昭和55年11月7日に越路吹雪さん(本名内藤美保子)が胃癌の為お亡くなりになられました。享年56歳。
丁度私が7歳6か月の頃でして、当時は特に意識はしていませんでした。
然し後年親にタマタマラジオで流れた曲「ラストダンスは私に」を惚れ惚れとして聴いて居た時、「お前あの歌手に抱っこして貰った筈だ」と云うので、ふと10数年前(当時)少し煙草臭かったオバサンの事か!と思いだしその頃から越路ファンになりました。
昭和53年の事でしたが、「かったるい」幼稚園をお休みして暫く東京のスポンサー宅に居ました。当時経営していた洋服店にて私が見知らぬオバサンに「いらっしゃいませ!」と声掛けすると「まぁ、可愛い子番頭さんね!」とおっしゃった事が忘れられず、抱っこしてもらったのです。
越路さんと云えば多くは「愛の讃歌」でしょうが、私は特に「ラストダンスは私に」を好みます。
此れはYOUTUBEにありますが、昭和45年日生劇場で行われたリサイタルです。ピアノは夫の内藤法美さんで、この方も昭和63年59歳にて癌でお亡くなりになられました。
ラストダンスは私にがデビューした昭和35年の東京都庁前の写真ですが、カラオケで歌う時はこの写真を先ずは思い浮かべます。
越路さんのエピソードとして、丁度この時代スポンサーの店で働く店員が「越路さん、タクシーをお呼びしますが、小型になさいますか?中型になさいますか?」と尋ねると暫く考えた後「小型をお願いしますわ」との事。
あれだけの大物だったこの時代でも贅沢はしなかった越路さんの一面が残されて居ます。
良く見るとダットサン210とかコロナPT20のタクシーも走って居ますのでその時のシーンも想像します。
越路さんは昭和38年も御贔屓されたか判りませんが、スポンサーがポンと買ってくれたクラウンデラックス。
トヨペットクラウンでなくて、デラックスが付くタイプで、その上トランククーラーまで奢ってくれました。
今当然の如く、スポンサー宅は店舗も含めもう跡形も有りません。他にもどんな大物芸能人が来て居たのだろうか?
でもあのヌクヌクした生活が破綻した事は私にとっては良い事でした。もしあの生活が今も続いて居ればこの車は遠っくの昔にスクラップだったろうし、興味も失せて乗る気が無かった筈。
そればかりか、本当にロクでもないフラフラとした中年になって居た事は想像が付きます。