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Channel: 高村円淨のブログ
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お久しぶりです

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 6/11以降更新が途絶えましたが、訳があります。
 国立のホテルに今日のお昼まで宿泊していました。

 いゃ~、シャバの空気はうまい!知人も一緒に宿泊していましたが、彼より短期でチェックアウトしました。

 宿泊理由は米のジュースをガビ飲みしてではありませんが、・・・・

 んな訳ないっす!

 やってくれますね、今日も地元では阿呆な中学教諭(53歳)と北海道でも阿呆な巡査2人(共に20歳)が飲酒で逮捕されました。こいつらはアル中に違いない。

 で、本当の中断理由はパソコンをウィンドーズ10に知らずに更新し、私のパソコンは7なので対応できず6/10の21時過ぎにフリーズ!してそれっきりになり修理に出していたのです。

 結局パソコンを真っ新にしなければならなくなり、かなり変更になり相当苦労して写真UPしました。マダマダ慣れていませんのでどこかでお休みが発生するかもしれませんが、なるべく更新する方針は変わりありません。
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 夜景です。
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 そのうちもっといい写真を予定しています。
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 義理の叔母が昨年3月まで務めていた県立山形中央病院です。いい雰囲気ですね。
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 叔母ちゃんは、今臨時のパートタイムで働き始めました。叔父とその母親が相次いで亡くなり農作業をしなければならず、フルタイムの臨時(或いは高齢者雇用)は出来ませんので。



作業記録

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 6/19 ジベ処理2回目。同時に葡萄園全体に米糠を   撒く。 自宅前の畑の野菜にのみスミTIオン1000倍
     散布。

 6/18 胡瓜、プリンスメロンに麻縄を巻いて吊栽培を
     本格化する。

 6/17 全作物に米糠プラスオカラを撒く。その上に
     米糠を軽く撒いて、鶏糞を施肥。
 

ダットサンブルーバードP312

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 山形5ナンバーのP312のオプションはこのカーテン以外特に見当たりませんが、良くぞこの状態を維持したものだと感心します。
 車内の様子をUP致します。
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 この時代ブルーバードやコロナクラス以上では結構カーテン取り付けが目立ちましたが、昭和39年を境に減り始めて代わりに青ラメが流行ります。
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 これなら汎用品みたいならラジオなので、廃車後外して次の車に転用するのも理解出来ますね。
 結構多かったですよ、ラジオ転用は。
 上の時計は動いていませんでした。
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 エンブレム。綺麗です。
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 内装はもう極上レベル。
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 今の時代これだけ程度良い個体はありません。まさにバブル期からそのまま走らない個体であったのも納得ですが、この時代もこれだけ程度良い個体は少なかったですね。
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 程度良い個体同士で。
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 来年も参加して欲しいですね。

いしゃ先生志田周子映画撮影地

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 6/5のノスタルジックカーミーティングイン寒河江の帰りに親父の実家である西川町大井沢へ行きまして、「いしゃ先生」のロケ地に行きました。
 映画は今年の1月に上映され私は山形県のみ先行上映されたので昨年11月に見に行きました。

 ここにお集まりのみなさんもご覧になられた方もいらっしゃると思いますが、陸の孤島西村山郡大井沢村に女医志田周子が赴任して偏見の中開業した大井沢診療所。昭和37年に亡くなるまで独身で村の(昭和29年より西川町)医療に携わった実話の作品です。
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 閉鎖から50年以上でしたので長年志田家の物置となっており、私も大井沢診療所の存在を知った30年前では、もう建物は存在しないと思って居ました。
 でも現存とはあの豪雪地帯で残っていた事に感動します。
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 この看板は映画化以降の物です。
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 どれだけの方が見たのか気になります。
 実は志田家とは当家も親戚に当たりお婆ちゃん(親父の実母)の分家で映画に出る周子さんの弟さんが伯父の同級生みたいです。伯父にも映画の事知らせて、「そうだったよなぁ~。」と話していました。
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 順調になった戦後でせめて餓鬼大将のシーンがあるかな~?と期待したがありませんでしたが、当時村の餓鬼大将だった元山形大学教授の伯父(76)にも知らせました。むろん親父の実家の伯父(83)にも。
 伯父で出るとしたら長兄の88歳になる伯父の時代かな?
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 どうしてもシャツターが気になるなぁ。
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 時間の都合で大井沢の奥には行けませんでしたが、映画に出る陸の孤島時代(昭和20年以前)はここから数キロ歩いて山越えをして更にかなりの距離を歩き現在の大江町左沢へ行って国鉄左沢線や外科治療、入院の対応をしていました。
 現在は大井沢と大江町を結ぶ長いトンネルがありますが、最近までそれがなく大変な時代が長く続きました。尚5年前に亡くなった伯母(享年87)はこの峠を越えた大江町の外れのM家の本家に昭和21年に嫁ぎました。(現在は引っ越しして別の場所にいます)

 映画にもありますが、外科治療などとなると真冬はそりに患者を乗せて数人で松明を灯して連れて行く必要があり自動車の有難さが感じます。
 なお大井沢地区では少なくとも東京五輪のころまでは自家車がなかったと思います。(ですから映画で私の車のシーンの想定は問題になるのです)
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 親父の実家跡地。実家は平成10年に火災で焼失しましたが、実家があった時代はこの車は1度位しかここには来ていない筈です(或いは伯父が運転すれば別)
 上の写真は実家前から大江町に行く方面の峠を撮影しました。
 大井沢にバスが通ったのは戦後で何度も書いてきましたが、食糧難の時代コメを確保する為に山形駅から直通バスがあり漸く陸の孤島が解消しました。
 

オールオッズ&クラウンピクニックリユニオン正式決定!

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  さて今年のオールオッズ&クラウンピクニックリユニオンですが9月25日に正式決定されました。
 場所はお台場で東京都江東区青海2-1-3です。

 オールオッズ今年のフィーチャーカーはフェアレディ(フェアレデー)SP、SR、S30、S130です。

 クラウンは初代~60系までとなっています。

 ブログお持ちの方にはゲストブックに順次ご案内入れますが、お持ちでない方はここから発信いたします。

 初めて参加の方はムーンアイズさんにご連絡してくだされば案内状が頂けると思います。

 参加費はクラウンが6000円、それ以外は8000円で締め切りは9/6ですが、それ以降ですと車種関係なく12000円となりますのでお早めにお願いいたします。

 私も今飼育しなければならないピンク怪獣が居ますのでまだ正式開催の連絡がない「ところざわ」とこのイベントだけですから皆さんとお会いできるイベントが限られます。横浜レンガ倉庫のイベントも出たいけど・・・・。
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 多数のブログの皆さんにお会いする事を楽しみにしています。

実はクラウンDXは入院中

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 既にUPしましたが6/5の寒河江のイベントの後、大井沢に行き、「いしゃ先生志田周子」のロケ地を見に行きましたがこの時「オーバードライブがON.OFFを繰り返す」症状が出てマトモに作動しない症状が出ました。
 
 この時実験的に大井沢まで景品で貰った、ペットボトル入りのお茶を冷蔵庫に入れて大井沢まで走って見てどの位冷えるものかやってみたのです。丁度急こう配が激しくなる西川町本道寺付近からこの様な症状が出始めました。

 ただ今年になってチョイ乗りをするとどうもバッテリーの調子が悪くなりつつある気がしました。(2016年3月18日の記事参照)初めはそもそもチョイ乗りは負担かけるので仕方がないのかな?と思っていましたが、よ~く考えると

 15年間オルタネーターは全く手を付けていなかった!のです。(セルモーターOHとかデスビ周りの部品交換、プラグコード丸ごと交換は既にやっていました)
 
 所が困った事に数日してから走らせると何事も無かったかの様にフツーに走りそれが暫く続き「オーバードライブリレーの接点不良か?」と思い込んでいましたが、再びこの症状が出てやはり何かある!となりテクノアートさんへ。

 電圧試験を行うとアイドリンク状態では正常だが、走行状態だとかなり電圧が低くなりオルタネーターの不良と診断され、いよいよ禁断の(笑)世界に踏み入れるとなりました。
 オルタネーターはそもそも15年前にアンペア数を上げる改造をしておりオリジナルのブラシは使えませんでした。そこでこちらはM社長にOHを依頼する事となりました。(子供の頃電圧不足を何となく感じており、改造できると判り依頼しました)

 昨日オルタネーターの状況説明があり、ブラシはほぼ完全に減っており、恐らくこのまま走れば東京へ行ったら向こうでオルタネーターが逝ってしまう可能性が十二分にあるレベルの減り方だそうです。
 15年9万キロですから、それだけでも何時逝くかは判らないレベルです。

 M社長の話では「そのレベルなら先ずオーバードライブが不調になるのも無理はない」との事で、逆にオーバードライブが不調を知らせたので、限界前に気付きました。もしこれが無いならば恐らく東京で「お不動様」になって初めて気付いたと思います。
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 寒河江のイベントのワンシーン。この時点ではまさか・・・でした。
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 同じ写真午後の部。オネーチャン方は正直「こんなポンコツ興味ない!」でしょうね。他にミスさくらんぼのオネーチャンも2人いましたが、全車に回っての撮影はなかったです。同じくこちらのオネーチャン方はよりポンコツには興味ありません。(興味あると本気なら怖いな!)
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 実験に使ったペットボトルのお茶。
 恐ろしい程冷えており、それこそ出発時はぬるま湯レベルだったが30分ほどで完全に冷えていました。
 これじゃ~電気喰うわなぁ~!オルタネーターの負担も相当でしょう。

 昭和53年の夏休みに由良海水浴場に行った時キンキンに冷えたファンタグレープジュースの味を思い出します。54年以降はクーラーなしのカローラKE20なので冷たいジュースはお預け!となります。

本日の農作業

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 6/22:葡萄園の作物全てにスミチオン乳剤1000倍
      除草一部実施、米糠を全体に散布
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 元不耕起現場の除草を行いまして、

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 畝に積んで抜いた草に米糠を振り掛けます。
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 もってのほか菊も綺麗にしまして、米糠を振り掛けます。
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 蕨、20本は収穫しました。5本からの根っこでここまで育ちました。
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 藁縄を積んで土に還り次第に蕨の勢力が伸ばしつつあります。そもそもそれが目的で積んだのです。
 ここには葡萄の剪定枝も積み上げましたし、雑草も積んでいます。
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 スチューベン、根元に豆腐カラと米糠を混ぜた物と鶏糞を散布しました。他の葡萄や作物にも施肥しています

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 以前職場から貰った担架の柱の一部を切って別の作物の支柱に使ったがその後使う事なく月日が経ったが、タマタマ1本の柱ではダメな所が出て役に立ちました。
 シャインマスカットの棚に使っています。

 *明日、明後日と出張なので明日の分は更新できないので今回の分が明日の分です。





フェンダーミラー(純正)左落札!

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 ヤフオクでR/MS40系のフェンダーミラー新品を落札しました。かなり安い価格でしたが理由があります。
 *出品者が本当に40系用か判らなかった。
 *ボルトや取り付けステーが欠品。
 *写真見た所では新品か疑った。
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 出品者は私の知り合いです。少なからず新品未使用品か?となると彼の性格上嘘はないから間違いなく新品である事は確信していました。
 ボルトとステーがないは私も見落としありましたが、何も今まで使っていた物を移植すれば何も問題はない。
 寧ろ新品が格安で買えたのがうれしいです。
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 それと出品者は左右どちらか判らない様子でしたが、画像から左と判断。試に右用と比較、間違いなく落札品は左でした。
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 落札品はゴムシートが右の様な物。多分ですが、こちらは後年生産の純正品であろうと見ています。
 因みに左側の写真は中古純正品です。
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 ストックミラー全部出しまして、チェックすると今回の落札品で3台分純正が揃いました。
 上が左で下が右ですが、右側は写真から見て左の札付き以外皆訳有です。札付の隣はホルトや取り付けシャフトが紛失した訳有新品で当時1000円で購入。その隣が程度良い中古これは??3000円?

 左は20年以上前のイベントで購入ですが、部品庫を漁っても他に出てこないので社外品はどうやら欲しい人に売却したみたいです。記憶の中でも結構社外と説明して大分売却した記憶あります。
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 ここ1~2年で主治医から頂いた3RS41-27213以前のミラー左です。
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 短いですね。
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 取り付け部を合わせるとピッタンコでした。間違いなくRS40系の1963年式用ですね。


巨峰生育状況 その1

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 順調に生育中の巨峰です。昨年まではクラウンが有る側のこちらの方が2度目のジベ処理までは早い生育で、その後収穫までとなるとこちらが遅くなる特性がありましたが、今年はほぼ同じペースで生育しています。

 昨年の反省は特にこちら側は多く栽培しすぎて色が入らなくなるトラブルがあったのでは?と考え袋掛け直前まである程度実は残すが、60個まで良い物を選んでそこから外れた物はすべて廃棄する事でどう変わるか?
 
 万が一それでも色が入らず、来年も同じやり方で色が入らないならばこちら側の樹に関しては残念ですが伐採の方向になります。
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 2度目のジベ処理から2日程です。
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 状態が良く、大きい物だけを残し全部で60個に達した時点で袋に入れない物を残し残りは「切り捨て御免!」
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 クラウンがない側の棚では今年大規模な枝の更新を行い実の付きが悪い古い枝を大きく切りますがこちらも観察して古い枝は切り落としの時期かも知れません。
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 廃車から10年となりこの風景もかなり馴染んで来ました。
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 燃料タンクは完全空焚きしたので、残油はないと思います。
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 さて今の時期山形をはじめサクランボ栽培の園地で草ヒロ撮影はしなでください。確実に泥棒に間違えられます。特に6月から7月半ばまで撮影は禁止です。
 それとサクランボ狩りのついでにと撮影に行かれる事も慎みましょう。
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 来月に入ったらいよいよ棚に網掛けです。

 *話は変わって6/23.24と出張で岩手に行って来ました。同じ種別の東北地区の社会福祉施設職員が集まる研修大会です。

 実は昨年幼稚園時代の担任の先生ではなかったが、美人で不良園児だった私に大変良くして下さった先生が仙台市内にある施設の副施設長である事が判りました。同僚がその旨を昨年この施設に視察に行った時話してくれて「実は15年前に転勤になった時あの時の園児だった方だ。」と気付いていたそうでした。

 昭和55年3月に卒園以来36年ぶりのご対面でしたが、当時と殆ど変らずそれにはビックリしました。
 実は先生独身との事で幼稚園児だった当時率直に思っていた「結婚をしたいな!」と思った女性である事は云えませんでした。
 で、なぜ先生が覚えていたかって?と思ったら、実は私の苗字はあまりない苗字で昭和53年入園児の中ではかわいい男児だからだったそうです。(これは同僚も云っていました)

 実は当時の写真見ると確かにそうでしたし、東京に一時いた時はテレビにも出ていた事があった私ですが、今はまさに「草ヒロ」と化し当時は長い髪でしたが、今は禿げたらバーコードヘアーができるレベルを保つ為の長さにしています。(尚カミさんはバーコードヘアーが特に大嫌いで私が熟睡中女性となるだろうピンク怪獣と一緒に頭を剃り上げたいそうです)
 そんな状態ですのが先生も「当時の面影はある」とおっしゃって下さいました。

 宴会では「いつでも夢を」2次会では「銀座の恋の物語」などをカラオケでは歌いましたが、心と頭の中身は36年以上前になり、まさにエロオヤヂと化しており、部下からも「高村さんデレデレしていますよ!」でした。やはりただの名ばかり、形ばかりのボーズ!お布施集めしか能がないですね。

 このブログの中にも結構不良園児時代の話はありますが、全うな人生を歩めたのもこの先生のおかげもあるのです。当時の将来の夢
 「トラック野郎になる」でした。但しトラックはトラックでもボンネットトラックが好きで日産U580系、トヨタFA系、三菱T50系や初代ジュピターを引っ張るトラッカーになりたかったですね。むろん運搬は解体車です。

 その後は自動車解体工、ホイールローダーオペレーター、自動車学校の指導員と変わり、小学校高学年から高校時代までは警察官になり、警察官だったひいお爺ちゃんより医療か福祉の道がお前には向いているといわれ警察は断念しその後はそれに向かって25年以上、そして就職から18年になります。

 

 


  

自宅前の畑

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 撮影は3日ほど前です。大分成長しましたし、この時期は定期的に追肥や米糠散布をしています。
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 胡瓜の吊り栽培です。
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 こちらはプリンスメロン。吊り栽培しています。
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 枝豆。草を綺麗に取り干ばつ時は注意。
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 トマトも大きくなりました。
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 実が育ちました。
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茄子。草を生やして適度に競争させます。
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 調子に乗って完全除草した玉葱の栽培した後。ここにはキャベツを8月に定植予定で早生を植える予定です。
 
 本日の農作業
 *全作物(枝豆除く)に昆布ぼかし、化学肥料、卵カラぼかしの順で施肥実施。

サニー1000軍団 その1

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 元は主治医の愛車だったサニー達ですが次のオーナーの手元で元気に過ごしています。
 今回は2台参加しており、暫くUPして行きます。
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 昭和43年式DX。こんな色があったとは驚きで内装はボデー色には似合わない赤がオリジナルです。
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 フォグランプ付き。純正と思われます。
 更に元は30年以上同じオーナーの手元にありました。とても大切に扱われ極上ボデー&内装です。
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 リヤより。このワンテールがとても良い。
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 ややや?鈴木オート?これって・・・・。オールウェイズが噛んでるかな?
 テールレンズは新車当時のままです。
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 シートカバーはセンスが良いか悪いかは判断はお任せですが、何とも云えないデザインでこの時代流行った気がします。
 実は先程赤色内装と書いたのには理由があり、そもそも主治医は父親が生前乗っていた赤色内装の中期型の赤を探していました。
 所があれだけ作られた筈のサニーですが前期型と中期型は数年がかりで探しても色関係なく探しても見つかりませんでした。
 そこでやっと見つけた白いフロアーシフト改造の43年式を見つけそれを外せる部品は皆外して赤色に塗り直し20年近くかけて理想の父親が乗った仕様にレストアしてゆきました。
 然し赤い内装はそもそも色禿げしやすく残っていませんでしたが遂に赤色内装のこの個体を発見。
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 赤色設定当然赤とこのグレーだけです。残存状況は限られ長い年月を掛けて探す事となりました。
 入れ替え後しばらく乗るが内装交換状態でも買いたいと云う方が現れ売却となりました。
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 ラジオ。当然鳴ります。
 とても未再生とは思えない程度が良い車です。

サニー1000軍団 その2

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 これも数年前主治医が手に入れた程度良い後期型の個体で而も後付乍クーラー付気の個体です。
 後で気付きましたが赤い内装ですが、これを移植しなかったのは多分中期型とは作りが違うので見送ったのでしょう。
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 後期型はかなりの数の個体が残っています。シングルナンバー付で残る個体も多いのが特徴です。程度良い個体を探すにも後期型がお勧めですね。
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 流石!主治医です。バンパーポールミラーバイザーがぬかりなく付いています。でも私はどうもこれが好きになれない。(但し唯一これが似合う車は50系クラウンとH230系セドグロと思うのでこれは付けたい!)
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 デラックスの個体です。
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 ステアリングはスポーツタイプも彼の拘りです。
 あれ?これもフロアーだ!意外と当時コラムからフロアーに改造した個体が多かったのだろうか?
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 特にここが拘り。私がこういう物に興味を持ったのは大分年を喰ってから、以前は貴重な物も結構あったと思うがデザインの奥深さが感じられます。
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 羽ワイパー、私もここが好き。
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 新車当時の東芝。子供の頃から此処は拘りでした。解体屋でもお客の相手をして覚えました。
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 点火時期調整は私の処女作。裏は無地なのが私が東北関東地区にバラ撒きました。忘れた頃これを目にして懐かしく思います。
 *まだこれが残っています。欲しい方ゲストブックにロック掛けてお知らせください。

クラウン修理状況

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 オーバードライブ不調の一端から生じた長帳場の修理ですが、実はエライ事が新たに見つかりました。

 クーラーコンプレッサの一番上から見える回転軸(かな)がガタ付きが見られ急遽部品取りでストックしたコンプレッサ(昭和39年6月製)を持参しその部分を移植。
 結果今までの回転軸と比べ遥かに程度が良く、ややもすれば前オーナーがロクに使わず廃車にしたか或いは修理してから程なくして廃車になったかのレベルだそうです。恐らくバネが私の車の物はかなり使って伸びたのかな?でした。

 因みに私の車は確か昭和38年5月製造だった筈で、昭和43年まではかなり使いました。尚クーラーコンプレッサのブラケットはオリジナルは溶鉱炉に放り投げたので今は自作品になりました。

 ショックアブソーバーは未だ結果は出ていませんが後ろと同様コニのタイプに交換予定。紆余曲折が予測されます。

 さてオルタネーターが今回の一番の原因ですが難航している様子です。M社長貴方が頼りです。宜しくお願い致します。

 それと社長!読んでいたらお願い致します。実は中古を1つ手に入れました。これを同じ仕様で改造お願い致します。実は昭和40年式をパーツ取りでもっていましたが、1963年式には使えないそうです。ですから探していましたら今回ゲット出来ました。

 最後に気になる記事
 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160628-00000062-jij-bus_all・・・・出光が昭和シエルとの合併を拒否。
 つまり創業家が株を多く持ちその発言権が強いのでノーとなれば合併が困難になります。

 いや~、よかった。あの石油余り使いたくなかった。品質低下したらどうしようか???と思って居ました。

 

サニー1000軍団 その3

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 サニーのオプションについてUP致します。
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 まずは今回参加したサニー1000たちです。
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 中期型の昭和43年式はドアバイザーがありません。(付けていません)
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 昭和44年後期型は当時スタンダードなフロントのみ。
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 若き旧車マニアの愛車は4枚ドアにつきます。
 意外や4枚ドア全てに付くは中々ありません。結構このバイザーは高価でクラウンクラスだと当時このタイプなら900円!サニークラスでも多分700円はする筈。当時の物価から考えても高価なのです。
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 当時流行の青ラメ

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 このモデルは主治医が付けたかな?何でも各車の大きさに合わせて切って取り付けるケースもありました。


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 流石ですね、この車も付いています。

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 70年代風かな?





部品手に入れました その1

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 何時破損するか判らないウィンドーウォッシャーですが、しっかりした台座の中古品を手に入れました。
 モーターについては別に作動する必要はなく、作動させる時は今使っているミツバのモーターを使えば特に問題ないです。
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 23年前解体屋で手に入れたそれは全体が風化寸前でした。それと比べるとずっと良いです。
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 一番重要な事としてここの部分が折れていないか?
 30年以上前交換したこれは、見事に折れていて作動しませんでしたし、数年前手に入れたマスターラインに付いていたこれも、全体の見た目の程度は抜群であったが、スクリュー全体が酷い状態で、ボンド修理の痕跡が著しく結局は2年程で全くダメになりました。
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 ホースは使いません。現行の黒いホースになります。
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 蓋の部分。ここは仕方ないのかな?解体屋で手に入れたそれは、もうバラバラでした。そのあと手に入れたマスターラインから外した物も数か所が割れていたのです。他にこれまで見てきた個体も殆どが使い物になりませんでした。これは状態が良い方です。
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 モーターを入れ替えた時でもボンド補修でしょうね。
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 ウォッシャーの蓋。これも悪くはない方。

 RS41,46Gの弱点の代表がウィンドーウォッシャーAssyですね。


部品入手しました その2

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 前回はウィンドーウォッシャーですが、今回は走るのに必要な部品で他の部品の流用が困難な物を入手しました。
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 一番はこれ。オーバードライブリレー。
 金が貯まったら半田をやり直しして確実に作動できる状態にしたいです。
 この部品は昭和39年7月で別のリレーに変わります。
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 30022だと時々出ますが、30020は中々出てきません。実は「バラ売りします」となった時真っ先に手に入れようと考えました。
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 オルタネーター。今から改造OHするのでラップから出していません。こちらは3本端子でこれも中々出てきません。5本端子はこちらも時々出ます。
 因みに今回の最大のトラブルがオルタネーターの故障なのです。
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 不安なのでボルテージレギュレターも。私の車のオリジナル部品は故障していたらしく、余り機能していないらしいので、師匠がストックしていた新品を頂き、今に至りますがスペアーとなる部品は確保したいので今回入手したオルタネーターと一緒の価格で入手しました。
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 裏はこうなっています。私には何のこっちゃ?

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 ヒーターラジエター。パンク予防で手に入れました。部品取りから外した物を失くされてスペアーを探していましたが価格が高かったり、ボロボロだったりで今回やや安かったので購入となりました。

ビートルズ来日50年

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 何だか今年○○発売とか開始とかの50年が多い年に感じます。昭和41年は東京五輪後の不景気から立ち上がり、それ以前よりより景気が良かった年のように思えます。そこで以前から気になっていましたが、ビートルズ来日時の写真でキャデラックが気になっていましたがナンバーが写るものがあったので紹介いたします。
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 何気な~く私が大好きな1959年式キャデラックであった事は知っていましたが実はこの車本来は年式は忘れましたが、もっと新しいキャデラックが送迎車だったのですが、故障して手配できずに急遽生命保険会社所有のこの車に白羽の矢があてられたのです。

 0562は何となく知っていましたが、あれだけ厳戒態勢で臨んだのでせめて「た」かと思ったら「す」でした。(笑)でもピンクの個体は「た」は御法度でしょうね。黒でないとなりません。
 
 *ここにお集まりの皆さんは意味判りますよね?
 
 ナンバーは昭和37年2月~5月までの物ですが、これは正当な手続きで購入しています。
 昭和40年10月までは「本国で2年以上使用した車両」のみが当時輸入許可車両でした。=昭和34年頃のナンバーが下がっていると「どういうルートで??」となりますし、裏金の臭いがします。

 因みに我が家のスポンサーも昭和38年頃=トヨペットクラウンデラックスを買ってくれた頃は59キャデラックより地味な1960年か61年キャデラックを購入し、その時クラウンと同じトランククーラーを取り付けました。

 
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 警視庁の警察官を大量動員して警護に当たりました。
 笑ってしまったのが、日本武道館で行う時館主が大変反対し(理事長にお願いしてどうにか公演実現しました)時のTBS番組「時事放談」では細川隆元氏らが「乞食」発言しお蔭でTBSは来日公演の放映権を失いました。
 それと細川氏らと当時の少女らが対談しそれがYOUTUBEにありますが、今音声が出ない加工をしてあり紹介は見送りましたがあのやり取りは面白かった。

 因みにこの少女らも今は当時の細川氏と同じ65歳~68歳となりましたが、今どうしているでしょうかね?
 子供は恐らく30代~40代でピンク怪獣位~反抗期真っ盛りの年齢の孫がいるかも知れません。
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 気になった事が私の車と同様トランククーラーがあるかどうか?
 因みに昭和40年10月以前はたとえ本国の中古でもクーラー、エアコン付き中古は輸入禁止でした。
 ですから親戚でも幾ら金があってもアメリカ製の純正品は購入できず格好悪いけど仕方なく東京トヨペットでRS41用を取り付けるより他ありませんでした。
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 何枚かリヤからの写真を見ましたが、ビートルズが乗ったキャデラックはクーラーがない感じでした。
 意地でもその会社は日本製クーラーは付けなかったのでしょうか?当時石原裕次郎氏もあれだけの金持ちでもクーラーは付けなかったそうです。

 ですから我が家の車は市で一番早いクーラー付だったし、お向かいの市長も夏場は借りに来るのです。
 家の「ばんちゃ」も怪訝な顔で「夏場こげな寒ぐなして、風邪ひくべなや!」なのです。

ひっぱり屋さんとか

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 パブナナバンさん辺りならもしかしたら
 「あっ!あの人の!」となるのではないか?と思われる個体を発見しました。こちらのマニアでは余り見られない凝った個体なので多分元はコアなマニアが乗って居た物が新潟に流れたと思うのです。
 
 一寸したトリビアですが意外や新潟県は東北地方と同一視されがちなのです。所が当の新潟県民は「東北と一緒に見られるのは嫌!」との事。
 
 旧車分析ではそれを裏付けるかの如く、関東系マニアに似た個体が随分見られます。
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 さてこの個体。ここまでは「結構関東系マニアの個体みたいな車」と見ていました。
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前後に1つずつのフォグ。昔ごく稀に走り屋みたいな人にいましたが余りカッコいいとは思いませんでした。
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 まずこのステッカー。以前ひっぱり屋さんに頂いたあれと全く同じです。
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 それにこのステッカーが引っ掛かりました。ど~うも新車時からとは思えないのですよ。これをどこかから苦労の末探し当てて貼り付けた感じなんですね。
 それとこれってトヨタ店扱いなのか???
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 青ラメ。この時代は全盛期ですね。それと「ゆっくり走ろう」は高速有鉛でも有名なステッカーですね。
 まぁ埼玉方面から中古で流れて神奈川トヨタで取扱いされてと解釈できなくはないですが、
 「ゆっくり走ろう」シリーズは私が2~3歳頃ですからねぇ~、・・・・
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 真面目なOPTドアバイザー。パブリカは余り無い様に思うのです。これも苦労して探したのでは?
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 バンパーポール。私は昭和40年代の旧車にはこれがとても似合うと思うのです。でも30年代車には似合わないが持論です。
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 さて春風亭翔太師匠の愛車です。見るからに程度がよさそうな個体ですね。
 年式は昭和42年式で初期のUP20型です。今紹介した個体は43年以降ですが本来は「排出ガス対策済」ステッカーなんですよね、でもまれにこの法則通りでない個体もあります。

ウィンドーウォッシャーの加工 その1

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 と書くと大袈裟過ぎる題名ですが、私にはピッタリでした。昨日雨降りでRS41も入院中でピンク怪獣もオネムしており、絶好のチャンスです。
 加工で一番神経使った所があるのでこういう題名です。作業については申し訳ありません、失敗を覚悟だったので写真に収めていませんし、不足な内容ですが文章にてご想像ください。
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 この形にするが最大の目標です。=購入当時からモーターの作動は考えていなかった、あくまで一番下の差し込み口が折れていない事、そこを重視して購入したのです。
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 ここにはオリジナルの白いホースが刺さっていますが、これが曲者で古くなり硬化して外れにくく冬場やつたら間違いなく「ペキッ!」でしょう。
 「着火マン」でサッと炙って緩くして抜き取るが一番の早道です。これが今回一番大変な作業でした。
 恐らく失敗だろうと思ったもので。
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 予想に反し成功しました。(笑)
 後でUP致しますがマスターラインから外した個体、30年以上前廃車のRT46Ⅴ?から外した個体何れも折れていました。他にもこれまで見た個体は結構折れていたり、スクリューがバラバラな個体が実に多いのです。

 それとホースの差し込み口がカーブしており、これじゃ~折れたらもう修復不能ですね。余程腕のいいプラリペアーでなければ治せません。
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 結構多いのが蓋にヒビが入っている事。今使っている昭和37年製造のRS41のスクリューもここがバラバラでどうにもならない状態でした。
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 モーターを外してバラっ!となると思ったが、ならなかったので完全に折れるまでリペアはしない事としました。多分ですが現役当時タンク清掃等して強く締めて「ペキッ!」となったのでしょう。

ウィンドーウォッシャーの加工 その2

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 スクリューについては昨日のその1でご紹介いたしましたが、タンクについてはこのままでは保管はしたくないのでハイター漬けにして清掃しました。

 なおスクリューはハイター漬けにすると内部にハイター液をそのまま溜め込んだままになりかねないので良く水洗いするにとどまりました。
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 右が今使っているウォッシャーの前に付けていた30年以上前に解体屋から入手したと思われるRT46V(かな)から外したウォッシャータンクで左が今回入手した物。
 右のタンクの蓋は程度が唯一良くなかった1963年式マスターラインから外したスクリュー。蓋は然程でもなかったがスクリューは酷い物でした。
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 程度は似たり寄ったり。廃車時期も今回の個体は出品写真の車から判断して昭和52年頃に思われます。解体屋にあったコロナも似た時期に廃車になっており、解体屋入庫は記憶が正しいなら昭和58年なので暫く野晒放置になった個体に思われます。
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 ハイター漬けした後ですが汚れは完全に取りきれません。でも40年は放置し溜った土埃は綺麗になりました。
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 さて、マスターラインから外した物ですが蓋はそう悪くなかったがスクリューが話にならず、程度悪いスクリューを外そうとしたが、うまくいかなかったので、これは今使っているウォッシャーがトラブル起こした時の蓋として使う事にしました。

 で、タンクをそのまま残したのには理由があり、実は当初畑にあるGS130のウォッシャーモーターを外してこのタンクに穴を開けてモーターを取り付け今使っている物が壊れた時の予備にと考えていたのです。
 然し武左ゑ門さんよりとても良い修理をして頂き、オリジナルモーターが駄目になっても悩む事はないとなり、このやり方はお蔵入りとなり、タンクが余る事となりました。と同時にモーターも不要となり、丁度モーターが故障したと当ブログに時々いらっしゃる方から聞いたので、似た構造のGS130用モーターをプレゼント。
 特徴だけでこんな物だろうと思い、無茶ぶりな再利用オーダーをしましたが地元もローカル番組で酒の肴を作ってくれとアナウンサーが持ち込む材料で制限時間内で作ってもらうと云う無茶な課題を課すが似ていると思ったので一寸貼り付け
 16時55分放送で18時まではYBCを見て日曜日の夕方を実感する番組です。(18時以降はピンク怪獣がマンが見たいとなれば漫画です。)
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 まずは元のタンクに蓋を含めて丁度合う感じなので収めました。
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 この状態で一端はストック。果たして将来これらのスペアパーツを使うだろうか??

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