません。

クラウンGS130のOPTエアコン

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  以前チラリと私のクラウンGS130に付いて居るトランククーラーについてUP致しましたが、車内整理したのでより良く撮影が出来た事と、官公庁  オークションで同型のスーパーデラックスにもやはりトランククーラーが無かったので、ネタも無いのでUPする事にしました。

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文字が大きくならないなぁ!老眼には厳しいぞ!何時ものリヤより。


 
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 やっとこシステムが云う事聞いてくれた。突然大きくできたのです。此れは左が空気を吸気するグリルで、右が缶ジュースを冷やす冷蔵庫。
 

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  再び云う事聞かなくなった。これが本体です。燃料タンクの上にあるので、トヨペットクラウンデラックスのトランククーラーよりはグッと小さいのです。

 でも何なんだろう?文字の大きさの指定をしても生意気なこのシステムは云う事を聞きません。

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交互になるのかな?また大きく出来た。これが冷蔵庫の内部です。
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リヤシートの住人が此処からエアコン操作が出来ます。

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此方はラジオ。RS31では左のBピラーに、RS41では1964年モデルからリヤシートの裏に
SWが付いて後ろから操作が出来る様になります。

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天井が下がりました。



何だろうか、設定を替えたらややこしくなりました。慣れるまで御不便をおかけ致します。
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