大方予想通りでしたが懲役2年、執行猶予5年でした。
被害者との示談が成立している事が大きいと思いますが、やはりと云うか吉澤は残念ながら今も「急激に量は減った」そうですが飲酒をしているそうです。
やはり吉澤は私の予想通りアル中ですね。
唯アル中けしからん!と批判は出来ず釈放後心療内科に入院するが治らなかったそうです。
もっと長期入院や治療が必要なのか?刑が確定したので本気で治療を開始して欲しいとは思います。
33歳と若いので諦めるのは未だ早い!
多分このブログをご本人は読む筈ありませんが、私の周りには酒で失敗した大人が沢山いました。もう彼等は全員鬼籍に入りましたが、悲惨な末路を辿り幸せな生活を送れた者は誰もいません。
少数ではありますが未成年の年齢層の方も居られる様なのでオジサンから送る言葉として、「酒は人生の天敵」です。煙草も同様!手を出すべからず。
実はこのオジサンには唯一漢字で書く「叔父」が居ました。多くが「伯父」ですが違いは前者は親より年下兄弟後者は年上兄弟です。
もう31年前に35歳で亡くなり、離婚はオジサンが6歳の時なので39年前です。
彼は医学部の学生で元々は貧しい農家の長男でしたがオジサンのお婆ちゃんが小学校時代の担任の児童だったので叔母と学生結婚を許しました。叔母は4年制大学を卒業したがルンペンで、オジサンのお爺ちゃん、お婆ちゃんが養い県外のアパートで生活させました。
丁度医学部5年生の頃従弟が生まれ(オジサンが3歳)この頃から成績不振が見られ酒に溺れました。従弟は赤ん坊、オジサンも3歳児ですから喧しい。更に酒を呑む。その悪循環を繰り返し医学部6年で国家試験を控えた昭和52年9月22日飲酒運転で事故を起こし新聞沙汰になり、退学処分となりました。
その後も酒から立ち直れず、結局昭和54年には離婚となりました。彼は酒を呑まないと本当に良き叔父でしてしたが、酒を呑むとまさに地獄の赤鬼、青鬼の様な形相隣大暴れをしました。多分吉澤は?と思うのです。
彼は細身でヒョロヒョロとした男ですので、恐らく今のオジサンなら相撲や柔道で簡単に投げ飛ばしたと思いますが相撲体型ではあるが後遺症としてアル中は恐ろしく感じます。
そういう事でオジサンは若い頃飲酒運転の厳罰化運動に加わりました。