順調に生育中の巨峰です。昨年まではクラウンが有る側のこちらの方が2度目のジベ処理までは早い生育で、その後収穫までとなるとこちらが遅くなる特性がありましたが、今年はほぼ同じペースで生育しています。
昨年の反省は特にこちら側は多く栽培しすぎて色が入らなくなるトラブルがあったのでは?と考え袋掛け直前まである程度実は残すが、60個まで良い物を選んでそこから外れた物はすべて廃棄する事でどう変わるか?
万が一それでも色が入らず、来年も同じやり方で色が入らないならばこちら側の樹に関しては残念ですが伐採の方向になります。
2度目のジベ処理から2日程です。
状態が良く、大きい物だけを残し全部で60個に達した時点で袋に入れない物を残し残りは「切り捨て御免!」
クラウンがない側の棚では今年大規模な枝の更新を行い実の付きが悪い古い枝を大きく切りますがこちらも観察して古い枝は切り落としの時期かも知れません。
廃車から10年となりこの風景もかなり馴染んで来ました。
燃料タンクは完全空焚きしたので、残油はないと思います。
さて今の時期山形をはじめサクランボ栽培の園地で草ヒロ撮影はしなでください。確実に泥棒に間違えられます。特に6月から7月半ばまで撮影は禁止です。
それとサクランボ狩りのついでにと撮影に行かれる事も慎みましょう。
来月に入ったらいよいよ棚に網掛けです。
*話は変わって6/23.24と出張で岩手に行って来ました。同じ種別の東北地区の社会福祉施設職員が集まる研修大会です。
実は昨年幼稚園時代の担任の先生ではなかったが、美人で不良園児だった私に大変良くして下さった先生が仙台市内にある施設の副施設長である事が判りました。同僚がその旨を昨年この施設に視察に行った時話してくれて「実は15年前に転勤になった時あの時の園児だった方だ。」と気付いていたそうでした。
昭和55年3月に卒園以来36年ぶりのご対面でしたが、当時と殆ど変らずそれにはビックリしました。
実は先生独身との事で幼稚園児だった当時率直に思っていた「結婚をしたいな!」と思った女性である事は云えませんでした。
で、なぜ先生が覚えていたかって?と思ったら、実は私の苗字はあまりない苗字で昭和53年入園児の中ではかわいい男児だからだったそうです。(これは同僚も云っていました)
実は当時の写真見ると確かにそうでしたし、東京に一時いた時はテレビにも出ていた事があった私ですが、今はまさに「草ヒロ」と化し当時は長い髪でしたが、今は禿げたらバーコードヘアーができるレベルを保つ為の長さにしています。(尚カミさんはバーコードヘアーが特に大嫌いで私が熟睡中女性となるだろうピンク怪獣と一緒に頭を剃り上げたいそうです)
そんな状態ですのが先生も「当時の面影はある」とおっしゃって下さいました。
宴会では「いつでも夢を」2次会では「銀座の恋の物語」などをカラオケでは歌いましたが、心と頭の中身は36年以上前になり、まさにエロオヤヂと化しており、部下からも「高村さんデレデレしていますよ!」でした。やはりただの名ばかり、形ばかりのボーズ!お布施集めしか能がないですね。
このブログの中にも結構不良園児時代の話はありますが、全うな人生を歩めたのもこの先生のおかげもあるのです。当時の将来の夢
「トラック野郎になる」でした。但しトラックはトラックでもボンネットトラックが好きで日産U580系、トヨタFA系、三菱T50系や初代ジュピターを引っ張るトラッカーになりたかったですね。むろん運搬は解体車です。
その後は自動車解体工、ホイールローダーオペレーター、自動車学校の指導員と変わり、小学校高学年から高校時代までは警察官になり、警察官だったひいお爺ちゃんより医療か福祉の道がお前には向いているといわれ警察は断念しその後はそれに向かって25年以上、そして就職から18年になります。