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Channel: 高村円淨のブログ
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永年会員20年

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 3年前よりJAFの永年会員に年数に応じたステッカーを発行し配布する様になりました。
 私は残念ながら本当は20年ではありませんが、カミさんが該当しており、配布受けるが、その類の物が嫌いなので貰いました。
 VNY30も21年なので、車の年数に近いので2つ返事で貰いました。
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 昭和の色が濃い平成年式の車ですのでどうにもならなくなるまで乗りたいです。
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 多くはリヤウィンドーの下側の左端が多いでしょうけど、私はあえて・・・・
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 クラウン60年のステッカーにも目を向けて欲しいのでこちらに貼りました。又こちらの方が痛む率が低いと考えました。
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 如何にも元クラウン乗りですみたいな作りです。


Y30

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 私の足車「グロリアライトバンも展示したいですよ!」とイベント担当者にお願いしましたが、
 「いや~、高村さんのトヨペットクラウンデラックスが目当てのお客さんも結構いましてねぇ~・・・・。」と云われるとやはりVNY30はまだ展示できません。
 まして農作業に通勤の足ですしね。
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 長きに渡り生産されたWY30やVNY30ですからセダンが製造廃止から10年以上になっても新車が買えました。この2台も結構古かったです。
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 インパネ周りは誰かの車に似ていますね(笑)
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 シートは私の車に移植できます。でもこれって中々ないのですよねぇ~。
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リヤシートはこんな感じです。
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私はこの年代ともなると詳しはないですが、このタイプが前期型では??私の車にも流用できそうです。(アッ!バンパーもですね)
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 リヤバンパーもオリジナルの形に似ています。

バブル期も

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 いよいよ旧車の仲間入りなんですね。このクラスを普通のサラリーマンでも買えるクラスになりました。
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 Y30の3ナンバークラスです。車内の広さは5ナンバーモデルと同じで、バンパーとエンジンで3ナンバーでした。
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 革シートはOPTですが、私の目から見ると、「判ってねぇ~なぁ~」です。
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 後期型とは思いますが、「いつかはクラウン」の7代目。時折その遥か前のモデルとか大分後の車までこのコピーを使う方もいますが、正しくはこのモデルです。
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 私は5ナンバーのロイヤルワゴンに乗って居た時期があります。
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このCピラーが7代目のお気に入りです。

退院しました

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6月半ばより入院していたトヨペットクラウンデラックスですが本日退院したのでご報告いたします。
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 今回の一番の原因のオルタネータです。そもそも「オーバードライブが入らない、ON.OFFがチカチカして安定しない」が入院理由です。所がオーバードライブ機構がおかしいのではなくて、原因はオルタネータの寿命だったのです。15年間何もしていなかったので何時ダメになってもおかしくない状態だったのです。(もうすぐ大往生する所でした)
 退院してからはオーバードライブはきちんと作動するしラジオが非常に安定しています。オートチューナーも確実に作動し雑音が僅かになり、放送が入らないと云う事が激減しました。

 もしこのままったら恐らく9/25のオールオッズで「オルタネータがパンクして立ち往生」が題名になったでしょう。いや運が良ければ関山で立ち往生でJAFのお世話になった事でしょう。
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 クーラーコンプレッサの回転部分ですが、上の写真は部品取りからの移植で下が元々の部品です。
 ベルトを掛ける所が明らかにすり減り1/2の厚さまで減りました。
 原因は回転部品内部のバネの衰損、ベアリングの寿命で異常な動きをして周りに当たって摩耗したみたいです。このままでは不味いので今回入れ替えたのです。
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 タマタマ今回オーバードライブ不調のがてら発見されました。
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 ついでに良く「エバポレーターが凍る」ので原因を見てもらうと温度SWの操作にコツが要る様です。
 SWのシステムは異常がありませんでした。
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 現状ではクーラーの中央付近にセンサーを取り付けていますが、本来はここでは十分ではない。
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 写真の黒い部分の付け根に付くと本来の機能ではあるが、ここまでセンサーを引っ張れなかったので上の写真の位置となりました。
 その為幾らか温度感知がズレてしまい、エバポレーターが短時間で凍るのです。

 ですから先程の温度SWを一番最低にセットして使い、どうしても我慢できない暑さならば適度な位置に短時間セットして再び一番最低にセットすると凍る事はありません。

 工場では暫く最低でも冷房を付けるとリヤガラスの内側が曇ったそうで、高い設定だと凍り付くだけです。
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 ETCを取り付けました。昨年オールオッズ参加で東北道川口ICで一般料金場がかなり左側になり、気付くのが遅れ危うく事故を起こしそうになり首都高合流も一般料金ではやや危険で、格好悪いとか云っている暇がないし、近い将来有人料金所は廃止になる予定なので止むを得ません。
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 カードは数年前作りましたが、当初はポータブル式を考えていたが、これは違法と主治医の指摘を受けて長らくETCは付けない方針でした。

生育状況

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 写真は古いですが順調に作物は育っています。
 今生育不良は大玉トマトですが、撮影時は順調でした。実の殆どが腐っています。
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 巨峰とナイヤガラ。巨峰は7/8に消毒しました。来週中には網掛け、袋かけ予定です。
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 トウモロコシも大きく育っています。
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 夏野菜は原則葡萄園には植えず秋野菜を空いた所に植える予定です。
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 玉葱を植えた場所に米糠を撒いて次はピオーネを定植する予定なので米糠で土を消毒します。
 同様にシャインマスカットを定植する場所にも同じこ事をします。
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 刈り取った草は雑草の上に積んで米糠を撒いて腐らせ肥料にします。
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 朝顔に悩まされた場所ですが、昨年の除草剤効果で大分勢力が弱まり枝豆を撒ける状態になりました。

C130、スバル360

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 初期のオールドタイマーを見た事あるなら、まずは懐かしいと思う個体です。
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 今年20数年ぶりにオールドタイマーが訪れて取材しました。ガレージは変わっていましたが、中身のローレルは当時のままでした。
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 平成5年頃のナンバーも健在です。当時私は部品さがしを暇あるごとやっていた時期です。
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 色々な有名イベントに参加しては表彰されていました。因みにオーナーの叔父(多分)と同じ病室に入院し旧車の話で盛り上がりました。
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 山形北部の町の旧車クラブの車。
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 眩しい色のスバル。
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 これも私がバラ撒いたステッカーが此処でも。
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 5.00-10の商用タイヤ。やはり扁平率が高いのでフェンダーに当たりそうです。

巨峰袋掛け

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 キツイ仕事の一つ袋掛けの季節です。
 今年は出張だ、何だで本日7/12になってしまいました。通常はもっと早いのですが、雨もあったので7/8に予防の為ストロビー1000倍を散布しました。
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 中々良い出来です。昨年よりは大きいですね。こちらは生育が遅いクラウンが無い棚ですが、今年はほぼ同じ生育です。
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 昨年「欲張り栽培」で失敗したので出来のいい房だけ袋掛けして先ずは60房で止める方針で袋掛けしました。
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 一番ハードなクラウンの屋根の上。ここは何故か出来が良い物が集中しました。
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 一番良い房が欲しいこちらは余り期待できません。
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 クラウンが無い側。こちらは袋の中サイズが多かった。でも質は申し分ないです。
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 おまけの棚ですがこちらも質は良い。
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 今回どちらも60房で止める予定でしたが、結局共に68房袋掛けして終わりました。
 イマイチの房は全て切り落とし中には良い物も結構ありましたが袋を掛けにくい房だったりしたので捨てました。恐らく全てに掛けたらクラウンが有る側は90房、無い側は80房だったかな?勿体ないので生ごみコンポストに入れました。

 *もし今年、来年とクラウンが有る側の樹に着色不良があったら次は伐採し新しい樹を植えます。

私立探偵濱マイクの車が売り出し!

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 平成14年(2002年)4月より半年程22時から23時まで放映されたドラマに1963年式RS41が使われました。

 この車が採用されたいきさつ等を書きたくUP致しました。
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 トヨタがスポンサーと云う事でトヨタの車を使う事は初めから決まって居ました。主役の長瀬さんは
 「赤色で丸いテールの車を使いたい!」と希望があり、同時に「オートマチック車両限定!」と云う希望の中探しましたが中々出なくそんな年の平成13年の初めオールドタイマー個人売買欄に長瀬さん希望の車が108万円で売り出されすぐに飛びつきました。

 実はこの車の事は私は1995年から知っていましたが、購入希望対象ではなかったですね。あの当時私の愛車が書類なしである事が発覚し再発行は幾ら家族の車とは云え絶望的に不可能でしたのでひとまずは程度のいいオリジナルの個体を探していましたので。

 長瀬さんは旧車マニアですから、オールドタイマーなどの旧車雑誌も熱心に読んでいるそうです。
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 参考資料、その1。この車は濱マイクのドラマ放映以前からこの色でした。元々は静岡県にあり、私と年が同じSさんが乗って居ましたが、乗りこなせなくなり手放して今は北海道に流れました。
 参考資料、その2。YOUTUBEに昭和38年日本初カラーCMにトヨタはパブリカ、コロナ、クラウンの3本を制作しました。
 RS41Cは2種類ありますが、そのうちの1つが今回売り出したRS41Cと同じ時期に製造された車が出ていますのでよ~く見ていただけると「な~るほど」になります。車検ステッカーをよ~く見ると緑の7月である事が判る筈です=昭和38年7月登録とわかり、同時に濱マイクに出たこの個体も昭和38年6月8日~14日の間に製造されただろうから、初年度登録は38年7月となる筈。同期の桜である事が判る筈です。
 
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 当然の事ですが、あの色は純正色ではありません。純生色はボンネットルーム内の「キャッスルグレーメタリックで、㎝に出ているコロシアムベージュメタリックとは違う色です。(コロシアムは武左ゑ門さんの愛車参照)
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 内装は純正のタイプで、これは私の車より非常に状態が良いです(平成7年までのオーナーが張替えたそうな)ここは羨ましい、と云うか今思えばこの車が平成10年売り出しならば、これをベースにフレーム移植して内装の移植したな。因みに私の書類なしボデーはこの車のほぼ2000番前の番号で、時期的にも不自然ではないな。
 他に注目ポイントはダッシュクーラー。これは平成7年までのオーナーが取り付けたらしいです。
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 ここがこの車の売りです。
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 リヤの内装も良いな!
 それから鍍金ですが、東京の○田ポリッシュアーティストさんで行いましたので、折り紙つきです。あの頃は○田さんも脂が載った時期でしたね。
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 参考資料、その3。これは濱マイク放映以降のワインですが、色は濱マイク登場車両と同じ色です。
 内装はオリジナルでは無い物の非常に真面目な内装でした。元色はドロミッティグレーメタリック。これの内装とインペリアルマルーンメタリックは同じ内装です。この色だと内装は違和感がないですね。

 さ~て、今オークションに出ているあの1963年式RS41Cは誰の手に落ちるでしょうか????

クラウンRS41

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 当初は7月の初めには終わる予定のイベントリポですが、パソコン故障でこの時期になりました。
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 これは思い切り失敗して駐車したのではありません。こういう置き方の指示でした。
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 この時点ではまさかオルタネータが大往生寸前だとは思いませんでしたね。
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 おもちゃの展示。
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 カタログ等。県外イベントも今後展示方針です。
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 モデルさんと、午前の写真。昨年と比べて余り撮影するカメラ小僧が居なかった気がします。
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 午後の部。午前よりは少し多かったかな?
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 やはり駅前の展示場が見学者が多かったと思います
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うさちゃん号とVNY30の

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 走行距離の差が遂に「10000キロ!」

 になりました。ピンク怪獣が生まれてからクラウンRS41にせよ、VNY30は家族で乗る事がなくなり、走行距離が伸びないのです。
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 購入からおよそ10年。畑にあるクラウンGS130は7年半で13万キロに対しVNY30は5.4万キロ程度です。
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 こちらは新車で購入から今現在8年10か月でこの距離です。9月車検なのでもしかしたらその時10万キロになるかどうかではないだろうか?と見ています。

1年車検が制定された理由が

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 ここ3~4年で実感しました。
 やはり1年車検がもしなかったら私の車は遠っくの昔にスクラップになった事はまず間違いないと思います。

 レストア終了から14年。この3~4年でレストア当時新品だった機能部品の大半が寿命を迎え、昨年辺りからは大きな機能部品が相次いで寿命を迎え巨額な出費を余儀なくされました。

 今回はノーマークだったオルタネータで大変な目に遭いましたが、結果的には大満足しました。オルタネータは10年でまずはOHしないと駄目です。
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時計。ここ数年は1日2~3分遅れでしたが今は1分遅れるかどうかのレベルです。
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 ラジオ。オートチューナーが劇的に良くなり、ラジオも確実な作動をします。同時にオーバードライブが不安定で修理に出しましたが、結果的にはオルタネータが駄目なので不安定になった事が判りました。
 つまりオーバードライブ不調がなかったら気付かなかった事でしょう。
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 トランククーラーは余り変化はありませんでしたが、パインサイダーを常温で購入し(税込51円)トランククーラーで冷やします。
 30分でキンキンに冷えて美味しい!
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 むろん本業はここ。ここが冷えないならば故障ですね。そうそう、以前UPしましたが、所ジョージさんのスカイラインスポーツ(工場長の話)にトランククーラーを取り付けたら冷蔵庫が使えなかったとありますが、工場長が云う様にクーラー自体も機能していないかも???
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 5月にLLCを交換したばかり(むろん総交換です)でアタックLX投入ですから水温安定です。
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 SWも調子よい。温度SWは結構重要な役割があり、コンプレッサに指令を出します。以前有ったゴツイSWは全然そんな役割をしていたとは思えませんでした。
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 関山旧道の鬱蒼さが無くなりました。あれが良かったのだが・・・・



 *私の車でいろいろUPしましたが、あの当時(1年車検があった頃)10年超の車で定期点検にきちんと出すユーザーは少なかったと思います。概ね10年で相当な部品が寿命を迎え=10年で車は買い替えの図式が出来るのも仕方ないと私は今回思いました。

 例えば「セルモーターが壊れましたよ」とかキャブがとかなり初めは直すが、今度は油圧関係が、オルタネーターがとなれば「もう治すのがバカらしい!」となるのは無理もありません。
 1年に1度国で形だけでも見てくれれば否応なしに整備に出しますが2年ともなればその途中で確実に駄目になります。

 私が思うにある意味1年車検は親切な制度だったと思います。
 昭和38年当時国産では最高レベルのクラウンでも10年寿命が常識でした。

網掛け

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 何故か毎回巨峰は烏に喰われます。その為栽培当初から網掛けをして烏よけ糸を張って対応してきました。
 然し、この網掛けは一筋縄ではいかず、成長著しい青枝を切って(余り青枝伸ばすと実に栄養が行き渡らない)網が掛かる様にして調整します。

 簡単な作業みたいですがこれだけで丸1日の大変な作業で終わってからは何もしたくなくなります。
 草刈はやる気力はありません。ですから今畑は草だらけです。
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 網をここだけでも5種類使いました。
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 枝を切って鬱蒼とした棚が明るくなりましたが、余り切り過ぎると着色不良につながるので要観察です。
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 クラウンが無い棚は4種類の網を使います。
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 クラウンが有る所よりは幾らか楽ですが、大変さは然程変わりませんでした。
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 スチューベンの青枝も含まれますが、かなりの量の枝を積みました。やはり高い金出して撒いた肥料を使った枝ですからその辺に捨てる訳には行きません。

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 余力を振り絞り化学肥料(少量)、骨粉入り油粕、豚糞の順に撒いて施肥しました。

 *作業中は撮影は無理なので全て終わって、尚且つ昨日は何もしたくないので本日の撮影です。


自宅前の畑

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 雨が上がった15時以降草取りと手入れを行いました。
 茄子の部分にはふんだんに雑草を敷き詰めて、トウモロコシと枝豆は現状のまま、トマト、プリンスメロン、胡瓜を手入れしました。
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 大玉トマト。カゴメの野菜苗ですが今年は振るいません、実が付いても腐ったり、この様な病気が見られ切り落として次にUPする新芽を育ててみる事としました。
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 どうなるか判りませんが、なるべく病気部分を切り取り新芽から収穫してみましょうか?
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 中玉トマトは順調です。
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 プリンスメロン。今年から始めた吊栽培はかなりいい効果があります。昨年はここまで育つ前に病気になり栽培を今頃断念しました。
 で、下の藁には意味があります。
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 メロンの病気除けとして植えた葱(白長葱)ですが生育が良くないので移植して日が当たるこちらへ。
 前回失敗した石灰を撒くはぬかりなく行い、カキ殻石灰を使用しました。
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 胡瓜とメロン共通ですが、病気になった葉っぱや不要な枝はこの様に通路へ捨てます。
 真面目な農家はたまげるでしょう。でもここは米糠パワー菌が病気をやっつけますし、作物も皆が良い菌ばかりでは弱くなります。
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 吊栽培最近の様子です。


コスモスポーツ

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 スポーツカー系は全く興味ない私ですが、相当前から知っていた有名な個体です。
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 年式は多分…昭和45年かな?注目点は
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 ナンバーなんですよ、興味ない個体だけどこれだけは・・・また別
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 宮城県は昭和45年10月から宮55になります。山形よりは進むのが早かったですが、「ら」行まで行ったかはまだ未確認です。
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 オーナーさんの話では先代が新車購入した車で、一旦は自然ナンバーでしたが、途中「・・・1」が取れそうとの事で頑張って取ったそうです。

 実は・・・・シングルナンバー時代は比較的二桁ナンバー時代よりは楽に希望ナンバーは取れたらしく、手書き書類だから融通が利けたそうです。
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 宮55時代含めて宮5時代の封緘は赤色でした。ヒストリック&クラシックカーミーティング仙台では赤色が禿げた個体が2台でしたが、そんなに簡単に禿げるのかな?
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 おまけ、こんな車も参加していました。

ハコスカ

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 旧車イベントでまず見ない事はないであろうハコスカです。これも興味が無いので余り記事にはしませんが・・・
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 1500DXとかライトバン(1800含め)は別格。こちらは好きです。
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 年式は昭和46年式。後期型です。以前も紹介していますが、当時一番売れたクリームで私はこちらが好き。
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 毛叩きを置いている所が良い!因みにオーナーさんは若い方です。
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 通常はスルー物件んですが、
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 ナンバーに注目したのでUPしました。
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 「山形55 そ 60-14」となると、我が家の車はそのあとの「65-71」なので昭和47年5月~6月頃の登録でしょう。
 44年前の登録ですから注目しました。更に封緘も当時のままですからよりポイントが高い。
 恐らく中古登録でしょうね。
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 おまけ、これだけハコスカの参加がありました。


クラウンHT

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 クラウン初のHTモデルは3代目より始まりました。久々に同じ市内に住むマニアが参加しました。
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 3代目でも後期モデルです。
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 リヤのアンダーモールが紛失し方々探していますが見つかりません。
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 全体的に程度はよさそうなだけに残念です。
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 HT販売の最盛期がこの8代目ではないでしょうか。
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 おまけ、当時物ハイライト。


マツダT1500

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 T2000なら時々見ますが珍しい1500です。
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 オーナーさんはかなりのご高齢者みたいでした。
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 福島県のナンバー事情は分かりませんが、新車時からなのかなぁ??
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 年式は1963年式ですが、ガラスは62年式用です。
 更に注目ポイントは「LP」=合わせガラスです。マツダの凄い所はどの車も合わせガラス対応です。
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 エンブレム。
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 だるまヒーターが凄い。
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 ウィンカーです。

発見!旧道時代の栗子隧道の映像

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 以前から見たいと思って居た栗子国道の記録映画ですが遂に発見しました。今回はパソコンから「これは!」と云う画像を写真にしてUPしました。当時の過酷な運転を記録する映像があり、東北急行バスの車内から撮影した貴重な路面状況も出ています。
 http://www.thr.mlit.go.jp/yamagata/を探せば見る事が出来ます。
 
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 当時旧道はこの様に呼ばれて居たと思います。現道は栗子ハイウェイとされています。尚バックの画像は現道で、栗子東西どちらかのトンネルで、数年前までつり天井方式だった頃の画像です。
 なお国道の中では最も古いつり天井トンネルで、全長はどちらも2キロを超す当時国内でも3番目以内に入る長大トンネルでした。
 排ガスで劣化してつり天井が落下した笹子トンネルより11年も古く昭和41年はどの車も排ガスは完全大気放出でより劣化が酷かったのではなかろうか?と私は見ています。むろん当時昭和43年までは度々走ったので我が家のトヨペットクラウンデラックスも激しくガスを排出したでしょう。
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 画像は綺麗ではないが、旧道現役当時の初代栗子隧道(栗子山隧道)の遺構。廃道から80年となった今は入り口は大分小さくなったが、昭和40年以前ははっきりと判る状態であった事を記録しています。

 ペンで示した所が工事記念碑で、現道完成後はここから移動されましたが、当時は廃坑門前にありました。
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 ペンで示した物の写真です。(借り物)
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 当時は内部に入って外を撮影する事が出来ました。今は非常に危険ですので、絶対に入らないでください。
 我が家の車も当時はこの旧坑門を見て走った事でしょう。然し関山隧道とは違い内部は悲惨でした。それこそマトモには走れません。
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 何度もやりましたがこれが一番マトモに写ったた縦目セドリックのライトバン。年式は絶対に1962年式ではないと確信しています。恐らくCCIさんの愛車と同じ1961年式で、タイヤはOPTのホワイトウォールでした。
 次に初代ハイゼットが出てきます。詳しくはHPをご確認ください。
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 トヨタFA90とダットサン320トラック。ヘアピンカーブの山形県側です。
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 当時1日平均200台程度の交通量でした。ですから東京五輪当時も時間帯によっては殆ど車に出くわさない時間帯もありましたが、栗子ハイウェイ完成から1年でその10倍以上の1日平均3000台に跳ね上がります。
 旧道は道幅狭くこういう事が度々発生します。当然ですがここでクーラーを掛けると大変な事になり、それこそ公用車の代替でやれば市でエンジンOHは全額負担でしょう。
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 当時のままの部品は外観部品ではフロントグリルとガラス位かな?当時の状況をどう映し出していただろうか?そういう事を映画を見て想像するも楽しいです。
 

自宅前の畑等

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 の作業を行いました。来週から雨との事で果樹全てと胡瓜、プリンスメロンに殺菌剤を散布し、ついでに枝豆を一番初めに撒いた所の収穫と先月まで玉葱を植えた跡地に早生キャベツを定植するべく簡単な施肥と苦土石灰撒きを行いました。
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 果樹の消毒前に胡瓜、プリンスメロンに殺菌剤を散布します。
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 枝豆が美味しそうになり、一部収穫しました。枝豆の枝は畑にそのまま放置して肥料にします。
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 美味しそうです。中々収穫時期を見極めるのが難しいです。
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 玉葱の跡地を綺麗にしてキャベツの準備に入ります。苦土石灰と骨粉入り油粕を軽く施肥しました。これまでの肥料もあるので余り撒いても良くないと思いました。
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 草が酷いので草刈しました。

米沢~栗子隧道まで

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 一般道や秋田ー米沢間の当時のR13(山形県内では現在の県道22号線)でも決して道は良いとは云えない路線でしたが、輪をかけて悪いのが万世大路でした。
 以前も紹介していますが昨日UPした国土交通省提供の映画を見れば判る通り想像を絶する危険な道で、首都高より危険である事が判りました。
 平均速度は19キロですので都内を走行するよりは僅か1キロ速く走れるレベルです。
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 ここまで来るとて大変な道のりです。
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 地図のグレーの部分が現在の米沢砕石(株)さん付近です。この辺りからよりきつい道になります。しかしここで音を上げたら福島(或いは東京)へは行けません。当然ですが平坦な道ではなく高い山の上に栗子隧道がありますので、よりハードです。

 福島県以降は別の地図になりますがこれもキツイ道なのです。栗子ー二ツ小屋間はあまり激しいカーブは有ませんが二ツ小屋隧道以降はその近辺でヒッチハイクして乗せて貰えずとも、下へ下れば車以上早く着くので無視したドライバーは大いに驚きます。
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 大型トラックに注目
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 真ん中を走るには理由があります。

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これです、これ。写真は二ツ小屋隧道ですが、栗子隧道はより多くトンネル壁が崩落して内側からコンクリートを巻き立て狭くなり大型車同士のすれ違いが困難になったのです。当時大型車を運転した人の話では新人ドライバーには危険で運転させる事は出来ないそうで、先輩ドライバーの運転となりました。
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 厚い壁の巻き立ての部分では大型車が迫ると徐行で走らざるを得ません。隧道内部は866Mもあるにも拘わらず照明は1つたりとなく、ヘッドライトが唯一の明かりでした。
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 人、車共にストレスが高まる道で、動脈硬化を起こした悲惨な旧道でした。良くぞこんな道を走ったものです。

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