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Channel: 高村円淨のブログ
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倦怠期

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 草の勢いが強いと農作業も倦怠期に入ります。
 特に葡萄園でその現象に陥りました。
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 物凄い事になっています。近いうち草刈します。
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 でも出来る所から・・・・やはり自宅から離れた所は果樹が最適ですね。
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 ここも実は凄かったのですが、まずはここも何とか頑張って・・・・シャインマスカットを定植する場所です。
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 剪定した青枝を捨てましたが、肥料になるでしょう。
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 撮影時の目的は明日以降降るであろう雨の対策で殺菌剤散布です。
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 ウィ~ン・・・・「ないだて、畑さ置く前な、ウィンドーウォッシャーばな、殆ど作動させねっけのにオヤズまめに消毒まぐがら、ガラス濡れる事うがくなったちゃ~。」
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 ここも濡れます。



マツダT1500

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 ノスタルジックカーミーティングイン寒河江ラストです。
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 綺麗にリペイントされたT1500です。
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 T1500シリーズはフロントブレーキが付きます。むろん1100とか2000も付くでしょう。
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 珍しい○小糸です。ライトの芯も恐らく新車時の物だと思います。
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 リヤ周りはファミリア800ライトバン等と共通ですよ。
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 T600はK360同様フロアーシフトですが、T1100以上はコラムシフトでそれも右シフト。
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 ワハハとして・・・・。


脱!倦怠期 その1

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 前回葡萄園の余りに酷い雑草に根を上げましたが、本日が振り替え休日なので、ここでメゲずに頑張り、自宅前も含めて農作業の1日でした。
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 トウモロコシの収穫が本格化しました。既に9本収穫し妹夫婦にも分けております。
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 枝豆。ドンドン実が入りました。
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 収穫を終えたトウモロコシの葉はむしって胡瓜や茄子のマルチに使います。
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 こちらは茄子。
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 胡瓜は朝にもぎましたが、トウモロコシ等は夕方もぎました。トウモロコシは8分ほど茹でて、
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 終わってから枝豆はサッと茹でて、茹でたお湯は雑草に掛けて除草剤の代わりに使います。中玉トマトはそのまま食べて
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 茄子はマーボーナスを作りました。

冬の旧栗子峠

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 栗子旧道は12月~4月ないし5月までは冬季閉鎖され福島ルートはR121の大峠かR48の関山峠を経由して福島へ行くより他に手段がありませんでした。
 それか完全に自動車は諦めて鉄道にするが現実的でした。
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 11月末~12月上旬の画像でしょう。最も新しい時期とすれば昭和40年です。吹雪でトラックが雪だまりにぶつかった所です。
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 二ツ小屋隧道でも見られますが隧道内部のつらら。
 これは当時コンクリートを満足に入手できず阿武隈隧道工事で余ったコンクリートを固まった物は杵と臼でついて砕いて間に合わせた上、設計図に示した量より少ないコンクリートで巻きたてたので当然乍、早い時期に崩落を起こし、こういう現象が発生します。
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 手も足も出なくなる積雪です。
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 冬期間はこの車は基本車庫に入れていました。春までは走りません。

脱!倦怠期 その2

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 プリンスメロンの収穫、ネギの植え直し、そして除草を行いました。これが結構しんどい。
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 プリンスメロンの収穫第1号。少し触ったらポロっと落ちました。
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 写真中央の下のメロンも本日朝落ちていたので収穫です。
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 ネギの植え直し。水曜日以降の雨を狙い実施。
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 ここが一番しんどかった除草。かなりの高さに伸びてしまい何度除草剤を使おうと思ったやら。
 再鍍金同様、なるべく酸(除草剤)使わず、地金(土)を出す。酸を使えば地金は痛みますから。
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 抜き取った草は隣のトウモロコシへ積みました。
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 クラウンの車内は今物が少ないです。
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 網を総動員で使っていますので。

8月以降のイベント参加

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 参加予定のイベントを並べてみました。

 8/21:秋田オールドカーミーティング

 9/25:オールオッズ&クラウンピクニックリユニオン

 そして正式決定で

 10/16:第20回ところざわクラシックカーフェスティバル

 以上が参加予定です。
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 このスタイルで参加したいのですが・・・・
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 いずれもこのスタイルになる予定であります。更に今回ETC取付を行い初の参加です。
 なお上記のURLはところざわが初めての方向けに用意致しました。今回が第20回なので規模を大きくする話らしいです。8/1以降受付だそうですので皆さん奮ってご応募下さい。

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 今回1000回目のブログとあり、しばし書いていたピンク怪獣がこれ。「やろこ」ではありません「へなこ」です。
 私には全然似ていません。43年前の写真と比較しても似ても似つきません。
 カミさんが「おかっぱ」が好みなので短く切ってもらいました。我が愛車トヨペットクラウンデラックスに乗せ様とすると
 「やだ、やだ、(時にはやんだ!)お家入る!」で、少し前にあったドアを開けたら「ぱっちん!」は云いません。

 少しでも乗ってくれたのは昨年まででした。むろんVNY30でも同じ事云います。

 今の所勝手に外に出ると「パパの車に乗るか?」と云えば大慌てで家に入ります。

 どうもうさちゃんが乗り物として見ない様にと躾けたからかな?或いは見えない筈のお爺ちゃん、ひいお爺ちゃんが見えるのか???
 親父は余りこの車は思い入れが無い筈・・・・

関山隧道現役当時の写真

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 を発見しました。そもそもこれの最大の目的は山形市と仙台市を結ぶ笹谷トンネルの必要性を訴える山形市が制作した映画です。
 制作は昭和35年(1960年)ですが当時は今もありますが笹谷峠と云うグネグネした険路で、(R286)冬場や大雨等の時は有無も云わず通行止めになります。
 ですから当時の山形はここも険路ではありますが、通年通行可能なR48しか陸路はなく、他の手段は仙山線だけだったのです。
 
 笹谷トンネルが完全開通は昭和56年。更に今も高速道路はありませんが自動車専用道路が本格化したのはバブル期以降の話です。
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 とらっくとらっくとらっくを彷彿させられるトラックです。第一貨物ですから採用トラックは昔から三菱。これはT30系ですがデザインが結構好みです。
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 関山隧道山形側です。写真は舗装路に見えますが当然ここは砂利道。荷物は塩竈から鮮魚を運んでいます。山形と云う土地は漁場が少なく、日本海側に面しており悪天候で漁そのものが出来なくなる事が度々で山形県民が食べる魚は大半が宮城県産の塩竈や松島、気仙沼産の魚となり、今でもそれは変わりありません。 その為R48が断絶されると魚を食べる事が出来なくなります。魚ばかりではなく、この当時は生活が出来なくなり生命の危機に瀕する程です。
 因みに山形で揚がった魚は関東や関西等の高級料亭が大半で市場に出せる量はありません。
 
 他に山形への魚を輸送手段は仙山線利用する行商人(担ぎ屋さん)でした。
 昭和56年まではいかにR48が重要なのかが判ると思います。

 これが大元の映画です。
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 昭和38年当時ここは山の斜面だった。
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 もし写真の様なトラックが前にいたら、関山隧道はローギャー大きく唸りながら登るしかありませんでした。

電気系統不調の真犯人

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  はオルタネーターでもなく、オーバードライブ機構でもなく実に小さな部品のボルテージレギュレターである事が判明しました。
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 オルタネーターをOHしてもオーバードライブは「チカチカ」とON.OFFを繰り返したのでメカに疎い私でも「もはやボルテージレギュレターだけだろう!」と思いました。
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 写真では判りにくいですが長年の調整などで板バネが変形して正常に電力供給が出来なくなったみたいです。今回は中古のそれと交換して対応しましたが、将来を考え、修理ないし同じ機構を持つ代用品を探す事になりました。 
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 実は今付いている物は新品で、トヨタ純正の箱にありました。中古品は1964年式のRS41から外しましたが違いはコンデンサーの有無。写真の物にはありませんが、交換した中古の64年式用にはありました。
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 取り付け後。実はこれまで付けていたボルテージレギュレターは走行中の電圧でスパークが見られるそうです。長く走行すると恐らくオーバードライブのON.OFFを繰り返す症状が発生するそうです。
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 スペアのつもりで入手した部品でしたが、まさかこんなに早い時期に直ぐ使うとは予想していませんでした。
 またカバーには蓋を開けない、開けたらクレームに応じないとあり、今回再利用に当たり開けましたが、蓋の周りがコーティング剤で固めてあったそうです。
 だからと云う訳ではないが接点復活剤で手入れした以外は基本そのままです。
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 8/21の秋田に向けて調整します。
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 なるべく早い時期にボルテージレギュレターの代わり、修理が出来るといいです。


       おまけ!
 
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 ドライブをしていたら「あれ?マツダとBMWそっくりじゃねぇ?」と思い、ドライブ中RS41の車内から撮影。
 以前から思って居ましたが、この車以外にもBMWにそっくりのマツダが見られます。コピーしたのかな?
 ここ40年程の車は疎いので判りませんが、真似をして作ったと疑う様なマツダが目立ちます。


第10回秋田クラシックカーミーティングに向けて

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 今回事前情報でオールドタイマーのKさんが見えられ、沢山の表彰を予定されると情報が入りました。

 ブログを開設している者の特権です、主催者さんに自分の車そして40年近い年月を過ごした自分の車をPRしなければなりません。
 
 それに今回は参加するメンバーのレベルが一際高いので、それに勝には用意周到でなければなりません。

 恐らく今までのイベントみたいに自分の車が参加車両の中では最高齢はもうない物と見ています。
 近年のイベントでは全国区のクラウンピクニックリユニオンですら私の車が最高齢である事もありますが、今回は

    「超ものすご~い!」旧車が参加します!

 流石の私もこれだけ古い年式はイベントでは余りお会いしませんし、東北では初めてですね。

 それでは主催者さん、私のブログのイベントに掲載予定です。
  

ベストパートナー賞になるかな?

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 私がこのトヨペットクラウンデラックスに意識をしたのが4歳の時ですから、今から39年前です。
 
 以前からこのブログをご覧の方は同じ内容を書く事になり、飽きてしまうでしょうが、イチイチ以前の記事を探すのも大変なのでUP致します。

 物心がついた時このクラウンは余り走る姿は見ませんでしたが、車庫の中に佇んでいましたが、親父やお袋が乗るカローラよりは恰好が良いと思っていました。カローラもそうでしたが、特にお婆ちゃんからクラウン、カローラ共に1人では車内には入らない事を固く約束させられていました。・・・・が、近づいて車内に乗り込める車が大伯母宅の近くにあったのです。

 全くの同型で、車検は昭和48年7月、定期点検は47年1月までのステッカーが貼られた個体があり車内に入るとよりクラウンの魅力に引き込まれたのです。
 ホーンリング、ベンチシート(私はリヤに座る事が殆どでした)に魅力を感じ給油口がリヤナンバーの後ろもよりクラウンを好きになる原動力になりました。

 程なくしてダイナRK170だったかにエンジンを引き抜かれてエンジンはなくなりましたが、別段メカには興味ないのでどうでもよかったですが、コラム噛みしやすいシフト操作はこの車で鍛えられて私が今の車を運転した時はスンナリ運転できました。

 廃車体なので長くとも3年程で無くなるのが大抵ですが、私が初めてこの廃車の存在を知ってから12年近く残る事になりました。平成元年3月15日に突然無くなりました。

 当時私の車はナンバーを切って1年2か月でした。あの頃知識はありませんでしたが、平成元年の出来事があり、何が何でも自分のクラウンに乗る事はこの時強く決心しました。

 然し・・・・今の姿にするまで何度火ダルマになった事か判りません。これはレストア時の苦労の話として別にUP致します。

 でもこの39年この車に惚れ込んで「よ・か・っ・た!」
 廃車がなくなり2年近く経った平成3年のニューイヤーで1964年式用ではありましたが、大判カタログをゲット。今の相場価格よりはずっと高い価格でしたのでこの年は部品は買えませんでした。
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 然しそれはそれで良い結果を生みました。取扱書を含め全て集団収集ごみに出したのですから特色が全然判らないのです。それに当家は物を大事に長く取っておく家ではないですからそもそも物が残りません。
 
 カタログにてオーバードライブの存在を知り、何て素晴らしい!と感動したのです。自動的に4速、5速のギヤの働きをする、緑のランプが点灯して知らせると云うこのシステムがよりこの車に惚れ込んだのです。
 結果的にこのカタログがよりもう自分の車しか他にないと云う考えになりました。

 その後部品集めに邁進した事は書く間でもないでしょう。その時点で自分の車はオーバードライブシステムが完全に死亡していたとは思いもしませんでした。

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 それと1963年式、涙目テールはローがノンシンクロと知ったのはもう少し後ですが、カタログから「ひょっとして自分の車はダブルクラッチが必要なのかな???」と思う様になったのは免許取得から少ししてから。もう少し早く知っていれば教習所で・・・・と考えましたが、独学しかありませんでした。

 とは云え昭和30年代離れしたスタイルにこの時代その物の構造の1963年式に益々惚れ込み、部品もこの年式に照準を当てた収集になりました。
 
 これはもう少し後になりますが、涙目テールと云う言葉を広めたのは書類が無い事を知り登録不能だったので、この車を確実に手に入れる為に特化させる意味合いで広めました。惚れ込んだからこそ出来たニックネームであります。
  
                                          
 ベストパートナーに相応しい歌はやはりこれでしょ!
 この歌心にしみます。♪ともにす~ごした~、いくとしつき~の~・・・が特にです。
 

 


タイムマシン賞貰えるかな? その1 昭和43年編

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 私の車は基本的に昭和38年に発売されたオプションは嫌いなトヨグライドとバンパーポール以外は全て付けました。新車当時はなかったオプションも付けていますので、解説いたします。
 *これも古くからの方は飽きる内容ですが、賞を取りたいのです、メゲずに同じ内容をUP致します。
 尚注意事項として全部取りたいなんて云いません、どれか一つ欲しいですね、梶目さんのブログに書いていない賞も該当すれば狙います。
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 ミラーバイザー。これは当時は街のカーショップとかGSで販売されていました。メーカーOPTではないです。
 発売は絶対的ではないが昭和43年頃。
 私立探偵濱マイクに出たRS41Cにもありますよ。
 
 これは何度も書いたのでくどいけど、これこそ見栄張るクン!本格的見栄張るクンにするならワイパーブレードをスケルトンブレードをするとポイントが大きくUPします。今純正なのでワイパーまで手が回らない見栄張るクンですね(爆笑)

 黒塗りだからまぁ良いか!当時黒塗りは下取り査定が他の色より低く、(2~3割)解体に流れたり、運が良ければスタントカーに抜擢されました。

 5年オチの高級車は殆ど需要が無く本当のビンボーユーザーが少し背伸びして取り付ける代物でした。
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 ナイルスハザード。何時見てもギザギザ入りのSWボデーが好き!これも街の部品屋とかGSで販売。
 昭和41年頃より登場するが、製品は43年製造である事は間違いなし。
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 そもそも危険防止でつけたので点灯しないは話にならない。むろん車検場では、装置義務化前であっても付いている以上は「適用除外」車から除外されます。
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 昭和30年代でもありましたが、ドア内張りにビニールは見事なオプション。
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 カーバッチ類。

 昭和43年に流行ったオプションも付けています。

タイムマシン賞貰えるかな? その2 昭和38年編

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 本日は純正設定品です。フルオプション仕様にしていますが、あの当時はここまでのフルオプションはまずありませんでした。
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 王道のフォグランプ。ステーも純正になりました。
 当時1セット2700円ですが、流石に当時でも1つだけは車検が通りませんから、2っで1セットです。
 尚この時代フォグランプとライト、スモールは連動する義務は昭和52年までありませんでしたが、主治医がリレー対応で改造してくれて現行法対応です。
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 ドアバイザー(左)、これまで右ばかりなのでたまに左も。これが4枚は余りありません。
 当初私の車はフロントだけでしたが、私が物心がついた時は既に左が紛失し右前だけになっていました。
 1枚950円ですから高額で中々4枚はありませんでした。何分先のフォグランプを付けただけで精いっぱいの当時のオーナーですから、4枚はすごく贅沢だったのです。
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 ハンドルカバー。これは280円でしたが、余り付けませんでした。尚オプションではないけど、ステアリングホイール、ホーンリングは新品を使用しております。
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 カーテン。1963年式は青ラメは設定なし。1964年式から登場します。
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 誰もが付けられなかったトランククーラー。恐らくダッシュクーラーはここまで少なくなかっただろうが、トランクタイプは100台程度の取り付けか?
 親戚で「クーラー付けといたよ!」でした。尚この時親戚で買い替えたアメ車にも同じクーラーを取り付けたらしいです。恐らくもうこの外車は遠っくの昔に空き缶に生まれ変わったでしょう。
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 クールファン。これとクーラーの併用は当時誰もいませんし、こんな事する物好きはいません。
 あくまでクーラーが取り付けられないので、せめてものの・・・・と云う事で取り付けたオーナーも多く、RS41でも見られました。
 当時驚きの8000円程度?(10000円の話もあり)むろんクーラーではないから物品税対象外。(クーラーは10%の課税)

 取り付け理由は平成19年の酷暑が原因で、当時はクラウン8用の吹き出し口だったので、前に届かず、探し当てて取り付けました。

タイムマシン賞貰えるかな? その3 標準編

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 意外と作動しない編と云う事で標準で装備されたスタンダード(RS40)ではオプション扱いの物を紹介いたします。
 それとオプションでは紹介できなかった設定時期不明、パーツリストないしオプションカタログのどちらかにしかない物もUP致しました。
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 オートクロック(ジェーコー製)内部は現行品に改造済み。復活当初配線が外され不動。確か記憶でも動いてはいなかったです。マトモに動いた時計見たのはサニーB310が初めてでした。
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 超!たいへ~ん!なラジオ。
 RS40型の場合オプションですが、RS41型の様なオートチューナーは原則付かないタイプになり、VOL隣りのDボタンも付きません。

 現在国内においては完全修理できる業者はいなく、状況によっては修理できるかもが1軒、もしかしたらあと1軒出来そうな業者がいます。
 旧車部品で修理不能がこのラジオです。

 幸いこのラジオは修理できましたが、オリジナルラジオは最終的に修理不能でした。もし修理できる業者ご存知でしたらお知らせください。

 因みにオリジナルはやはり小学3年~4年生辺りにオートチューナーが回転している事に毎回驚き、チューナー作動中、Tボタンを弄り、そのまま故障。

 一旦平成14年には復活したが平成17年には死亡しました。その後Tのユニバーサルジョイントもイカレており、大変でしたね。お蔭様でこの修理に幾ら金が掛かったやら???
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 右が何度か書いたオーバードライブ。左がラジオのSWです。
 オーバードライブはいずれ別の記事でUPしますが、初めは死亡していました。復活当初異常な修理が施され、フレーム載せ替えした時変だなぁ?と思ったらしいけど、前と同じ状態にしたと説明を受けました。
 今回の紹介では「現存RS41の80~90%は作動しません。作動する個体は極僅かです。」
 これに関しては私は壊した記憶がなく、修理時期は不明です。何分特にお婆ちゃんから「車に絶対近付いてはダメ!」と注意されたので。

 ラジオSWはオートアンテナの関係でこういう付き方です。オートチューナー&オートアンテナは殆どない作りですし、他のフルサイズカーには見られません。(S40系はオートアンテナ有、H31系だとオプション扱い)
 基本ラジオはNHK派で、特に大相撲が好きですから復活させました。(因みに今場所はアンマリ熱上げて応援すると何故か力士が毎回負けるので綱取りであるので結果以外観戦しません)
 
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 時期不明:ステアリングダンパー。基本的にパーツリストにあっただけで、原則として涙目、丸テールだけのオプション。存在が非常に知られていない。装着事例がない超地味な存在。
 何故に角テール以降廃止かは理由は不明で新型車解説書には何処探してもなし。

 実はこれ非常に優れていて、どうしてこれを長続きさせないのか?もう少し大々的にPRするべきではないか?と思います。直進性が大きく向上しバイアスタイヤでもハンドルがぶれません。
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 時期不明:オートディーマーSW。対向車線のライトの光に反応して自動でライトの上げ下げします。
 オリジナルは見付けましたが、これも国内では修理不能でした。こちらは昭和41年か42年のオプションを装着しました。
 パーツリストには存在が示されず、オプションパーツリストでやっと判ります。
 実はこれ、リヤバンパーを移植した、元未再生車では日本一程度良い個体に付いており、フォグランプも付いていて欲しいとなって探し出したら出てきました。
 因みにフォグランプもパーツリストには存在がありませんが、発売当時から設定はありました。
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 クールファンとトランククーラーのコラボ。
 お気に入りですので、時々ふざけて「この車ディュアルクーラーでしてね!」と云います。




モーターエージ その1

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 昭和37年10月号を入手しました。RS40系のほかスタウトRK100もありました。
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 表紙です。如何にも秋!ですね。
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 裏表紙。基本トヨタの特集みたいでした。
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 スケッチの山。
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 新車開発は大変ですね!
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 段々と完成形に近づきます。
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 その2では、私も知らなかった事が一つあり、もう一つは知ってはいたけどまさか・・・・と思う事がありましたのでUP致します。
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モーターエージ昭和37年10月号 その2

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 この記事を見て、ググ~ッと来た内容がありUP致しました。1つは何となく知っていた事ともう一つは初めて今回知った事です。
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 発売直後の座談会参加メンバーです。あの天下の中村氏が一番下とは・・・・それだけ錚々たるメンバーが参加したのでしょう。
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 一つ目は自動車技術会の理事と豊田自動車工業常務取締役との対談。
 RS40系がフレームレス=モノコック構造になる噂ですが、実はこれ私は20年程前に知った話です。

 実は当時、RS40系を開発していた中村主査の下には主任が1人と肩書なしが1人(Mさん)、あとアシスタントの女の子が2人だけの小さな部署で開発されていたのです。

 Mさんの当時の回想で私は知りましたが、人手不足の中、当時分社化されていたトヨタ自動車販売の誰かが
 「ライバルの日産セドリックはモノコックボデーを武器にかなり売り上げを上げているではないか!次のクラウン(RS40系)をモノコックボデーで開発してくれよ!」と云われたそうで、中村さんにはこの販売の社員は云えなかったそうで、Mさんになら云えると考え訴えたそうでした。

 然しモノコックボデーでの開発は並大抵の物ではないから「勘弁して下さいよ!人手が足りずモノコックボデーの開発は出来ませんよ!」と答えたそうです。

 尚この時この社員は本気になって訴えたとは思えないとMさんは回想されていました。と云うのは中村さんや主任には訴えずすぐに訴えた先がMさんだったので「自分の様なペーペーに訴える様では本気ではないだろう。」とみたそうでした。
 記事から見ると中村さんが肯定しないので先ず間違いなくMさん止まりであろうと見ていいでしょう。

 この記事がある所みるとMさんの思惑とは違い実は本気になって販売の社員はモノコック構造を訴えていたのかも知れません。ですからMさんの所で立ち切れになったので豊田章一郎さんが知らなかったと思われます。

 もしかすると、自動車販売の社員は結構上役の方かも知れませんね、それで自動車技術会理事の所にこんな噂が流れ、こういう事になったかもしれません。
      
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 恐らくセドリックがクラウンより売れていた時期のモデルはこれでしょう。「大分前」となると1961年式が該当すると思います。


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 フォードファルコンのコピーだと思っていましたが、実はそうでないとは初耳です。
 確かに昭和34年からの開発は知っていましたが、1960年にファルコンは発売だから開発中にこれを参考にしたと思いましたが真似をするわけには行かなかったとは驚きました。
 尚徳大寺有恒氏著書の「ぼくの自動車史」によると昭和36年頃かなり沢山のファルコンがトヨタ本社に有ったと云う証言があります。
 果たして真相は????


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 目玉のワゴンカスタム。2代目から標準設定のワゴン発売。初代はありませんでした。
 然し内容はクラウンライトバンデラックス、マスターラインライトバンデラックスに近い内容でした。

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 結果論から書けば、RS40系がモノコック構造でなくてよかったと思います。
 もしこれがモノコックならばフレーム入れ替えの書類なし復活作業が出来ませんから。
 そればかりではなく骨格がしっかりしていればこの先数十年ピンとした状態を保てます。
 長く乗るには別体フレーム構造が一番です。そういう構造に私は惚れたのでクラウンを維持する決断をよりしたのです。

 モノコック構造となった平成3年後期以降はクラウンは好きの対象から外れました。





あぢぢぢ・・・・

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 実は前日のブログ0時過ぎには理由があります。
 暑くてどうも眠れず、作ってから寝ようとして、漸く寝たら・・・・朝起きられず農作業が遅れました。
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 人参の種を撒くつもりで除草して、すぐ脇には来年食用菊を定植しようと計画し刈り取った草を積んで緑肥計画までは良かったが・・・・
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 玉葱を定植しようとここに米糠を撒いて準備を考えたら・・・・頭痛とめまいが・・・・・ヤバイ、熱中症の前兆。
 即作業中止!
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 数日前米糠と豆腐カラを撒いた所。
 撒いてから30分以内に土砂降りになり
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 良い具合に溶けてくれました。
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蕨はここでストップ。
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 巨峰も色付きました。
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 クラウンが有る側の巨峰。良い具合に進んでいます。半分以上がこうならば、伐採計画は中止です。むろん9月まで殆ど収穫できなければ伐採です。

ベストレストア賞は・・・・

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 入賞できるでしょうかね??

 これも古くからの方は「ま~たか~・・・・」な内容です。でも私はメゲません。「ま~たか~」と何を云われ様書きます。

 本来この車は復活の対象ではなかったのです。部品取りでした。だって・・・・一時抹消登録証明書=書類が無いのですから。

 発覚は平成7年の春かな?記憶が曖昧です。と云うよりもこういう書類は面倒な手続きが無くとも再発行が出来ると思ったのです。実に簡単に考えていましたが、想像を絶する大変さなんですね。
 書類なし車両の登録専門業者に依頼するのも手でしたが絶対にハンコが貰えない人が2人いますから、流石のこの業者さんでも無理でしょう。但しレストアが完成した平成14年時点では2人とも恐らく生存していたとは思われますが、今は一番重要な方はもう故人だろうと思います。

 ですからこの頃盛んに個人売買等の欄に「求む涙目テール」を出していました。
 当初は半年程で最低1台は見つかるだろうでしたが、これが甘かった。出てきません。

 その過程で出た車の1台は今メガウェーブに展示されているであろうあの個体です。今思えばあの車購入してフレーム入れ替えはせずとも内装入れ替えすればよかったかな?でも元がコロシアムベージですから、元色と違うので信義に反して嫌になったかも・・・。

 最終的には平成10年までドナーは出てきませんでした。いや、間違ってもボデー入れ替え何て考えもしませんでしたよ。

 国家試験のクソ大変な中話は舞い込み、これを逃したらと思いましたので思い切りました。相手も私の事情をよく理解された方ですから特段の配慮をしてくれた事は今も感謝です。特にああだ、こうだは云わず相手に任せておりましたが、社会人となった4月には車検が取れた状態で山形に戻って来た事を先ずここでは記さねばなりません。

 実はオールドタイマーの32号のマスターラインの記事が大きなヒントとなったのです。「恐らくそこまで探しても無いならば32号みたいに私が持っている部品取りのフレーム上げるからやってごらんよ、こちらには出来る業者もいるからさ・・・・。」でした。

 ベース車は確認はしていませんがフレームは写真ではとても綺麗だった筈です。最初のオーナーが何処の人かは判らないが石油元売り会社の社長が運転手付きで4年程乗った個体でその後整備工場の社長が購入したと聞きました。ですからナンバーは新車時ナンバーではなかったですね。「○5 な 86-20」なので間違いなく昭和30年代登録ではないです。

 レストアベースにするまでにかなりの金額を掛けてしまったと云うオチが私の車には付きます。
 この時点では細かな車載工具だ、作業灯だとか、取扱説明書等は一切なし。あくまで悪徳中古屋から買ったポンコツ状態です。
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 良く良く考えれば、錆が少なく、大規模な腐食は無い状態が私の車です。どうせ乗るなら綺麗にして乗りたいと復活当初からの願望がありました。
 それにこの車以外もう旧車は乗らない、これ1台あれば他に旧車は要らんと考える様になったので、思い切りました。
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 私が重要視したのは下回りです。そもそも私は医療従事者ですから、人間の健康の源は足。足が駄目だと長寿は難しいので、可能な限り新品にしました。
 それと水、電気、油のラインは手抜きしないも私の考えです。外装は手抜きしてもここは譲れません。
 
 外装は手抜きとしても鍍金はドンドンエスカレートした感があります。ギラギラ鍍金が好きで今のスタイルは独身最後の頃の構想です。
 この時判りましたが、アンチモは新品で入手しても然程中古と変わらない状態である事です。むろん見た目はすぐ判りますが、鍍金を剥ぐと想像以上虫食い状態です。これを研磨する業者が先ずいません。ですから○田さんは凄いとなります。

 気が向いたら少しずつUPしていきます。

平成10~14年のレストア

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 さて、実は私の車、当初学生時代の友人がレストアしてくれると云う事で平成10年~11年に掛けて行ったものの、単なるオールペイント止まりでした。
 その癖結構な値段を請求受け結果的には彼とは絶縁となりました。実は彼中古車販売が本業でやっていましたが、販売業も絶縁から2年以内に廃業となり、恐らく他の客ともトラブルが絶えなかったと思います。

 この時困った事がオリジナルのバンパーの修理目途が立っていなかった事。何分修理不能、更に代わりはなし、まずもって1963年式用はそう滅多にないので困り果てましたが1年後程度ソコソコのバンパーが出たので新潟の業者に依頼し再鍍金、ボデーは既に愛知県の業者に依頼しました。
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 撮影は平成13年ですが、これぞレストアですよね。これを望んでいました。フロアーも結構あちこち切り貼りしましたが年式考えればその位は当たり前でしょう。
 当時でも足回りのリフレッシュには相当力入れて依頼しました。1990年にニューイヤーで手に入れた新品をこの時使いましたし、トヨタ共販で出た部品も全て投入。
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 完成から14年経った今です。今もこの状態です。
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 ピットマンアームもそうですが、その上のステアリングギヤBOXも実は新品。1990年に手に入れました。
 ブッシュ類は14年前に交換したままで、一度総交換を考えましたが、まだ交換は早いとの事でそのままです。
 ステアリングリレーロッド、アイドラーアームも新品です。これも1990年入手。
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 これは中古で入手しましたがRS40用のフィン付ドラム。他のモデルには設定が無く、STDだけの設定。
 採用理由はタクシーとして酷使するからフィンを付けたであって、DXオーナー向けではありません。
 RS40系に設定があったと知ったのは20年ほど前ですが、それ以前解体屋でコロナRT100のタクシーにこれが付いておりそれ以来36年カッコいいと思い続けました。
 初めはRS41もあるだろうと思い、廃車状態だったが確認すると「ツルりん」としたドラムでがっかりした記憶があります。
 
 今もそうですが、イベントでは拘りの部位として紹介しています。ここに気付いてくれるマニアもごくまれにいますが、興奮して話してしまいます。
 「これってオリジナルですか?」
 「いやいや、これはSTDだけでね、私の拘りでね、小学校1年の時解体屋で・・・・」です。
 尚オリジナルのドラムは売り飛ばしました。スペアでオークションでゲットした新品が1台分あります。

 これって、当時好物だったプリンアラモードの容器の様なデザインですごく好きだった記憶があります。

 因みに3年ほど前ドラム研磨の事態に陥りましたが研磨結果中古であっても途中新品に交換され、ロクに使われていなかった中古であろうと考えられるでした。


モーターエージ マスターライン

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 今回初めて知った事として、1963年式に関してはトヨグライドがライトバンのみの設定である事です。
 これは先代のRS20がベースになった時からの設定で恐らく当時は確実にオーナードライバーが数多く存在したのがライトバンなので、将来の大量オートマ需要を見込んでライトバンが選ばれたのでしょう。
 また当時は過積載が常識でしたので、過積載状態ではトヨグライドは持たないからピックアップは選ばれなかったのでしょうね。
 トヨグライドの発売は昭和34年3月7日で、マスターラインライトバンのみの設定。セダンデラックスのRS21にはまだ設定されず、RS30系になる昭和35年10月までセダンはトヨグライドがありませんでした。
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 マスターライン代表でシングルピックです。
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 2代目にモデルチェンジし、セダンがDX、STD共にトヨグライド選択が出来る様になってもピックアップが選択できないは驚きました。
 やはり未だRS30系の頃と同じ機構、レベルのままだったのでしょう。
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 これは1963年式カタログの2代目(後期型)昭和38年ン3月からこちらになりますが・・・
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 マスターラインライトバンには・・・・が付きます。ピックアップには設定が無い事を現します。
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 1964年式です。昭和38年9月よりトヨグライドは完全自動化します。
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 ここではライトバンに付くと云う限定の言葉はありません。
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 ピックアップもカッコ書きがある通りトヨグライド設定がある事が判ります。つまり1964年式以降マスターラインは6種類となります。


平成20年エンジンOH

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 いずれはこの日が来るとは思っていましたがボデーや足回りのレストア後はエンジンは手を付けないとしていました。
 その頃まではエンジンはやたらOHするものではないと云う考えがあり、10数年の眠りから覚めたエンジンではありましたが3万キロほどはそのままでした。

 お爺ちゃんからエンジンが調子が良い場合でもOHした気動車とそのままの車両を比較したらそのままの車両の方が長持ちしたと云うのでOHは消極的でした。

 が、どうやらその考えは命取りとなりました。こちらは前に書いた通り10数年の眠りから覚めたなので、その場合は当てはまりません。
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 凄い事になっていました。カーボンがびっしりです。
 オイルパンの中はヘドロの様なオイルスラッジがありオイル交換は徹底したつもりでしたが、その努力は虚しい物でした。
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 2番3番気筒が特にひどく、中央からはLLCの漏れた跡がクッキリしています。
 シリンダーは良く見ると傷だらけで、STDピストンではスリーブ入れないと駄目な程の摩耗でしたが、STDピストンはなく、1990年のニューイヤーで手に入れた020サイズがピッタリとなり使いました。むろんピストンリングもあります。
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 バルブはもう磨けない状態で再使用不可能でした。
 ここは親戚のタクシー会社から仕入れたバルブでINが社外、EXは純正の組み合わせとなりました。
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 ボーリングは知り合いが工場長を務める東北唯一のボーリング工場に依頼。
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 メタルは親メタルは純正、子メタルは社外で入手。何れもイベントのスワップミートで格安で入手しました。確か宮城県北部のイベントだったかな?20代前半の頃でした。
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 着実に組みあがりました。何だか判りませんがタペットは皆新品に近い状態だったそうです。むろんこの時無鉛対策を施しました。
 元はこのエンジンとフレームは整備工場の社長が乗っていた分整備が完全なのかな?
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 カバーを被せればより完成に近づいた気がします。
 実はこのカバーは東京都内の解体屋で程度良い中古部品を販売する会社の倉庫に残っていた1つです。
 我が家の車にはこんなステッカーはないし、程度は悪かったですね。
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 8年5.2万キロ走りましたが調子は良いです。



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