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Channel: 高村円淨のブログ
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世界でいちばん熱い夏

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 題名はプリンセスプリンセスがデビューした曲ですが、今畑に眠るクラウンGS130に乗って新婚旅行で北海道に行った時、中学時代の修学旅行のコースをGS130で走りました.
  当時流行った曲でこの曲のテープをバスの中で流した筈。歌詞はもう覚えては居ませんでしたし、曲名も最近まで頭の中から消えて居り、ふと数日前何かの番組で流れて記憶が蘇り、今回この記事を纏めてUPしたところです。
 まず気になって行った所が虻田町の火山科学館です。そこには被災した車両が展示されて居ます。
 修学旅行は5月25日から4泊5日でしたが、火山科学館に展示された車両とこの曲が何故かダブります。
 確かに有珠山は昭和52年8月6日に噴火しました。それがダブル理由かな?

 それと有珠山噴火当時親父が修学旅行の下見で北海道に行き、暫く足止めされた様子で、私も記憶に残って居り、親父が来ないので「パパ!パパ!」と何日も呼んで居た記憶が鮮明です。当時お袋は妹を出産して忙しい時期でした。それとタマタマでしたが、同じ市内に住む親父より10歳年上の教師もやはり修学旅行の下見でこの地に居り、この先生も足止めに遭ったそうです。
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 当時はスタッドレスでは有りませんでしたが、VNY30に使って居るMS105用のホイールキャップにホワイトリボンでした。グリルは既にSTD用でした。

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 で、此れが有珠山(うすざん)噴火で被災した虻田町長の公用車。あれ?ボンネットに石が上がっていたっけ?
 でも当時不思議だったのが8月なのにスノータイヤである事。当時はタイヤが高くて、古くなった冬タイヤを夏場にも履き潰す事はザラに有りましたし、今もスタッドレスでそういう光景が見られます。
 幾ら高いタイヤでも公用車が冬タイヤとは…財政が苦しかったのか?と思います。

 因みに我が家のクラウンRS41はきちんとタイヤは夏冬交換しました。(と云うよりもカローラKE20からマーチ、ティーダに至るまで履き潰しした車は無い)

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 石は兎も角、ホイールキャップがおかしい!新婚旅行で行った当時も「ケンメリのGL」用でしたが、何故かその前のハコスカGL用に代わって居る。

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 此れが動かぬ証拠。やはり記憶は誤って居なかった。私がケンメリとハコスカのGLやDXは間違える筈がない。修学旅行で行った当時のパンフレットが残って居ました。無論修学旅行のしおりも残して居たので新婚旅行で大まかなルートを走れました。

 唯ワイパーは弄られて変な位置に当時は成って居ましたがそこは直されて居ます。ワイパーは兎も角ホイールキャップを当時とは違う様にするとなると、この博物館の管理体制に疑問を感じます。此れは小さい事ですが、当時とは違う様にする事は有ってはなりません。

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此方は町民の車ですがブルーバードU610.タイヤはラジアルタイヤでしたので、5~6年で交換なので相当な距離を走ったでしょうね。

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此方も町民の車ですが、タイヤはリヤがラジアルですので、多分これも2回目のタイヤでしょう。唯フロントがバイアスのスノータイヤ。ラジアルとバイアスの組み合わせは非常に危険です。絶対に真似しない様に。

 因みに、駆動輪に冬タイヤ、非駆動輪に夏タイヤは当時良く雪の降り始めと雪解け近い頃に見られました。バイアス同士はOKですが、このチェリーの様な組み合わせは駄目!今の場合スタッドレスと夏タイヤの組み合わせもラジアル同士でも危険ですから止めましょう。

  *我が母校の修学旅行ですが、昭和62年より5泊6日から4泊5日に短縮されました。
 実は此れには理由が有って私の親父が大きく関わって居ます。彼は貧しい農家の4男(5人兄弟の末っ子)として生まれた事もあり、又自然環境が厳しい西川町大井沢の生まれですから、子供達には自然に親しませ強く育てたいと云う強い考えが有ります。
 親父の方針は2年生が行うクラス合宿を4泊5日から5泊6日に延長し金が掛かる北海道旅行をその逆としたいと考えたそうです。無論親父の方針に反対的な先生も多く、親父の最期となった1つ上の先輩の修学旅行の文集には有る先生が「1泊減った分楽しさ半減」とあり、親父らしく札幌市街地の観光をカットしたそうです。そこが書かれていたので、親父らしいと私は思いました。

 親父の生家は元々はお金持ちでしたが、昭和23年に隣家を撒き込む火災を起こして隣家の保証などもして貧乏になり、どうにか息が付けた昭和30年代半ばは伯父(親父の直ぐ上)が大学院に進学を考え学費が掛かり親父が集団就職となりました。
 生前親父からは実父の話は一度も聞いた事が無く、妻であるお袋にも「僕が幼い頃亡くなった」とだけだったそうですが、実は19歳8か月の時亡くなりました。此れはお袋が私から知らされるまで知らなかったそうです。
 推測するに親父とお爺ちゃんは折り合いが悪かったと思います。お爺ちゃんの性格は親父とは正反対でしたし。大学院進学で割を食った伯父と親父はとても仲がいいです。親父が亡くなった時伯父が収骨時お経を唱えてくれましたし。(当家の菩提寺の坊さんは何故か火葬には何処の檀家にも立ち会いません)

 親父は43歳で亡くなるが、40歳以降はホント、校長が親父?と思う事がザラにありました。男子は丸刈り、女子はオカッパは親父の強い考えでしたし。彼は「お洒落にウツツを抜かして学業に身が入らないでは駄目だ、第一油(ヘアトニック類)代、床屋代は誰が出す!金が掛からないのは坊主にオカッパ」と考え「其れが中学生らしい」と云いました。
 先生方の中にも丸刈りオカッパ強制に疑問を抱く方もいらっしゃいまして、廃止を検討した時親父がそう発言したそうです。
 



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