Quantcast
Channel: 高村円淨のブログ
Viewing all 1734 articles
Browse latest View live

こんな車も!

$
0
0
 参加していました。
イメージ 1
 ミニのリムジンです。しか~しまぁ、良くこんな発想をしたもんだなぁ!
イメージ 2
 車内はこんな感じです。こんな車で高級ホテルに行ってドアボーイは腹抱えて笑うだろうか?
 因みにスバル360で乗り付けたら腹抱えて笑った話があります。
 因みに私、RS41で行きましたら「何処の外車でしょうか?」でした。(これには正直びっくり!)
イメージ 3
 でも乗ってみたい!
イメージ 4
 因みにこれは宮城県内の登録です。
イメージ 5
 気になる車と云う事で。
 フロントウィンドーが開くタイプは懐かしい!私が旧車好きになる初期の頃よくこんな年代のトラック等が放置してありました。
イメージ 6
 ホンダS6.8のリヤ。




Oさん!お待たせ!

$
0
0
 観音開きの恐らく純正のトランククーラー付きはこうであろう写真を発見しました!今更の感がありますが、驚く作りでしたし、予想を上回りました。
イメージ 1
イメージ 2
 クーラーグリル。これは何度も見たので、今は驚く事はないですが、やはり作りが良いですね、RS31系用は!吹き出し口はプラスチックだけど、吸気口はアルミないし鉄製です。RS41の初期はプラスチックとなりコストダウンかな?(因みに吹き出し口下の木枠は高村オリジナル)

イメージ 3
イメージ 4
 私の本体は何度も見ただろうから今回は中。
 RS31系は何ともアンバランス。上がクーラー本体で下がクーラーBOXです。缶ジュース2本しか入らず、私の物よりは少ない。多分ですが、RS30がトランクフロアーにスペアタイヤを寝かせるので、それを意識したのかな?当時はRS30でもハイヤーに使う事がザラでした。

イメージ 5
イメージ 6
 いよいよ、問題のコンプレッサ。
 参りました!ヒーターブロアの下。かなりメンテナンス性が悪いです。でもこれが全てなのかは判りませんが、もう何台か当時のクーラー付きの写真をみたいです。
 
 恐らく燃料ポンプ交換となると大騒ぎになるでしょうね、まぁ小金持ちがオーナーなのでそれは大した事ないか!



日野コンテッサ

$
0
0
 25日以降パソコンがトラブルを起こして更新が出来ませんでした。ピンク怪獣のパソコン破壊ではなくて、マイクロソフト社がとんでもないソフトを送り込んでトラブルに発展する事が多発し私のパソコンもその被害を受けたのです。

 さて今回は珍しい日野のコンテッサをUP致します。
 昭和41年2月までコンテッサは生産され、トヨタの傘下に入り乗用車生産を止めてトラック専業メーカーになりました。
 
 そんな日野が送った作品の一部を商会致します。
イメージ 1
 デルコンテッサ。実はクラウン8のエンジンを積んでおり、オーナーはそのままでは乗りにくいから普通の1300㏄用のエンジンにしているそうです。
イメージ 2
 リヤエンジンなので、カーバッチはリヤに集中的に取り付けられます。
イメージ 3
 オーナーは山形南部の旧車の大御所(78歳)です。
イメージ 4
 何となく試作品とか、カスタム制作の域を脱していない感がありますが、これがオリジナルだそうです。
イメージ 5
 山形市内在住のベテランオーナーです。
イメージ 6
 このナンバーは30年以上前です。

栗子ハイウェイ(R13栗子峠)開通50年! その1

$
0
0

 昭和41年5月29日待望の栗子ハイウェイが開通しました。それ以前は明治14年開通の栗子峠で自動車走行対応を昭和11年までには完成させたとは云う物の、とても自動車を走らせるには無謀な道で、これから始まるであろうモータリゼーションには対応できない酷道でした。平均速度17キロ、都内走行の平均速度より1キロ遅い速度しか出せない悲惨な道。

 その上当時は11月から翌年の5月まで冬季閉鎖がされ、6か月間も福島市に行き来できない、不便な道ですから当時ですら不便極まりない道だったのです。それが通年通行可能(但し余り酷いと通行止めは今もあり)になったので山形県にとっては待ちに待った道であり、当時は栗子ハイウェイと呼ばれました。

イメージ 1

こちらは栗子トンネルの東トンネル。福島市二ツ小屋地区です。そうです!ここが私の故郷であり、この写真撮影した側には二ツ小屋隧道があり、その奥こそが我が故郷大平集落。40件ほどの米澤藩士がこの地に移住し当家は明治14年の最初の移住者です。この地で10年ほど生活して現在の長井市に移住し、商売をするが失敗して一家離散となりました。移住せず残った家族も昭和7年6月までには皆福島市大瀧に移住し、昭和54年までこの地で過ごし、いまはあちこちに散らばりました

 題名は40年前の米沢ですが、撮影は昭和42年です。当時開通したばかりの栗子ハイウェイが出来てから米沢の交通事情は激変しました。
 恐ろしい数の車が市内を闊歩します。初めの映像をよく見るとRS41の丸テールがあり、ナンバーは
山形5 す 69-35ですが恐らく昭和39年4月か5月に登録された車だと思います。つまりこの時点で5ナンバー枠は6935台山形県内に昭和30年6月以降戦前型入れてあったとなります。
 それがわずか3年以内でこれだけ増えたのです。

  このクソボログ!文字が大きくなんねぇ~よ!これはその2です。

イメージ 2
 現在の栗子旧道の様子。これが比較的最近ですが、今は立ち入れない様に柵が施されました。

イメージ 3

 栗子旧道、ハイウェイを走り次は新しい9000米のトンネルを走ろうとしています。開通は来年、楽しみであります。
 恐らくですが公用車の代理を務めていた当時昭和41年の明日以降この道を経由で東京などに行って居たと思います。

栗子ハイウェイ(R13)開通50年 その2

$
0
0
 栗子東トンネルから左折して急な坂を登ると程なくして現れる遺構がこの二ツ小屋隧道。昭和9年3月竣工です。ここは明治時代も二ツ小屋隧道の名前で存在しましたが、如何せん低い隧道故自動車を走らせるには厳しいと云う事で昭和7年より大きく掘り直してこの姿になりました。
 年配の方の証言ではここが唯一トンネル内部に照明がある施設で、(20wの裸電球が数個有ったらしい)その奥の長い栗子隧道は866mもの長さにも関わらず照明がなかったそうです。
 後日のUPですが、ここも11月~5月までは冬季閉鎖なので3月にこの隧道を使った映画が撮影されました。

 この隧道もそもそも作りが悪くて、漏水が酷く現役当時でも通行車両は水浴びの悲惨な目に遭う所でした。
 今なら絶対トヨペットクラウンデラックスは走らせたくないな!更にここの漏水は飲むと忽ち下痢をする酷い水でひいお爺ちゃんも下痢をしたかな?でも次第に慣れて下痢をしなくなります。(逆にこういう悲惨な環境で育ったので104歳まで生きたのか?)
 
イメージ 1
 二ツ小屋隧道。とてもド田舎の建築物とは思えない、ヨーロッパの古城を連想させられる隧道坑門ですね。
 然し乍コンクリートが入手出来ず、質の悪い余ったコンクリートを臼で砕いて砂利等を混ぜて使ったらしく、設計よりコンクリート使用量が少ないそうで、現場監督は完成直後でも逃げ出したくなったエピソードが遺されています。
 それが天井の一部は崩落したものの、今だ通行可能ですが、危険な事は変わりありません。ここを通らないと我が故郷には行けません!

 この隧道のイメージ曲が次の

 ピアフ本人が歌った「愛の賛歌」です。1952年発表で翌年越路吹雪が日本語版(岩谷時子作詞)で発表されます。丁度昭和28年(1953年)二ツ小屋隧道は隧道壁面崩落で内側からコンクリートを巻き立てまして、栗子隧道同様大型車のすれ違いが困難になりました。
イメージ 2
 昭和38年この車は栗子旧道を走りました。大叔父が市長を乗せたり、お爺ちゃんがひいお爺ちゃんを乗せて走りました。昭和40年まで数回は走ったと思います。
 ひいお爺ちゃんが生まれた大平集落。「俺はここで明治19年生まれた」とでも煙草を吸いながらお爺ちゃんん位話したかな?
イメージ 3
 二ツ小屋隧道のシャワーを新車にも容赦なく降りかかります。更には今はない中野隧道は時々小石が崩落するとか話がありました。冗談じゃねぇ~!

 本当に栗子ハイウェイ万歳!


クラシック&ヒストリックカーミーティングIN仙台

$
0
0
 特筆する事は特にないH230系HTですが
イメージ 1
 大事に乗られたワンオーナー個体らしく程度は良い。
イメージ 5
 あの当時33ナンバーは恐ろしい税率だったので、親の援護があったか、車一筋でないと乗れる代物ではないです。
イメージ 2
 歴史を感じます。2014年3月で40歳の長男=私と同じ年ですね。更に今は孫さん。
イメージ 3
 なんじゃこりゃ?

イメージ 4
 あちゃ~!何とかしてあげたいですね。
 でもこの年式はツテがない!

栗子ハイウェイ(R13)開通50年 その3

$
0
0
 昭和40年11月まではこの様な悲惨な道路が国道でした。
イメージ 1

 延々と続く九十九折の道。小さく見える四角形の物体はし昭和37年4月より運行し開始した東北急行の東京ー山形間のバスです。

イメージ 2

多分昭和30年代後半と思われる別の部分の様子。バスは皆山形交通です。
 格差が凄かった東京五輪直前の東京。面白い歌が流れていますのでお楽しみください。

イメージ 3
 昭和38年撮影とありますが、恐らく残雪を考えると4月~5月かな?こういう状況なので昭和41年は開通する事なくそのまま廃道となりました。
イメージ 4
 新車から2年はこういう道を私の車は走りました。
イメージ 5
 当時はLLCではなく、真水だったのでオーバーヒート寸前だったでしょう。ここでは自慢のトランククーラーは使えません。
イメージ 6
 この写真は撮影時期は不明ですが、最新の時期となると昭和7年。これが初代栗子隧道です。
 馬車が走れる隧道と云う事で工事開始したのが明治11年の事です。
イメージ 7
 初代と2代が並ぶ坑門が有名な栗子隧道ですが、タマタマ西側へ曲げて掘ったのでこの様な坑門になりました。数十メートル進むと2代目と合流し、福島へ繋がります。新車当時私のクラウンもここを眺めた筈。

クラシック&ヒストリックカーミーティングイン仙台 ラスト

$
0
0
 このイベントリポも最後になりましたが、まさか6月まで続けられると思うとは思いませんでした。
 自分の車をUP致します。
イメージ 1
 結構沢山の方が見られました。
イメージ 2
 イベントでの商品やブリキのクラウンです。
イメージ 3
 リヤは新車時の関連商品です。無論皆後年買った物です。
イメージ 4
 MS41のリヤからの写真です。

イメージ 5
            参加予定イベント
  6/5:ノスタルジックカーミーティングIN寒河江
      (山形県寒河江市 JR寒河江駅前)

  9/25:オールオッズ&クラウンピクニック
      (まだ予定日程:お台場が予定会場)

  10/16:クラシックカーフェスティバルところざわ
      (恐らくこの時期:今回が20回)

   以上が参加予定です。他にも参加したいイベント
 がありますがうさちゃんやピンク怪獣が引き止める可  能性があるので難しいですね。
  お台場旧車天国は参加したいけど、困るなぁ、11月下旬なので。


栗子ハイウェイ開通(R13)50年 その4

$
0
0
 ハイウェイ工事中だった昭和39年6月「赤い殺意」が封切され、同年3月に二ツ小屋隧道にて撮影が行われました。如何に3月とは云え豪雪地帯であったとご理解できると思います。
イメージ 1
 当然冬季通行止めです。1月とか2月ではないです。本当にこれで3月なのですよ!
 数年前は映画全編の画像がありましたが、今は画質が良くない二ツ小屋隧道での映像しか残っていません。
 よ~く見るとすでに隧道の隙間から漏水して「つらら」が出来ている事が判る筈。こんな状態ですから車は汚くなります。
イメージ 2
 ここが我が故郷「大平集落」です。ここに当家は明治14年移住し10年ほど生活の後現在の長井市に移住しました。尚この集落は昭和7年6月までには廃郷となり、残された家屋は間もなく始まる2代目万世大路工事の際作業員の宿場に使われ、当時の記録ではマトモな廃屋に朽ち果てた廃屋の良い部分の材料を剥がして使い、工事終了した昭和10年までには全て取り壊し今の姿になりました。イメージ 3
 こんな風に50年以上前旧R13を走ったのでしょうね。山の中のイメージです。
イメージ 4
 今は草生してこんな感じですが、当時大平集落から、少し下の大瀧集落(昭和54年廃郷)の一部の住民は面白い遊びをしました。
 ヒッチハイクです。特に山菜取りをした時通行車両を小馬鹿にする為やったそうで、
 二ツ小屋隧道を出て少しして手を挙げて「乗せてくれ」の合図をして無視されるとそのまま道を下り車より先に住人が下の道で手を挙げ合図をしました。
 運転手は気味悪がり更に下っても同じ住民が車より先にたどり着いており根負けすると仕方なく乗せるドライバーが多かったそうです。
イメージ 5
 平均速度17キロですから、絶対的に九十九折では人の方が早いのです。都内も渋滞渋滞で歩行者の方が早かったなんて話がありますよね。
イメージ 6
 大叔父も同じ様な事を話していました。公用で走るので、気軽に他人を乗せられず恐らくは
 「Yさんよ(大叔父です)、さっきからあの人おらほの車より早く道に立っているぞ!」
 「K蔵さん(市長です)、幽霊なんだべがねぇ~、気味悪いと思っていだよ。」
 なんて会話があったらしいです。

 崖を下れば大回りする自動車より人の方が明らかに早く下に辿り着けます。
イメージ 7
 このバスも米沢営業所所属で急行があるとなると、栗子隧道を走り福島まで走ったかも知れません。
 上の写真みたいに。
イメージ 8
 昭和39年の東京ですが、格差を感じます。私のトヨペットクラウンデラックスも恐らくは違いに目を丸くしたでしょうね。

緑肥を作る

$
0
0
 今年はクラウンの後ろに人参を植える事にしました。
 手始めに春先に刈った雑草を積み上げ緑肥を作りました。ほぼ完成したので土中に漉き込みました。
イメージ 1
 まずは穴を掘ります。
イメージ 2
 4月頃から積み上げ牛糞や米糠を混ぜて来ました。
イメージ 3
 溝の中に埋めます。
イメージ 4
 土を被せて土作りは終わり。
イメージ 5
 すっきりしました。
イメージ 6
 巨峰の花も大きくなり花穂整形を行いました。
イメージ 7
 先端を4センチほど残します。さもないと実振いと云って実がなる事なく落っこちます。

トランククーラー本格始動!

$
0
0
 25度を超す気温になり、当時取り付け工賃を含めて50万円はしたトランククーラーが今年も調子よく作動します。又今年からオリジナルに準じた温度SWが付きより快適に使えます。
 やはり本格始動となるとこの曲を聴きたくなります。
 エンジン音とクーラーのモーター音に挿入しYOUTUBEに出したいですね。(まだYOUTUBEに投稿する技術はなし!)
イメージ 1
 イントロにピッタリなコンプレッサ。

イメージ 2
 スロッドルで回転を上げています。
イメージ 3
 どうやら「メンSW(当時の云い方)」が反射して表示が消えるみたいです。メンSWのノッブですが、本来はこれだけ綺麗ではなくFANのアルミ板が剥がれて紛失しており、更に喫煙で温度SWのノッブ以上汚く昭和42年式のマスターラインに綺麗なノッブが遺されていたのでそれを譲り受けました。でも何故かSWボデーは一寸磨いただけで綺麗になりました。
イメージ 4
 「あ~あ、○部天皇さま~、まんせう~・・・・!涼しゅう御座いますぅ~!」と国旗を振ると良いでしょう(爆笑)
 あのOPは天皇が在職中のOPなのです。
 天皇に関する悪口、批判を書いた全国誌は当時絶対山形県内の本屋には並ばず、全て1冊残らず買い取られました。
 何分今も山形は東京等より最低1日遅く東京支社から連絡が入れば直ぐに配下の者を派遣させて本屋から残らず全て買い取りさせ確実に本屋は儲かりました。

 ○部天皇崩御は平成3年ですがあの当時までだと、情報操作はやりやすかったと思いますが今はインターネットを始めとした情報網が凄くこの様な山形独自の独裁体制は出来ませんが、(但し中国の様な国家総動員で情報統制されると又違う)発展が他の都道府県より遅れたのもこの事が原因に挙げられます。

イメージ 5
 昨日スーパーで牛乳を買った時ここに入れて冷やしました。
 そういえば○部天皇が健在だった当時山形県内に進出を許可されていた唯一のコンビニはセーブオンだけでしたが、このセーブオンは3月を以て全店山形県内から撤退してローソンに皆切り替わりました。
 牛乳が特に安くて重宝していましたが、今は180円以上でないと購入できません。たっけぇなぁ~。
 記憶が曖昧ですがあまりローソンを好まなかったという話が遺されています。

 でもローカル感があったセーブオン私は好きでしたね。他にも全国チェーンの店の進出もかなり制限があり県政も牛耳るし、山形選出の国会議員とて逆らえないのである種トヨペットクラウンデラックスが新車、現役当時は独特の色が山形にはあったと思います。
 
 因みに昭和48年の山形県知事選はその色が濃く、対立候補は全く勝ち目がなかったです。その知事とピンク怪獣のひいお爺さんが親友とあり天皇陳情で出向くと大方通りました。(因みに市議会議長時代です)
イメージ 6
 涼しい、良いものだ。と思い家に帰ると・・・
 あぢぃ~・・・・です。まだ家は冷房付けていないので特に。(ピンク怪獣も居るので余り冷やせません)

イメージ 7
 今年も結構暑くなるとの予報。かなり活躍しそうです。

定期点検に出したけど・・・

$
0
0
 今回大変な事が発生しました。
 4年に1度のミッションオイル交換ですが、「ドレーンに工具を当てるがナメそうになり、危険な感じがするので今回は交換しませんでした。」と報告を受けました。

 オイル交換は6.8万キロの頃交換したので、概ね4万キロは持つらしいので、10万キロになったら廃車にせねばならないかな?と頭をよぎりました。

 この時期にタイミングベルト、W/P、その他諸々の交換を予定しており、交換せずにそのまま廃車と考えました。
イメージ 1
 この時点では年間4000キロ程度なので、走行距離が8.25万キロだから4年後に廃車かな?でした。
イメージ 2
 スクラップはせず有効に使えるオーナーにプレゼントしようと考えました。或いはヤフオクに出して部品取りで行こうか?でした。
イメージ 3
 然し!諦めるのは未だ早い!困った時のテクノアートさん。やはり駆け込むべきですね。
 廃車を考えたけどここでは呆気なくこの問題を解決してく下さいまして、見事に交換できました。

 農作業に通勤用の車ですから場違いな感がありますが、助かりました。
 
 この車の廃車条件は30万キロ近く走ったとか、配線がもうダメな状態とか、ボデーがどうにもならないと考えています。無論消耗品が手に入らず交換できないも廃車理由には入ります。

 *今回の原因は前回オイル交換したとき、ドレーンボルトに液体パッキンを使い締めたので、それが硬くなり、交換できないとなったのだろう。でした。
 本来はシールテープを施すそうですが、それがなかったので液体パッキンとなった事が考えられるそうです。

 



ノスタルジックミーティングIN寒河江

$
0
0
 今年は第9回のイベントです。主催者の会社が故伯母の生家と云う事、会場が近く結構濃い車が来るので参加しています。
イメージ 1
OPです。
イメージ 2
主催者挨拶。伯母の甥にあたる方です。
イメージ 3
今年のテーマはいすゞ。
イメージ 4
 510クーペ。実は今回初めて知った事ありました。
イメージ 5
通常1600になっている物と思っていたら「COUPE」でした。このデザインは昭和44年後半でしょうが、私はこの直ぐ前の1600とあるダイナミックシリーズが好きです。
 でもこのタイプの1600も良いですよ。
 最もクーペは興味の対象ではないので今頃知ったのでしょう。
イメージ 6
 あ~ら、山形にもS6があったんだ!
 S8なら山形でも度々見ますがS6は余り見ません。
 36年前当家の数軒隣の家にS5の黒があり、それに乗りました。S5=ホンダのSのイメージが強いですが、その面影が濃いS6は好意的なイメージがあります。
イメージ 7
 私には旧車のイメージがない86ですが、これも旧車の部類なんですね。
イメージ 8
 こちらは更に旧車のイメージがないです。

スバル?ほんとにいすゞ?

$
0
0
 な車がこの車です。
 いすゞでの商品名は忘れましたが、本当にいすゞなのか?がこの車です。
イメージ 1
 年式は平成4年式との事、この手の車はテンで判りませんので、誰かが解説してくれるでしょうので、その時まで。
イメージ 2
 どう見てもレオーネなんですがねぇ~。私は職場でこれを運転しましたが大変な想い出しかありません。
 無茶苦茶重いクラッチにノンパワステのFFですから「良くこんなトンデモ車を女性が運転できるなぁ!」でしたね。
イメージ 5
 オーナーは有るようで無い目立たない商用車が好きと云う方で、かなりマニアックな車種を沢山お持ちです。
イメージ 3
 悪戯で作ったのではなく、きちんと車検証はいすゞです。今回のイベントテーマいすゞと云う事で参加しております。
イメージ 4
 何とも不思議な車です。

作業記録

$
0
0
 6/4 ストロビー1000倍と木酢液1000倍果樹全てに散布する。
 特にこれからジベ処理を控え出来れば殺虫剤は使いたくないと考え、殺菌剤のみ化学薬品を使い、殺虫剤は自家製としました。

イメージ 1
 スチューベン。今年も花がたくさん咲きました。
イメージ 2
 巨峰。来年は樹木の更新を検討しています。
イメージ 3
 ナイヤガラ。隣家に伸びない様に注意しています。
イメージ 4
 8年間続けた不耕起現場は枝豆を撒きました。
イメージ 5
 一番日当たりがいい所に残りの枝豆を撒きます。
イメージ 6
 ワラビは余り太い物は出ません。


プリンススカイラインS50D-1

$
0
0
 2代目スカイラインのS50です。未再生ですがとても程度が良い個体で、近年これだけ良い物は見られません。
イメージ 1
 年式は確認できませんが、プリンス時代の個体でしょうね。
イメージ 2
S40系を彷彿させられるインパネ回り。
イメージ 3
 シート地も布地です。中々良い物を使うのもプリンスらしいですね。
イメージ 4
 丸テールが良いです。RS40系の1964年式に似ていると30数年前思いました。
イメージ 7
PRINCEこれが良い!

イメージ 5
 エンブレムの作りが良いですね。ワゴンはエステートと付きます。
イメージ 6
 どおりで・・・長野出身の個体だから程度が良いのです。

プリンススカイラインS50D-1 その2

$
0
0
 オリジナル度の高い個体で、当時のOPTも結構付いて居ます。
イメージ 1
 昨日紹介しましたが程度が良い未再生で、色も私が好きな色です。
イメージ 2
 ドアバイザーが4枚揃う事は旧車の世界では稀。多くは前だけとか運転席だけが殆どでクラウン40系の場合当時の価格で1枚500円~900円ですから、(こういう金属製は高い)当時の物価からすると相当高額で中々取り付け出来ません。
イメージ 3
 流石に新車時からではないでしょうけど、オリジナルのプリンスオーナークラブのバッチ。
イメージ 4
 当時の王道フォグランプ。オリジナルですがいくら何でもこれは新車時ではないでしょう。でも凄い!
イメージ 5
 標準ではあるがラジオ。すぐ下のCはチョーク。この時代でもまだこのクラスは手動チョークです。
 中央の穴は恐らくライターでしょう。中々オリジナルが出ないのかな?
 私の車は壊れていましたが、本体は非喫煙車の部品取りから、内部部品は汎用品の新品を使いました。
イメージ 6
 ヒーター。下のこの方式の方が使いやすそう。
イメージ 7
 時計。右下にはオートアンテナSWが・・・・。凄い!このクラスでは当時ありませんでした。何分クラウンRS40でもこれはなく、RS41と46Gのみの設定です。
イメージ 8
 プリンスのエンブレム。良いですね!

ダットサンブルーバードP312DX

$
0
0
 今年も寒河江ではちぇ~っと有名なブルーバードP312が参加しました。ボンネットは開けては貰えませんでしたが、多分関山旧道にあるP312に近い時期に生産された個体であろうと思います。
イメージ 1
 相変わらずピカピカです。これだけ程度良い個体は先ず無いです。当然ですがナンバーは昭和38年当時山形県内には5ナンバー枠に該当する車は戦前からの個体を入れても、まだ3998台しかなかったのです。
 何度も書いていますが、戦前のナンバーのまま生き残っても昭和33年までには全て回収され山形5のすの枠に入れられました。当然ですが戦前のダットサン号も戦前のナンバーは一度強制抹消です。

 居るんですよねぇ~戦前車オーナーの中に「このナンバーは戦前から付いて居る。」とウソこくオヤヂが・・・。
 いっちょ、云ってやりましょ~よ。「じゃぁ、警察に通報します!」と・・・・何て反応するやら(爆笑)

イメージ 2
 遂に発見しました。笑点の6代目司会者で旧車マニアの春風亭昇太さんの愛車の写真を!
 裏を取る為に色々なサイトで確認しましたが、1962年式であるのが正しいです。丁度縦目セドリックの時代のブルーバードです。=62年式セドリックが私は一番カッコいいと思いますし、もし山形5ナンバー付きのカスタムがあったら、それこそRS41と交換をお願いしたい位好きです。
 他にもウィッキではパブリカ(次回UPします)とキャロル600がある話ですが、発見したサイトでは昭和40年~41年の360DXが濃厚です。(軽自動車の車検ステッカー付き)
 
 但しまだガセとは判断できません。もしかすると軽自動車に車検が無い時代改造で600㏄エンジンに換装した個体の可能性が捨てきれません。
 若い頃の話ですが600㏄に換装した1964年式を見た記憶があります。

 キャロル600が激減した理由は車検制度にあり、360と361㏄以上では物凄い税金格差があり、車検制度が無い事を理由に下取り等で入った600を買い漁り、エンジンだけ買い取って残りはスクラップと云う事例が実に多かったのです。同様の事はマツダのK360やホンダのT360でも似た様な事があり、いずれも600㏄が犠牲になりました。又私は確認していませんが、ホンダのTにS5やS6のエンジンに載せ換えた猛者が居るそうです。
 尚車検制度は昭和46年から始まりました。

 昇太さんの個体には品5ナンバーが付き恐らくは、文字の大きさから昭和37年6月~9月に登録(10月もかな)した品5 せ ????かな。その行にはこの時代行って居ません。

 昭和36年9月~37年5月末まではハイフンが無いナンバーですからもっと大きな品5になるのです。
イメージ 3
 関山の1963年式。色が似ていますね。
イメージ 4
 ステアリング。実に良い作りです。P311から210系みたいなステアリングになります。
イメージ 5
 1963年式はオレンジが下ですが、昇太さんの1962年式は上になります。そこが判別ポイントです。
イメージ 6
 やっぱり良いナァ!我が家の車も残って居ればねぇ。
イメージ 7
 それと鍵が赤いライオンマーク入りです。
 ウィンドウォッシャーは後年付けたのでしょう。今どきの物ですが、あればあったで便利でしょう。
 初代オーナーの住居地は春先は雪解け水で悲惨ですから。

訂正事項

$
0
0
 先程のブログに春風亭昇太さんの愛車にキャロル600はない、もしかしたら360㏄ボデーに600㏄エンジンを載せ換えた個体かもとしましたが、間違いなくキャロル600を所有している写真を発見しました。
イメージ 1
 これが当初キャロル600は所有しているかはっきりしないと根拠にした写真です。
 よ~く再度読み直すと「キャロル 未来の愛車」とあったので恐らくはどなたからか借りた物ではなかろうか?と考えています。
イメージ 2
 動かぬ証拠。間違いなくあのオーナーさんの車です。
推測ですが、先程の写真はこれを入手するべく昭和40年式の360を選んだのでしょう。多分水面下では相当頑張ったかな?
 
 年式は昭和40年式ですので、600の最終型です。私は現物を目の前で見た事はありませんが、解体屋巡りをしていた頃は既に360ですら殆どなく、恐らくはアルミエンジン目的でトコトン解体され尽くしたかな?

 因みに昇太さん、お城マニアである事は非常に有名ですが、旧車マニアである事は最近知りました。
 また日常生活用品でも1960年代の製品が沢山あるとか?私も幾らか残していますが、カミさんがほぼ全てを納戸にしまい込んで、総引退させました。

 考えは私と同じ元気な時代の物を使い続けたいだそうです。私はそれプラス、1960年代半ばまでの工業製品は飽きが来ないので、ついつい長く使います。
 でもカミさんはトコトン使い込んで、その時代の新製品を使い続けたいと云いますね。60年代は不便と云います。

 おっとっと!キャロルとパブリカの間を注目!鉄道型の電灯があります。これ私すごく好き!職場から程度良い払い下げを頂くとうさちゃん、お袋、当時健在だったお婆ちゃんに「そんな汚い物を家に付けるな!」とカンカンに怒られ、集団収集ごみの袋に入れられました。(悲)
 

本日の農作業

$
0
0
 巨峰に一斉ジベ処理実施する。次回は6/20か21で張れる事を願いたい。
 
 柿の荒皮を剥ぐ。
 
 枝豆そろそろ寒冷紗を外せそう。
Viewing all 1734 articles
Browse latest View live


<script src="https://jsc.adskeeper.com/r/s/rssing.com.1596347.js" async> </script>