昭和の山形市のチラシへ戻ります。お爺ちゃんの職場であり、定年を此処で迎えました。
写真は昭和39年の写真です。一番初めにカラーを出します。チラシのモノクロ写真も昭和39年と思われます。
その根拠はダットサンブルーバードP410があるし、昭和40年から解体し42年にはレンガの駅ビルになりますので、昭和39年と見て居ます。
当時山形には自動車その物が少なく駐車場は自由に何処にでも停められました。お爺ちゃんは基本通勤にはトヨペットクラウンでラックスを使う事はなく、汽車通勤でした。それこそこんな車で通勤したら「あのクソ助役わいろ銭貰って買ったんだべナァ!」と云われるのが関の山。
無論そんな銭は有りませんが、殆ど仕事で使う事は有りませんでしたし、バリバリ使う様になったのは私の代からです。
ダットサンブルーバードP410がワンサカ居ますね。タクシーも例の山形交通タクシーカラーです。
モノクロ。中央にP410があるので昭和39年でしょう。
「高村助役、甥子さんのご冥福をお祈りします」が先ず昭和39年に出る事です。松島基地に所属していたお爺ちゃんの甥が殉職しました。
関山峠をどんな思いで運転したのでしょうか。
仙山線の面白山臨時駅(当時)です。今は面白山高原駅です。此れもチラシにありました。
長井営業所の山形交通バス。タイヤに注目、大型車のホワイトウォールです。